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蛆虫の唄  作者:
15/19

#15

 駅の出入口付近の壁に背を預けながら僕は暇を潰していた。予定よりも早くついてしまったので、しかたなくすれ違う人々をぼんやりと眺める。政治的なことを熱心に叫ぶ団体から、笑顔を顔に貼り付けてティッシュ配りをする姉さん、足早にどこかへ向かう人。

 田舎町だというのに人が多い。都会というわけでもないのにこの人混みはなんだろう。東京とかはきっと想像もつかない数の人がいて、すれ違って、僕とまったく関わりなく生きたり死んだりしてるんだろうな。ちょっと気が遠くなる。

 彼らとはきっと一生、時間や思いや言葉を共有することはないのだ。例え、僕がこの三十分後に血反吐を吐いて、倒れたとしても、今側を通り過ぎたお姉さんは何とも思わないし、そもそも同じ場所にすら立っていない。それが酷く不思議に思える。

 言葉を共有するとか、誰かと何かを話すということは、それだけで凄く特別なことなんじゃないだろうか。さらに言えば、愛し愛され、信じ信じられ、想い想われる関係というのは、それだけで奇跡に近いのではないか。あまりにも奇跡が溢れているから、僕らはあまり考えないし、気づかない。でもよく考えてみると、それはとても素晴らしくて、幸せに満ちた行為なのだと思う。

 そういうことを開口一番に潤に言うと不愉快そうに眉を潜めた。

「そういうんじゃなくて、もっとさ、こういう時っていうことあるんじゃないの? 服似合ってるねとか、可愛いねとか」

 (せき)払い一つ、彼女は服を見せつけるように胸を張った。白いシャツにピンク色のカーディガン、群青色のスカートにカドケウスの杖のごとく二つの線がのたうったような柄の黒いタイツの姿は、いつもよりも大人しい印象だった。今日はフチの厚いメガネも掛けていて、何だか僕は品だとか清楚という段階を飛び越した“純粋”という感想を覚えた。いつもの大人っぽい印象とは遠い気がする。

「服似合ってるね、可愛いよ」

 何の冗談でもなくて、心からの感想からだったけど、彼女は頬をこわばらせながらにっこり微笑んで僕の耳元に唇を寄せた。

「ねえ、誰がそのままいえっていった? 殺すぞ」

「い、いやでもホントにそう思うよ! いつもとちょっと違くて、なんか言葉に出なかっただけで、でも何か潤らしいって感じがするよ。凄く落ち着いてて、自然体って感じでさ。うん、その赤いパンプスも可愛いね」

 声が少し裏返ってしまったけど、僕はことさら彼女を褒めた。その言葉が妙に浮いていたのか、潤は少し疑うような目で僕を見つめる。

「何か急に舐めまわすように見だしたけど、どーせ那智のことだから自分用にって見てるんでしょ? ああ、こういうのもいいな着たいなってさ」

「ち、違うよ。純粋な気持ちからだよ」

「……まっ、いいけど。あ、ねえ。でもこのタイツ可愛くない? 今日、このタイツとニーソックス風のタイツにしようか凄く悩んだんだけどさ」

 スカートを少しまくり上げて、彼女は黒い生地に収められた細い太ももを(あらわ)にした。流石の僕も少し動揺する。

「はしたないからやめなさい」

「なになに、心配とかしてくれるわけ? 大丈夫、この先は那智にしか見せないからさ」

「そうじゃなくて、僕がドキッとするから」

「え、あ、そう? そうか、そっかあ……!」

 潤はきょとんとした顔から、急にムズがるように顔を赤らめた。メガネのツルを両手の中指で押さえる様子は小学生の頃の緊張した時の潤の仕草のままで、少し可笑しい。

「何笑ってんのよ! もう!」

「いや、潤は潤なんだなって」

「何よ、急に余裕ぶったりして。ムカつく! ムカつくけど、何か、こういうのもいい……かな。普通っぽくてさ」

 りんごのように赤く染まった頬を緩ませて、潤は僕におずおずと白い手を差し出した。緩んだ目尻と唇からは普段の尖ったような雰囲気は感じられない。こうして見ると分かるけど、潤はやっぱり顔立ちがハッキリしてるし、スタイルもいいし、美人の条件を全部押さえてるんだな。

「私のこと、見過ぎ」

「ご、ごめん」

 鼻を鳴らして恥ずかしそうに笑う潤に押されて、やっと僕は彼女の手を掴む。そしてカラカラの喉から上ずった声をあげた。

「じゃ、じゃあ、行こう」

「うん」

 たどたどしい僕の靴音と、楽しそうな潤のリズムカルな足音と、頬の熱が僕の世界だった。

 行き先は決めていなかった。目的は特になかった。僕らはアテもなく彷徨って、意味もなく彷徨って、適度に言葉を交わして、服を買ったり、興味もなく楽器の店に顔を出したりした。笑いながら、騒ぎながら、時間と記憶を共有した。

 それから腕時計の秒針が天辺(てっぺん)で重なって、日本中の時計の針が重なって、僕らは昼食を取ることにした。

 ファーストフードのポテトでテカテカになった指を舌で拭いながら、潤は僕を見て意味もなく笑う。彼女の周りには大量のショッピングの袋。横にいて、何を買っていたのか見ていたはずなのに、何を買ったのか僕はさっぱり覚えていなかった。正直、荷物持ちにも疲れてて、似合ってるかな似合ってるよのやり取りにも少し飽きていた。家に帰りたい気持ちが早々に首をもたげ始めていたけど、彼女の嬉しそうに笑う顔を見ると、まあいいかなという気持ちになってしまう。心地よい退屈。

