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蛆虫の唄  作者:
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#06

 天野が先に立って、裁縫室の扉を開ける。大きな窓から伸びた退廃的な薄黄色の光が教室中を明るく染めていた。暖かい空気が廊下に流れてくる。

「ああ、えっと新入部員の……」

 落ち着いた声色が端の方に座っている少女から伸びた。僕らは扉を閉めて、彼女のところに向かう。

 奥二重の病的に白い肌の少女が姿勢を変えることなく、椅子に座っていた。緊張することもなく、驚くこともなく、首だけをこちらに向けて、小さく笑った。泣きぼくろが印象的だ。

 肩まで伸びた真っ黒な髪の毛と、これまた真っ黒な瞳が白い肌を浮き上がらせているのか、奇妙なコンテラストを感じさせる。例えではなくて、彼女は本当に日本人形じみていた。

「こんにちは。部員、ちゃんと参加してるの私だけで……。良かった、ちゃんと働いてくれそうな人が来てくれて」

 読んでいた文庫本に(しおり)を挟んで、彼女は手となり足となる労働者が増えたことを純粋に喜んだ。

 その回答に僕はどんな顔をしていいものか分からなかった。他の部員が来なくなったほどの酷使をキサマにも味あわせてやろうと宣言する相手に対して、どう反応するのが正解のだろうか。身構えるべきか、苦笑すべきか。

 僕らが沈黙し続けているのをどう思ったのか、彼女は微笑んだまま、腰を上げて僕らに寄った。

「えっと、ナニさんだったかしら? 部員が二人増えるってことは聞いてたのよ。ただ名前まではハッキリ聞いてなくて、ええっと……」

「先日、お会いしましたよね? 入部届取りに来たじゃないですか。一年の天野です、星熊センパイ」

「ああ、そうだったわね。天野さん、こんにちは」

 顔つきも声色も同学年か、後輩といった風だけれど、どうやら彼女は先輩らしい。天野のツッコミに悪びれることなく笑うあたり、言われてみればそんな気はする。

 ふと天野を見ると、天野はまだ何か言いたげだったけれど、諦めたように口を閉じた。彼女のことだから四六時中、誰かれ構わず毒づいているのかと思ったけれど、そうでもないらしい。もしかしたら先輩だからということを憂慮した結果なのかもしれない。

「で、こっちがもう一人の入部希望者の那智くんです」

「那智です。よろしくお願いします」

「君が、那智くんね。よろしく」

 白い手を差し出して、先輩は少し首を傾げる。僕は釣られてその手を握った。

 ははっと所在無さげに笑いながら握手をして、手を引こうと思ったけれど、先輩は僕を微笑んだまま、逃さない。それどころか、へえとかふうんと品定めするよう僕を見やがった。天野も特に止めようとはしないし、事前に変わり者であるということを聞いていたので、僕もしかたなく彼女に付き合ったが、手にぞわりとした違和感を覚え、それを見た。違和感の正体はすぐに分かった。彼女の親指だ。握手をしている最中、指というものは動かない。動くのは手首だけのはずだ。それなのに彼女は握手の最中、親指を僕の肌を“なめす”ように踊らせて、笑っていた。

 怖気だつ感覚に僕が手を引こうとしたところで、握手が唐突に途切れた。

「じゃあ、挨拶はこれで終わり。二人には簡潔に部活内容を説明するわね。園芸部は目標さえ終えていれば、昼寝をしようが、授業の予習をしようが、ゲームで遊ぼうが自由です。先生にバレない限りは、何をしようが知らないふりをしてあげる。目標はそれぞれ課題として出されます。今週のところは私が全て終わらせてしまったから、特にはないけれど、来週からは学校の花壇の世話、それと自分が担当する校内の菜園の研究を頑張ってもらいます。研究といっても毎日一回写真を取って、成長記録とかやったことをまとめるだけだから、簡単だと思うわ。花壇の世話も、水やりと雑草を抜くくらいのことしかしません。以上、説明終わり。何か質問はありますか?」

 あまりにも自然に手を離し、あまりにもとうとうと喋るものだから、僕も一瞬、今あったことを忘れた。でもしかし、確かに彼女は気持ちの悪い触り方をしたのだ。天野も目撃してもいいようなものなのに、やっぱり何も言わないあたり、先輩の悪癖なのだろうか。

