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蛆虫の唄  作者:
14/19

#14

 僕は二つのことを潤に約束した。君と心が繋がっている以上は僕は潤のものであり続けるということ。潤が僕に答えてくれる以上、僕も君に応え続けるということ。

 鋭い鼻先を真っ赤に染めながら、不服そうに潤はそのことに同意した。確かな事実が欲しいのに、より曖昧な精神的契約では彼女の不服も当然と言えた。

 それでも納得したのは、それが告白めいていたからだろう。今よりもずっと距離が近づくものだったからだろう。恋人とは呼べないままも、それなりに親しい何かになれたことは確かだった。

 そう思っていたところで、そう信じていたところで、僕が先輩と不穏な空気になっていたとしたら、確かに彼女としては気分の良いものではない。

「ついて来ないで、一人にして」

 潤はそういって自宅へと足を向ける。

 僕はどうしようもないと思い、また明日と告げて身を翻した。しかし、数歩進んだところで肩を潤に掴まれた。

「……普通、こういう時は女の子が何いっても一緒にいて慰めるものでしょ」

 下から睨み上げるように、恨みがましい視線を込めて、彼女は僕に言った。

 彼女の気迫に圧されて、僕はコクコクと首を振って頷く。釣られるがまま手を引かれた先は公園のベンチだった。夕暮れ時に迫る時刻だからか、周囲にあまり子供はいない。

 僕は何をしていいものか分からなくて、暇を弄ぶだけだった。何か気の利いたことを言いたいものだけど、そんなことができる知能があったなら、こんな事態にはなっていないと思う。身の丈を知る僕としては沈黙が最善の行為だと判断する。

「那智は可愛い女の子なら何でもいいんでしょ」

 目を赤くした潤が、これまた恨めしそうに僕をじっと睨んだ。

「そんなこと、ないよ」

「あるじゃん。だって、自分をあんなにボコボコにした先輩でもいい感じになったら、これでしょ?」

「一応、弁明させてもらえるかな。僕、何もしてないよ。確かに先輩の空気に呑まれそうになったけど、まだ何もしてないし、あの先、何もなかったかもしれないだろ? 先輩のジョークで終わったかもしれない」

「そういう空気が既に駄目じゃないの? そういう空気になるっていうことが既にもうおかしいでしょ」

「疑わしきは罰する、みたいな空気、僕は良くないと思う」

 軽口を叩いてみる。潤が即座に舌打ちを返してきたので、どうやらそういうことが許される空気ではないらしい。

「潤は私のことなんて、どうでもいいわけ?」

「どうでもいいことなんてこの世に、存在しないよ」

「分かった。那智は私を好きだって、私個人のことを想っているんだっていう回答をさっきから避けてるよね。それはアレ? この前いってた、好きになったら嫌いになるということを考えなきゃいけないからっていう奴?」

 ヒステリーを装いながらも明確に僕の心理を探ってくる辺り、流石だなと関心する。こんな僕を好きだと言ってくれるだけあるものだ。

 僕は嬉しくなって、潤の頭をそっと撫でた。

「そんなので誤魔化されないからね」

 そう言いつつも、少し耳が赤い。指先で触れてみると潤の耳はやっぱり熱かった。

 潤の頭を撫でていると、潤の軽蔑めいた無表情顔が和らいでいく。それが嬉しくて、僕は両手でおにぎりを結ぶようにコロコロと彼女の顔を撫でまくった。

 潤は恥ずかしそうにされるがままだったけど、頃合いを見計らって、僕の手を握って止めた。ああ、やっぱりこのまま誤魔化すことはできなさそうだ。

「いくら那智が大丈夫だっていったって、私と心で繋がってるっていったって、結局はこうなっちゃう。誰かに取られちゃう。なら、やっぱり私にも那智にも、互いを好き合ってるんだって“自覚的になれる行為”が必要なんじゃないの? 那智が私のことを好きだっていうことから逃げてるから、今日みたいな隙が生まれるんでしょ?」

 全部、おそらく「そうだろう」という机上の空論の上に空論を重ねたヘンテコな仮定に過ぎない。自覚的になる行為とやらをしたところで、避けられない状況は避けられない。どんなに潤のことを好きになって、彼女を愛しているという自覚を持ったとしても、起こることは起こる。別れはいつか訪れるものだ。安全運転を心がけても、突発的な事故は避けられないように。

