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蛆虫の唄  作者:
10/19

#10

 光に引き寄せられる虫のように僕らはコンビニの光に向かって歩く。僕は何度目になるか分からないワガママを零す。しゃがんで、目に涙を貯めて首を振る。

「ぜ、絶対無理だって。僕、何度もあそこのコンビニで買い物してるんだってば」

 潤はその度に膝を(そろ)え、僕の視線に合わせて、笑った。

「那智、大丈夫だから。あの時に買ってあげたその服だってすごく似合ってる。夕飯の時もそんな風にグチャグチャだったけど、結局乗りきれたでしょ?」

 確かに潤の言葉は理屈立っているよ。論理的だ。実績があるのだという説明は確かに正当なものだろう。でも、やはり、ここでリスクを負っているのは僕という一人の人間で、そのリスクは僕の許容量を遥かに超えている。

 考えても見てほしい。自分の生活している領域内で、生まれ育った町で、異常性癖の持ち主だと後ろ指を差される気持ちを。そんなものに耐えられる人間はそうそういない。正常な意識があるのなら、リスクを避けて正体がバレても問題ない場所でやるか、そもそもリスクを犯さない。

 石を投げられるのは嫌だ。うろんな目で見られるのは嫌だ。両親の悲しい顔を見るのは嫌だ。友達や友人や先生から軽蔑されるのは嫌だ。

「那智、そんなに汗流してたら、お化粧落ちちゃう。ああ、良かった。目元は汚れてない」

 ハンカチで僕の額を拭うと、潤は手首の水玉模様のシュシュで一旦自分の髪をまとめた。続けて、家から持ってきたファンデーションを使って汗で濡れた部分を修正に掛かる。

「大丈夫、那智がもしもバレちゃっても私が守ってあげるから。庇ってあげる。みんながオカマ野郎って罵っても、私は笑っていてあげるから」

「……それは庇ってるっていわない」

 パチリとコンパクトの蓋を閉めて、潤は僕に手を差し出す。白く綺麗な手だった。

「それでも誰も自分を肯定してくれないよりはマシよ。そうじゃない?」

「潤は僕を面白がってるだけだろ」

 潤は鼻唄を奏でて僕の言葉を無視した。引っ張る手は力強くて、握る手は力強くて、少し汗ばんでいるけど、群青色の暗闇の中で微かに光る顔はとても上機嫌に見えた。

 街灯を過ぎる度に一瞬だけ、数秒だけ、顕になる彼女の真っ直ぐ伸びた視線に少し、僕は見惚れた。彼女は化粧をしない。僕とは違って化粧をするまでもなく、美人だ。化粧などしなくても十分だということを彼女自身が自覚していることが、自信に満ちた表情から読み取れた。足取りはいつもしっかりしていて、背筋はピンと伸びている。

 冷静に考えて見ると、僕は人生の絶頂にいるのではないだろうか。僕はきっとこれからどんどん成長していって、化粧も似合わなくなり、服も着れなくなってくる。その過渡期に僕を面白がり、僕の趣向を認め、僕を美しくしてくれて、なじりながらも側にいてくれる天野潤。性格と精神は破綻しているけれど、とびきりの美人だ。これはとてつもなくラッキーなことなんじゃないだろうか。とてつもなく幸福な一瞬を生きているのではないだろうか。

 ぼんやりと彼女の横顔を後ろから眺めていると、潤は僕に振り向いて笑った。ずっと見ていたことが少し恥ずかしくて、僕は似合わない愛想笑いを浮かべる。浮かべながら、あっと声が漏れた。彼女の笑顔の向こうでコンビニの自動ドアが開いたからだ。

「あ、あ、あ」

 急激に腰の力が抜けていく。急激に顔に熱が集まる。店員がチラリと僕の目を見た。僕はすぐさま逸らして、潤の腕に隠れるように縋りつく。バレたかもしれない。変に思われたかもしれない。どうしようどうしよう。心臓が破けてしまいそうだ。

 潤は僕の手を強く引いて、デザートのコーナーに向かった。どれが美味しいかなんってどうでもいい会話を僕に投げつける。さっさと下着を買って帰りたくて、僕は潤の服の裾を引っ張った。

