隣の凛子さん
4618文字。
ぐーたらな女子と、年下の男の子が書きたかったんだと思う。
「凜子さーん、凜子さーん」
105号室のチャイムを押した後にそう名前を呼ぶ。
この表通りから少し中に入ったところにあるメゾン三刻。大体の人間が、管理人さんの好きなマンガは何か言い当てる事ができるだろう。名前まるパクリだし。
「あ、純ちゃん」
がちゃ、と中から扉が開いた後に姿を現したのは凜子さん。
薄手のシャツに、ユニケロのリロコなんていうちょっとおしゃれなステテコを履いているそんな姿。
メイクも顔からさよならして、黒縁のメガネをかけている。本気のお部屋スタイル。
「中におはいりー」
そういってわざとらしく部屋の中に案内する凜子さん。
言われなくても入るし。部屋の中へぺたぺた足音を立てながら戻っていく凜子さんの背中を見ながら思っていた。
小さな玄関に目をやれば、もう汚いのなんの。
仕事用のパンプスであったり、ちょっとかわいい最近はやりのスニーカーだったり、今はもう履かないだろ。って感じの冬物のブーツであったりが散乱している。
ああ、ほんとに凜子さんって人は……なんて思いながら、僕はすすっと靴を揃えられるだけ揃えた後、凜子さんの部屋に足を踏み入れた。
凜子さんは、ベッドを背にテレビを見ている。
相変わらず、自分のまわりに何でも置くくせは治っていないようで凜子さんの周りには仕事用の鞄であったり、チャンネルであったり、さっきまで飲んでいたのであろう缶コーヒーであったりがすべて小さな机の上に置いてあった。
凜子ズルームのあまりの汚さに僕が突っ立ったまま頬をひくつかせている事に気が付いたのか、凜子さんは「あ、明日ちょうど片付けようと思ってて……」なんてコスメポーチからこんにちはしていたマスカラを、ポーチの中に押し込みながらそう言った。
「今日、ご飯食べに行きませんか」
「え、やだよ。純ちゃん、家に来てくれたんだからもう家で食べよう。めんどくさいじゃん。外に出るの」
凜子さんは、ね?と首をかしげながらそう言う。
僕はいま、凜子さんとこの店に行けたらなぁ。なんて思ってブックマークしていた店を、ブックマークから消すことを決意した。
……本当にこの人のぐーたらっぷり、どうにかならないのか。
「……じゃあ、家に何かあるんですか」
「……コーンフレーク」
「やですよ! 夜ご飯がコーンフレークなんて!!」
凜子さんは僕のその言葉に、コーンフレークおいしいんだけどなぁ。なんて言っている。
凜子さんのキッチンに目をやれば、地べたにコーンフレークが三箱ほどスーパーの袋に入ったまま置いてあった。おそらくストックなのであろう。
凜子さんは、料理がへたくそだ。
だから、凜子さんの部屋を訪れるときはいつも僕が料理を作っている。
年上の人と付き合っている、という話をすればみんな「いいなー料理とかうまいんだろうなー」なんて言うけど残念ながら凜子さんはそういうタイプではない。
僕は「夜ご飯、コーンフレークにしようよー」なんて言っている凜子さんを見下ろして、わざとらしくため息をついた。
僕は今日、二限のみの授業であったが、凜子さんはきっと普通に仕事もあっただろう。
まぁ疲れてるだろうし……なんていつも僕がいろいろ家事をしてしまうから、この人のダメ人間っぷりに拍車がかかっているような気が。
……ほんとこんな、ふにゃふにゃな人がOLなんかしてていいのか。といつも思うけれども……解雇されていないのだからそれなりにうまくやっているのだろう。
キッチンの方に目をやってみる。
そこには大量のカップラーメンの残骸が。……まぁ、洗ってちゃんと捨ててあるだけまだ成長したと思っていいか。
「凜子さん。ほかに何か無いんですか?」
「純ちゃん、コーンフレークを卵でとじるっていうのはどうかな!?」
「……すっごくマズそうですね」
僕がそういうと、凜子さんは「ええ、ナイスアイデアだと思ったのに」なんて言う。
どこがナイスアイデアなんだか。なんて思いながら、僕は鞄を床の上に置いた後にキッチンに向かった。
キッチンと言っても、本当に狭くて二人立てば限界の狭さである。
まぁ、ワンルームタイプなんだからこれくらい狭くて当たり前なんだけど。
小さな冷蔵庫を開けてみる。
ぶん、という機械音の後に、冷蔵庫内の明かりが鈍くともる。
……あるのは、大量のビールと、一個の卵と、スライスチーズと、コーンフレーク用であろう小さな牛乳パックと、ナイフが突っ込んだまままになっているマーガリンの容器と、スライスチーズのみ。あ、あと謎のキムチ。これでいったいどう料理をしろと!!
