ウィル少年の冒険日記
プロローグ
それは月がきれいなある夜のこと。美しく月花草が咲き乱れる花園で、少女が夢見るような瞳でつぶやいた。
「きれい」
うっとりと月を見上げるその隣で、少年は少女の方がずっときれいだと思った。素直にそれを伝えると少女は、はにかんだ笑みを愛らしい唇に浮かべた。
「ありがとうございます。でも私よりずっときれいなお花があるんですよ?」
そう言って少年に砂漠に咲く不思議な花の話をした。そして、残念そうにつけ加える。
「一度でいいから見てみたいんですけど・・・。私ではムリですわね。砂漠なんて」
そのひと言がすべてのはじまりだった。
灼熱の太陽がじりじりと乾いた大地を焦がす。時折ここが大気のない月ではないことを思い出したかのように、熱風がさらさらと乾ききった砂を巻いて吹きあげる。
見渡すかぎりの砂の大地。生き物などどこにも見当たらない。それが青年の生まれ育った場所だった。
砂漠が国土の三分の一を占めるナザック国。偉大なる全神ファジを崇める『中央大陸』の真ん中にあって、決して裕福でない国力の原因はこの砂漠にあると言える。
その砂漠をひとりラクダで旅していたその青年は、トンボンと呼ばれる白い木綿地で作られたゆったりとしたズボンを腰紐できゆっと絞りあげて、ペロンと呼ばれる同じく白い木綿地で作った七分丈のチュニックをオーバーブラウスのように羽織り、頭にはターバンを巻いている。
トンボンとペロンはこの国の一般的な民族衣装だが、頭に巻かれたターバンが砂漠の民であることを示していた。
長く後方に垂れたターバンの端は単なるファッションではなく、時として暑熱や砂嵐を防ぐ重要なアイテムなのである。そのターバンを頭に巻いている青年の名前はルーク・ノア。
『中央大陸』で最も小さな砂漠でありながら、最も恐れられているこの砂漠をたったひとりで旅できる屈強な若者だ。ナザックの民の特徴である灰色の瞳が唖然として目の前の光景を見つめていた。
通称ー死の砂漠サッド。砂の神の神殿があるこの砂漠は、太陽がある間に通らないと神の怒りをかって死に至る恐ろしい砂漠だった。
何万という旅人がこの砂漠で命を落としている。この砂漠があるが故にナザックは交易ができずに他国よりも発展が遅れている。それでもナザックでは別名聖なる砂の海と讃えられる誇り高き砂神の砂漠だ。何人たりとも寄せつけない聖なるー。
だから、いま目の前にあるものを脳が認識を拒否した。
(なんだ。あれは)
目の前にある、なだらかな砂丘のうえにまるで砂に埋もれるように存在するそれは、絶対にあってはならないモノ。三角屋根の防水性に優れた布でできた、
「テント?」
つぶやいて、なんとか現実を受け入れようと努力する。目の前にあるのは耐久性に優れ、各国の軍隊でも使用されているリオン製のテントの一種で、アウトドア用に改良されたコンパクトでしかも性質は軍用のにも劣らない代物だ。だがそれは珍しくない。旅の必需品とも言えるものだからだ。
ルーク自身、いまラクダの背に括り付けているし、ゆうべはその中で眠った。それは問題ない。だが・・・。ルークはこの砂漠にあるハシバという街で生まれ育ち、二年前、二十歳の時に兵役のため首都ラナークの部隊に配属された。
ナザックでは成人を迎えた男は兵役にでなければならない決まりがある。四方を大国に囲まれたこの国を維持するためには武力も時として必要になる。兵役で有能な者はそのまま軍へと配属されることになっていた。兵役はいわば資質を試される試験でもある。軍に入れば一生の生活は保証される。
愛国心の強いこの国では憧れの職業だ。その二年間の厳しい兵役を終えて帰郷している途中だった。二年の間にこの砂漠は一夜を過ごせるほど平和になったのだろうか?
(いや、ありえない)
つい最近もリオンの商隊が犠牲になっている。考え込むその耳にのんびりとした声が聞こえてきた。
「うーん。やっぱり砂漠だとなかなか杭がささらないな」
もぞもぞとテントの後ろから黒髪の少年が姿を現せた。
(はっ?)
思わずルークは我が目を疑った。砂まみれになった手をはたいているのは、どうみてもまだ成人前の子供だ。十三歳前後といったところか・・・。
目の前にいるルークの姿にきょとんと大きな瞳を見開いた。やわらかそうな黒髪は自分で切っているのかざっくばらんに肩の上で風になびいている。日焼けした頬に大きな黒い瞳。
都会でいま流行っているスポーツメーカーのロゴが大きく入った空色のジャージの上下を着ていた。かなりダブダブなのはサイズが合わないというよりも少年が細すぎるせいだろう。随分と華奢な少年である。その額にある紋章がなければ、少女と間違ったかもしれない。
成人した男たちには出身国を示す入れ墨が入れられるのだ。つまり、目の前の少年は少なくても十五歳を超えてるはずだ。
しかも、その紋章は非常に稀なものだった。
緑と青で星の形を彩ったもの。それは『中央大陸』ーいや、世界中で最も小さな国アークレッドのものだった。人口わずか千人。世界人口が三十億人。
まして『中央大陸』だけでもその三分の一の数がいる。その中でアークレッドの民に巡り合うことは、砂漠のオアシスよりも稀である。
しかも、このナザックからアークレッドまで大国リオンを含む七つの国を超えなければならない。ルークの知る限りアークレッドの民に会ったという人物はいなかった。
世界中を旅しているキャラバンの者でさえあったことはないのだ。ある種の感動すら覚えながらルークは疑問を口にした。
「アークレッドの民がここでなにをしてるんだ?」
すると少年はにっこりとひだまりのような邪気のない笑顔になる。
「砂漠の花をとりにきたんです」
「はっ?」
一瞬、ルークは自分の耳を疑った。いま、この少年は何を口にした?もう一度、少年は言った。
「砂漠の花をとりにきたんです。でも、どこにもなくて・・・。夜にしか咲かない花ならここで夜まで待っていようかと・・・。ダメですか?」
上目使いに見上げる少年はマジである。
(なんなんだ?こいつは・・・)
ルークは深々とため息をついた。アークレッドについての知識はあまりないが、少なくても砂漠に関する知識はないだろう。
この辺りの人間では決して犯さないことをしても不思議はない。あまりの無知ぶりに怒る気力さえ萎えてしまう。
「ーたため」
「えっ?」
