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蛆虫の唄  作者:
17/19

#17

 先日のデートから潤は人目をはばからず、僕との距離を縮めるようになった。別のクラスなのに、休み時間に顔を出す。お互いの距離がある時はケイタイからメールを飛ばす。合同授業なら、僕と付きっきりだ。席が自由なら率先して、僕の隣に座るし、親しげに話しかけてくる。

 日に日に増していく潤のアプローチに気づいたクラスメイトから説明を求められる中、僕が四苦八苦していると、どこから湧いたのか、潤が横から顔を出してぽろっと言った。

「なんでもないよ。ただ休日デートしたり、お互いに一緒のベットで寝たり、私が那智の裸を見たりするだけの関係だから」

 潤の発言に男子は嫉妬と羨望と怒りの色を強めて僕に微笑みかけ、女子は顔を赤くしながら、何かを想像し、ささやき合った。

 間違ってはいないけど、多分(たぶん)にそれは誤解を含む言い方だ。だけれど、じゃあどういうことなのかと説明するのは大変難しい。昼休み、説明責任を果たせと圧力をかけるクラスメイトから逃れるために、教室を出ると、潤が鼻先を赤くしながら立っていた。

「い、いつも那智って購買でパン買ってるでしょ? ああいうのって味気ないし、ね? ほら、体にも悪いと思うのね。だからさ、えっと、あの、今日ね、私、お弁当をね……」

 せめて人のない場所で言ってくれと思った。断るなり無視するなりして、通りすぎようかと思った。けれど、言葉が後ろに詰まっていく度に、潤の顔が不安に染まっていくのが僕には耐えられなかった。

「分かったから。断らないから、ほら、行こう。人が見てる」

 というか、あっけらかんと僕との関係を周りに吹聴するわりに、弁当を渡すことには羞恥と照れを覚えるというのはどういうことなんだろう。

 そんなことを考えながら歩き出した僕の制服の裾を掴んで、潤は不思議そうに首を傾げた。

「え? 私は那智の教室でもいいよ? ほら、外は寒いし」

「いや、僕がよくないから。クラスの連中の視線に耐えられない」

「ええ? 普段、あんなことしてるのに? 今更じゃん」

 だからやめろってやめてくださいみんな見てますから本当に。


 それから僕らは誰もいない教室に移動して、昼食を過ごした。一口ごとに味の心配やら、好みの心配をする潤に生返事を返しながら、飼い主に構われ続けるペットはこんな気持ちなのだろうと察した。

 昼食の空いた時間で、僕らは話しをする。意味のない話しも、今日の潤の距離の近さも、授業の話しも交えて、僕らは言葉を交わした。そこに驚きも、悲しみもなく、ただ互いの時間を共有しているという儀式的な意味合いが強くて、僕は我慢できなかった。

「それでね、その子ったらさ」

 午後の陽の光は、教室にたゆたう埃を光の粒のように見せた。神秘的な何かのように。

「潤」

「ん、何?」

 円な瞳を輝かせて、彼女はしおらしく首を傾げる。まるで小さな小鳥のようで、当初のナイフの先のような雰囲気はどこにもない。

 あの鋭さは僕への当て付けだったのだろうか。好きな男性が自分の理解できない女装という趣味に傾倒していることへの意趣返し。軽蔑も、失望も、健保もできないほど愛してしまっているから、ああいった返し方になったのだろうか。

 他人を傷つける罪悪を感じながら。

 あの鋭さのモデルは先輩だろう。確かに、先輩のように振る舞えば、他人の傷など感じないだろう。でもそれは、結局のところ真似であって、自分ではない。気づかないというフリにしかならない。

 潤、君は人のために悲しみ、人のために何かをできる人間で、他人を傷つけて平気でいられる人間じゃないんだ。傷つけただけ、悲しみを背負ってしまう人間なんだ。

「僕は君のこと、好きだよ」

 潤の白い頬にさっと赤みが差した。慌てたように彼女は目をそらして、手をバタバタさせる。

「な、何、どういうこと? どうしたの急に」

「君に好かれているということがね、僕には誇らしくすらある。君と一緒にどこまでいけたら、それは素敵なことだろうって。君と結婚したら、それは誰もが(うらや)むだろう。君の子供はきっと君に似て愛らしくて、賢くて、これっぽっちも僕に似ないんじゃないかな。でも、それでもきっと、それは幸福に違いない」

「え、え、え!? ……あれ、那智、何で」

 何で私のことを君って言うの。そう口が開きかけるけど、僕は止まらなかった。もうこれ以上、互いを苦しめるのはよそう。夢は醒めるから夢というのだ。現実があるから夢は夢で、小心地良い。

「でも、僕はそうならない。僕は君とはそうなれない。端的にいえば、僕は君を愛することができない」

 困惑と驚愕と悲しみと怒りを混ぜこぜにした顔で、潤は大きく口を開いた。でも声は出さない。出せない。言葉を失った人魚のように、その声はただ沈黙を吐き続けていた。

 たっぷり五分ほど待って、僕は彼女の言葉を待った。

「な、ち……え、あ、そん、いやだって、え? …………あ、あのさ、何か、私、間違ってた? 那智が気に入らないことしちゃったかな? ごめんね、悪いところがあったら直すからさ」

 視線は沈みがちで、顔は力ない笑みを作っていて、声だけは無駄に明るかった。拒絶されたということを早く、どこか遠い後ろにおいて、なかったことにしたい意思を感じる。ただの口論であって、最悪の状況などなかったのだと、すり替えたいという祈りを感じる。

