異例
「あったあった。ほら、これだろ?」
僕らがちょうどコーヒーを飲み干した頃に、神木さんは一冊のノートを持って現れた。
カウンターの上に置かれたノートは、本格的な日記帳というよりも、僕らの時代でも使っているようなごく普通の緑色の大学ノートだった。表紙の題名の欄には『神木涼輔の日記』と書かれていた。
「あれ?」
日記帳を見た知鶴さんは首を傾げた。
「これ、あの時買ったのと色違わない?」
「え?…ああ」
神木さんも日記を見つめると、理解したように頷いた。
「実はあの後、もう一冊買いに行ったんだよ。黄色い方は由莱にあげたんだ」
「由莱?」
「確か、妹さんだよね?神木由莱ちゃん」
「ああ、今ちょっといないけど…俺より六つ下の妹だ」
妹?神木さんに妹さんがいたのか。
…ん?待てよ?…神木…由莱…?
「どうかした?コウちゃん?」
気づくと、知鶴さんの顔がすぐそこにあった。
「おわっ!?」
「ぼーっとしてるけど、大丈夫?」
吐息がかかってしまう程の近距離で目が合う。知鶴さんは無神経にも解っていないのか吸い込まれそうな奥深い瞳を真っ直ぐ俺の方へ向けてくる。
「そ、それよりっ!日記のことなんですけど!」
慌てて本題に戻すと、ようやく知鶴さんも思い出したようだ。
「そうそう、日記の内容、少し読ませてもらってもいいかな?」
「ああ、構わないよ」
早速知鶴さんは日記をパラパラと読み始めた。その間、僕は同じように見ることなくコーヒーをすすっていた。
ふとに周りを見渡す。古めかしい木造の壁に、色んな作風の絵が飾られていた。中でも、一際目立つ色を放っていた作品が目に入った。
それは、何もない平地の真ん中に大きな満開に咲いていた桜の木が立っていた。
とても綺麗な色だ。桜の一枚一枚が咲き誇った瞬間のように輝いている。この絵、最近どこかで見たような…。
「……やっぱり」
長い沈黙の中、声を上げたのは知鶴さんだった。日記の一ページを深刻な表情で見つめていた。
「どうかしたのか?」
声をかけた神木さんに、知鶴さんはゆっくりと目を合わせた。
「涼輔、中瀬神社の奥にある祠…行ったんだね」
「祠?」
「んー?ああ、あの神社か。あれは不気味だったなぁ。何回も奥へ進んだはずなのにもとに戻ってるんだからなぁ…」
その日を思い出すかのように天井を見上げながら神木さんは呟いた。どうやら見ていたページに中瀬神社のことが書かれていたようだ。
「祠って…?」
「ほら、私達が初めて会ったあの小さな祠」
うっすらとあの日の出来事が蘇る。確かあの日、捺美さんに中瀬神社の祠について面白そうな話を聞いて、その時行ったんだっけ。
「ああ…」
「で、それがどうかしたのかい?」
その問いには返事はせず、知鶴さんはふーむと考え始めた。
なんだろう。前もそうだったけど、やけに神社の事になると頭をかしげる知鶴さんがいる。少しの沈黙が流れたあと、知鶴さんは一つゆっくりと息をつくと、再び真剣な表情で言った。
「涼輔…あなたは私たちと同じ、時の旅人かもしれない」
既に日が落ちていた。空襲の激しい日にちに飛んできたハズなのに外は閑散としていた。そういえばまったく気にしていなかったが、ふとケータイの時計を見てみると、画面に表示されている時刻がとまっているのが分かった。それどころかアンテナも圏外の状態だ。これではもしもの時に連絡手段が取れない。
「時の旅人?」
さっき話した内容も加え、知鶴さんは自分の身に何が起こっているのかを説明し、僕たちが過去へ飛ぶ理由などを告げた。知鶴さんは日記をパタンと閉じ、神木さんの方を真剣な表情で見つめた知鶴さんに対し、二人は不意に疑問が零れた。
「待て、“私たち”と言ったな?他にもいるのか?」
少しの言葉のほつれに気づいた神木さんが聞くと、途端に知鶴さんは表情を曇らせた。
「明名…后遠寺明名も、私と同じ時の旅人なの」
「明名?」
思ってもみなかった答えが返ってきたように、神木さんは目を丸くした。
「もう何回もコウちゃんの時代から飛んでいるけど、明名は、今回初めて会ったの」
何回もというのは、知鶴さんたちの存在には決まりがあり、一年の間しかパートナーとは過ごせない。期限が過ぎれば、知鶴さんはパートナーから姿を消し、またパートナーもそれまでの記憶が消されてしまう。そうやって、知鶴さんは平成と昭和の時代を行き来してきたのだと言う。
神木さんには有無を言わさず、続けて言った。
「で、話を戻すけど、時の旅人っていうのはさっきも言った私たちの敵、I/Oが付けた呼び名なの。私たちのような時代を飛び交う使者…60年前についた私たちの特性。私は想造、明名は触点」
「じゃあ、俺にもあるのか?その特性とやらが」
「それはまだ解らないよ。適合者と出会わなければその力も発揮されない」
「適合者というと・・・さっき言ってた“通じた”未来の人のことか。昂介くんとじゃダメなのか?」
突然僕の肩に手を回してきた。思ってもみなかったので体を強ばらせた。
「昂介くんは私と通じてるから無理…」
その時、初めて知鶴さんと通じた時と同じように、一瞬体に電気が走ったような気がした。そして…
「え?」
「え?」
目の前が…世界が歪んで見えた。この感じ・・・。
「ど…どうして!?どうして涼輔とコウちゃんが!?」
一人取り残された知鶴さんは、僕たちのいたカウンターを見つめていた。