「いいから、いますぐにテントをたたむんだ。死にたくなければ俺の言うとおりにしろ」
そう言うと一緒になってテントをたたむのを手伝う。あれほど強かった日差しが和らいできている。
それと同時に風が冷気を運んできた。もうすぐ日没だ。
それまでにハシバへ辿りつかないと神獣の餌食になってしまう。そのことを説明している暇すらあやしい。砂漠の日暮れはとてもはやい。一分毎に影が長くなっていく。
勝手にテントをたたみはじめ見知らぬ青年に、少年は呆気にとられたものの、すぐにルークを手伝いだした。かなり素直な性格のようだ。旅馴れているのか手際もいい。あっと言う間にたたみ終えると首を傾げた。
「あの・・・。ごめんなさい。僕はそんなに悪いことをしたんですか?」
見るからに反省しているようである。ルークはもう一度、大きくにため息をついた。なにしろこの青年は自分でも呆れるくらい人が良い。こんなところでこんなふうに言われて、放っておけるわけがない。
「話はあとだ。ついて来いよ。ーお前のラクダは?」
「ラクダはいません」
少年は首を左右に振る。ここは砂漠のど真ん中である。砂漠で生まれ育ったルークもラクダでやっとたどり着ける場所である。不審に思ったそのとき、いきなり大きな影がふたりをおおった。見上げると一頭の飛竜が空を旋回していた。まさかアレに乗ってきたのか?呆然と見上げるルークに少年はにっこりと笑う。
「飛竜のベルです。僕の妻の名前からとりました」
『中央大陸』には、ごくわずかだが飛竜を足がわりに使うものがいる。飛竜自体はたいして珍しくはないのだが、空を飛ぶ巨大な竜は地を走る駆竜や水竜よりも捕獲が困難なだけでなく、従順な他の竜に比べて非常に気性が荒い。時として人の村を壊滅させてしまうことも多々ある。
人に飼われる飛竜は、卵や幼竜の頃に事故や天災などで捕獲されたもので、その価格は小さな国の一年分の国費に値するとさえ言われていた。
なので、飛竜は王族や大富豪たちが自分の富の象徴として持つのが主だった。いくら幼竜から育てても人が乗れるほど従順になる竜は滅多にいないのだ。
鑑賞用に檻に入れられたまま一生をおくる不憫な竜の方が多い。しかも人なれした竜の値段は想像を絶する額である。ルークはマジマジと目の前の少女のような少年を見つめた。
全然、それらしい気品や風格はないが、この少年はどこかのボンボンだろうか?しかも、
「妻って、お前結婚してるのか?」
「はい。どうしても妻に砂漠の花をプレゼントしたくて」
「お前、いくつだ?」
「もうすぐ十六歳です。ちなみに妻はまだ十四歳ですけど」
結婚できるぎりぎりの年齢である。ルークは今年で二十二歳になる。独り者でまだ若者の部類に入る。べつに婚期が遅いわけじゃない。少年が異常なのだ。けれど、なんとなくしゃくなのはなぜだろう。咳払いをひとつすると言った。
「とにかく、飛竜と一緒について来いよ。話は砂漠を抜けてからだ」
そう言うとラクダの背に乗る。日没が間近に迫っていた。
「で、連れてきちゃったわけね」
破竹の勢いで皿を平らにしていくルークと謎の少年を見ながら、ユーナは呆れて言った。ルークの生まれ故郷ハシバ。地中に深く巨大なクレーター状の穴を掘り、人々はその中に街をつくっていた。
家の形は主に二種類あり、丈夫な日干しレンガでできた家が大半を占める。その中にあって、若者の一人暮らしのルークの家は、昔ながらの黒ヤギの毛で織った布を用いたテント式だった。
白ヤギではなくわざわざ黒ヤギの毛を使うのにはわけがある。真っ黒で荒い布地は昼の猛暑では荒い布目から暑熱を輩出し、それと同時に夜の冷え込みに備えて黒い布地が熱を吸収する。
大変便利な砂漠の民の知恵でできた家には、寝室を兼ねた、こじんまりとしたリビングと、洗い物と火を起こす程度の三畳ほどのキッチンという二部屋しかない。
そのリビングにある二人用のテーブルの脇で、折り畳み式のパイプ椅子に腰掛けているのはユーナ・カザフ。ショートカットの灰色の髪と切れ長な瞳が活発な印象を与えるスポーティな美女だ。
いまは一枚の色鮮やかなサリーに身を包んでいた。目にも鮮やかな赤いシルクに、金色の刺しゅう糸でハシバの民に伝わる砂神をモチーフにした獣が描かれている。伝説では、砂神は大いなる全神ファジの飼う火を吐く金色の獅子とされていた。サリーに描かれている砂神も金色の獅子だ。
死の砂漠に住む唯一の民であるハシバ族の女性は、客をもてなすときにこの砂神の描かれたサリーを着用していた。いわばハシバの伝統衣装だ。
そして彼女はいつも以上に念入りに化粧をし、首飾りや指輪や耳輪をはじめ腰飾りに足輪にあげくには、普段なら滅多にしない小鼻の小さな飾りーナッソまでつけていた。
何しろ今日は二年ぶりのルークとの再会である。気合も入るというものだ。ユーナはルークの幼なじみで、親同士が決めた許婚だった。
幼いころに両親を亡くした彼がユーナの家でひきとられたのもそのせいである。成人したルークが一人暮らしをするようになってからも足しげく通って彼の面倒を見てくれている。
ちまたではハシバいちの美女と名高い彼女は、性格もハシバいちに良かった。けれど内心は、さすがに二年ぶりの再会がコブつきとあってがっかりしていた。久しぶりの再会である。
熱いキスでお出迎えをと意気込んでいたのに・・・。ルークのお人よしには慣れていたが、何もこんな日に少年を拾ってこなくともよいのでは?おまけにこの鈍感な恋人は、彼のために丸一日がかりでお洒落をした自分よりも、二時間ほどで作った料理に夢中だ。
美味しいと言う前に他に言うことがあるんじゃないの?少年がいなければそう言ってケンカになったかもしれない。けれどユーナは二十歳の大人だった。
内心の苛々をきれいに隠した笑顔で少年に優しく問いかける。
「えっとー、あなた名前は?」
「そういや、なんて言うんだ?俺はルーク。そして、こいつは許婚のユーナだ」
モグモグと口に食べ物が入ったままルークはフォークでユーナを示す。対する少年は口の中のものを水で流し込むときちんと椅子に座りなおして頭を下げる。
「僕はリオンの民でウィルといいます」
「リオン?お前、アークレッドの民じゃないのか?」
「僕、婿養子なんです。妻のティアがリオンの民だから・・・」
ぽりぽりと頭をかく。十五歳で婿養子。なんとまあ、身売りでもされたのか?
