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一週間後の話(4)



「失礼。あなたはとても素直だから、つい」

「……そんなに子供っぽいですか?」

「子供っぽいと言うより、表情が豊かだな」


 私ははっとして片手を頬に当てました。

 自分では隠しているつもりですが、アルチーナ姉様に表情に出ていると指摘されたことがありました。

 それを思い出したからですが、オズウェル様は楽しそうに微笑んでいました。


「俺はほとんど庶民のような育ちだ。高位貴族とは違って、俺の家族も周囲の人間も、表情を隠さないことが多い」


 素敵なご家族です。

 ご実家はどんな雰囲気なのでしょう。 

 ふとそんなことを考えていたら、オズウェル様はわずかに身を乗り出して私を真っ直ぐに見ました。


「だからだろうな。あなたを見ていると、俺は安心する。……できれば、俺の前ではそのままでいてほしい」


 真摯な言葉でした。

 たぶん、オズウェル様は深い意味を込めていないのだと思います。

 でも……優しい微笑みを浮かべて、そんなことを言わないでください。今の私は、きっと真っ赤になっています……!




「……オズウェル様は、ずるいです」


 思わずつぶやいてしまいました。

 意表を突かれたのか、オズウェル様の微笑みが一瞬止まりました。そして、慌てたように少し腰を浮かせました。


「しまった。今のは、少し失礼な言い方だったか」

「……違います! 誘惑はだめだとおっしゃったのはオズウェル様なのに、私を誘惑しています!」


 本当は、私から誘惑したいと思っても我慢しているのに。

 今日のドレスも、誘惑にならないように襟の詰まったものを着てきました。


 ……でも、よく考えたら私はずっと調べ物をしていました。ドレス云々以前に、インクで指が汚れていないでしょうか。

 急に気になって、そっと手を見てみました。

 手は、何とかきれいなままでした。


 少しほっとして、私は目を上げました。

 私が手を見ていたので、オズウェル様も私の手を見ていたようです。顔を上げた拍子に目が合いました。

 その金色の目を見た私はもう少し正直に……少しだけ大胆に言葉を続けました。


「……オズウェル様が誘惑したのだから、私も誘惑したいです」

「それはだめだ」

「やっぱり、オズウェル様はずるいです!」


 そう言い切って、少し乱暴に立ち上がりました。


「先日も、私が触ったら押しのけたのに、オズウェル様はたくさん私の手に触っていました! 私もオズウェル様の手に触りたいです!」

「いや、それは……」

「それに、お顔にも触らせてください! 髪にも触ってみたいです!」


 私はオズウェル様の前に立ちました。

 オズウェル様は驚いた顔のまま、私を見上げています。

 ……少し癖のある黒い髪と金色の目と精悍なお顔が、手を伸ばせばすぐ届くところにありました。

 私はそっと両手を伸ばしてみました。


「オズウェル様……お願いです。そのまま座っていてください。……少しだけ、触らせてください」


 どうか、逃げないでください。

 心の中で祈りながら、ゆっくり手を近付けていきます。


 私の手は、小さく震えていました。

 ……必死の祈りが通じたのでしょうか。オズウェル様は座ったままでいてくれました。



 指先に、黒髪が触れました。

 私の赤い髪ともお姉様の柔らかな金髪とも違い、少し硬いようです。

 おそるおそる指先で髪を櫛けずるように動かしてみました。さらに思い切って額に触れ、鼻に触れ、頬に触れてみました。

 額には、少し大きめの傷跡があります。

 それに近くから見ると、こめかみや耳元にも小さな傷跡がありました。


「こんなに傷跡が……痛そうです」


 思わずつぶやくと、伏せ気味だった金色の目が私を見上げました。

 今更のように、オズウェル様との距離が近いと気付きましたが、虹彩の細かな模様に見入ってしまいました。


「……怪我を負うことは怖くないのですか?」

「怖さは消えないが、もう慣れた。傷も、見かけは悪いがもう痛くはない。だから……あなたがそんな顔をしなくてもいい」


 オズウェル様の大きな手が私の頬に触れました。


 ……私は、どんな顔をしているのでしょうか。

 頬から顎にかけて、オズウェル様の指が動きました。ほんの一瞬、唇に触れた気がして、心臓が大きく弾みました。



 でもオズウェル様の手は、そのまますぐに離れてしまいます。

 体を椅子の背に預けて少し離れ、オズウェル様は苦笑いを浮かべていました。


「……やはり、あなたの誘惑は強烈だな。危うく負けるところだった」

「え?」

「今日は時間に助けられたようだ。……待たせたな。入ってくれ」


 オズウェル様は口の中でつぶやくように言い、それから廊下へと向かって少し大きな声を出しました。

 開け放ったままの扉の向こうは、誰でも通れる廊下です。

 そしてオズウェル様の声に促され、おそるおそる若い騎士様が顔を出しました。


「……も、申し訳ありませんっ! おくつろぎ中とわかっていたのですがっ!」

「大丈夫。君のせいではないよ。悪いのは、大した用件でもないのにすぐに部下を呼び出すご老体と、扉を閉めずにいちゃいちゃしているオズウェルだ」


 慌てている若い騎士様の肩を叩いたのは、ハーシェル様でした。

 今日も完璧な騎士の装いをして、とても美麗なお姿です。

 でも、私に目を向けると、呆れたような、でも楽しそうなお顔をしました。


「しかし奥方も、大人しい顔をしてなかなかやるね。次は邪魔をしないから、日を改めて再度の挑戦してくれるかな?」

「あ、あの……私、お仕事の邪魔を……」

「ん? ああ、奥方は邪魔にはなっていないよ。オズウェルにはいい息抜きになっただろう。我らにとってもいい娯楽になった」


 ハーシェル様はそう言ってニヤリと笑います。

 すっかり恐縮している間に、若い騎士様からメモを受け取ったオズウェル様が立ち上がりました。


「申し訳ない。俺はもう行かねばならないようだ。エレナ、必要ならこの部屋を使ってくれ。家名の件は副官に頼んだから、すぐに資料が揃うだろう」

「ありがとうございます」

「……だが、やはり誘惑は禁止だ。それでもいいのなら、またお待ちしている」


 それだけ言うと、オズウェル様は足早に部屋を出て行ってしまいました。

 本当に、あっという間のことでした。

 呆然と後ろ姿を見送ってから、私はお別れのご挨拶をしていないことに気付きました。



 ……お忙しい方だから、仕方がないですね。

 それに私がぼんやりしているから……。


 そうわかっているのに、こっそりため息をついてしまいました。



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