 労働の対価が笑顔だなんて博愛精神もいいとこだ。

「ねえ、那智。那智は先輩のこと……どう思う?」

「どうって?」

 言い出しにくそうに彼女は視線を泳がせた後、ジュースで喉を潤して、眼力(めぢから)を込めた。

「私って変わったと思わない?」

「この前、会った時の印象から?」

「違う。もっと前の印象から。具体的にはさ、小学校の頃の印象から」

「ああ、昔はもっとか弱い感じだったもんね」

「ねえ、それってどういう……っ。まあいいわ、あの頃から私、変わったのね。正確には変えられたっていう感じだけど」

「先輩が原因で?」

「そう、先輩が。昔の私はみんなの善意で何とかやっていけてた。ほら、鈍臭かったじゃない、あの時の私って。私が何かをミスしても誰かが、潤ちゃんならしょうがないって感じでフォローしてくれたりね。先輩はそういうのが気に食わなかったみたいで」

「ああ、なんとなく分かるよ。あの人っぽい」

 先輩はあの品のある顔で詰め寄ったのだと潤は語った。あなたは周りの善意に甘えていると、他人の好意を当然のものとして、何も与えず、与えられているだけなのだと。与えられることを当然のようにしているのだと。怯え、悲しむ潤に光悦とした笑顔を浮かべながら。

「それで先輩はいったわ。もしもある日、急に周りの人が何もしてくれなくなったら、あなたはどうするのって。誰も助けてくれなくて、あなたは独りぼっちになったらどうするのって。今、この瞬間からどうにかしなければ、何にもならないわよって。だから私は自分で立って、歩けるようになった。勉強もしっかりして、周りに頼る私じゃなくて、周りから頼られる私にならきゃって思ったわ」

「先輩はさ、他人の苦痛な顔を見るのが好きなんだよ。生粋のイジメっ子だ。だからそうやって理詰めで、追い詰める。別に潤の生き方が悪かったってわけじゃないし、潤の生き方を本心から咎めたかったってわけじゃないと僕は思うよ」

 ストローの包み紙を折りたたみながら、彼女は頷いた。

「そうね、今になってみればそうだけど、やっぱりまるっきり違うわけじゃない。それが本当のことだったからこそ、私には凄く怖い言葉だった。誰かに見放されることなんて想像してなかった私にはね。先輩の言葉はまさしくカルチャーショックだったわ」

「でも、今、こうして変わったんだろ?」

「……変わったけど、でもやっぱりね、時々自分の弱さを見ると、ダメなの。クラスの派手な子と話してて、時々、何で私はこんなことで笑ってるんだろうって冷静になる。何が楽しんだろうって。根本じゃ、何も変われてないんだよ、私。本当は弱いってことを知られたら幻滅されちゃうんじゃないかって、怖がってる」

 潤は僕に視線を合わせることなく、ひたすらストローの包みを弄って、手元を遊ばせていた。彼女は不安が手に出るタイプなのかもしれない。

「今日ね、本当はもっと今風でオシャレな服にしようと思った。メガネなんてダサいし、気弱に見られるじゃない? アナスイのワンピが可愛かったから、それにしようかなって」

 では、何故、今日はそんなに落ち着いた服なんだろう。メガネだってどうして。

「それでも今日、こんな服を選んだのはね、那智に全てを受け入れて欲しくて。本当は弱い私を受け入れて欲しくて。本当の私ならこういう服装を好むから。……だから。あの時、那智に頑張れって言われた時から全然、私は変われてない。でもそれが本当の私だから、だからね、せめて那智の前では自然体でいたいって――好きな人の前では自然体でいたいって思うの。本当の私を受け入れて欲しいって」

 相変わらず潤は手元で包みを折りたたんだり、千切ったりしている。目立った動揺は見られないけど、でも、悲しいくらいにメガネの奥は揺れていた。瞬きに揺れていた。

「那智を先輩に取られたくない。でもね、一方では分かるんだよ。先輩は強いから惹かれる気持ちも凄く分かる。だから余計に辛いんだけど」

 力の差を見せつけられているようで、と力なく笑う彼女を言葉通り、力がないと思ってしまう僕はとても残酷だ。

 何か言わなきゃ。何か言ってあげなきゃ。それを彼女も望んでいる。

「あっ、あっ」

「え、何?」

 目をことさら大きく開いて彼女が僕の唇を見つめる。僕の回答を待っている。遠回し遠回しにしてきた僕の言葉を。

 言わなきゃ、言わなければならない。でも僕はそれを言いたいのか? 僕はそれを本当に望んでいるのか?

 見えない先輩の影が僕にまとわりついて囁く。

 ――愛って何かしらね? 優しさや同情は愛? ならきっと愛は優しくないのでしょうね。

「あとで映画でも見よっか」

「…………うん、そうね。このあと映画、一緒に見よう」

 張り詰めた糸が切れるように、潤は肩の力を抜いた。瞳には微かな失望が見て取れたけど、僕は分からないフリをした。

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