「なかなか壮絶な人生だな。でもそれだったら紋章を入れ直さないとダメだろ?」
「はあー。それがティアの父の反対にあってまして。良いですね。ルークさんとユーナさんは反対されなくて」
「ん?ああ・・・、まあな」
歯切れ悪くルークは頷く。そして、話を切り替えた。
「それよりもお前、本当に砂漠の花をとる気なのか?」
「ええ。もうすぐティアの十五歳の誕生日なんです。この間、見たいって言ったから。僕、ティアのまわりにいる人達よりずっと貧乏で、高価なプレゼントなんてできないし・・・。だからせめてティアが欲しがってるものをあげたいなって」
「その気持ちはわかるけど・・・。無理だわ」
ユーナがかぶりを振って言った。少年の妻を思いやる気持ちに感動したけれど、無理なものは無理なのだ。ルークも頷いた。
「砂漠の花ってのはな、満月の夜にしか地上に姿を現さない幻の花なんだ。しかも、この砂漠は昼間しか人間を受け入れない。夜には色々な化け物がうろつくからな。その化け物から身を守って砂漠の花を手に入れるなんて素人には無理だよ。せめて、城できちんとした修行をした兵士でもないと」
「じゃあ、可能性はゼロじゃないってことですね?」
「そりゃあ、そうだが・・・。お前には無理だよ。俺でもどうかってとこなのに」
まったく物おじしない少年の態度にルークは言い募る。するとウィルは興味深そうにルークを見上げた。
「俺でもって、ルークさん兵士なんですか?」その言葉に一瞬、ルークの顔がこわばる。ユーナが椅子を鳴らして立ち上がった。
「お皿、洗ってくるわ」
その姿が見えなくなるとルークは深くため息をついた。前髪をかきあげてウィルを見る。「あのな、ウィル。俺の死んだ親父はもともとリオンで兵士をしてたんだ」
「リオンで?」
「そうだ。あの国は『中央大陸』で一番でかい国だろう?そこの王国騎士団は兵士たちの憧れなのさ。なにもかもがトップレベルだし、自分の実力を試して見たい。そう言って、家族を捨ててリオンに行って、強盗相手に殉死しちまった。俺が五歳の時だ。残された母ちゃんは過労がたたって七歳の時にぽっくりと。それから俺はユーナの家にひきとられた。ユーナの親父がやってるキャラバンの跡をつぐってことで」
「キャラバン?」
「行商のことさ。この街では『中央大陸』でもここでしかとれない塩があるのさ。そいつを色々なところに売りに行くんだ。今度、リオンの王女の誕生日用に大量注文がはいったんだぜ。うちの塩は高いってのに。さすがリオンの国王は太っ腹だ」
「王様は王女様のことを目に入れても痛くないほど溺愛されてるから」
にこにことウィルは笑う。出会ったときから思っていたが本当に気持ちのいい笑顔をする少年だ。最後の一口を食べてしまうとウィルは皿を持って立ちあがった。
「ユーナさんの所に持って行ってきます」
「キッチンはそっちのドアだ」
指さされたドアを開けるとユーナが皿を洗っていた。ウィルの姿に気づき微笑みを浮かべる。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「どういたしまして。あなたって本当に礼儀ただしい子ね。それに飛竜になんか乗って、ご両親は貴族とか?」
「アークレッドで牧場をやってます。礼儀作法はいま特訓中で・・・」
「ー?まあ、いいけど・・・。ルークなにか言ってた?」
皿を洗う手を止めて不安げにユーナは言った。前髪を首をふってはらうと自嘲気味に笑う。
「ルークはね。本当はリオンで騎士になりたいのよ。彼の父親と同じにようにね。私たちは、赤ん坊の頃からのつきあいだからよく知ってるわ。彼の父親が死ぬときまでルークの口癖は騎士になることだった。でも両親が亡くなって私の父に引き取られて・・・。父は強要しないけど、育ててもらった引け目があるのね。兵役が終わったら、騎士に志願する事なく真っすぐ帰ってきたわ」
どこか遠くを見るような目でユーナは続けた。
「でも私もルークには騎士になってもらいたくないの。そりゃあ、ここでの生活は楽じゃないしキャラバンは大変だけど、でも殉死することはないから・・・。私のことひどい女だと思う?」
「いいえ。大切なひとを心配するのは当然のことです」
しごく真面目な顔でウィルは答える。
「でも心配されることを理由に夢をあきらめることは僕にはできません」
「ー勝手なこと言ってんじゃねえよ。ガキのくせして」
押し殺した声に振り返る。ルークが食べ終えた皿を片手に立っていた。
「世の中ってのはな。お前のようなボンボンが思ってるほど甘くねえんだ。わかったら、砂漠の花なんか諦めてリオンに帰りな」
「・・・そうですね。今日は満月じゃないし、明日は仕事があるから」
きつくあたられてもウィルは気分を害した様子もなくのほほんと言った。ルークは眉をひそめる。
「仕事?お前、働いてるのか?」
「はい。一応、国家公務員見習いです」
そんな役職聞いたことがない。ユーナが言った。
「私、ウィルってまだ学生かと思ってたわ」
「僕は勤労学生なんです」
その答えにルークとユーナは同時にため息をついた。なんだかだんだん真面目に話してることが馬鹿らしくなってきたのだ。ウィルは時計をみると言った。
「僕、そろそろ帰ります。ここからアークレッドまで飛竜でも半日かかるから」
「アークレッド?リオンじゃないの?」
「僕ら別居夫婦なんです。まだティアが成人してないので、リオンの法律上一緒には住めないらしくて」
そんな法律を聞いたことなかったが、ルークは黙っていた。
どうせ彼女の父親が反対してついた嘘だろう。
「だから、ティアの十五歳の誕生日には彼女の欲しがるものをどうしてもあげたいんです。だって僕らの事実上の結婚記念日だから。お嬢様の彼女に比べて僕には富も名声もないけど、でもティアは僕を選んでくれたから。だから、僕はせめて彼女が望むものをあげたいんです」
「気持ちはわかるけど・・・。でも、ウィル?死んでしまったら元も子もないのよ?あなたが自分のために死んだらきっと奥さんは悔やんでも悔やみきれないわ」
「僕は死にません。絶対に、ティアに砂漠の花をプレゼントします。今度の満月は一週間後ですよね?そのときにまたチャレンジします」
まっすぐに、揺るぎない想い。ルークはため息をついた。こんな瞳を持つ者にかける言葉なんかひとつしかない。少なくても、自分には。
「わかった。成功するように祈っといてやるよ」
ユーナが何かいいたげに口を開きかけて、やめた。かわりにポケットから小さな石を取り出した。赤色のそれは紅石と呼ばれるこの地方に伝わる魔よけ石だ。
「これをあげる。お守りよ」
「ありがとうございます」
にこっと笑って飛竜に乗るその姿はやっぱりなんだか頼りない。それでも止める術を知らずにルークとユーナは小さな影が空へと消えてゆくのを見守った。
死の砂漠サッド。人を決して受け入れない砂神の神殿のある砂漠には唯一、人間たちの住む街がある。それが塩湖を取り囲む街ーハシバである。
遠く一万ハザート離れた海より地中深く流れる海水が砂神の神殿に阻まれてできた湖。ミネラルが豊富な海水は、生き物を拒む代わりに高品質の塩をもたらした。
苦労の末に商人たちがこの場所に街をつくったのは、わずか五十年ほど前。ユーナの祖父がひきいるキャラバン隊がはじまりだった。ユーナの父に代替わりしたいまも暮らしはほとんどかわらない。
若者達はここでの暮らしを嫌って都会へと出て行く。
それでもこの街に残るものが多いのは、高額で取引される塩のためだ。ここでは街で汗だくになって働く一カ月分の給料がわずか十日で手に入る。
一度、キャラバンに出れば贅沢さえしなければ五年は遊んでくらせるのだ。
皆、ここで金をためて都会で成功をおさめる。それがハシバの民の一生だ。水や緑はないが金だけはある。そんな街だった。
ユーナの父、カザフはそんな街を統べる大商人で、彼にならこの国の国王だって頭をさげるだろう。両手の指では数え切れないくらいの妻をもちながら、彼にはユーナしか子供がいない。ユーナが生まれた年に大病を患ったせいだ。
だから、親友の息子であるルークを許婚とし、ひきとった。ルークは幼い頃からカザフより商人としての教育を受けてきた。苛酷なキャラバンに出たのはわずか十歳の時だ。
それから約十二年。いまでは目を瞑ってでもこの砂漠を移動できる力をもった。カザフは彼に砂漠で生きて行くための知識と技術をたたき込んだ。
「よく帰ってきたな。ルーク」
百人を越すキャラバン隊が塩をラクダに積み込む作業を監督していたカザフはルークを見るなり破顔した。苛酷な砂漠越えをもう何百回とこなしたカザフは実に屈強な男だ。齢はとうに五十を過ぎているはずなのに、ひきしまった身体をしている。
よく日に焼けたその灰色の瞳は笑っていてもどこか迫力があった。拳ひとつ分ルークの方が背が高いのに、彼の前だとまるで子供に見える。ルークはまず昨夜のうちに挨拶にいかなかったことをカザフに謝った。
「アークレッドの民を拾ったらしいな」
気にするなと肩をたたいたあとでカザフは言った。ユーナから聞いたらしい。
「ええ。砂漠の花を探しているとかで・・・」
「お前も探してみないか?」
カザフは考え込むような仕草のあとでそう言った。あまりに唐突な話にルークは驚く。なにしろカザフは砂漠の花を採ることがどんなに危険なことなのかわかっているはずだ。するとカザフは言いにくそうに口を開いた。
「リオンの国王から注文が入った。どうしても王女様の誕生日にプレゼントしたいそうだ。手に入らないならもううちとは取引しないと言ってきた」
そこで言葉を句切ると、弁解するように付け加えた。
「もちろん。俺は断るつもりだ。リオンとの取引がなくなるのは痛手だがほかにも取引先はある。王女様の誕生日プレゼントのためにキャラバンの隊員たちを犠牲にするわけにはいかんからな」
「俺なら、死んでもいいと?」
「ルーク!」
珍しく声をあらげたカザフにルークは笑ってみせた。
「冗談ですよ。おじさん。あなたには感謝してます。あなたは俺に多大な幸を下さった。俺はあなたにいくら感謝してもしつくせないくらい恩がある」
「ダメだ。ルーク」
ルークが答えを出す前にカザフが遮った。真剣そのものの顔で。
「お前はルイスの大切な忘れ形見だ。危険な目にあわせるわけにはいかない。それにユーナが悲しむ。いくら俺でも金のために娘を悲しませることはできん」
それが荒くれ者のキャラバン隊をまとめる力かも知れない。カザフは無骨者のくせに情に厚い。それが一人娘のためとなればなおさらだ。灰色の瞳が威厳を増した。ルークは目をふせた。
「ごめん。おじさん」
「なに謝ることじゃない。気持ちだけで十分だ」
くしゃくしゃと大きな手がルークの髪をかきまわした。つくづくこの人にはかなわない。カザフにとっていつまでたってもルークはガキなのだ。砂漠の花を手に入れたら少しは俺のことを認めてくれるだろうか?限りない愛をくれたこの人に恩返しができるだろうか?実父ゆずりの武術の才能が役に立つ時じゃないのか?
