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魔女の娘と贄の王子

作者: ヨドミ

「問答無用で斧を振りかざす者に出会ったのは、初めてだ」

「勝手に人の家にあがり込んで、何言ってるの」

「……ここは家畜小屋ではないのか?」

 ――この人、失礼すぎる!

 粗末なテーブルに頬杖をつく青年は、刃が食い込んだ床板を興味深そうにながめていた。一方、彼のそばに控える筋骨たくましい男は短剣を構え、アルバを親の仇のように睨み付けている。

 薬草摘みから帰ると、見知らぬ男たちが家の中をうろうろしていた。アルバは扉に立てかけてあった斧を手に、彼らを追い出そうと試みたのだが、短剣を持つ男に軽くあしらわれてしまったのだ。

 

「ここに何の用……?」

 身なりは質素だが、気品漂う青年にアルバは恐る恐る声をかける。番犬グレイの毛並みを撫でる青年は、紺碧の瞳をアルバに向けた。

「俺の呪いを解いてほしい」

 青年が合図すると、短剣の男は青年の上衣を脱がし始めた。突然の出来事に、顔を手のひらで隠したアルバだが、指の隙間から見えた光景に驚愕した。


「左腕が、ない?」


 青年の肩の付け根はまるでインクで塗りつぶしたように黒く、生き物のようにうごめいていた。

 禍々(まがまが)しい、を体現したモノにアルバは、ごくりと唾をのんだ。

「あんた何者……」

「俺を知らんのか」


 青年はズボンのポケットから取り出したものをアルバに放り投げた。慌てて受け取ると、横顔と名前が刻印されている金貨だった。

 それと青年の顔を見比べる。とても似ている。

「王族なの?」

「ああ」

「レオン……ハルト?」

「王太子殿下だ、無礼者」

「ダニエル」

 金貨に刻まれた文字を読み上げたアルバに、男―ダニエルは軽蔑の視線を投げかけるも、主人の叱咤しったに頭を垂れた。

 レオンハルト王太子。病弱で公式行事には一切姿を見せない深窓の貴人きじんだという。辺境の山奥に住むアルバでさえも耳にする噂だ。


「それは前金だ。魔女よ、一刻も早く俺の呪いを解け」

「魔女は母さまよ」

「何?」


 魔女と呼ばれていたのはアルバの母である。

 二年前に亡くなった母に薬草の調合を仕込まれていたおかげで、それらを売りながら、アルバは貧しくも穏やかに暮らしていた。

 そう、目の前の二人が現れるまでは。


「では母親を呼べ」

「荷馬車の事故で死んじゃったから、無理」

 アルバの言葉にレオンハルトは目をすがめた。

「だから呪いを解く方法なんて知らない」

「断ることは許さん」

 レオンハルトは立ち上がると壁際の棚から本を一冊抜き出し、

「ここにはこの呪いを解く手がかりが記されているはずだ。解呪の方法を知っていて隠すつもりか」

 アルバはハッと身を乗り出した。

「それ、読めるの?」

 レオンハルトは眉をひそめたが、

「ああ、そうか古代文字か……」と納得したかと思えば、顎に指を添え、ほくそ笑む。


「娘、この文字が読めるようになりたいか?」

 アルバは勢いよく頷く。

 小屋にある蔵書はすべて読んだが、その一冊は見たこともない文字で綴られていた。母が大切にしていたこともあり、興味をもったが、いくら頼んでも「アルバにはまだ早い」と言って内容を教えてくれなかったのだ。