 小刻みに震える肩は、察するまでもなく恐怖からだ。

「違うんだ、潤。違うん――――」

「――――直すからっ!! ……だから、ねっ?」

「潤、ごめん。僕はずっと悩んでたんだ。すれ違っていることに気づいていたのに、ずっと答えを後回しにしていた。もっと早くこうすべきだったんだ」

 潤にとって、僕は頼るべき相手だった。潤は僕の前では本当の弱い自分でいたがった。彼女は僕に依存していて、常に僕からの答えを待った。彼女にとって僕の女装癖というものは悪癖(あくへき)で、一過性のもので、いつかは消え去るものだった。それが間違いなのだ。間違いだったんだ。

 僕は潤に強制されたかった。僕は潤に全て決めて欲しかった。僕は支配されたかった。僕は強い女性が好きで、弱い彼女には魅力を感じてはいなかった。女装だって心の底から好きだと言えるものだ。

 潤のことは好きかもしれない。間違いなく大切には思っている。でもこれは愛じゃない。愛じゃないと断言できるほどの好きでしかないのだ。

 そういうことを伝えると彼女は怯えきった目で、席を立ち、僕の手を掴んだ。汗でべっとり濡れた手が彼女の心象を表わしているようで、僕は申しわけなく眉を寄せる。

「あ、あ、今から、そうするから。そうなるから、那智くんのいうとおりにするから、だからさ、私のこと、捨てないで。……捨てないでください」

 目だけが、強くあろうとしている。笑顔を作ろうと努力している。でも強張った唇から出た声は悲痛で、悲鳴で、祈りだった。きっと今ここで、僕が床を舐めろといえば躊躇なく、舐めるのだろう。そう思えるほどに、声は弱く、握る力は強かった。

「ごめんね、天野。そういうのが、もう、ダメなんだよ。ダメなんだ」

「嫌だ。嫌だよ、私は認めない。だって、お互い好き合ってるって分かるもん! 那智くんとなら幸せになれるって分かるのに、だってこんなっ」

「きっとそうだね、君と一緒なら幸せになれる。でもその隣にいるのは僕じゃなくてもいいんだ。僕じゃなくてもきっと同じ結果になる。君は素敵だから、そうなる。それは幸せなんだけど、何かが違うんだ」

 そこで初めて潤は嗚咽した。床に座り込んで、昔のように一人で静かに耐えるように嗚咽する。

 僕のことが分かるからこそ、もう言い返さないのだろう。僕は頑固で、強固に自分の意思を保つから、だから、ダメなのだと分かるのだろう。自分が(まじ)わらないと分かるから。

 教室の時計を眺める。もうそろそろ元の教室に戻らなきゃいけない時間だった。僕はそっと席を立つと、彼女を見た。

「…………」

 お弁当、美味しかったよとでも言えばいいのか。今までありがとうと言えばいいのか。さよならと言えばいいのか。よく分からない。ただ、今は沈黙こそが正解のような気がした。

 だから僕は泣き続ける彼女を尻目に、教室を出た。


 夕日と共に授業が終わる。一日が終わりに近づく。クラスの男子は相変わらず僕をやっかんだような態度だったけど、女子は既に情報が回っているのか、僕を見る目が冷たかった。

 鞄を手にとって部室に向かう途中で、潤と出くわした。心配そうに彼女に付き添う女子二人は、僕を見ると強く睨んだ。潤は何かを言おうとする。縋るように言おうと口を開く。でも、僕はそれを無視して、部室へと向かった。後ろから付き添いの女子がサイテーと言ったような気がしたけど、事実なので僕は特に言い返したりしなかった。

 部室に着くと、当然のように隅の窓際で、先輩が陽の光を浴びながら、微笑んでいた。当然、知っているんだろうな。

「あなたは誰もが羨むような素敵な女性を手ひどく振ったのよ。ああ、酷い酷い。あの子の何が不満だっていうのかしら。あの子がダメなら世の大半の女性はダメだと思うけど」

「先輩はこういう揺さぶりを予想して、僕に“愛について”の話しをしたんじゃないですか? 僕らの幸福が腐っていくのが間近で見られるようにって……」

「さあ? でも、もしそうだとしても、結果的にこうなったと思うわよ。その時というのが、立派なお父さんなっていて、もうどうしようもなくなっている頃かは分からないけれど」

 そうかもしれない。遅く気づくか、早く気づくかの違いなどだとしたら、早い方が良かったのかもしれない。いや、でも。

「この前の、デートの時も、先輩は僕に揺さぶりを掛けましたよね」

「そうかもしれないわね」

「星熊、はっきりしろよ……!」

「何をそんなに怒っているの? 君はもっと鈍い人かと思ったけど、そうでもないのね。女の子を悲しませてしまったということに、憤っている。違う? でもね、それは私に転換する責任じゃないのよ。よしんば私に悪意があって、私の悪意によって、気づいてしまったとしても、物事の本質はあなた自身にある。ここの心の臓にある。違う?」

 細く白い指先で僕の胸をつく。つかれた場所からヒビが入り、内側の何かが溢れてしまうかのような錯覚が一瞬、自分を覆い、僕は膝をついた。

 呆然としている僕に寄り添って、先輩は僕の頭をあやすように撫でた。

「よしよし」

「彼女を傷つけたくはなかったんです」

「うんうん」

「もっと早く気づくべきだったんです」

「そうね」

「ああ、僕はなんてことを」

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