「どうしたの那智? え、さっきの店員さんが那智のこと見てたって? ウソー、那智に気があるのかなあ」

 僕は一言も喋っていないのに、潤は僕が喋った(てい)で大げさに言った。音量としてはそこまでではなかったとは思うけど、僕としてはキツイ。何より、僕の本名を使われたということが胃に響いた。彼女の言葉が店内にいる全ての人間に届き、全ての人間が僕を見ているのではないかという恐怖に足が笑い始める。その中の一人でも、僕という本来の姿を知っている人がいたら。そう思うと、いても立ってもいられない。手先が氷のように冷たくなって、痺れていく。

 僕はもはや歩いているというよりも、潤の腕にしがみついているという風だった。

「那智、顔赤いよ。どうかしたの? 生理?」

 いつも以上に優しい口ぶりで、潤は僕を気遣った。真昼の日差しに意識を落としかけてる猫のような笑みを携えて、僕を案じる。でも、その本心は真逆だ。全く僕を気遣っていない。悪意と、嗜虐心しかない。

「はやく」

「んん? 声が小さくて聞こえないけど、どこか痛いの? ここ?」

 潤はおもむろに僕の尻を(まさぐ)って、耳を噛んだ。

「あ、わっ!」

 自分の悲鳴に僕は慌てて、自分の口を塞ぐ。唾液が少し口から零れたけど気にしない。それよりも周囲の確認の方が優先された。

 背後に視線を感じて、僕はそっちを見る。飲み物コーナーにいた大柄の男が僕を見てた。何をしてるんだと言いたげに僕を見ている。潤もそっちに気づいた。気づいた後、にこやかに笑い、僕の両手首を後ろから掴んで、左右に振った。なんでもないですよとメッセージを込めて。

「那智、笑え。とにかく笑え。変だと思われるから、今は笑え」

 満面の笑みを浮かべながら、潤は僕の耳元で囁く。僕は命令通り、笑った。目に涙を溜めながら笑う。

 なんでもないんですよ、ちょっとふざけてただけですよと笑う。

「あっ」

 笑う僕の体を急に反らすと、潤は僕に口付けをした。舌が唇を割って入ってくる。手で押し返そうにも、潤に握られたままで、男がポカンとした顔で僕らを見ていて、潤は楽しそうに僕を見ていて。

「わらへ。なひ、わらへ」

 僕の唾液を舌先で絡めとり、飲み込み、口から溢れさせながら、潤はそう言った。虫の命を弄んでいるようなそんな加虐的で、嗜虐的な顔で、僕を見つめながら。

 潤の命令通り僕は赤ら顔で、笑う。男に笑う。男も顔を真っ赤にして、ただ呆然と僕らを十秒たっぷり見つめていた。

 舌を僕の唇から引き抜くと、潤はまた男に満面の笑みを見せた。僕の首に口づけしながら、僕の股のあたりを撫でながら、笑う。男の方ももうどうしていいのか分からないといった風に苦笑が混じっていた。

「ほら、那智も笑いなよ。あの男、那智で勃起してるんだよ。ほら、今日一番のエロい顔してあげなよ。せっかく付き合ってくれたんだしさ」

「……うん」

 僕は少し息を吸って、ゆっくり吐き出しながらありがとうと唇だけで伝えた。首を傾げながら、ゆっくりと唾液を噛みしめるような、唾液が糸を引くような淫売さを込めて、唇を動かす。

 伝え終わると男は瞼を何度も瞬かせながら、慌ただしくケイタイを取り出した。写真か、連絡先を聞こうというつもりなのか分からなかったけれど、潤が胸元で作るバッテンを前に大人しく引き下がり、僕らの方をじっと見つめながら、何も買わずに店を出て行った。

「何アイツ、見るだけにしとけっての。童貞かな? ああ、童貞なら那智で筆下ろしさせてあげれば良かった。ねえ、那智? あっ、きっとアイツ今から那智でオナニーするんだよ。あの子、可愛かったなあって」

「嫌だよ、そんなの」

 僕は肩ひもを元に戻し、口元を手で拭った。べっとりと誰のともつかない透明な液体がついていた。口紅はきっと荒々しく乱れてしまっているだろう。潤の口にも僕のがついてるし。そのことに彼女も気づいているはずなのに、態度は相変わらずあっけらかんとしたままだった。

「別にいいじゃん、オナニーのネタになるくらい。那智が可愛いってことの証明みたいなものじゃない? ねえ、さっきから何怒ってんの? チューがそんなに恥ずかしかった?」

「そうじゃなくて、男と寝るなんてやだよ。僕は、その、潤のモノだから、潤以外の誰かに触れられるのは嫌だ。僕は潤以外は認めないし、潤以外に、ぼ、僕を自由にさせない」

「……ああ、そ、そう。へえ、そう」

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