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わたくしが溺愛されるのは当然です ― 薔薇たちの純愛革命 ―  作者: 入鹿なつ
第4章 わたくしが幸せになるのは当然です

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33輪 薔薇の悪だくみ

 領地にいる母・グレッタ夫人へ電報を打ち終えて電報局を出たロザリーは、そのまま馬車を皇宮へと走らせた。

 屋敷での雑事はすべてミンディに任せてきた。現在、皇都の侯爵邸には少数の使用人しか置いていない。ミンディだけでも十分に家中を回せる。


 ロザリーは一人になれる馬車での移動の時間を利用して、これから先の行動についてじっくりと考えを巡らせた。


 蒼の皇宮(ブルーシャトー)に着けば、よほど相手がとり込み中でない限り皇太子と会うのに面倒な手続きは不要だった。

 元婚約者としての特権だ。婚約破棄をした段階で本来なら失効したであろう権利だが、皇太子の許しによってそのままなのだ。婚約破棄がなされて以降では初めて、ロザリーはその権利を行使した。


 身分を示せばすぐに皇太子の侍衛ザックが迎えに出てきて、ロザリーは余計な時間をとらされることなく執務室へと案内される。過去に何度も訪れているので案内などなくとも迷いはしないが、儀礼的なものだ。


 侍衛によるとり次ぎは断った。プラチナの窓枠が並ぶ廊下で軽くブラウスの襟を整えてから、ロザリーは自ら執務室の扉を叩く。室内からわずかな物音がして、分厚いチークの扉が開いた。


 出てきたのは銀縁眼鏡が目を引く長躯の若者だった。ロザリーは一瞬遅れて、それが眼鏡をかけたケイレブだと気づく。膨大な事務作業と格闘していたのだろう彼は上着を着ておらず、袖をまくったシャツの上に紺のウェストコートだけをつけていた。


 常にきっちりとした身なりの印象が強いケイレブの意外な姿に、ロザリーはちょっと目を(みは)った。細身のウェストコートで際立つ胸の厚みと、血管の浮く無防備な前腕に、つい目が奪われそうになる。


 廊下に立つロザリーを見たケイレブは、やや焦った顔をして眼鏡を外した。眼鏡を摘まんだ指先が、わずかにインクで汚れている。


「ロザリー殿。申しわけありません、こんな恰好で」


 丈高いケイレブが決まり悪そうに恥じらう姿は、なんとも眼福だ。これだけでも先触れなく押しかけた甲斐があったなどと思いながら、それをおくびにも出さずにロザリーは愛想よくほほ笑んだ。


「いいえ。お忙しいところへ突然に押しかけたのはこちらですもの。お詫びするべきはわたくしの方ですわ。どうか気になさらないで。殿下とお話しできますかしら」

「ええ、どうぞ」


 ケイレブは素早く身を退けて、眼鏡を持った手で室内を示した。


 執務室の主は、最奥にあるマホガニーの机にいた。彼もシャツに葡萄茶(えびちゃ)のウェストコートの姿で、その上に着るべきフロックコートは壁のフックにかかっている。皇太子は椅子にゆったりと身を預けて数枚の書類を手にしていたが、目線は出入り扉の方を窺っていた。


 遠慮なく入室したロザリーが机の正面まできたところで、ジェイデンはようやく書類を置いて顔を上げた。


「君の方から会いにきてくれるとは。ここは喜ぶべきかな」


 明るい声で言ってジェイデンは机に両肘をつく。鳩羽(はとば)色の瞳にあるのは、警戒心だ。

 ロザリーは彼の予感を肯定するように微笑を返した。


「急に殿下とお会いしたくなりましたの。ご迷惑でしたかしら」


 わざと甘えるような口調と身振りでロザリーが言うと、ジェイデンは息を詰まらせて手の甲で口を押さえた。


 笑いを堪えている。いっそ盛大に噴き出して、ケイレブの怪訝な目がジェイデンに向けられていればもっと面白かったのだが。やはりそこまでロザリーの思い通りにはならない。


 どうにか噴き出すのを押さえ込んだジェイデンは、仕返しのようにロザリーへ極めて甘くほほ笑みかけた。


「いや、構わない。君の訪問ならばいつでも歓迎しよう。ケイレブ」


 ジェイデンが呼び、自身の机に戻ろうとしていた侍衛が振り向いた。


「少し出ていろ」


 皇太子からの指示に、ケイレブはかすかに面食らったような顔を見せる。ジェイデンとロザリーの間で視線を動かして彼はなにか言おうとするように口を開いたが、結局、臣下の礼をとった。