「ならば教えてやる。その代わり、俺の呪いを解け」

 期待に胸を膨らませたアルバだが、ふと疑問がよぎった。

「自分で読んだほうが早いんじゃないの?」

 レオンハルトはページを繰りながら「いや」と否定する。

「文字は読めるが、内容が理解できん」

 なるほど。しかしそれはアルバとて同じである。


「文字は教えてほしいけど、あんたを助ける自信ないよ」

「自信があろうがなかろうが、俺の知ったことではない。お前には引き受けるという選択肢しかないぞ」

 短剣をこれ見よがしにちらつかせるダニエルを見て、この人たち盗賊と変わらないのでは、とアルバは背中に冷や汗をかく。

 番犬であるグレイが足元ですやすやと眠っているから、悪い人たちではないのだろうが。


「このような辺境まで来たのだ。ただでは帰れん」

 命令することに慣れた人間特有の尊大さで、レオンハルトはどんどん話を進めていく。

「国の存亡がかかっている。娘、心して望むがよい」

 王太子は有無を言わさず、アルバに命じた。


■■

 ペン先でレオンハルトは紙面を叩く。

「ここは発音は同じだが綴りがちがう。もう一度書き直せ」

 アルバは言われるがまま、注意された箇所を訂正した。

 横柄ではあるが、レオンハルトの指導には無駄がなく、アルバは面白いように知識を吸収していた。その合間に彼は王家の歴史を語り、アルバは耳心地のよい低い声音に何度も眠ってしまいそうになった。


 戦乱が続く他国に比べ、アルバの住む国は数十年前から落ち着いた治世を保っている。国境を閉ざし、独自の経済活動を進め繁栄していた。それゆえ、レオンハルトの父は賢王として名高い。


「実際は、国に満ちている邪気を【受け皿】という名の贄に集め、国の均衡を維持しているにすぎない。代償として【受け皿】は黒い影に身体を喰われ、消滅する」

 レオンハルトは他人事のように淡々と境遇を語った。

「陛下は悪魔の所業を用いて国を安定させている。賢王とは皮肉なものだ。……お前はどう思う?」

 テーブルから顔をあげたものの、アルバは質問の意図が判らず首を傾げた。

「俺を卑怯者だと思うか?」

 呪いを解けば国に災いが解き放たれる。レオンハルトは使命を果たさないことに負い目を感じているのか。

 口は悪いが、レオンハルトはとても真面目だ。

 アルバならどうするか。


 数年前の記憶がよみがえる。

 子犬だったグレイは木のうえで怯えている。子犬がうずくまる枝の根元までアルバは登った。しかし子犬に手を伸ばした瞬間に足を踏み外し、そのまま気を失ったのだ。

 目覚めると母は恐ろしい形相でアルバを叱った。それからというもの、自分を大事にできない人間は誰も救えないのだ、と耳が痛くなるほど言い聞かせ続けた。


「私なら自分が助かる道を選ぶ」

 レオンハルトはアルバから目をそらさない。揺らぎもしない澄んだ瞳に勇気づけられ、言葉を続けた。

「自分を大事にすることは卑怯なことじゃないよ。だってこのままだとレオン死んじゃうよ、怖くないの?」

「怖いに決まっている。だからこそ呪いを解く方法を探している。だがいいのか?【受け皿】がいなくなれば、戦が始まるかもしれんぞ」

 目を伏せるレオンハルトにアルバは、

「そうなったらレオンが責任取ってみんなを守らないとね。だって国の人たちが頼りにしてる王子サマなんだから」

 と、にっこり笑いかけた。

 レオンハルトは驚きに目を見開いたが、

「くくっ……」

 肩を震わせ笑いを噛み殺す。

「貴様、殿下がお許しになっているとはいえ、口が過ぎるぞ」

 ダニエルは我慢できなくなったようでアルバを窘める。

「ダニエル、我が国の民も捨てたものではないな。アルバ、俺はおのれを犠牲にするつもりなど毛頭ない。俺自身が国を動かし民を導くつもりだ。悲しみを背負うなどという辛気臭いものは性にあわん」

 レオンハルトは拳を握りしめる。

「俺は命を捨てるつもりはない。そのためにはお前の力が必要だ。今以上に励め」


 アルバの胸にあたたかなものが込み上げてきた。

 他人よりも自身を優先するアルバをレオンハルトは否定しない。村の住人に同じ事を言うと、彼らは怪訝な顔をした。その考えは村の調和を乱すから歓迎されないのだと、あとになって悟った。

