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ホスト  作者: レオン
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第三章 ギャルソン

 

 友達の恵美とギャルソンの扉を開けて店内に入るとまず黴臭い匂いが鼻を突いた。あるいは水商売独特の匂いと言おうか。そのよどんでさえいる空気の漂いは愛子の店と同質のものだった。しかし小規模な店にありがちで特殊なその匂いはどこか許容できる範囲のものであった。周りに気づかれないように店内の空気をそっと鼻腔に充たす。ふと、懐かしさに近い親近感が胸の裡にわいた。店内は薄暗く、目を凝らして辺りを一瞥するとカウンターと小さめのボックス席が壁にそって三つ並んでいるだけの小さな店だと分かった。

 従業員が気づいて、いらっしゃいませ、と声をかけてきた。おしぼりを受け取りボックスに移る。ストロー付きでウーロン茶を頼んだ。

 恵美がカウンターでマスターらしき者と雑談を交わしている。親しそうに喋っているのを見ると、よほどの常連なのか。そんなフインキが窺えた。よく見るとマスターを含めて従業員は三人しか居ないようだ。しかしこの店の規模では十分だ。客も入れたら七、八人もおれば満席だろう。現時点で客は二組しかいないが、それでも店内は賑わっているように見える。

 「麗は今日、同伴なんだって」

 愛子の隣に座った恵美が少し口を尖らせながら言った。

 「麗?」

 「うん。私が結構気にいっている子」

 「ああ、麗って言うんだその子」

 「そう。めっちゃクール顔してんだけど可愛いんだ」

 「分かる。ギャップね」

 以外と冷静に答えた。なぜそんなに男にハマルのか。しかもホストに。

 「そうなのよ、外見と中身の差が激しいほど私、燃えちゃうのよね」

 燃える・・。気持ちが燃え上がるのだろうか。私は異性に対してそれほど気持ちが高ぶったことがない。ただの高飛車なのかしら。

 愛子は店の中を見渡した。感覚に引っかかるような男はいない。なぜか少し悔しい気がした。

 「どうしたの」

 恵美が愛子の顔を覗きこんだ。

 「あ、ごめん。ってか恵美もう狙い定めちゃってるんだ?」 

 気を取り直して聞いた。メンソール煙草を取り出して火をつける。煙を深く吸い、溜めて、吐いた。何か苛立ちが心の隅にある。

 「えへへ。なんていうか、あの子ものすごく独占したくなるのよね。自分だけの物にしたいっていうか。こう、胸がキュンってね」

 そう言って恵美が両手で胸を軽く揺らした。羨ましい、恵美は華奢な体つきの割りには胸にボリュームがある。

 「ふぅーん」

 ウーロン茶を気だるそうにストローで掻き回しながら答えた。グラスの中の氷が溶けてコトンと音をたてる。そして沈黙。煙草の煙が辺りを少し湿らせる。

 「なにかエッチな相談事かなぁ?」

 タイミングを計ったかのようにマスターが席に着いて来た。ただし愛子達はボックスだがマスターは丸椅子に座る。

 丸椅子とはボックスとテーブルを挟んで対面するときに使う円形状の一人用の椅子である。もちろん背もたれは無い。基本的に客と従業員はボックスに並んで一緒に座る事を禁止されている。客の隣に座っていいのは指名された従業員だけで、例外として店を仕切る者としてマスターはどこでも座っていい事になっている。つまり、どこでも円滑に移動し接客して潤滑油のような役割を果たし、かつ店内を監督してコマのように従業員を動かせるためにだ。

 「はじめてですよ。ストローで飲む人。んでアルコールなし。もしかして、お酒弱いの?」

 茶化すように笑顔でマスターが言った。

 「あ、いえ。実は恵美に無理やり連れて来られたんですよ。あまり興味がないもので。すいません、こういう世界ってなんだか怖い気がして」

 愛子は正直に言った。これを飲んだら帰ろう。そう思っていた。グラスは空になりかけていた。酒は強いほうだ。しかし今夜は気乗りがしなかった。

 隣では恵美が目を丸くして愛子を見つめていた。

 「あ、氷」

 マスターが気を利かして言った。

 「同じものでいいよね?ごめんね気が付かなくて」

 尖りかけた空気を和ますようにマスターは笑顔でグラスにウーロン茶を注ぎ、氷を入れて優しく掻き回す。見事な笑顔だ。マスターたる所以を見た気がした。しかし先ほどの笑顔とは微妙に違う。どう違うのか分からないが笑顔を使い分けるマスターの計算高さを感じた。

 マスターの指示で二人のヘルプがテーブルに着いた。愛子の低いテンションにも関わらず、二人のヘルプはテキパキとにこやかに愛想を振りまきながら彼女達の接客をしている。しだいに気分が解れていくのが分かった。彼らは接客業というサービスのプロなのだ。