ーほかに俺に何ができる?
ゆくゆくはユーナと結婚してカザフの跡を継ぐだろう。その時、俺はカザフに負けない人格者になっているだろうか?この大キャラバンを率いていくことができるだろうか?自分にはそんな自信も根性もなにもない。二年の兵役で彼が得たのものは砂漠での苛酷な生活と都市での楽な暮らしの格差だけだ。正式な軍隊へー。甘い誘惑に負けそうな自分がいる。俺は親父とは違う。それを立証するための何かが欲しい。砂漠の花を手に入れる事ができたら自信がつくだろうか?
ー砂漠の花を。
リオンの国王の我がままに憤慨するカザフやキャラバン隊の話し声もルークの耳には入ってこなかった。
『中央大陸』で、いや世界で最も小さい国、アークレッド。北に大山脈アルバ、南に大国リオン。東に大東海、西に大河ナータを有する世界でも類をみない豊潤な土地をもつ国は、自給自足が中心ののどかな国である。
なにしろ人口わずか千人。約三百世帯の家々のほとんどが農林水産業のいずれかに就いている。一日も徒歩であるけば国を一周できるほど小さなアークレッドには、税金もなければ兵役もない。一応、王政をしいてはいるがアークレッドの国王は三年周期で各世帯に廻される班長のようなものである。
なんの権限もなければ利点もない。アークレッドの国民にとって国王になることは、外交などのやっかい事を押し付けられるだけの苦役なのである。誰も国王になりたがらない変な国。
それがアークレッドだ。その国で唯一の本屋の中で少年少女の四人が、仲間のために、砂漠の花に関する情報を集めていた。リオンに強力なコネをもつこの本屋には、辺境にもかかわらず品揃えが一部豊富だ。店内には『世界の珍獣』『消えた怪獣』『古の怪鳥』『巨人と小人』etc.
まあ、砂漠の花を調べるには絶好の場所である。その真ん中に陣取って、あれやこれやと話し合いが進んで行くうちになぜか賭けになる。
「私はウィルが失敗する方にセレナちゃん特製杏飴」
金髪の少女がおっとりとした口調で言うと、すかさず栗毛の気の強そうな少女が手をあげた。
「あっ、ずるい。私もそっちにリーナさん家のココアセット」
「俺も失敗する方に釣り場のベストポイントの地図」
よく日焼けした赤毛の少年がニヤリと笑うとなりで眼鏡をかけた神経質そうな少年がぼそぼそと口を開く。
「僕も失敗する方に『蘇れ古代生物・作者サイン入り』超レアものだよ」
「じゃあ、賭けにならないじゃん」
赤毛の少年が肩をすぼめた。全員が失敗すると思ってるのだ。店主があきれて口を挟んだ。「お前たちに友情という言葉はないのか?くだらない相談をしてるヒマがあったら家の仕事を手伝ったらどうだ?」
「はーい」
全員が素直に手をあげる。店主はますます首をひねった。砂漠の花の危険性がわかったというのにこの明るさは一体・・・。わらわらと息子をのぞいた三人が店をでると、神経質な自分の性格を受け継いだ息子に尋ねる。
「ウィルをとめないのか?」
「どうして?僕らが今日集まったのはティアの誕生日プレゼントを選ぶためだよ。もう決まったからいいんだ」
大事そうに『蘇れ古代生物・作者サイン入り』をラッピングする。
「喜んでくれるといいな。ティア」
うっとりと夢見るような瞳になった息子に店主は嘆いた。
「女の子にそんなものを贈るのはお前くらいだよ」
息子の春はまだまだ遠そうだ。
月が今夜も優しく花園を照らしていた。飛竜のベルのお気に入りの場所だ。のんびりとくつろぐベルを見ながら、ぶかぶかのリクルートスーツ姿の少年は、月明かりのなかで分厚い本に目を通していた。タイトルには『大国全法文書』と書いてある。十五歳の少年が理解するにはいささか難題な本だ。辞書を片手になんとか読み進んでいるような状態だった。
「目が悪くなってしまいますよ?」
可憐な声がして月が金色の髪の少女を照らしだした。まるで春のひだまりのような、優しい面立ちの美少女である。ちょっぴり潤んだ緑の瞳がとても印象的だ。ふわふわと風に舞う軽くウェーブがかった金髪は色素が薄くプラチナブロンドと言った方がいいかもしれない。清楚な、それでいてとても品質の良い布地で作られた白いドレスがよく似合っている。ウィルの妻ーティアだ。
「遅くなってごめんなさい。なかなかお父様が放してくださらなくて。本当に往生際が悪いんだから」
プクッと頬を膨らませるのがなんとも愛らしい。ウィルは笑った。
「それだけティアが可愛くてしょうがないんだよ。僕だって娘ができたらお嫁になんかださないかもしれないよ?」
「まあ」
ウィルの告白にクスクスと笑うとティアは身を寄せてきた。その肩を抱き寄せようとしてウィルは足元に置いていた紙袋を思い出した。彼の友人たちから預かっていたものだ。
「そうだこれ・・・。リーナたちからティアに誕生日プレゼント。ちょっと早いけど食べ物も入ってるらしいから」
よっつのプレゼントを受けとるとティアの顔が喜びにあふれた。
「とっても嬉しいです。この匂いはセレナさんの杏飴ですね?あとリーナさんの家のココアに、マークさんのは本?」
ラッピングをほどいて現れた『蘇れ古代生物・作者サイン入り』を見てティアは目を輝かせた。
「まあ。このような本は図書室でも見たことありませんわ。とても貴重なものをありがとうございます」
にっこりと笑うティアにウィルも微笑んだ。素直なティアはどんなプレゼントだって喜んでくれる。きっとウィル同様に友人たちのプレゼントだって決して高価なわけじゃない。手作りのお菓子だってティアがいつも食べているリオン屈指のシェフが腕によりをかけて作ったできたてのクッキーにすらかなわいだろう。けれどティアは少し不格好な杏飴を美味しそうにほおばってる。そして最後の包みに手をかけた。無造作にカラーの折り込み広告使ったそのプレゼントは小さな箱だった。「レオさんからですね?なんでしょう。音がしてるようですけど・・・」
確かにガサゴソと音が聞こえる。なんだか嫌な予感がした。
「待ってーティア。僕が・・・」
「えっ?キャアアッ!」
ウィルが手を伸ばすよりも先に箱の中からソレが出てきてしまった。茶色の羽をぱたぱた動かす脂ぎった甲羅に包まれた、
ーゴキブリ。
箱にびっしりと入れられていた。しかも生きたまま。あまりのことにティアが箱を放り投げてしまったためにゴキブリたちは四方八方に散り散りになった。慌ててウィルは捕まえて箱に戻す。このゴキブリはカワゴキという釣り師にとってはとても貴重なものなのだ。釣り具屋に持って行けば一匹数千パーツで取引される代物である。
「ご、ごめんなさい」
涙目になりながらも健気にティアは言った。悪戯されたとは思ってないようだ。ウィルは数匹逃がした事を悔やみながらもしっかりと箱の蓋をした。
「ティアのせいじゃないよ。レオのプレゼントまでノーチェックで渡した僕のせいだ」