 変わらず村の人々は優しいものの、腫れ物のようにアルバを扱う。


 アルバはレオンハルトに受け入れられたことで小さな満足感を覚えた。

「口元がだらしなく弛んでいるぞ。まだまだ余裕だな」

 ならばさらに厳しくするぞ、と脅す彼に慌てて待ったをかけるアルバは、不謹慎にもこの日々を楽しんでいた。


■■■

 気がつくと、レオンハルトの姿を目で追うようになっていた。

 朝日に輝く銀髪と紺碧の瞳を見ていると、朝靄あさもやにけぶる湖畔を眺めているときのような、穏やかな気持ちになる。

 そうかと思えば、厳しいものの裏表のない彼の言葉はアルバを叱咤し奮い立たせるのだ。

 そんな彼女を見て護衛騎士ダニエルは釘を差した。彼はレオンハルトへの忠義に篤い男だ。魔女の娘であるアルバをいまだに警戒している。

「殿下はこの国の宝だ。傷つけることは私が許さない」

 薪割りをしながらアルバは頬を膨らませた。小屋の壁にもたれ腕を組むダニエルをじっと睨む。

 何を心配しているのか。まさかアルバがレオンハルトに言い寄るとでも思っているのだろうか。

レオンハルトとともに過ごすようになって、一年。

 呪いはゆっくりとその身体を喰らいながら、触手をのばしうごめいている。

 体力の消耗が激しくなったのか、寝込むことが多くなったレオンハルト。それでも起きている時間のほとんどをアルバの教育に費やしている。

 痛みを堪えるような仕草に気が気でなかった。心配するなとアルバの頭を撫でながら、レオンハルトは悲しげな表情をする。

 彼を不安にさせないよう気丈に振る舞うのがアルバにできる唯一の気遣いだった。


 彼とどうこうなりたいわけではない。

 ただ心の中で想うのは勝手だ。

 恋だと自覚しても叶うことのない衝動を、文献の解読に注いでいく。

 難解な式をほどいていくための経験がアルバには足りない。古代文字を習得するのとあわせて、本格的に魔女になろうと母が残してくれた書物に没頭しているが、焦りは募る。

 村へも積極的に薬を卸すようにして、呪いに纏わる情報を集めるものの、成果はない。


 村の雑貨店に薬をおさめ帰路についていると、ものものしい鎧姿の兵士たちが目についた。半月ほど前から徐々に数が増えている。

「なんでもレオンハルト殿下が失踪されたそうだ。国中探し回っているらしいぞ」

「殿下は御身体が弱いんだろ?まさかこんな辺境にいるわけないのにな」

 小鳥のようにさえずる住人たちを尻目に、アルバは通りを歩き続ける。日に日に胸騒ぎは大きくなるばかりで落ち着かない。不安を振り払うように山道を駆け上がった。


■■■■

 小屋に近づくと、犬の吠える声が聞こえた。急ぐと家の前には、数人の憲兵がたむろしている。

 アルバに気が付いた憲兵が身構えた。

「この家の住人よ」と先手を打ったものの、なかに入れてくれる気配はない。

 戸惑っていると、家の中からダニエルがレオンハルトを抱え出てきた。

「ダニエル、なにして……!」

 近づこうとするも憲兵に阻まれる。彼女の声に瞼を開けたレオンハルトはゾッとするほど冷たい眼差しでアルバを射すくめた。

 どくん、と心臓が不自然な鼓動を刻む。

 次の瞬間、憲兵に押さえつけられ、状況を呑み込めずレオンハルトを見上げた。

「やめろ、それは何も知らん」

 地面に這いつくばったまま、アルバは困惑する。

「殿下、この娘はどうなさいますか?魔女の娘。このまま捨て置けば、母親同様、王家に反旗を翻すのでは」

「これに書かれている意味も分かっていない愚者だ。放っておけ」

 その手には、古ぼけた書物が握られていた。レオンハルトとアルバを繋ぐ唯一の品、呪いを解く手がかり。

「国のいしずえを脅かす証拠も回収できた。帰るぞ」

 それだけ告げるとレオンハルトは沈黙し瞳を閉じた。


 気づけば、グレイが慰めるように頬を舐めている。よろよろと立ち上がり家に戻ると、狭い室内は見るも無残に荒らされていた。

