エルル:さいごのおはなし。
いつも通りに夕食を終えて、いつも通りに寝る支度をして。我ながら、なかなか自然に動けていたなぁと誰にともなく、自慢げに口の端を緩める。
後は、迎えが来るのを待つだけだ。そう考えると体から力が抜けて、ぼふりと布団に倒れ込む。今更動く気も起きない。
どうせこれからしばらくは、こうして布団にくるまって眠ることも出来なくなるんだろうから、今のうちに堪能しておくとしよう。
すぅっと息を吸い込めば、肺の中が少し埃っぽい匂いに満たされる。
女子高生のころの、あの柔軟剤の香りとは程遠いにも関わらず懐かしい気持ちになるのは、やっぱり僕が僕だという証明で。なんだか、不思議な気持ちになる。
落ち着いた気持ちで改めて考えると、酷い話だ。望まれて創られたというのに、その本来の使い方とは違う使用法で、酷使されているのだから。
転生ならまだしも、"転用"とは。あぁ、なんとも、やりづらくて堪らない。
だって、考えてもみてほしい。"私"の本質は、主人公をサポートすること、そして、三次元からの要求を聞き、叶えることだ。
だというのに、前まではうるさいほどに聞こえていた彼らの声はさっぱり聞こえないし、主人公については情報すら与えられていないというこの現状。
おかげでどう動くべきなのか、そうして悩んで動いた結果が正解だったのか、全く分からないじゃないか。
本当は、今回の選択だって、彼らに望まれていたのかどうか。
考えれば考えるほど、呆れと苛立ちが湧いてくる。ああもう、本当に、なんてことをしてくれたんだ。はぁぁ、と大きく溜め息を吐いて、枕を叩く。
聞き慣れた声が部屋に放り込まれたのは、叩かれた枕が、もすぅ、なんて気の抜ける音を耳元で鳴らして、しぼみきったときだった。
「エールールー!」
ここにいる子どもたちの中では、特に聞き慣れた声が、僕の名前を呼ぶ。シャル姉だ、なぜここに。
扉を開くと、悪戯っ子のような笑みを浮かべたシャル姉が部屋に押し入ってくる。
「ちょ、シャル姉!」
「いーからいーから!」
「なんにも良くないよ!?」
彼女はそのまま、止めようとする僕の手をするりとすり抜けて、布団にぼすりと座り込む。その両手は、なぜか背後に隠されている。
「目ぇつぶって、手、出して」
「……虫とかじゃないよね」
「違うわよ、ね、いーから」
きらきらと、急かすような瞳で見つめられては、断るわけにもいかない。そうでなくとも、きっとこれが最後の会話になるだろうから、おかしな蟠りを残したくはない。
目を閉じて、両手を受け皿のようにしてさしだすと、ちゃり、と音がして、手のひらに何かが乗る感覚がした。
「目、開けて」
恐る恐る目を開いて、乗せられたものを見る。そこにあったのは、銀のピアス。小さな橙色の石のついたそれは、どうしてか片耳分だけだ。
「これ、は?」
「あのねっ、院長先生が二人でお揃いにしろってくれたのよっ!」
「は」
シャル姉の手に置かれたもう片方に、僕の笑みがぴしりと強ばる。
彼女はなんて迂闊なことをしているんだろう。よりにもよって、お揃いだなんて。
このピアスが原因で僕との繋がりがバレて、孤児院に、シャル姉に何かあったらどうするつもりなんだ。
「あ、う、嬉しくなかったかしら?」
僕が固まったまま何の反応も示さないからか、寂しそうな顔で僕の顔を覗き込んだシャル姉。僕は慌てて首を振る。
「い、いや、そんなわけない、嬉しいよ。ただ、ちょっとビックリしただけで。ほら、僕ら、これを付ける穴なんて開いてないから……」
「いーのよ、それはいつか開ければ!」
「適当だなぁ」
あぁ、どうしたものか。断るなんて選択肢がないのは分かってるいるのだが、持って行くわけにもいかないし。置いていくしか、ないんだろうか。
「なぁ、本当に、嫌じゃなかった……?」
「大丈夫、嫌じゃないよ。ただ、穴あけるの痛そうだなって思っちゃって」
「あら、エルルはまだまだ子どもね! 私は怖くないわよ?」
「うるさい。僕、痛いのも苦しいのも嫌いなの、しょうがないじゃん」
そう言って、むすっとむくれてみせる。誤魔化し方にしては雑かもしれないが、痛いことや苦しいことが嫌いなのは本当だ。
それに、実際どこかぎこちなかった彼女の顔が緩んだから良しとしよう。
「ありがとシャル姉」
「ふふっ、どういたしまして!」
大切にするよ、とは言えなかった。それが嘘になってしまうのは目に見えていたから。
ひどく嬉しそうに頬を綻ばせる彼女に、僕の心が締め付けられるのを感じる。
「院長先生にもお礼言っときなさいよ!」
「うん」
「おやすみ、また明日ね!」
「うん、おやすみ……じゃあね」
満足げに部屋を出ていくシャル姉を見送って、大きく溜め息を吐く。手のひらには、蛍光灯を反射して銀色が鎮座している。
そして、その中に収まった夕日色は、シャル姉の瞳と同じように煌めいていて。
それに気づいてしまえば最後、これを置いていくことも、捨て去ることも、僕の良心が許さない。
――本当に、なんてことをしてくれたんだ……!
鏡に映った僕は、相変わらず特徴のない顔を泣きそうにしかめて、苦しげにこちらを見つめていた。
心と体に齟齬がある。