#01
10話くらいで終わらせる予定。フェチズムとか耽美主義とかそういう話し。
彼女が僕の家に来たいと言った時、無表情を貫いてた流石の僕も、動揺した。悲壮に満ちていたのか、恐怖に歪んでいたのかは分からないけど、彼女の赤い唇は不気味なほどつり上がってたように思う。これ以上、関わり合いになるのは嫌だったし、そうするべきではないのは自明の理で、誤魔化して、時間がことを風化させてしまうのを待つ以外、僕の生きる道はなかった。暴力に訴えてでも、逃げるべきだったのに、何で僕は彼女を家に連れてきているのか。
「うちの息子がこんな綺麗な彼女を連れてくるなんて」
そういって喜ぶ僕の母の感情に薪をくべるように、彼女は「那智くんのお母さんがこんなに若くて綺麗だなんて羨ましいです」と愛想よく笑う。ハーフアップの髪が笑い声に合わせて短く蛇行するのを僕はぼんやりと眺めた。
どうしていいか分からない。危機的状況とメロドラマのような平和的な風景が現実感を遠い彼方に投げ捨てていて、僕は笑った。
「ははは……あっ」
笑ってから気づく。ああ、そうじゃない。そうじゃないんだ。彼女を僕の部屋に連れて行かないと。
彼女。天野潤。背は僕よりも少し高いから、平均的な女子より身長は高いはずだ。刃物で布に切れ目を入れたような鋭利な目元は、ウチの学校の三大ドエスと言われるだけあって、非常に挑戦的な形をしている。どこか侮蔑を含んでいるというか、全てを見下しているというか。もう一人の三大ドエスに数えられる三組の姫野さんが動じることなく動物の首を絞めるような女性とするなら、彼女は極限まで相手をいたぶって、絶望に満ちた瞳に垂涎するような女性という感じだろうか。
とにかく彼女は全てを嘲笑していて、小馬鹿にしていて、自分を絶対的なものと信仰しているに違いない。
昔はそんな子じゃなかった。大人しくて、クラスの脇で、いつまでも食べきれない給食を泣きながら口に押し込んでいるような子だった。
「やだ、部屋に連れ込んでどうする気?」
「お前が来たいっていったんだろ」
「“お、ま、え”? 私に、那智くんはお前とかいっちゃうんだ。へえ、ふうん」
天野は少し顎を上げて含んだように笑った。僕は途端に恐ろしくなって、いやとか、えっととか、今のは違うんです事実を述べただけですよ、と言い訳じみた態度を取ってしまう。
彼女との力関係は完璧に出来上がっている。当然それは僕が下で、彼女が上だ。
「綺麗な部屋だねえ。なんでもあるって感じ。ノートパソコンがあってさ、本棚があって、暖房器具があって、ベットがあって、心配してくれるお母さんがいて、それなりに立派なお父さんがいて」
天野はそういいながら壁伝いに僕の部屋を歩く。僕は僕という人間を形作った世界を犯されているような気持ちになって、震え、息を浅くした。
彼女がベットにたどり着く。スカートがシワにならないよう、軽く伸ばすように撫でて座った。外見通り上品だったが、目だけはどこか獣のようで。
「成績もそれなりに優秀で、友達の信頼もあって、学校での評判も悪くないのに、どうしてあんなことしてたの?」
タカが首をくくっと傾げるように、彼女は立ちすくんでいる僕の顔を覗いて笑った。彫りが深くて、シミひとつない肌は滑らかで美しい。告白をよくされているという噂も本当なのだろう。
「どうして」
僕の口からそういう音が漏れた。溢れるように漏れた。言葉ではなくて、音として漏れた。姿鏡にふと目をやると、情けないメガネの男が後悔たっぷりにこちらを見つめていた。
「ねえ、どうして?」
その向こう側で天野潤が悪意たっぷりに僕を見た。
環状線をまたいで、ローカルな路線に乗る。電車はオモチャのような外観に反して、乗ってみるとしっかり電車然としていた。増改築がされているせいか、ところどころ近代化されているけれど、整理券を取らされるところなんかは、流石に古臭さを感じる。支払いをする時は電車の運転手がいちいち運転席から出て、整理券と運賃を受け取る場面なんて、まさに田舎という感じだった。
目的地はそう遠くない。駅から歩いて十五分くらいのところだけれど、景色や町並みに面白みがなくて、ショーウィンドウに反射した僕の顔は早くも飽々としていた。でも、胸の奥では興奮が渦巻いている。色あせた景色がより僕の興奮を高めいるかのようだ。
僕の側を通り過ぎる車の男がチラリと僕を見る。色黒の高校生らしい青年が僕を眩しそうに見る。それだけで僕はおかしくなりそうだった。
「ふふっ」
目的地の大型デパートの入り口付近には小さな屋台が並んでいて、たい焼きやら、たこ焼きやら、焼き鳥やらを販売してた。帰りに買っていこうなんて思いながら、僕は自動ドアをくぐる。
母親に手を引かれた子供がすれ違いざまに僕を見た。通り過ぎる人々が僕を見る。僕はその快楽の波に耐えながら、二階の女性の服を販売しているコーナーに向かった。今着ているものとは違う、“新しい服”を買う為に。
僕の趣味は女装だった。きかっけは深夜に差し掛かった頃に見たバラエティ番組だった。同性愛者らしき、どう見てもおじさんという顔つきの男性たちが女性物の服に身を包みながら身の上話しや、恋の話しをしているところだった。
「何でこのおじさん達は化粧なんてするんだろ。する前もする後も変わらないだろうに」
そう呟くと、テーブルに肘をついた母が眠たげに答えた。