 これが彼女の変人としての片鱗で、人がいなくなった理由ならば確かに説明がつくかもしれない。

 僕の驚愕を他所に天野が先輩に質問をした。

「発表会とかあるんですか?」

「あるわよ、発表。文化祭の時にここをちょっと飾り付けたり、大きな紙に成果をまとめるだけだけどね。私の先輩たちは焼き芋とかやってたから、そういうのもいいかもしれないけど、手間が掛かるからあなた達は嫌でしょ?」

「楽な方がいいよね、那智くん」

「まあ」

 しおらしく僕に同意を求める天野はまるで別人のようだ。先ほど僕を殴った人間と同一人物とは思えない。普通に仲の良い友人同士といった雰囲気なのが、逆に僕には恐ろしかった。

「じゃあ、発表会になにするかも決まってないし、今日はそれ決めましょうか。天野さん、パソコン部に行ってノートパソコン借りてきてくれる? 私と那智くんは準備室から以前の発表物を出してくるわ。確か前回のデータを保存したUSBメモリがあったはずだから」

「……分かりました」

 一瞬、天野が僕を睨んだ。なんだよ、僕はまだ逆らってないし、ちゃんと言われたとおり部活にも参加してやってるじゃないか。な、なんでそんな顔するんだ。怖いじゃないか。

 天野が出て行くのと同時に僕らは裁縫室の黒板横にある扉を抜けて、準備室に入った。上半身だけしかない布製のマネキンが三体ほど、僕らを出迎えてくれた。若干、埃臭いので、小さな窓を開けようとしたけど、鍵が錆び付いていて上手く動かなかった。廊下に面する目張りされた戸は触れるまでもなく、動かないだろうな。

「準備室ってなんか埃っぽいですね。それで、発表物ってどこにあるんですか、せんぱ……」

 僕はことさら明るく振る舞って先輩を見た。先輩はアレを持っていた。あの一度縫ってしまった糸をぶった切って、なかったことにする、アレ。先端が小さなナイフのようになっている二股のアレ。名前が分からないけど、それを握りしめて、僕をニヤニヤ見ていた。

 僕はそれを無視して、これかなあと素っ頓狂な声を出す。口にしてしまえば全てが終わってしまうような気がしたからだ。

「ホントね、どれかしら」

 棚を覗く、僕にしなだれるように先輩は僕に体重を預けた。今ほど天野を求めた時があっただろうか。いや、ない。

 嫌な予感がしてたまらない。心臓がバクバク動いてる。変な汗が出る。天野とは違う、なんだろう、変な圧力を感じる。先輩が先ほどのアレで僕の太ももをチクリと刺した。痛みに小さく声が出かけたけど、堪えて僕は捜索を続けた。また足をチクリと刺される。それでも黙っていると先輩はクスクス耳元で笑った。笑いながら狂ったように僕に突き刺すので、さすがに僕も痛みに悲鳴を上げた。

「か、か、か、可愛い。那智くん、可愛いなあ。那智くん、マゾよね。普通、こんなの刺されたら、怒るか、逃げ出すかするわよ。それなのに、那智くんは、痛い痛いっていうだけで逃げようとしない。まあ、逃げようとしても逃さないけどね」

「せ、先輩。なんでそんなことするんですか? 僕のこと気に食わないんですか? そうなら素直に謝ります。もう来ません。ですから」

「違うわ、とんだ誤解ね。私ね、さっき見た時から、那智くんいいなって思って。こんな綺麗な子、壊せたら最高だなって思って。今までの子はね、指とか折っちゃうとね、それでもう泣いちゃうのよ。ダメになっちゃう。ママーパパーって。そこから先が見えてこない。そこから先がないのよね。いくら繰り返しても、そうなんだから。そんなのつまらないでしょ? でもね、那智くんは違うって気がするのよ。一目見てピンと来たんだから」

「先輩、何言ってるか、あの、分かりません。天野も帰ってきますし、早く発表物を」

 そう言いつつ僕は自然な動きで準備室の扉の方に向かった。隙あらば、さっさと逃げ出すつもりだった。天野の帰りを待ってる時間は明らかにない。

 あれ?

