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わたくしが溺愛されるのは当然です ― 薔薇たちの純愛革命 ―  作者: 入鹿なつ
第2章 わたくしが正しいのは当然です
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15輪 無意識のほころび

 馬車がヘルツアス侯爵邸の門を出たところで、ジェイデンは尊大に脚を組んで、正面に座るケイレブを睨めつけた。


「それで、倒れた実際の原因はなんだ。確かに最近は忙しくしていたが、それだけではあるまい」

「本当になんでもお見通しだな、君は」


 確信を持って言われれば、ケイレブは認める他なかった。聡い従弟がこういう言い方をするとき、小手先の誤魔化しが通用しないのはとっくに学習している。しかし倒れる直前のことを思い返すとまた気分が悪くなりそうで、ケイレブは悩ましく額を撫でた。


「……言わなくては駄目だろうか」

「わたしの近侍から外れるつもりなら、それでもいい」


 突き放すように言ったジェイデンの眼差しは、ケイレブの逃げを許さなかった。夕闇の中で紫みが強まった鳩羽(はとば)色の瞳に見据えられ、喉をつかまれたように言葉に詰まる。


 ケイレブは真っ直ぐな眉宇(びう)を歪ませ、苦いものを噛む心地で低く答えた。


「彼女を説得するつもりが、わたしが分からされてしまった」

「なにを言われた」


 ジェイデンの柳眉が、訝しげにひそめられる。ぶり返す気分の悪さを堪えるようにケイレブは俯き、両手で顔を覆った。


「復縁したとして、彼女が皇后ひいては母になったとき、君が亡き母君を彼女に重ねるのではないか、と……わたしに言われたのかと思った」


 ケイレブは最後を絞り出すように言い、さらに体を丸めた。


 上体を長く起こしていられないほど、再び目が回り始めていた。石畳を踏む馬車の揺れが、頭痛がするほどの目眩に拍車をかける。ケイレブは両膝に腕をつき、冷水を被ったように血の気が引いていく頭をどうにか支えた。


 低くなった焦茶色のつむじへと、気だるげなため息が降ってきた。


「彼女は君の母を知らない」


 ジェイデンが呆れまじりに呟く。ケイレブは顔を覆う手を握り、ともすれば朦朧とする意識を痛みで繋ぎ止めようと前髪を引っ張った。


「……分かっている」

「君は、とらわれ過ぎだ」

「分かっている。分かっては、いるんだ。だが――」

「君の母の罪は、君の罪ではない」

「…………」


 狭まった喉に言葉がつかえた。頭で理解しても感情がついていかないケイレブの葛藤を見透かすように、ジェイデンがさらに踏み込む。


「君と親密になった女性が、君の母と同じになるわけもない」


 ケイレブは息をのんで顔を上げた。端麗な従弟は呆れの表情を隠すことなく、腕を組んでこちらを見下ろしていた。数度の呼吸で喉をこじ開けて、ケイレブはやっと言葉を吐き出した。


「……気づいていたんだな」

「君が鈍いだけだろう」


 ジェイデンの言葉はその通りで、ケイレブは自嘲した。


「まったくだ。わたしは彼女の言葉でやっと、自分がずっとそれを恐れていたことに気づいた」


 泣きたいような笑いたいような、ケイレブ自身にもよく分からない感情で吐息が震えた。


 ケイレブの生母は不義の罪により、伯爵家の汚点として記録から末梢されていた――十六年前のことだ。


 政略結婚で伯爵家に嫁いだ母が父を好いていないことを、ケイレブは幼いながらも朧気に察していた。しかしそれが、駆け落ちなどという大それたことを計画するほどに深刻なものだとは、思いも寄るはずがなかった。


 十六年前に幼い我が子を残して情夫と失踪した彼女の行方は、生死も含めていまだ知れていない。皇太子の伯母であり乳母でもあった彼女の名は、皇室でも禁忌となっている。


 女性からの好意に真剣に向き合えないのは、自分の性格のせいなのだとケイレブは思っていた。しかしロザリーの言葉によって、無意識の内に相手の女性に母を重ね、裏切りを恐れて心理的に遠ざけている自分に気づいてしまった。


 幼い頃に負った傷はいまだに癒えることなく、膿を吐き続けていたのだ。これまで覆い隠していた傷口を目の前に突きつけられ、その醜悪さにケイレブの心は今さらのように悲鳴をあげていた。


 やっと体を起こしたケイレブは後頭部を馬車の壁に強く押し当て、空中に向かって長く息を吐き出した。眠るように目を伏せれば、瞳を潤ませて苦悩を訴える侯爵令嬢の姿が、眼裏(まなうら)に再生される。


「本当に聡明な女性だな、ロザリー殿は。わたしの方が多少は歳上なはずなのに、彼女の方がよほど広く物事を見ている」


 口に出すと余計にそう思えて、彼女が皇太子を支えてくれたらどれほど心強いだろうかと、ケイレブは考えた。


 別れ際、ロザリーはジェイデンでなくケイレブに薔薇の礼を言った。おそらく、薔薇を届けたことに対する礼だろう。しかし彼女ならば、あの薔薇を選んだのが皇太子でないことに気づいていたとしても、不思議でなく思えた。


 ケイレブがゆっくりと目蓋を持ち上げると、馬車はすでに皇宮の敷地に入っており、窓の外に蒼の皇宮(ブルーシャトー)を間近に望めた。残照に浮かび上がる城館は、鮮麗な昼間の姿から一変して、濃い影となって厳かにそびえている。


 ラピスラズリの壁面は朱の陽光を浴び、深い葡萄酒色に染まっていた。その色合いは、理知的な輝きの中にときおり儚さを覗かせる侯爵令嬢の瞳を想起させた。


 ケイレブは、右手で包むように自身の左手を握った。そこに触れたロザリーの手の感触が、肌にほのかに記憶されている。


 手入れの行き届いた彼女の白い手は、陶器のように冷たそうに見えた。けれど実際は指の先まで柔らかく、滑らかな肌には確かな温もりがあった。考えてみれば当たり前のことであるのに、ケイレブはそれに淡い驚きを覚えていた。


「ジェイが彼女を好きな理由が、少し分かった気がする」


 頭の芯がぼんやりとしたまま、ケイレブはなにげなく呟いた。


 すると急に、ジェイデンが笑い声をたてた。怪訝に思ってケイレブが目線を正面に向ければ、従弟は口元を押さえて肩を震わせていた。


「なにがおかしい」


 ケイレブが眉をひそめて言うと、ジェイデンはすぐに笑いを収めてかぶりを振った。


「いいや。なにもおかしくはない。ただ君は、いつも肝心なことに気づくのが遅い」


 口角を楽しげに上げたまま、ジェイデンは真正面からケイレブを見据えた。淡紫に光る鳩羽(はとば)色の瞳が、愉悦に細まる。


「彼女は間違いなく素晴らしい女性だ――わたしにはもったいないほどにね」

お読みいただきありがとうございます。

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