一週間後の話(6)
予定より長引いた会議が、ようやく終わった。
会議としては、第二軍の騎士隊長たちを集めてのものの方が長くかかることはある。しかし、騎士隊長たちとの会議は密度が濃い。気楽な空気で始まって、議題が出れば実戦に即した意見が飛び交い、それを儀礼的にまとめて行くから充実している。
対して、今日の夕方からの会議は……。
公式にはレイマン侯子という地位を持つハーシェルは、しかし今は第二軍の騎士としてため息をついた。
「相変わらずひどかったな。あのご老体、そろそろ現役を引退するべきだぞ」
そのつぶやきを、隣を歩くオズウェルは黙って聞いている。
心の中では同意見なのだろう。しかし、それを王国軍本部の廊下で口にするような軽はずみはしない。
そう言う堅実さがあるから、成り上がりと煙たがる貴族がいる一方で、何かあるたびに呼び出しては長々と話をしたがる老軍人もいるのだ。
例えば、ハーシェルが話題にしたロッサーズ侯爵。第二軍のテイローズ軍団長のような人物である。
ハーシェル自身は、テイローズ軍団長のことは嫌いではない。
だが老獪な貴族の血が濃い一人として、ただの好き嫌いでは判断しない。
「ロッサーズ侯爵家はもうダメだ。ご老体の跡を継ぐ人材がいない。私が手を下すまでもなく、近い将来、当主不在の空の爵位になるだろう。一年前までのグロイン侯爵位のように」
ハーシェルは金髪をかきあげながらつぶやく。
その口元には薄い笑みが浮かんでいて、オズウェルは苦笑するしかなかった。
「お前が言うと、いつも物騒だ」
「家業のようなものだからね。……ん?」
ニヤリと笑ったハーシェルは、ふと廊下の先を見て眉を動かした。
オズウェルの執務室の前に、若い騎士が立っていた。
若い騎士は、目が合うとピシリと姿勢を正した。
「オズウェル軍団長閣下! お待ちしておりました!」
「何かあったのか?」
歩調を変えずに、オズウェルは若い騎士に問いかけた。
「はっ、実は、その……奥方様が忘れ物をして行かれまして。どう扱うべきかを閣下にお尋ねすべきかと!」
「……エレナの忘れ物?」
ようやく、オズウェルは足を止めてつぶやいた。
それをハーシェルは聞き逃さない。大袈裟に目を見開き、それからバシンと親友の背中を叩いた。
「あのじゃじゃ馬の名前を呼び捨てにするようになったんだな。いつからだ?」
「姉君の婚礼の後だ」
「……ああ、あの時か。お前がいなくなってつまらない!と騒ぐ姉上のご機嫌取りに苦心していた時に、お前は奥方と仲良くしていたそうだな!」
笑いながら、でも半分以上本気で恨言を言うハーシェルを押し除け、オズウェルはため息をついた。
「何を想像しているか知らんが、ほとんど話をしただけだぞ。……それで、何を忘れて行かれたのだ?」
「それが、あの、髪飾りだと思うのですが」
若い騎士が、急いで執務室に入る。
オズウェルとハーシェルがその後に続くと、絹布を敷いた上に髪飾りを載せた盆を差し出した。
「これです」
「……確かに、今日はこの飾りをつけていた気がするな」
じっと見つめてから、オズウェルは頷いた。
ハーシェルは眉を動かし、ニヤニヤしながら親友の肩を叩いた。
「よく見ているじゃないか。で、どうする?」
「今日、はもう遅いな。明日にでも伯爵邸に使いを……」
「オズウェル。この髪飾りはなかなか高価な物だ。その辺の使いに持たせていいものではないぞ?」
「そうなのか?」
オズウェルはそれなりに目は養ってきたが、さすがに女性の装飾品の価値まではわからない。ハーシェルの言葉が正しいかどうかの判定はできかねた。
そんな親友の心情を察しているのか、ハーシェルはさらに言葉を続けた。
「いい解決法を教えてやる。まず、明日にでも奥方に手紙を送るんだ。昨日、髪飾りをお忘れではありませんか?とね。それで返事が来たら、次にここに来たときに渡せばいい。奥方は、また近いうちに来るつもりだっただろう?」
「……そうだが、しかし」
「しばらく時間が空いたとしても、貴族の奥方が髪飾り一つないだけで不自由することはない。まあ、次回の話題の一つにするつもりで、君がしばらく預かっておけ。それが一番安全だ」
ハーシェルはそれだけ言うと、若い騎士の背中を叩いた。
「君もご苦労だったな。……ああ、そうだ。実は、君の弟用に良さそうな本を見つけたんだ。退勤する前に取りに来てくれるかな?」
「は、はい! これから伺います!」
「と言うことで、私は先に帰らせてもらうよ。また明日」
「ああ、お疲れさま」
オズウェルの言葉に、ハーシェルは軽く手をあげて応えた。
それから若い騎士と共に、再び廊下を歩いた。
二人が歩く廊下には人の気配はない。
しかし所々の部屋ではまだ灯りがついているし、階下では夜勤務の騎士たちが忙しく動いているはずだ。隣接した兵舎では、騒々しい酒宴の時間になっているだろう。
オズウェルの部屋から少し離れた時、ハーシェルはちらりと若い騎士を見やった。
「……それで? 誰の策か聞いていいかな?」
若い騎士は一瞬戸惑ったが、すぐに何を言っているかを悟った。不興を買ったかもしれないと、体を緊張させている。
しかし、ハーシェルは薄く笑っただけだった。
「貴族のご婦人が忘れ物をしたら、だいたいが意図的なものだ。そうでなければメイドがただの無能になる。そう言う手管は理解しているのだが、あの奥方が思いつく手段とは思えなくてね」
「あの、それは……」
「目端の利く、いつものメイドかな?」
名前は、ルーナだったか。
そうつぶやく声に覚悟を決めたのか、若い騎士はぐっと唇を噛んで目を伏せた。
「……はい。その通りです」
「やはりか。だが今日の奥方の天然の手管と合わせると、なかなか有効だぞ」
「ハーシェル様、どうか、閣下には内密に……!」
「わざわざ話すような無粋なことはしないよ。と言うか、そんな必要はない。夜の廊下の声は、あいつの部屋からはよく聞こえるんだよ」
「……えっ」
若い騎士は、慌てて背後を振り返る。
ハーシェルは薄く笑った。
「君は気にしなくていいよ。いくら無骨なオズウェルでも、さすがに気付いているはずだから。万が一、気付いていなかったとしても、気付かせることができるからちょうどいい」
ハーシェルは歩きながら背後を振り返った。
廊下の向こうの軍団長の部屋から、わずかな明かりが漏れていた。釣られるように改めて振り返った若い騎士はさらに青ざめたが、ハーシェルはその背中を機嫌良く叩いた。
「それより、君の弟は面白い論文を書くね。学問所を卒業した後のことは決まっているのかな? 私の家に仕えてくれるなら悪いようにはしないよ」
「は、はい! ありがとうございます!」
若い騎士は顔を輝かせた。
貴族であろうと裕福でない家は少なくない。そう言う燻っている才能を集めることがハーシェルの楽しみの一つだ。
王宮を牛耳る手駒は、いくつあってもいいものだ。
もう一度オズウェルの部屋を振り返り、ハーシェルは薄く笑った。