「化粧は栄える、栄えないがあるからねえ。化粧が栄えないけど、すっごく美人の人だっているし、十人並みだけど化粧の栄える人だっているものよ。どっちも綺麗になりたいっていう思いは同じなのに残酷ね」
そもそもの質問に答えていなかった。それは母の化粧に対する感想や印象であって、僕の疑問に対する適切な回答ではなかった。でも、それが原因で、きっかけで、ある種の因果のようなものだった。
僕は思ってしまったのだ。果たして僕はどちらの人間なのだろう。そんな疑問を。
気がつけば、あの後すぐに注文した通信販売の化粧道具を片手に、鏡の前に立っていた。これはジョークなんだと言い聞かせながら、僕は汗ばんだ手で唇にグロスを塗った。化粧の仕方は事前にネットで調べていた。
「うわっ、テッカテカ」
笑う。これは冗談なんだと笑う。経験としてこんなことをしてたんだと笑う。他のは使うことがなかったな、さあティッシュで拭き取ろう。そう言い聞かせて、ふと鏡の位置をずらす。鼻の上から先が消えて、顎と唇まわりだけが鏡に映った。ツヤのある薄桃色の唇。
端的にいって美しかった。それが僕の中の何かに火をつけた。
せかっくだからと僕はカツラを被ってみる。せっかくだからとファンデーションを手を付けてみる。薄くチークを入れて、アイラインを引いて、マスカラを乗せる。
気がつけば鏡の前には女の子がいた。顔を赤くして、今にも白く甘い息を吐き出しそうな乙女が。おとなしそうな栗毛色の乙女が。
鏡の前で僕は微笑んでみる。ウインクしてみる。
ああ、これは。これはマズイと思った。贔屓目に見ても、僕は可愛かった。化粧の才能があるのか、化粧が乗るタイプの人間なのか、分からない。ただ、僕はこれをきっかけにのめり込んでいった。服を通販で買って、誰もいない家の中をうろうろするだけでは飽きたらず、外に出ようという気持ちなって、それが今や、遠い田舎町のデパートで服を試着するという行為にまで発展していた。
試着室でワンピースと格闘しながら、僕は頭のなかでこれは犯罪レベルだぞと自分の理性に語りかける。もう一人のバカな僕が「たまたま僕は女性ものの服が欲しくて、女性ものの服を着ていて、女性っぽく見える容姿になっているただけであって、一度も女性であると謀ったことはない。だからセーフ」と語る。バカだ。僕はバカだ。
背中のジッパーを閉めて、僕は鏡の前で、くるりと回ってみる。色は少し派手だけれど、なかなか悪くない。次に、スカートの裾を両手で掴んで、ギリギリまで持ち上げた。腰から伸びる白い太ももがハチの字を描きながら、いやらしくあらわになっている。鏡に映る少女は黒髪に包まれた頬を赤く染めて、羞恥心にむずがった。
ああ、これはダメだ。良くない。良くないと分かっているのに体が止まらない。肩ひもをずらして、肋骨と胸元を少し見せながら、扇情的に見つめる少女が潤んだ瞳で僕を。
「やっぱり那智くんだよね」
鏡の向こうの少女の顔が一瞬凍りつき、ぎょっとしたものに変わる。声の主に驚き、振り向いた。
「なんで那智くん、男なのにそんな格好してるの?」
声の主はカーテンから首を出してこちらを覗いていた。僕はパニックになって、とにかく言い訳をしようとした。言い逃れをしようとした。あなたは誰ですかとか、そういうことを言おうとした。けれども、彼女が僕の名前を知っていたということを思い、絶望する。それはつまり、彼女は僕のことを知っているということ。それはつまり逃れられないということ。
「あれ、変な組み合わせの服着てる子がいるって思ってね、それでちょっと観察してたらさ、その子の下着、男物じゃない。ほら、見て」
彼女の手に持った白いケイタイの画面に、僕が試着室で着替えている場面が映る。下から覗いたものらしい。
「それで、よく見たら学校で見たことある人だって気づいたの。最初は全然分からなかったけど、ああ那智くんだって」
「…………」
いつの間にか彼女は靴を脱いでいて、衣装室の中に入り込んでいた。彼女はふうんと鼻を鳴らしながら僕の体をマジマジと見続ける。それだけで、もう僕は狂ってしまいそうだった。鏡に全身を押し付けて、彼女から少しでも距離を取る。ひたすら視線を下げて、首を下げて、頭を垂れて、視界に恐ろしいものが映ってしまわないように祈る。それだけしかできなかった。
彼女はそんな僕の気持ちを察したように、膝を曲げ、顔を覗きこんで笑う。猛禽類のような顔、笑ったキツネのような顔で。
ああ、汗で服が汚れてしまうな、なんて場違いな声が頭の隅で聞こえた。
「その服買ってあげるよ。那智くん、すごく似合うと思うし、なによりこれから長い付き合いになるんだからさ、プレゼントってことで」
「そんな……」
「嫌なら、それでもいいよ? ここで声を上げればいい? いいよ、それでも。大丈夫、問題にはなるけど、地元で大事になることはないと思うよ? ホント。私が喋らなければ、警察とお店の人と先生とご両親に怒られるくらいじゃないかな?」
どちらも彼女の口の堅さが要であることを、暗に言われ、僕はぞっとした。脅迫以外のなにものでもない。
「で、那智くんは一人と秘密を共有するのと、たくさんの人と共有するの、どっちが好き?」
彼女の細い指が頬を滑っていく。それは僕を絡めとっていくクモの糸のようで。それは僕を絞め殺す蛇の体のようで。
僕には選択肢など端から存在しなかった。