「ああ、天野さんね、多分、三十分は戻ってこないわよ。パソコンの持ち出しには担当の先生以外にもいろいろな人のサインを貰ったり、使用目的を書かなくちゃいけないから。ああ、それで発表物がどうとかいってたけど、どうするつもりなのかしら?」

「……あっ」

 信じられないことに体が動かなかった。何をされたのか分からない。体が糸を切られたように動かなかった。いや、動くけど、上手く動かせない。なんだこれ。動かそうとすると、地面に吸い寄せられるように体がくの字に折れ曲がっていく。スプーン曲げのスプーンになったような感覚。

 仰向けの僕を先輩が見下ろしている。真っ白な歯を赤い唇の中から覗かせて、僕を見下ろしてる。天野を邪悪と表現したのは僕の間違いだったかもしれないというほど、彼女は邪悪に笑っていた。

 必死に呼吸を整えて、動こうとする僕を先輩は踏みつけ、メガネを取り上げ、手に持ったミシンを振りこの様して、あ、あ、やめ、あ。

 うぐっ。ぎ。あが。ぎゅ、ぎ。ぶ、ひっひっ、ひゃあ。あ、ごめ、やめ、いいい。ぎゅうう、ぐぐぎゅうう、あ、お、お、ぐ、うぶっ。

「あはは、汗かいちゃった。ね、天野くん、時計じかけのオレンジって映画は知ってるかしら? 私ね、子供の頃、あれを見たのよ。内容はね、あんまり覚えてないんだけど、若いチンピラたちがある一軒家に押し入る場面があるのよ。そこでね。チンピラたちは、雨に唄えばを口ずさみながら女の人を犯したわ。強姦したのよ、傷めつけながら、夫を縛りつけながらレイプした。女の人はそれが原因で自殺したわ。絶望と恐怖に耐え切れなくて、死んでしまった。あれが、私の中の原風景。いいたいこと、分かるかしら?」

 僕と同じように床に寝そべり、変な歌を口ずさみながら、彼女は僕の頬や耳をべろべろ舐めた。そして携帯電話を宙に浮かべて笑った。

「はい、天野くん、笑って。チーズ」

 白いフラッシュが視界を染める。何をされるんだろ。殺されてしまうのか。ああ、このしびれは先ほどの針の先端に何か塗ってあったのだろうか。数回刺されただけで、動けなくなる薬ってそんものあるのか? いやそれよりも顔が痛い。鼻が痛い。顎が痛い。骨が折れてるんじゃないかっていうくらい痛い。ああ、先輩が僕を脱がしていく。何かロープのようなものを僕の首に巻いている。ああ、そっか。犯されるのか、僕は。

 犯される。首を締めながら犯される。彼女の欲望を満たすためだけに傷つけられ、陵辱される。

「可愛いなあ。那智くんはやっぱり可愛い。これは本気になっちゃうなあ。本気で愛したくなっちゃうわ。この目も、腕も、足も、胸の皮膚も切り取って、家に飾りたいくらい素敵よ。のこぎりがここにあればなあ」

 それが恐ろしくて、現実として起こっているそれが恐ろしくて、死に至るほどの絶望を植え付けられるのが恐ろしくて、一生消えることのない恐怖を植え付けられるのが恐ろしくて、僕はブタのような声で鳴いて、泣いた。

 死にかけた虫のように蠢き、悲鳴を上げる度に、先輩は圧力を高めていく。ああ、先輩は僕の絶望と恐怖する姿に欲情しているのだ。僕が泣いて苦しむ姿に、そそられ、興奮しているのだ。そうか、だからこの部活には誰も来ないのか。こんなに異常だから。

 助けを呼ぼうと、逃げ出そうと僕は扉の方を向いた。隙間が開いている。小さくドアが開いていて、すっと上を見ると、あれ、天野潤がじっと僕を見てる。僕が殴られ、首を締められ、今犯されんとしてるところをただ、無感情に見ている。僕と目が合ってるのに見てる。フラッシュが焚かれている僕らを無感動に、無感情に見てる。

 え、なんでたすけてくれないの。

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