「それは・・・?」
恐る恐る箱を示す。二人の距離は五メートル。少女にとっては限界の距離らしい。ウィルは袋に箱ごと入れて厳重に縛るとポケットから一枚の紙切れを取り出した。
「レオからもうひとつのプレゼントだよ。このカワゴキでしかつれないネギって魚がいるんだ。すっごく美味しいんだけど、いまの時期だけしか釣れなくて。これにはそのベストポイントが書いてあるんだ」
「でも・・・私、釣りなんてできないし・・・」
「じゃあ、今度みんなで行こうか?天気のいい日にマリア先生にお弁当つくってもらって。いまの季節だったらきっとユリバラの花が満開できれいだよ」
「本当ですか?あっ、でも・・・」
「どうしたの?」
「誕生日パーティの後はしばらくお客様のお相手で外にでられないんです」
「あっ・・・。そうか」
「しょうがないですね。でもやっとウィル様と結婚できるんですもの。これ以上のプレゼントはありません」
にっこり笑ったティアはまるで春の女神のように美しかった。
満月の夜。荒らぶる砂神の神殿にて、一輪の不思議な花が咲く。その花を手にし者。多大なる幸を手に入れるなり。
それはハシバの民ならずこの死の砂漠サッドにかかわる者なら誰もが知っている伝説だった。数多くの者が砂漠の花を採りにいき帰らぬ人となった。誰ひとりとして成功した者はいない。
一説には砂漠の花なんか存在しないとさえ言われている。そして、ルークはそんな花などに頼らなくても十分幸せな人生を送っている。両親をはやくに亡くしても自分には帰る家があった。
悪戯をすればげんこつをくれる大きな手と。泣けば涙を拭ってくれる優しい手と。そして何より差し伸べた手を握り返してくれる優しいユーナがいた。それ以外の幸せなんかいらない。危険を犯すということはそんな人達を裏切ることになる。
ー俺はバカか?
一週間前に旅路を終えたばかりのリュックを背にひとりラクダに乗るルークは考える。今日は満月の夜だった。伝説の花が咲く聖なる夜。いつも通りにユーナのつくってくれた夜食を食べ、彼女を家まで送り、そしていま彼はひとり砂神の神殿へと向かってる。誰にも何も言わずに。
いや、もしものことを考えて家のテーブルにユーナ宛の遺書を残してきた。彼女が自分のことを忘れて幸せになってくれるように。自分勝手な、女々しい遺書をルークは残してきた。そうすることで自分の行動を正当化しようとする身勝手な自分がいた。
だけど、砂漠の花さえ手にとれたら何かが変わるような気がしたのだ。許婚という甘えた関係からユーナにプロポーズできるための何かが。
ウィルというちっぽけなガキですら惚れた女のために努力している。それに比べて俺は許婚という甘いとろけきったチョコレートのような関係に身をまかせて周囲が固めてくれるのを待っている。ユーナはそんな俺が手に入れるような女じゃない。もっと、カザフのように大きくて強い男が・・・。
ーコーン。
静かな砂漠に鉄のぶつかり合う澄んだ音が響く。暗闇に目を凝らすとなだらかな砂丘にぽっこりと三角屋根が浮かんでいた。宣言どおりに砂漠の花を採りにきたらしい。
「うーん?石で押さえた方が早いのかな?でもこの辺に石なんかないし・・・」
のんきな声とともにウィルが姿を現した。
「あれ?ルーク?」
きょとんと少女のように大きな黒い瞳を見開いてウィルは首を傾げた。
「かしてみな。砂漠でテントを張るにはコツがあるんだよ」
ウィルから金づちを取り上げるとルークは器用に柔らかな砂地にペグを打ち付けた。カザフから習った極意のひとつだ。
「すごいや。ルーク」
ウィルが目を丸くする。ルークはその少年の身なりを改めて見て首をひねった。少年はまるで川遊びでもするような格好なのだ。半袖半ズボンに足には膝丈ほどの長靴。テントの中には大きな網と釣竿がある。
「砂漠で釣りをする気か?」
「いいえ。さっき行ってきたんです。明日からはティアの誕生日パーティの準備で色々と忙しくて自由になる時間がとれないから」
「大袈裟だな。王女様でもあるまいし」
ルークが肩をすぼめるとウィルはそうですねと笑った。そして逆に首を傾げる。
「でもルークさんこそどうしたんですか?あんなに危ないって言ってたのに」
「ん?ああ。仕事だよ仕事。リオンの国王が俺の恩人に砂漠の花を要求してきたんだ。なんでも王女様の誕生日プレゼントにしたいとかで」
「王様が?」
びっくりしたようにウィルが目を瞬いた。
「ああ。リオンの国王はほんとに娘が可愛いんだな。結婚相手は大変だぜ」
「ーそうですね」
複雑な顔でそう言うとウィルは考え込んだ。「どうかしたのか?」
「いえ・・・」
首を振るもののなんとなく元気がないようだ。ルークがそのことを尋ねようとした時、少年は小さくクシャミをした。なにしろ真夏のような格好である。砂漠の夜は零下にまで冷え込むというのに・・・。
「馬鹿だなお前。風邪ひくぞ。俺の服かしてやるから」
リュックの中から洋服をとりだそうと口を開けて、ルークは驚いた。いつも通り乱雑に詰め込んだはずの服や傷薬がきれいに整理整頓されている。
しかも温かな湯気をあげる握り飯とポットが入っていた。お守りの紅石まである。ユーナだ。幼なじみの恋人はなにもかもをお見通しだった。胸に熱いものが込み上げてくる。温かな大砂ネズミの毛皮でできた上着を取り出してウィルに手渡す。
砂漠に住む大砂ネズミの毛皮は少しごわごわするものの耐寒性と保湿性に優れた優れ物である。昼は涼しく、夜は暖かい。非常に重宝する毛皮だ。
「ありがとう」
素直に礼を言うウィルにルークは握り飯と熱いスープを分けてやる。ユーナはウィルの分も用意していた。つくづくできた女だと思う。よほどおなかが減っていたらしくむさぼるような勢いでウィルは握り飯を平らげた。細いくせに随分とよく食べる少年である。物足りげな情けない顔に負けて、ルークは自分の分もくれてやった。
「お前の嫁さんは弁当もつくってくれないのか?」
「ティアは料理したことないんです。危ないから」
「危ない?」
「包丁とか、火とか・・・。ケガでもしたら大変でしょう?」
「お前、それじゃあ結婚したら飯はどうするんだよ?お前が作るのか?」
「そうですね。ティアが僕の料理がいいって言えばつくります」
「甘やかしすぎだぞ」
「でもそれがティアだから」
にこっと笑う。全然、不満はないようだ。心の底からティアという少女に惚れてるのだろう。ルークはため息をついた。
「お前ほんとに嫁さんに惚れてるんだな。いつかリオンに行くことがあったら俺に紹介してくれよ」
「いいですよ。砂漠の花を手に入れたらきっと紹介しなくても会えるだろうし」
「ー?どういう・・・うわっ!」
突然の突風にテントが吹き飛ばされそうになる。コゴゴッ。大地が大きく揺れた。砂がまるで海のように波打ちだす。あっと言う間に辺りは嵐と化した。