若干期待を込めて炊飯器を開けてみるが残念、やっぱりご飯が炊かれてたりなんて事はなかった。
せめてご飯があったら、キムチとご飯。なんていうのもありえたかもしれないのに。いや虚しいけど。
「凜子さん、ぜんぜん冷蔵庫にもの入ってないじゃないですか! 言ってくれたら買ってきたのに!!」
僕が少し大きめな声でそう言うと、凜子さんは「ごめんねー」なんて適当極まりない返事をしてきた。
どうしよう。何か買いに行くか。
そう思っていたとき、コーンフレークがストックされている袋の中に、食パンが入っている事に気が付いた。
いや、食パンを見つけましても、って感じなんだけど。
そんなとき、一人暮らしをしている友人のとある言葉が浮かんだ。
「キムチ、パンに乗せて食ったらおいしいよ」
あの友人のにやついた笑顔、忘れない。
僕はもう一度、冷蔵庫をばんと開けてみて、キムチの入ったパックを取り出してみる。
凜子さんは酒のつまみにでもしているのだろうか。プラスチックの容器をぱっととり、ぺりと蓋をめくれば半分ほどしか残っていなかった。
くんくん、と匂いを嗅いだ後に蓋の賞味期限を見てみる。オーケー、ちょっと賞味期限ぎりぎりだけどたぶん大丈夫。
「凜子さん、夜、キムチパンでいいですかー?」
僕がそう問えば、部屋から「キムチパンってなにー?」という返事が。いや当たり前か。
とりあえず説明しにいこうかな。なんて思ったとき、凜子さんがひょことキッチンに顔を出した。
「キムチパンって!?」
「え、いやなんか友達が言ってたんスけど……その、なんかパンの上にキムチ乗せて焼いたらうまいみたいな……」
「へぇ。純ちゃんよく食べるの?」
「いや、俺も食べた事ないんですけど……」
くんくん、ともう一度なぜかキムチの匂いを嗅いでみる。
凜子さんは「お酒に合いそう……」なんて目をきらきらさせる。
せっかくの家デートなのに、キムチでいいのか……なんていう思いは胸にしまって、僕はシンク横にキムチをどんと置いた。
凜子さんが「ほい」と言って食パンの袋を渡してくれたので、それを受け取ってキムチの横に置いた後、あ。マーガリンマーガリン。なんて思って冷蔵庫をもう一度開ける。
なんか勝手な思い込みだけど、マーガリンみたいな下地塗っておいた方がいいような気がする。するだけだけど。
マーガリンを塗っていると、冷蔵庫を覗いていた凜子さんが「これ乗せよう!!!」と目をきらきらさせながらとけるスライスチーズを取り出してきた。
「あ、それはうまそう……」
キムチの上でとろとろに溶けるチーズを想像。その結果何の異議もなく凜子さんの意見を採用。
キムチはすこしべちゃっとしていたので、小皿に出してスプーンでぎゅっと押し、水を切ってからパンの上に乗せる。
隣で凜子さんは「お・さ・け・お・さ・け」なんて言いながら、キムチの上に溶けるスライスチーズを乗せた。
空の無駄にスペース取ってる感が半端じゃない米櫃。その上に置かれたトースター。なんというか……本当に大胆な配置だな……なんて思いながら僕は、トースターの中にキムチパンを二枚入れて、きゅっとタイマーを3の位置にまで回す。
きゅううっと赤くなっていくトースターの中を見ていると、頬にひんやりとした感覚が。
「純ちゃん、はい。ビール!」
凜子さんが、冷蔵庫から出したてのビールを僕の頬に寄せてきていたのだ。
そういう、ひとつひとつの動作がかわいい……なんて言いかけたが、言えば負けなので「ありがとうございます」と言ってビールを受け取る。
ぷしゅ、と言う音がするので「ん?」と思って凜子さんの方を見れば、凜子さんはすでに腰に手を当ててごくごくとビールを飲んでいた。
「くはー!」
「……ななじゅうに」
9×8(くはー)=72なんていう、しょうもないビールを飲んだときのお決まり九九ネタ。
毎回振ってくる凜子さんも凜子さんだが、それにちゃっかり答える僕も僕か。
っていうか、凜子さんフライング……なんて思いながら僕はトースターを覗きこむ。
いい感じにチーズがぷくぷくと膨らんできている。
もうそろそろかな。と思ったのは凜子さんもだったらしい。コンビニでもらったロリックマ柄のお皿を二つ用意していた。
もういいか、とじじとタイマーを回せば「ちん」という音が。
トースターを開け、あついなんてパンに対してキレながら凜子さんの持っているお皿の上に乗せる。僕の分と、凜子さんの分。
お皿二枚とビールの缶を器用にもって、すたこらさっさとキッチンを後にする凜子さん。
僕もそのあとに続き、凜子さんと同じようにベッドを背もたれにして座り込んだ。
流石の凜子さんとて、少しは片付けたようで、お皿二枚を置くくらいのスペースはできていた。
「いただきます」
二人で手を合わせた後にそう言う。
凜子さんはすでに缶ビールを開けてしまっていたために、もう乾杯の儀式はぶっとばしてとりあえず二人ともキムチトーストにかじりつく。
口に広がる、ほどよい酸味と辛み。
温まった白菜はきもちわるいかと思ったが、そんな事もなくしゃくっとした感覚が心地いい。
みゅん、と延びるチーズにまでたどり着けば、まろやかな味が口の中に広がる。
キムチの辛みが、パンのちょっとした甘みにより中和されているのもいい。マーガリンじゃなくて、バターならなおさらよかったかも。なんて少し反省会。
とりあえず、いったんキムチトーストを置いて、ぷしゅ、とビールのプルタブを挙げる。
隣の凜子さんを見れば「うまー」と口を、はふはふさせながら言っていた。
ビールを流しこめば思う事は一つ。
キムチ考え出した人間マジ神。
「ひゅんひゃん、おいひー」
「……もぐもぐしながら喋らないで下さいよ……」
僕の肩にちょっともたれかかりながら、キムチトーストをはむはむかじる凜子さん。
キムチトーストを考えた純ちゃんすごい!やら天才!やらやけに俺をよいしょしている凜子さん。
本当は俺が考え出したのではなく、俺の友人が考え出したものであるのだが。
「純ちゃんには、ご褒美にキスをあげちゃおう」
それでも、そんなアホ丸出しの事を凜子さんが言うので、友人には非常に申し訳ない限りであるが、このキムチトーストの件については俺の手柄にしておきたいと思う。