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わたくしが溺愛されるのは当然です ― 薔薇たちの純愛革命 ―  作者: 入鹿なつ
序章 わたくしが婚約破棄されるのは当然です

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2輪 紅薔薇の密談Ⅰ

 ノヴァーリス皇国は、本島とフィーユ島の二つの島からなる国である。


 本島は、東西南北に大きく花弁を広げた花に似た形をしていた。向かい合う花弁の谷間と谷間を繋ぐように斜めに横切る大河によって、島は北西半分のブッシュ地方と、南東半分のシュラブ地方とに分けられる。それに南西の離島フィーユを加えた三つの地方は、かつてはそれぞれに王朝を持つ、別の国だった。


 長くしのぎを削った三国が統一され、現在のノヴァーリス皇国となったのは、約二百年前のことだ。


 三国統一以降、時の政府は旧国家間での混血を推し進め、ノヴァーリス皇国の皇后は各地方から順番に擁立することが通例とされた。


 十六年前に流行病で亡くなった皇后は、ブッシュ地方の出身だった。したがって次代となる皇太子ジェイデンの妃は、シュラブ地方出身者から選ばれることになる。


 その条件下で皇太子妃候補として白羽の矢が立ったのが、シュラブ地方で勢力を伸ばすヘルツアス侯爵家の長女ロザリー・フレディーコだった。


 ジェイデンの士官学校卒業とその後一年間の遊学からの帰国を待ったのち、順当に議会の承認を得て、およそ半年前に二人は正式に婚約と相成った――のではあるが。


「あなたのようなペテン師の妃になったら、片時も心が休まりませんわね」


 向かい合う席にジェイデンが座るのを待って、ロザリーはあえて呟く響きで言った。

 長さを持て余すように脚を組んだジェイデンは、ミルク色の長髪を軽く払いながら苦笑した。


「君のような女性が常に傍にいたのでは、長生きは難しそうだ。弟君は健勝かな」


 ロザリーは(たた)えていた笑みを消した。ジェイデンから受けとった薔薇を長卓に置き、代わりに開いた扇の端で口元を覆う。


「皇太子殿下であっても、わたくしの弟の侮辱は許しませんわよ。弟は、クレイブン校の今期の最優秀生徒に選ばれております」

「有望な後継者に恵まれて、ヘルツアス卿もさぞ晴れがましいことだろう。祝いの品を用意するべきかな。わたしはこれで、弟君のことを心から尊敬していてね。君となに気兼ねない関係を持てる男性は彼だけだ」


 少しも悪びれないジェイデンに、ロザリーの瞳が自然と冷たく細まる。彼のたいへんに優美な容姿と立ち振る舞いはロザリーも評価するところであるが、その下に隠された性根を知れば、到底、好意など抱けるはずもなかった。


「戯れ言をおっしゃる前に、汚れ役を引き受けて差し上げたことへの感謝くらい述べられてはいかが」

「君がわたしの体面を気づかってくれたのが奇跡のようで、感謝の念のあまり涙を堪えているところだ」


 ジェイデンは大げさに言って、出もしない涙を拭う仕草をした。


 なにを言ったところで、この皇太子にこたえることはない。分かってはいても苛立ちを覚える自分に、ロザリーは扇の裏で嘆息した。これ以上は疲れるばかりだと判断して扇を閉じ、本題へと水を向けることにする。