砂神が怒っている。満月の夜の砂嵐は吉兆だ。クレーター状の街ハシバの中央に位置する日干しレンガ造りの家ですら風に揺れる。その揺れるリビングで窓の外を見ながらカザフが眉間にしわをよせた。
「ルーク。あの大馬鹿者が」
予感がなかったわけじゃない。いや、むしろルークに国王からの依頼を話した時にこうなることがわかっていた。ユーナがカザフをにらんだ。
「お父さん。ルークを試したでしょう?」
父にはルークの行動がわかっていたはずだ。いや、ハシバの民すべてが知っている。苛酷な場所で生き抜くためには助け合いが必要だ。そしてそれにはなによりも強力なリーダーがいる。
何が起きても冷静沈着で、それでいて勇気と決断力と愛情に満ちたリーダー。ルークは資質を問われた。だからこそ誰ひとりとしてルークを止めなかったのではないか?そしてそれには外ならぬユーナ自身も組み込まれていた。彼女は見たかったのだ。
ルークが自分の力で道を切り開くところを。カザフが言った。
「ルークは優柔不断すぎる。幼い頃に両親を亡くしたせいだろう。俺やキャラバン隊の顔色ばかりうかがっている。隊を率いるためにはそれじゃあダメだ。なによりそんな軟弱な男にお前はくれてやらん」
その言葉を聞いたユーナの母親が小さく吹き出した。
「それが本音なのね?」
カザフもリオン国王に負けず劣らず一人娘を溺愛しているのだ。例えそれが親友の忘れ形見で息子同然のように育てたルークでも両手をあげてくれてやる気はない。
べつにルークがカザフの跡を継がなくてもいい。兵士だって立派な仕事だ。年老いて平和で便利な都会で娘夫婦と孫に囲まれてのんびり過ごすのだって悪くない。
何しろカザフには金だけはくさるほどあるのだ。人の命以外ならなんだって手に入る。この国を買い上げて王様になってみるのもおもしろいかもしれない。
政治というキャラバンでは味わえない種類のスリルを楽しめるだろう。けれど、すべてがルーク次第だ。なにしろ、大事なユーナを俺から奪うのだ。それ相応の男である証しが欲しい。こんな試練は甘すぎる位だ。
「ルーク」
そっと両手を組み目を閉じる娘が選んだ男をカザフは信じていた。
目もろくに開けていられないような砂嵐の中で、ターバンの端を顔に巻き付けて砂から身を守りながら、ルークは必死にウィルの手を握りしめていた。こんなところで、こいつを失いたくない。
誰も、俺の前で死なせやしない。それは苛酷なキャラバンの世界で生きるハシバの民に共通する信念だ。その想いだけを頼りに彼らはハシバをちっぽけな黒ヤギのテント村から地図に載る日干しレンガの街へと発展させてきた。
ーふわり。
いきなり風が止んだ。ゴオオオッと言う風の音は聞こえている。ターバンを解いて目を開けると少年の飛竜が翼を広げて風よけになっていた。
「ベル・・・。大丈夫?」
心配そうな少年に飛竜は頷いた。けれど決して楽なはずはない。無数の砂が刃となって薄い紫色の羽を傷つけていく。血があふれ出した。その血を見た少年の表情が変わった。
「くそっ!僕は負けない」
「ウィル?」
ウィルは腰に下げていた剣を抜いた。少女のように優しげな瞳が凛々しくひきしまる。きゆっと唇をかみしめた。
「ウィル?何をする気だ?」
「城の魔道士に聞いたんだ。砂漠の花を守っているのは巨大サソリだって。こいつをそのどっちかの目に振りかけることができれば嵐は止んで砂漠の花を手に入れられるって」
そう言うとポケットから小さな布袋を取り出した。そこには以前ユーナが少年に渡した紅石と一グラム数百万バーツで取引される魔法の粉が百グラムも入っていた。一生楽に遊んで暮らせる額の量だ。
「ウィル・・・お前これー」
「ヤシャナの話だと一回しかチャンスはないんだ。でもこう暗いとどこにサソリがいるのかわからない」
悔しそうにつぶやくウィルに、ルークは頭を切り替えた。なんでウィルがこんなに高価なものを持っているのかなんて話は後だ。いまは生き残ることだけを考えればいい。ルークはウィルの肩に手をかけた。
「その巨大サソリにこいつを投げ付ければいいんだな?」
「うん・・・。でもどこにいるのかわからないよ。こんなに暗いんじゃ」
「大丈夫だ。俺に任せろ。この釣竿ちょっと借りるな」
それは一本の竹でできた釣竿だった。ルークは腰に下げていたサバイバルナイフで器用に竹を縦に切断すると、その中央をライターであぶり曲線をつける。
強度が増したところで両端に釣り糸を張り、残りの竹と竜のウロコで矢を作った。糸の張りを調節し、矢の曲がりをチェックする。即席の弓矢にしては上出来だ。
「すごい」
ウィルが目を丸くする。その手から布袋ごと魔法の粉をとりあげて矢の先端に括りつけた。そして紅石を取り出した。自分の分とあわせて二つ。紅石のもうひとつの呼び名は炎石だ。
砂漠の民が守り石とするのは、この石のだす光が救難信号がわりになるためである。ルークはその使い方をウィルに説明した。
「いいか?最初の光でおれはサソリ位置と距離を図る。この紅石の光は化け物の動きを止める働きがあるんだ。だから風が止んだら光がなくなる前にもう一個、あいつに投げ付けろ?チャンスは一回きりだ。いいな?」
「わかった。この石に火をつけて投げ付ければいいんだね?」
「失敗するなよ」
もう一度、弓矢のチェックをしてからライターの火であぶった紅石をはるか上空へと投げあげる。
ーパアアッ。
一瞬にして辺りをあかい閃光が包み込んだ。遠赤外線のような光の中でどす黒い物体がすぐ目の前に現れる。一瞬、あまりの大きさと至近距離にそれが何かわからなかった。距離にして十メートル。そして大きさにして十メートル。とてつもなく巨大なサソリがハサミをふたりに振り上げたままの姿勢で固まっていた。風が止んだ。一瞬の静寂後、閃光が薄くなる。その前に、
「ウィル!」
ルークの声に弾かれたようにウィルが紅石を巨大サソリにむかって投げ付けた。
ーキリリリッ。
弓をひく神聖な音。そしてー。
ーヒュン。
矢が風をきって真っすぐにサソリの右目を目指して飛んだ時、紅石の光が途切れて辺りにはまた闇が訪れた。耳をすますウィルとルークに壮絶な獣声が聞こえてきた。それと同時に一段と砂嵐が強くなる。矢を放ったままの無防備な体勢だった。あっと思った時には遅かった。ルークは砂嵐に巻き込まれーそして記憶を失った。
目が覚めたとき、ルークは一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。ただ、冷たい雫が自分の顔に落ちて、口から喉に入った。それは不思議と塩辛かった。視点があった視界に涙であふれたユーナの灰色の瞳がある。
「俺は・・・?」
かすれた声がでた。一体、なにがどうしたのだろう?
