初恋でした
ランダムに選んだ三つのキーワードから小説を書いています。
今作のキーワードは「真夜中 満月 初恋」です。
「いけないよ」
これは夢だとわかる夢の中、顔の見えない男の人が、私の方に手をのばした。
何がいけないの?
「君はもう――」
眠い。
最近寝不足が続いていて、仕事中にウトウトすることも多くて、かなりマズイ。
理由はわかってる。全部あの、気になる夢のせいだ。
夢に出てくるあの人を、私は知っている。
顔は思い出せないけど、子どもの頃に、会った人だと思う。確かすごく綺麗な人だったような気がする。
でも、彼については、ほとんど思い出せない。
何を話したのか。どこで会ってたのか。そもそも、彼は誰なのか――。
寝不足だろうと毎日のお勤めは果たさないといけないわけで。
今日もいつも通り一時間程度の残業をこなして、帰路についたのは二十三時過ぎ。
眠い。本当に眠い。スムースに仕事が進んでいれば、残業にはならなかったかもしれない。まぁ早く帰って寝たところで、夢で起こされるんだけど。
ふらふらと歩いていると、ふと、大きな月が目に入った。そうか、今日は満月なのか。なんとはなしに空を見上げていると、ふと彼の姿が頭を過ぎった。
……そういえば、彼は満月を背負っていた気がする。
そうだ、彼と会ったのは夜だった。満月を背負ってたってことは、外?夜、外でって……どこで出会ったんだろう?
回らない頭でうんうん唸る。
あっ、そうだ、神社だ。家の近くにある、寂びれた小さな神社。そこで、彼と出会った。
一つ思い出したら芋蔓式に昔の記憶が蘇っていく。ゆっくりと歩いていた足が、徐々に速くなっていく。
神社だ。あそこに、彼はいた。
確か、彼に初めて会ったのは、私が迷子になった時だった。
なかなか帰ってこない父さんを迎えに行くんだと意気込んで家を抜け出したはいいものの、迷子になり、あの神社にたどり着いた。そして境内で泣いていたら、彼が現れたんだ。
「どうして泣いているの?」
思い出せても、やはり顔はハッキリしない。でも、綺麗な人だった。
「おとうさん、むかえ、いきたいのに、わかんなくなっちゃった」
子どもだった私の話をゆっくりと聞いてくれた優しい人。私はいつの間にか泣き止んでいた。
「大丈夫だよ。もうすぐ、迎えが来る。それまで私と、お話をしていようか」
そうだった。彼がそう言ってくれたから、私は幼稚園の話とか、とにかく思いつくままに喋ってた気がする。そのまま……気が付いたら、私は父さんの背中で揺られていた。
父さんは、私が神社で一人で寝ていたと、言っていたような気がする。彼は、どこに行ったんだろう?
それから何度も、彼に会いたくて、お礼が言いたくて、あの神社に行ったけど、会えなかった。
でも、私は諦めなかった。
頻度は減ったけど、それでも毎月のように神社に通って、彼に会える日を待っていた。成長して、毎月からさらに頻度が減って、それでも神社に通う習慣は続けていた。何であんなに執着してたのかわからないけど、もう意地のようなものだったのかもしれない。
そして大学進学が決まり、一度地元を離れることになった私は、引っ越し前日も神社に行った。
でもやっぱり彼はいなくて、境内でぼーっと待ってるうちにうたた寝をしてしまい、目が覚めたら夜だった。慌てて立ち上がると、そこに、彼がいた。
その日も、満月を背負って彼は立っていた。
「また来たの?」
「やっと会えた……。私、あなたに会いたくて何度もここに来てたんだよ。でも、全然会えなくて……それで私、明日には引っ越しちゃうから……」
彼は優しく笑って、あの時と同じように私の話を聞いてくれた。
「知っているよ。自分の夢の為に、行くんだろう。いってらっしゃい」
私は嬉しくて、頬が熱くなるのを感じた。
「ありがとう!いってきます!絶対また、会いに来るからね!」
彼は少し困った顔をして笑いながら、私の方に手を伸ばした。
「ありがとう。でも、いけないよ」
何がいけないの?
聞こうとしたけど声は出ず、体も動かなかった。真っ白な彼の手が、私の目を覆う。
「君はもう――」
肩で息をしながら、あの、神社を見つめる。街灯がなくても、月が明るくてよく見えた。
寂びれた神社は昔よりもさらに古ぼけていて、もう誰もお参りしてないんじゃないかと思えた。それでも、怖い雰囲気はなかった。
ほとんど思い出せたけど、何で私は、地元に戻って来てからも、一度もここに来なかったんだろうか。
鳥居をくぐり、境内に足を踏み入れる。
「いけないよ」
あぁ、夢と同じ。彼の声だ。あの時の記憶と一緒に、思いが溢れる。
「君はもう――」
彼はとても綺麗で……。
「ここに来てはいけないよって、言ったのに」
満月を背にして立つ彼は、困ったように笑っていた。
「あの、私、帰って来て……あの時、えっと……」
何を言えばいいのかわからない。
何かを言いたくて来たわけじゃない。ただ、思い出したくてここに来て、そして思い出した。
彼のことも――自分の気持ちも。
「ありがとう。相変わらず君は、優しい子だね」
彼は変わっていなかった。
満月を背にして立つ姿も、優しい声も、その、顔も。
初めて会った時から、何一つ、変わっていない。
「だからこそ、来てはいけないよ。人の子が来たのが嬉しくて、君に話しかけてしまった私がいけないんだ。だから今度こそ、全部忘れなさい」
悲しそうに笑う彼に、何か言いたくて、でも、声が出ない。
「ごめんね。ちょっとだけ、忘れて欲しくないと、思ってしまったから、君の中に残ってしまったんだと思う。ごめんね」
何度も謝る彼に、違うと言いたかった。私が、あなたのことを忘れたくなくて、無意識の内に夢に見てしまうほど思い出したくて――そして、思い出してしまっただけ。
そう言いたいのに、口からは息が漏れるだけで、声にならない。
「今度こそ、さようならだ。優しい子」
ごめんなさい。そんな顔をさせたかったわけじゃないの。
ただあなたにもう一度会いたくて。あなたのことを、思い出したくて。
ごめんなさい。優しいあなたに、二度もこんなことをさせてしまって。
ごめんなさい。それでも私はきっと、あなたのことを忘れられない。
だってあなたは私の―――。