「皇后陛下の形見を無事とり戻されたことについては、わたくしからもお喜び申し上げます」


 ロザリーの声色の変化を察して、ジェイデンは面白がる口元はそのままに、目つきを真摯なものへと変えた。


「君がわたしの部屋の肖像画を記憶していたのが、なによりも幸運だった。この件については、わたしも素直に礼を言おう」

「見つけたのがわたくしで、よろしかったですわね。提供した調査資料は役立ってまして?」


 ジェイデンはなにごとか企む表情で、ロザリーの問いに頷いた。


「十二分に活用させて貰っている。まったく。皇王の膝元で堂々と宝飾店を営業しながら、裏で盗品の仲買をしているとは。大した度胸の店主だ」


 苦笑にも嘲笑にも見える笑みが、ジェイデンの唇に浮かぶ。すぐに気をとり直すように表情を改め、皇太子は膝の上で指を組んだ。


「すでに流通ルートは洗っている。君の無罪証明の準備にも、すぐにとりかかれるだろう――そもそも君を罪に問うたならば、一体どれだけの範囲に累が及ぶか分かったものではないが――我々の婚約が完全に破棄されたあとで、店への立ち入り調査をおこない、君の冤罪を周知すればこの件は終了だ。再び婚約話が持ち上がることもあるだろうが、今夜の騒動によって破談の原因は知れ渡っている。激しく傷ついた君が、濡れ衣で吊し上げる男など二度とごめんだ、とでも拒めば、外聞が悪くてそうそう強引なこともできない」


 ジェイデンは披露するように先の構想を語った。その流れるような口振りに、ロザリーは彼への反発心を少しばかり引っ込めて感心した。


「あなたって、作劇の才能もおありですのね」

「わたしが担ったのは演出であって、筋書きを考えたのは君だ。それに、どんな素晴らしい戯曲であっても、優れた演者に恵まれてこそのものだ。そうだろう?」


 自身も演者でありながらジェイデンはそれを明言せず、ロザリーを立てるように言った。ロザリーはそれにあえて明確な同意は示さず、わずかに目を細めるにとどめた。


 ジェイデンはロザリーに対して常に皮肉っぽく、いけ好かない発言が多いが、今のようにおだてるのもうまい――それがなにより、彼の信用ならないところだ。


 「とはいえ」と、ジェイデンは言葉を続ける。


「無罪と証明できても醜聞には違いない。よくこんな筋書きを提案してきたものだ」

「お父様にしばらく大人しくしていただくには、これくらいでちょうどいいのです。言いたい方には言わせておきましょう。わたくしには大した痛手ではありません──()は冤罪ごときで、他人を差別するような方ではありませんもの」


 やや語調を強めて、ロザリーは断言した。

 むしろ多少の悪評は、真の目的へ突き進むために必要な露払いだ。これで邪魔者を押さえられなければ、嫌みな皇太子と手を組んでまでリスクを払った甲斐がない。


 ジェイデンも同じように考えてか、笑いを堪えるように喉を鳴らして膝に頬杖をついた。


「間違いない。それにしても、改めて考えてみても、君が()のような男に惚れるとは意外だ。自分と真逆な性質のものに惹かれた、といったところか」


 ロザリーは顎を持ち上げて、おかしがるジェイデンを睥睨(へいげい)した。開いた扇を口元に押し当て、葡萄酒色の瞳にうっすらと軽蔑を宿す。


「あなたにだけは言われたくありませんわ。皇太子殿下が()()のような女性に夢中になるなんて、誰がお思いになりまして」


 ジェイデンは今度こそ笑い声をたてた。見開いた鳩羽(はとば)色の瞳で、淡紫の輝きが愉快げに躍る。


「わたしですら思わないのだから、誰も思わないだろう」

「自覚されているあたり、救いようがありませんわね――まあ、でも」


 呆れを含んで言いながら、ロザリーはいったん言葉を区切った。

 長卓に置いた薔薇をもう一度持ち上げ、席を立つ。長卓を回り込んでジェイデンの傍まで歩み寄ると、最初に彼が見せた仕草を真似るように、ロザリーは薔薇を差し出した。


「わたくしたちのような人間の伴侶は、お人好しなくらいがちょうどいいかもしれませんわね――これはお返しいたします」


 差し出された薔薇越しにロザリーを見上げ、ジェイデンは表情を消した。途端に、作りものじみた端麗さゆえ、人らしい生気が希薄な印象になる。けれどそれは一瞬のことで、美しき皇太子は吐息と共に口の片端を上げた。


「君という女性は、少しも可愛げがない」

「わたくしは、ただ一人の方以外に、可愛いと思っていただこうとは思いません」


 気高さを失わないまま、ロザリーはただ己が心を告げる。

 ジェイデンは目蓋を伏せ、もう片方の口角も上げて笑った。


「まったく――君とわたしは、本当によく似ている」


 独り言のように言って、皇太子は侯爵令嬢から深紅の薔薇を受けとった。

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