「ルーク・・・。よかった・・・」
泣き崩れるユーナの脇にあるサイドテーブルになんとも言えない不思議な花があった。金色に淡い輝きを宿すまるで砂の結晶のような大輪の花。もしかしてー。
「砂漠の花?」
つぶやいて思い出した。
「ウィルは?」
ベットから跳ね起きる。ここはルークの見慣れた家でそばにはユーナしかいない。一人暮らしのこじんまりした部屋のどこを探してもウィルの姿はなかった。ユーナが安心させるように笑った。恋人の涙を拭ってもくれずに他人の心配をするルークが恨めしくも、らしくもあってほっとして。
「大丈夫よ。あなたをここまで運んでくれたのはウィルなの。あなたによろしく言っていたわ。砂漠の花をリオンの王女様に渡してくれって」
「えっ?じゃあ・・・」
「砂漠の花は一輪しか咲かないの」
ゆっくりとユーナが首を振った。じゃあ、ウィルはあんなに欲しがっていた砂漠の花をルークに譲ったのか?
「プレゼントは他にもあるし、同じことだからって」
「同じこと?」
「私にもよくわからないけど、リオンの王女様の誕生日パーティにはぜひ私たちに来て欲しいって言っていたわ。その時に奥さんを紹介してくれるって。ウィルの奥さんてお嬢様って言ってたじゃない?だからリオンの貴族じゃないかしら?砂漠の花はパーティの会場に飾られることになってるようだし、わざわざプレゼントしなくても見れるでしょう?」
「・・・そうだな。だが、そう簡単にパーティに出席できるとは思えない」
そうつぶやいた時、慌ただしい足音とともにカザフが姿を見せた。
「よくやったな!ルーク。これでうちのキャラバンは安泰だっ!」
ガハハハッと豪快に笑う。その笑顔にルークは思い出した。なんのために砂漠の花を採りに行こうと思ったのか。
「おじさん・・・」
「なんだ?」
「俺、おじさんの役に立ったかな?」
少しでもカザフに認めてもらえるような男になれただろうか?カザフは笑いをひっこめてルークを見つめた。
「お前はどう思うんだ?」
「俺は・・・」
問われてルークは考える。今度のことでルークは何かを見つけただろうか?ただ、砂漠の花を手に入れても何も変わらないんじゃないか?ちらりとサイドテーブルに置かれている砂漠の花を見る。
確かに手に入れるのは容易じゃなかった。ウィルがいなければきっと今頃は巨大サソリの胃袋の中だ。だけど、こうやっていまがあるのは、砂漠で得た知恵と技術と、何よりも死なせたくも死にたくもない想いのせいじゃないか?少なくても俺はハシバの民として、砂漠で生きる者としてこれ以上のない誇りと生きざまを持っている。それ以上に何を求めるというのだ?十分じゃないか。
俺はこういうハシバの生き方が好きなのだ。もしも俺が弱くて頼りなくても、俺には助けてくれる仲間がいる。この街はそうやって発展してきた。ならば、俺の進むべき道は決まっている。ルークは顔をあげるとまっすぐにカザフの顔を見つめた。
「俺はいつもおじさんやみんなの役にたってるよ。だって俺は絶対にみんなの前で死んだり死なせたりしない。俺はこれからも俺の大切なこのハシバを守るし、絶対にユーナを悲しませたりしない」
そう。だからー。ルークはベットから降りるとカザフに土下座した。
「俺にユーナを下さい。何があっても俺はユーナを守ってみせる。そして、いつかおじさんに負けない男になってみせる。だから、俺にユーナを下さい」
頭を下げるルークはひとまわりもふたまわりも大きくなった。カザフはため息をついて隣にいる娘を見る。感極まり涙する娘。二十年間大切に育ててきた。
くれてやるのは惜しいけど、ルーク以上の男なんてそうはいやしない。認めないまま婆になっても可愛そうだし、孫の顔をはやく見たい。できればユーナにそっくりな孫娘がいい。
ちっちゃなユーナと同じ顔でじーたんなんて呼ばれたら、きっとどんなに不味い第三夫人の料理だってうまく感じるに違いない。その笑顔だけで飯櫃を空にしてしまうかもしれない。認めないわけにはいかないじゃないか。万感の思いを込めてカザフは言った。
「もったいないがお前にくれてやる。幸せにしないと砂神の生け贄にするぞ」
ーちゃぽん。
巨大な魚が大きく跳ね上がった。その姿にティアは歓声を挙げて手をたたく。
「わあ。すごい。すごいです。こんなに大きな魚だったんですね」
ウィルが釣ってきたネギを見てティアは目を輝かせた。当初、ウィルはティアの誕生パーティにネギ料理をだすつもりだったがティアが反対したのだ。
せっかくのプレゼントだからなくなってしまうのはもったいないと池で飼うことになった。ネギはナマズの仲間で大きなものは三メートル近くにまで成長する。
ウィルが釣ってきたネギはまだ五十センチほどだが太い身体といい、長いヒゲといい十分な貫禄を示している。肉食なので他の魚と一緒にすると食べられてしまうため急遽、ネギ専用の池が作られた。そのほとりでティアは満面の笑顔を見せている。
(砂漠の花じゃなかったけど、まあいいか)
こんなに喜んでくれるとは思わなかった。なにしろネギはカワゴキを餌に釣るだけあって見てくれはかなりグロテスクなのである。
水面に漂う黒い影はお世辞にも可愛いとは言えない。それでもティアは上機嫌だった。それにティアの望むものはどうせすぐに手に入るのだ。
この笑顔が見られただけで十分だ。ウィルは気分をとりなおしてティアと一緒にネギ観賞を楽しんだ。
リオンは一国で『中央大陸』のおよそ三分の一を占める大国である。古くから王政が栄えており現在も絶対王制が残る希少な国でもある。その国王にはひとり娘しかおらずゆくゆくは王女とその伴侶が国を継ぐことになるのだろう。
リオンの首都ヤナでは王女の成人を祝う祭りが開かれていた。行事ではなく国民たちが率先して開かれた祭りだった。露店がたち並ぶ大通りを華やかなパレードに混じってカザフ率いる大キャラバンが進んで行く。ラクダの背に乗っていたユーナがため息混じりに言った。
「すごいお祭り。みんなとても楽しそう」
女性である彼女はハシバ以外の街をあまり知らない。長期キャラバンに参加したのも初めてなら外国も初めてだ。年に何回か買い物のためにナザックの首都ラナークに行くが、あの街を都会と思っていた自分が素直に田舎者に思えた。
何しろここには、いままで二十年間彼女がであった以上の人の数であふれている。見渡す限り人の頭々。それも各国からリオンに憧れて移住してくるためにカラフルな頭の行列だ。しかも肌の色も様々である。大人も子供も白人も黒人も黄色人も犬や猫までリオンの国旗を片手に満面の笑顔だ。
立ち並ぶ高層アパートからは『王女様おめでとうございます』と書かれた垂れ幕が数多くぶら下がっていた。