「かしこまりました」


 返事をしてから、ケイレブは自身の机の書類を重ねて軽く整えた。皇太子に関わるものである以上、あまり外部に見せるべきでないものもあるのだ。


 彼にしては機敏さに欠ける動きで机上を簡単に片づけたケイレブは、壁にかけてあったフロックコートを持って執務室を出た。そのとき、元婚約者の二人の方を気にするようにちらと視線を向けたが、なにも言わずに扉を閉めた。


 二人きりになったところで、ジェイデンは応接テーブルの方を顎で差した。


「かけては?」

「お気づかいなく。要件が済みましたら、すぐに失礼いたします」


 ロザリーがにこやかさを損なわないまま返せば、ジェイデンは「そうか」とだけ呟いて指を組んだ手に顎を乗せた。


「では、我が美しき()婚約者殿の要件とやらを聞こうか。わざわざ愛を語らいにきわたけではあるまい」


 ジェイデンが上目に窺い、ロザリーは顎をそびやかして答える。


「ええ。少しばかり悪だくみに」

「今度は一体、どんな悪だくみかな」


 ジェイデンが話に乗ってきたので、ロザリーは今度は顎を引いて声を低めた。


「実は、お父様がこちらに向かっております」


 ふむ、とジェイデンは軽く唸る。少しだけ考え込むように、ホワイトブロンドの毛先を指先に巻きつけて弄んだ。


「娘に会いにきたのでなければ、上洛(じょうらく)には不自然な時季だな」

「おそらくお父様は、お気づきになったのですわ」


 さらりとした口調でロザリーは告げた。途端に、ジェイデンの眉根が寄せられる。


「なにに気づいたと?」


 ジェイデンの警戒心が声音にまで表れ、ロザリーは不敵に笑みを深めた。皇太子の眉間が曇るほど愉快さを覚えてしまうのだから、性格の悪さを自覚せざるをえない。


「例の首飾りの件です。わたくしが盗品と知りながら新春の宴で身につけていたことに、気づいたのでしょう」


 睨むようにジェイデンは目を眇めた。けれどその程度ではロザリーが少しも動じないのを見てとり、呆れのため息をついた。


「秘密がバレたにしては落ち着き過ぎだ。わざと手がかりを残していたな」

「もとより、いつまでもお父様に隠し通せるものでもありませんわ。想定より少し早かったですけれど」


 ふっと息を漏らし、皇太子は顔を歪めて笑った。


「ヘルツアス卿も、嫡女(ちゃくじょ)がこうも悪賢いのでは気苦労が絶えまい」


 ジェイデンは肩をすくめておもむろに立ち上がる。机を回り込み、体が触れそうなほどロザリーの間近に立った。笑みを消した皇太子は机に手をつき、体格と地位の優位性を誇示するように、吐息がかかる距離で元婚約者を見下ろした。


「わたしに、なにをさせたい」


 ジェイデンの声は相手を威圧する低さだった。当然だ。ロザリーが彼を脅しているのだから。

 婚約破棄の秘密に関わる証拠をあえて残していたということは、それを公にする準備がある、ということだ。


 もちろん、二人の協定が明るみに出ればロザリーとて無傷ではいられない。しかし皇太子ジェイデンが失う名声はそれ以上だ。しかもこうして脅しに使うならば、ロザリー自身の逃げ道は用意していて(しか)るべきである。


 ロザリーは(ひる)むことなく、胸を反らせてジェイデンを見上げた。


「ミンディにプロポーズなさいませ」

お読みいただきありがとうございます。

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