 インク壺から零れたインクが床に黒いシミを作っている。じわじわと滲む汚れに、アルバの涙が混ざった。

「今は遊ぶ気分じゃないの。放っておいて」

 スカートの裾を無邪気に引っ張るグレイ。いつもなら聞き分けのいい番犬が粘り強くアルバの気を引こうとする。

 外へ誘うようにグレイは尻尾を振った。ついていくと建物の裏手の木の根もとをしきりと掘っている。

一緒になって掘り進むと、古ぼけた紐綴じの紙束と革袋が出てきた。

紙束は母の日記帳のようで、古代文字で書かれていた。懐かしい癖のある文字を指で追いかける。

 母は呪いの進行を遅らせるように王に請われ、王宮に招かれていたようだ。


『元を絶たねば王太子は苦しむばかりだ。【受け皿】を解き放つ術は完成した。王の目を覚ますため、謁見を申し込む』

 母は優秀な魔女だったのだ。興奮してページを繰る。


 しかしアルバの手は、次のページでぴたりと止まった。


『我が子を贄にする行いを正すも、王は【受け皿】を廃することをよしとしない。そればかりでなく、私の命ともども秘術を闇に葬ろうとしている。一刻も早く王宮を去らねば』


 かさりとページの隙間から紙切れが落ちた。レオンハルトの美しい筆跡。


『王家が犯した罪は俺自身で償いたい。アルバ、文献のことはすべて忘れろ』


 まさか、母は事故で死んだのではなかったのか。そしてアルバもまた狙われていたのだとしたら。


 革袋には一生遊んで暮らせるほどの金貨が詰め込まれていた。

「立派な王様になるんじゃなかったの……?」

 そばに居てくれる番犬にもたれかかりアルバは鼻を啜る。 泣いていても始まらない。袖で目元をこすり、アルバは決意した。


■■■■■

 手首が豪華な寝具に埋もれていた。

 アルバは愛しさを込めてそれを撫でる。時おりぴくりと動く指先や、温かく柔らかな手の甲に、思わず笑みがこぼれた。

 断面から立ち上る黒い影はアルバをも喰らおうと触手を伸ばす。それを握りつぶすと、じゅっと音を立てて塵となった。


「魔女よ……」

 寝台脇に控えた大臣にむかって、アルバは安心させるように頷く。

「唯一生き残られた殿下を、必ずお助けいたします」

 アルバの言葉に、重臣たちはざわめいた。ある者は安堵し、別の者は周囲と何事か相談を始める。


 王が崩御し、後継者争いが起こっていた。

 その前年に【受け皿】の事実を知る王族たちは謎の奇病で死に絶えており、生き残った王太子の病を癒すことができる魔女として、アルバは王宮に招かれている。

 王族派はレオンハルトの復活を今か今かと待ち望んでいるが、反王族派は分家の男子を王位につかせようと暗躍していた。

 ――私には関係ないことだ。

「では、治療を行いますので皆様はお引き取りください」

「私は殿下をお守りする身。立ち去るわけにはいかん」

 十年前、レオンハルトの護衛を務めていたダニエルが言った。薄いヴェールの下でアルバは目をすがめる。

「殿下に施す治癒術は健康な人間の生気を吸いとりますよ。それでもよろしければ……」

 青褪めた表情で退出していく重臣たちをアルバは嘲笑う。


「お前はやはり……」

 ダニエルが声をあげるも、アルバは答えなかった。

 記憶を頼りに術を完成させ、レオンハルト以外の王族を排除し、王宮に潜り込むまでに十年。

 アルバのしてきたことを知ったら、レオンハルトは怒るだろうか。

 それでも助けたいのはただ一人なのだ。


「レオン、一緒に頑張ろう」

 指を握ると、応えるように握り返された。彼が身体を取り戻しても想いを伝えようとは思わない。

 アルバにとって、このぬくもりが何よりも大事なのだ。

 彼への想いは解呪にすべて込めよう。

 深呼吸してアルバはレオンハルトの顔を思い浮かべたのだった。

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