王女の似顔絵なのだろう愛らしい金髪の少女が描かれた団扇やTシャツがとぶように売れている。商魂逞しいリオンの店主たちですら、王女の誕生日は赤字覚悟の大バーゲンに代えてしまった。酒屋は樽酒を、花屋は王女の好きな月花草を、肉屋は焼きたての七面鳥を、寿司屋は握りたての鮨を、その他多くの飲食店が無料で道行く人々にふるまっている。
さすがにリオンの首都だけあって立ち並ぶ露店も商店もすべてが目新しくユーナを誘っていた。キャラバン隊の仕事がすんだら、しばらく滞在するつもりだしウィルに観光ガイドしてもらうのもいいかもしれない。なにしろハシバではあまり役に立たないお金もここなら存分に威力を発揮するだろう。
ルークにねだって婚約指輪をプレゼントしてもらおう。彼女はしっかりと頭に高級宝石店の場所をたたき込んだ。目を輝かせる娘にカザフが笑った。
「リオンの王女は国民に絶大な人気を誇るからな。その王女の結婚式ともなればこれだけの騒ぎにもなる」
「結婚式?成人式じゃないの?」
ユーナは首を傾げる。
「それが一年ほど前にリオンの王女様はご結婚なされたんだが、王様がお許しにならなくてな。成人するまでは式を挙げられなかったんだ。だから事実上はリオンの王女が成人を迎える誕生日がご結婚日となるわけだ」
どっかで聞いたような話だなとルークは思う。その手にはしっかりとリオンの王女に贈る砂漠の花が握られていた。直接、パーティ会場で王女に渡すように命じられたのだ。
どれほどこの花が希少価値が高いのかを説明しなくてはいけないらしい。なんとも傲慢な王である。カザフの話ではその花婿とプレゼントを競うつもりらしいのだが、はた迷惑なこと限りない。
でも、まあおかげでウィルと会うことができるだろう。適当に王女への説明を終わらせてウィルを探すつもりだった。そのためにわざわざユーナを連れてきたのだから。
(ったく、金持ちの考えることはわかんねーな)
昼の日差しの中で見る砂漠の花は確かにきれいだけどそれだけだ。きっとこの花は砂漠にあるからこそ映えるのだ。ハシバの民と同じに・・・。ラクダを連れて歩くターバンを巻いたキャラバン隊はこの街で浮いている。
砂漠とは違う意味で熱気につつまれた空気も、人々の歓声も、きらびやかな町並みも、どこか居心地が悪かった。どうして一度でもこの街に住みたいなんて思ったのか。いまではとても不思議だった。カザフが言った。
「あれがリオンの王宮だ」
目の前にハシバひとつ分の巨大な建物が現れた。
さすがにリオンの王宮は広かった。首が痛くなるほど見上げても上が見えない巨大な城は、その内部も言うまでもなく広く、そして複雑な迷路になっていた。
話によるとこの城だけでアークレットの三倍の数の人々が働いているらしい。カザフの話では、大山脈アルバからこの城を見ると亀が頭だけだしたような形をしていて、その頭の部分が王族の住居となっているようだ。甲羅の部分は外交や金融機関などのいわば省庁になっていた。忙しくたちまわる人々のほとんどが面白みのないスーツ姿なのもそのせいだ。
リオンにも伝統的な民族衣装はあるのだが、あまりに移民が増えたために当たり障りのないスーツに変わっていた。巨大な他民族国家をまとめるのは容易ではなく、それには古代からの権力者ー王族が必要不可欠な存在だった。
そして、なによりも現国王エドワード二十世をはじめとする歴代の王にはそれだけの資質があったのだ。だからこそ世継ぎ姫の相手は国民すべてが認めるような人間でなければならない。いくら一人娘が惚れた相手でも簡単には認められないのだ。
(俺と同じようでまったく違うな)
ルークならあまりの重責に逃げ出したかもしれない。王女の結婚相手がどんな奴かは知らないが、それだけ王女に惚れているのだろう。リオンの王女と結婚するということは、野心だけで耐えられるようなことじゃない。巨大な他民族国家にはクーデターや民族間の紛争などがつきものなのだ。
それゆえに統率者は超人的な指導力を問われる。それが何の権威もない王族以外の人間ならなおさらだ。素人の監督に黙って従うプロ選手はいない。プロ中のプロであってこそ、はじめて監督として采配がふるえるのだ。少なくてもルークはそう思う。
そんなことを考えながら、迷子になってしまいそうな廊下をユーナと供に案内役の兵士の後に続いていたルークの目に、一頭の飛竜が目に入る。
青々と茂った月花草の花園で、大きな翼を広げて何やら薬を塗られているようだ。ケガでもしているのか?案内役が言った。
「王女様の飛竜だ。この国では王女様しか飛竜を持ってらっしゃらない。正確には王女様の結婚相手が王女様のために捕まえてきたのだが・・・」
「えっ?でも・・・」
「ここで王様がお待ちだ」
一際大きな扉の前で案内役の兵士が立ち止まる。すぐに伝令が出た。扉のむこうからにぎやかな声が聞こえてくる。この扉の向こう側にパーティ会場があるらしい。しんと静まり返ったかと思うと重たい扉が開かれた。
まず目に入ったのは扉の真正面に位置する王座に腰掛ける白髪頭の立派な騎士の正装をした老人だった。妙に眼光の鋭いその老人の白髪には王冠がのっている。
大国リオンの国王。エドワード二十世だ。そして、次にルークの目に入ったのはその傍らに座するまるで春の精霊のような愛らしい少女の姿だった。ふわふわの軽くウェーブがかった金の髪は、色素が薄くプラチナブロンドと言った方が良いかもしれない。
ちょっぴり潤みがちな緑の瞳は優しく澄んでいて愛らしいさくらんぼ色の口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。
文句なしの美少女がこの国の王女なのだろう。とするとその隣にいるのが、噂の王女の結婚相手か・・・。なにげなくその方向を見たルークとユーナは思わず声をあげた。
まるで女の子のように大きな黒い瞳に華奢な体格。そして手には大砂ネズミの毛皮のコートを持ったー。
「ウ、ウィル?」
「うそ・・・どうして?」
驚きに立ちすくむふたりにウィルはにっこりとあのひだまりのような笑顔になった。
「紹介します。ルークさん、ユーナさん。彼女が僕の大切な妻のティアラ・ベル・リオンです」
エピローグ
それは月のきれいなある夜のこと。美しく月花草が咲き乱れる花園で。少女はうっとりと大魚の泳ぐ池のほとりに咲く、一輪の不思議な花を見つめた。
「きれい」
夢見るような瞳でそうつぶやく少女の方がずっときれいだと少年は思った。素直にそれを口にすると、少女はうれしそうに、はにかんだ笑みを愛らしい唇に浮かべた。そして、こう言った。
「でも私よりずっときれいなお魚がいるんですよ?」
少年の旅はまだまだ終わらない。