飛んだ先は
二人が着いた場所は未踏の地。いや、もしかしたら翔一には過去に記憶が残っているかもしれない。
○○県-戸張市。
握手と握られていた手を、二人はようやく気づいて離した。
翔一は不思議そうに辺りを見渡す。二人の立っていた場所は、殺風景な田んぼ道が広がっていた。
「何…ここ。一体何がどうなって」
「“飛んだ”んだろうねぇ。君と通じて」
事態が把握出来ずパニくっている翔一に対し、涼輔はなんとも落ち着いた様子だった。昂介から聞いた話をそのまま翔一に説明すると、理解したのか、ようやく落ち着いて一息つく。
「じゃあ僕は…適合者なんですね?あなたたち時の旅人の」
「そうなるね。すごいね、みんな通じたんだ。…って明名たちは驚いていたけど」
他人事のように笑いかける。つられて翔一も微笑するが、実は密かに感動していたのだ。ようやく自分も輪に入れたような、幼児のような心境。
不思議と見慣れた光景に、涼輔は驚くことはなかった。広大な田んぼが広がり、民家もまばらとある。奥には高くそびえる山がある。冷える風が頬を突き刺す。時期が冬というのもまだ翔一は把握していなかった。
「あ…」
頓狂な声を上げたのは翔一。その声の意味は単に驚いたのではなく、何かを思い出したような気がしていた。
「どうかしたのか?」
「あ、いや…ここ…、多分…来たことがある…気がするんです…」
朧気だが、遠くない過去に来たことがある翔一は懐かしそうに辺りを見渡した。間違いない、中学まで育ってきた、あの町だ。
「そうなのか?じゃあここの地理は任せても大丈夫なのかい?」
「ええ…大体は、ですけど。確かこの先を…」
かすかな記憶を頼りに、二人は田んぼ道を歩き始めた。
歩くこと30分弱。そこは人が溢れる商店街。形は中瀬通りと変らないが、それより少し広い大通りに着いた。
時間を確かめようと翔一は携帯の画面を開く。しかし
「あれ?」
電源を切った覚えはない。ショカンに来る前に充電は満タンにしてきたはずだが、携帯の画面は暗く見ていた翔一の顔を映し出していた。電源をつけようとボタンを押して試みるが、何度試しても一向につく気配がない。
「どうかしたのか?」
「あ、いえ…」
これでは時間が確認できない。しかし日が暮れてきているのでさすがに昼はとうに過ぎているようだ。
少し歩いて商店街を見渡すと、翔一から無意識に笑顔がこぼれた。
「うわぁ…懐かしいなぁこの風景…」
「翔一、君はここに来たことがあるのか?」
商店街を出てもう少し歩くと、住宅地が立ち並ぶ道へ出る。嬉しそうにはしゃぐ翔一を見ていた涼輔は、不思議そうに家に囲まれた辺りを見回していた。
「ええ。うちの親が絵を描く仕事をしていて、色んな所に住んで回っていたんですよ。中でもここは長くいましたし」
2、3年はいただろう。前は学校を通っていても、まともにクラスの人達の名前を覚える前に越してしまって、特に親しい友人も出来ることなく、あちこちを転々としていた。でもここは、少し忘れられない思い出…否、どこか心残りのある場所だった。
「どれも立派な家だね。こういう風景を見ていると、ようやく時代が進んでいると実感するよ」
当たり前のように見える二階建ての家。屋根のカラフルな家。時折築何十年と続いているような木造住宅を見つけては、涼輔は一つ一つ感想を述べていく。
「俺たちの昭和は、二階建ての家っていうのは大体屋根裏も合わせてってのが多かったね。屋根も瓦が普通だったし、あ・・・でもウチは木だったかな。喫茶店だし」
「喫茶店なんですか?涼輔さんの家」
初めて聞く事実に翔一は興味を示していた。