 そんなことを言ったとしても火に油だと分かっているから、僕はただ黙ってそうかもしれないと曖昧に頷いた。

「那智は――だから――でしょ!? 結局――で、先輩が――なの。でも、私は――って思うの! 好きだから――」

「うんうん、そうかもね」

 潤は身振り手振りで、精一杯自分の思っていることを相手に伝えようとしている。僕ならどうでもいいかなと思ってしまうことも、僕ならまあいいかと我慢してしまうようなことも、彼女は納得せず、声に出さずにはいられない。少しその情熱みたいなものが羨ましくすらある。

 僕は少し鈍いのかもしれない。あるいは没交渉過ぎるのかもしれない。他人と感情を共有したいとはあまり思わないし、思えない。

「だから明日は、デートしなきゃいけないと思うの」

「うんうん、そうだね」

「え、ホントに? てっきり那智のことだからダメっていうかと思ってたのに」

 思いがけないサプライズに喜ぶ子供のように潤は大きな瞳をより大きく膨らませた。僕は反復行動のように頷いたあと、少し考える。

「うんう……えっ、何が?」

「あ、あっ! で、でもそんなのでダマされないからね。那智が今日、先輩とあんなことして、私を傷つけたことは変わりないんだから。私、すっごく怒ってるし。でも那智がどうしてもっていうなら」

 眉を寄せて語尾を強める彼女の唇は喜びに緩んでいる。

 え、デート? 何でそんなことになったんだろう?

 どういう過程を経て、そんな結論に至ったのかと、僕が質問をしようとしたところで、潤が唇を割った。

「……で明日、どこ行く?」


 あんなに期待に満ちた潤に「いや、別にどうしても行きたいわけじゃないし、どちらかと行きたくない」なんてことは流石に僕でも言えなかった。

 それにあの場でそんなことを言えば、急速に軟化した態度を豹変どころか爆発させて、僕を殴打し始めるだろうことは想像に難くない。公園は憩いの場であって、バトルスポットではないのだ。そんな場面は子供の影響にもよろしくない。

 家路へと足を進ませながらポケットの中から先輩に貰ったクッキーを取り出す。包みを破いてみると、バターに似た濃厚な匂いが鼻孔をくすぐった。かじろうとして、視線に気づく。ハァハァと息を切らすラブラドールレトリーバーが一軒家の背の低い生け垣からこちらを覗いていた。

「ほら、お食べ」

 投げたクッキーを軽やかにキャッチして、犬はすぐさま咀嚼を始めた。尻尾を振る姿が愛らしい。

 ある動物学者によると犬には主人を絶対に変えることのない種類と、主人を定めない種類のものに別れるとのことだけど、こいつは一体どちらなのだろう。そんなことを思っていると、犬がアワを吹いて倒れた。

「え、嘘だろ……?」

「小型犬だったら危なかったけど、大型犬なら大丈夫。ほら、全部食べきってないし」

 先輩が当然のように僕の横に並んでそう笑った。

 身震いするような恐怖と共に、ああと声が漏れた。もしクッキーを口にしていたのが、あそこで倒れている犬ではなくて僕だったら。

 そうなれば先輩は今と同じように微笑みながら僕をどこかへ連れて行ったことだろう。あるいは部室で、そうなっていたのかもしれない。

「先輩……」

「那智くんが食べてくれたらなって思ったけど、案外上手くいかないものね。あっ、那智くん喉乾いてない? コーヒーがあるのよ。大丈夫、さっき買ったばかりだから」

「口が既に開けてあるんですけど」

「うふふ、冗談よ。いくら私でも三度も同じ手が通じるだなんて思いはしないわ」

 冗談と言いつつも、何も入れてはないと言いつつも、先輩はコーヒーに口をつけたりはしなかった。道路の端に置いて、捨てていくようだ。間違いなく、コーヒー以外の何かが入っているのだろう。

「そういえば明日、デートという噂だけど」

「噂も何も、どこかに隠れて聞いていたんじゃないんですか?」

 まさか、と先輩は愛嬌のある顔つきで笑う。

 そのもっともらしい仕草がどうにも僕には信用できなかった。何をされてもいいように身構える。効果的なのは叫ぶことか。

「いくら私でも公園のベンチに座る男女の睦言を盗み聞きするような下衆な真似はしないわ」

 どこかに隠れて見ていたことは否定しないらしい。

「さっき天野さんから明日、那智くんとデートをするという内容と、抗議をする有無の内容のメールが送られてきたから。正直、少し羨ましいわ。ああ、でも私、人のものは取らない主義だから安心して。ただずっと待ってるだけだから」

「…………待ってるも何も、先輩はそういいながら、もう何度も未遂を起こしてるじゃないですか」

「だって、那智くん、スキだらけなんだもの。可愛くて可愛くて。それに、那智くんは別に天野さんのこと好きじゃないから、これくらいの粗相は別にいいでしょう?」

「えっ」

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