「まあね。湘館ていうしがない店だったけど、お客さんはみんな良い人ばかりだったよ」
涼輔は思い起こすように天を仰ぐ。
なぜ過去形なのかと耳を疑った翔一だが、黙って話を聞こうと歩みだす。
しかしその最中、何故か翔一は家に囲まれた路地に立ち止まる。翔一の顔がいっそう冷めていった。二人のいる一本道の道路の先を一点を見つめたまま、立ちすくんでいる。
「時折いい豆が入っては…って翔一、どうかしたのか?」
「あ…」
涼輔も視線の後を追うと、そこには奇妙な光景があった。
遠くからだが微かに見える、一人の人間が物凄い勢いでこっちへ走ってきている。顔が見えるまで近づいてくると、とても穏やかな表情ではなかった。
少女の顔は既に、鬼神と化していた。
「見つけたー!翔ぉ一ぃー!!」
「ひいぃー!」
気づけば翔一は回れ右をし、一目散に反対方向へ突っ走っていた。
「…」
「逃がさないわよー!」
高校生と見える制服姿の女の子は、短いスカートも気にせず、まるで陸上選手のように大股で翔一を追いかけていく。翔一の知り合いだろうか、そんな事を思いながら涼輔はその場で呆然としていた。
「いなくなってしまったな…。仕方ない…」
ピッ、と突き立てた人差し指を眉間に触れると、小さく息を吐いた。そして…
「上手くいくといいが…」
シュン、という音もなく、涼輔の姿は消えた。
「ここまで来れば…追ってこないよね…」
ようやく足を止めた場所は、先ほどの路地から数キロ離れた丘の上の神社。何も数キロ先のこの場所まで逃げる必要も無かったのだが、念には念を。この程度で諦めるような女ではないのだ、彼女の場合は。
「嫌な予感は…してたけどなぁ」
はは…と翔一は苦い笑みをこぼしながら、境内のベンチにヘタレ込む。先ほどの活気ある(極度過ぎ)彼女がもちろん、誰かも分かっていた。
彼女の名は桐沢望。ここの地元の高校に通う高校生で、当時ここへ越してきた翔一を良くしてくれていた。気配りも出来て、慣れない土地に右往左往していたのを、親切に教えてくれた。
この土地には二年半近く住んでいて、進路先の大学もほとんど決まっていた。
でも、そこに再び親の仕事の都合の転勤。気の弱い翔一に異見する勇気もなく、そのまま親について今にいたるそう、今住んでいる中瀬。これも同じくらい長続きしている。三年生の夏休みくらいに越してきたから、これも2年を過ぎている。今の生活に何の不自由もない。昂介もいるし深空もいる。今のこの時が幸せだ。もう立派な大人だ。親の仕事だろうがもう一人暮らしも出来る。中瀬を離れるなんて考えられな―
「見ぃーつーけーた〜ぁ」
背後から、おぞましいほど憎しみのこもった声が這い上がってくる。恐ろしくてベンチから立ち上がることも出来なくなった翔一は、恐る恐る後ろを振り返る。
すると…
「あ…」
「やっぱりここにいたのね。翔一」
まさにその人、桐沢望は背後に仁王立ちして立っていた。
「ど、どうしてここが…」
「私の直感。ハズれた事なんてないんだから。なんたって私の感だからっ」
ヤバい、と焦りを感じようやくベンチから立ち上がろうとするが、重心をついた左手が離れない。絶対に離すまいと、望はその手を強く握り締めていた。
「もう逃がさないんだから。なんで今日学校サボったのか、ちゃんと説明して」
「!!」
間違いない。この日は、転校する前の―
「ねぇ!?聞いてるの!?」
「え…」
気づけば、望は目を赤くし、今にも泣きそうなほど涙ぐんでいた。
「ごめん…」
「ほら、そうやってすぐ謝る…。翔一の悪いとこだよ。ちゃんと説明してから謝って」
2年半、彼女が翔一の癖を見破るには少し短い時間だろうが、それに気づいた彼女はそれだけ翔一の近くにいた。恋人ではないけれど、きっと好意じゃなくて善意だろうけど、そうやって出来る“友人”という関係を避けてきた。出来れば一層別れが辛くなる。だから極力、翔一は人付き合いを避けてきたのだ。相手がどうおもっているかは知らない。弱い自分が別れるのが辛くなるから。
『越してきたばかりでこの町のこと解んないでしょ?案内したげるから、一緒に帰ろ』
当時、転校してきたばかりの翔一を誘った望。もちろん翔一は断ったが、彼女に強く説得され、渋々ついていくことにした。
涼しい風が境内をすり抜ける。どうしようと左手は未だ掴まれたまま。表情を伺えばまだかまだかと目を潤ませている。その姿を見て、思わず頭を大袈裟に抱えてしまう翔一。それを見て不思議に思った望はどうしたの?、と問いかけるが、翔一はため息一つついて考えていた。
ここは過去。一つ間違えれば今までの未来もガラリと変わってしまうあまりに繊細な世界。でも逆に言えば、失敗した過去を変えることもできる、たった一度きりのチャンス。
でも、僕はそれを掴むのを恐れている。もし違う未来に変わるとしても、それが今に繋がるなんて解らない。だから、僕は…。
【何もしないまま終わるつもりか翔一。何のために過去へ来た?何事でも例え偶然でも、たった一度きりのチャンスを逃す馬鹿はいないぞ】
「へ?おわっ!?」
気の抜けた声と共に顔を上げると、目の前には望が視線を合わせて前にしゃがみこんでいた。それに驚いた翔一は、思わず尻餅をついてしまった。
「だ、大丈夫!?」
「あ、うん…あはは…。ちょっとびっくりしちゃって…」
もう、と望は苦笑しながら手を差し出す。翔一はその手を掴みゆっくりと腰を上げると、一度深く深呼吸をした。
(誰だ?…今、神木さんの声が聞こえたような…)
【ようなじゃなくて話しかけてるんだよ。おい、聞いているのか?】
(!?)
聞こえてくるのは、確かに神木涼輔の声。しかし辺りを見渡しても、その姿はない。
「翔一?」
望の心配する声も耳に入らず、もう一度涼輔の声を伺った。
(神木さん?)
恐る恐る頭の中で涼輔を呼びかける。
【なんだ?】
返ってくる声は確かに涼輔のもの。一体どこから?と詮索する前に、涼輔の方から口を開いた。
【この力は後々説明する。なんせこうして意志を通じあえるのは3分間だけなんだよ】
(3分…なんだかありがちな設定ですね…)
【いいかよく聞くんだ翔一。過去に戻れるなんて現象は普通には有り得ないんだ。僕たちの場合は特例。だからこれは好機なんだ】
(好機…?チャンス…ってこと?)
涼輔の言葉を静かに聞く。何故頭の中から声が流れてくるなど、この際不思議には思わなかった。
【俺たちの時代も、戦争が起こる前はとてもいい時代だった。勉学に励み、人に恋をしと、とても美しかった…】
(はぁ…)
とりあえず相槌を打つ翔一をよそに、涼輔は続ける。
【あの頃に戻りたいと思ってももう戻れない。だが俺たちならそれが出来た!知鶴たちに聞いたが、一度戻った日付には二度と戻れない。だから、これは一度きりの好機なんだぞ】
(一度…きり)
【過去を変える最後の好機だ!君が変えたいのなら、君から動かなくてどうする!?】
翔一の中で、何かが動いた。変えれるなら変えたい。ほんの些細なことかもしれないけど、でも。
「ずっと…」
それまで開かなかった翔一の口が、少しためらいがちに開いた。
「ずっと、怖かったんだ…。友達が出来るのが…」
「翔一…?」
ゆっくりと望も同じベンチにすわり、優しく翔一の肩を撫でると、静かに目を閉じて話に耳を傾けた。