 そこには徹底した従業員への教育の姿が窺えた。そのような姿勢を積極的に指揮しているのは少なくとも本質的にマスターではない。このギャルソンという店は背後に親不孝通りの範囲に限ってだが、バブルグループという派手な会社名の組織が運営している。組織が運営するナイト系列の店は、福岡は親不孝通りに約十店舗を数える。最近は名前の由来どおり、濡れ手に粟といった世間のバブル的流れで売り上げを順調に伸ばしていっている組織といえた。

 福岡一の繁華街である天神の北西に位置する親不孝通りは、昭和通を挟んで西通りと直結している。長さにして約三百メートル、徒歩五分ぐらいの距離の親不孝通りは尽き当たりに専門学校があることからその名前が付いた。学生が学校にも行かず親のすねをかじりながら夜は酒をかっくらい跋扈する繁華街。文字通り親不孝な若者が集まる喧騒の街。ちょうど通りを境に天神、舞鶴地区に区分される地点でもある。カラオケと居酒屋が集中過多気味のその通りを中心に十代の若者が押し寄せるのだ。週末の夜ともなれば辺りは歩くのも困難になるほど人、人、人の大群である。

 しかし愛子はなぜ人間がこの街に集まるにかよく分からなかった。そんなに寂しいのか。愛子から見たら、寂しくて孤独を紛らわす為に人間が集まっているようにしか映らなかった。それはひいき目に見ても人間の持つ弱さにしか感じられなかった。なぜ群れたがる。群れなければ何もできない人たち。愛子はそう思っていた。金がすべてよ。自分を短絡的だとも感じるが、そう思うのは性格だと諦めていた。

 仕事に貴賤はないとよく巷では言われるが、愛子は自分のやっている仕事に対してブルーカラー特有の肉体労働であるとはっきり自覚していた。店にやって来る客達は愛子に、いや在籍している自らの身体を使って収入を得ている彼女達に、たいがいは蔑みの色を瞳に宿してそれを隠そうともせず鷹揚な態度で接する輩も少なくない。金を払っているのだからと強引に身体を重ねようとする奴もいる。そのくせ小心者が多くてどこかで一杯引っ掛けて酔いに任せて行為を行おうとするのだ。

 そんな客を愛子は長年店で働いている内に自然に見分けられるようになった。酔いという脳の中の理性を麻痺させて狼藉を働く者達を愛子はごく自然にかわすことができるし、受け流す術も心得ていた。だがそうじてそれは自尊心を酷く傷つけるものでもあった。恥を知れと客に毒ずきたいが、それ以前に自分が恥じを知るべきだといつも思っていた。この仕事に従事する事に心の表面化に強く表れるほど恥ていた。意識していた。

 つまり向いてなかったのだ。にもかかわらずある種の開き直りと金に対する執着から現状を維持しつづけているのだ。さらにそれに対して罪悪感とも言うべき羞恥が激しく圧し掛かり愛子をさらに痛めつける側面があった。その痛みはなぜか快と紙一重なところがあってその痛みと快を行ったり来たりしてるうちに同じ店に5年も在籍していた。

 人の移り変わりは激しい。たくさんの人が愛子の横をすり抜けていった。たくさんの人間が辞めていき、ある者はより給料のいい店に移っていった。

 そのなかで5年も同じ場所にいる愛子は確かに特殊な存在ではあった。店としてはそんな愛子を重宝した。信用され無断欠勤もなくノルマもきっちりこなす愛子に店側は破格の収入を約束している。待遇が良い、あるいは都合が良い、という理由で重苦しい痛みに耐えながらも、しかし痛みは悲しみに拡がり収束することがないにも関わらず、痛みと悲しみの中に快を見つけることを獲得して愛子は日々に埋没してゆく。

 またそんな痛みも長い日々の間に削られて行き感覚が麻痺すらしてきて磨耗しているのだ。すなわち快すらも遠のいていく。無感覚とも言うべき日常が愛子を蝕みかけている時であった。

 「大丈夫?」

 咥え煙草をしたまま恵美が言った。同時に店のテクノ調のBGMが愛子の耳にうっすらと入り込んできた。

 我に返った。

 「ごめん。ぼーっとしてた」

 どうやら考え込んでしまったようだ。

 「たまにあるのよねぇ。愛子って、よく放心してんの」

 「疲れてんじゃない。恵美ちゃんと一緒の仕事してるんでしょ」

 マスターが誰に聞くともなく独り言のように呟いた。

 頷いた。恵美が引き取るように答えた。

 「愛子はね、店のナンバーワンなんだよ。お客さんもたくさん抱えて忙しいもんね。一日の指名の量も半端ないしね」

 ヒューッとテーブルから感嘆の声が上がった。マスターの目が一瞬、鋭く光ったように見えた。愛子はマスターを一瞥した。目が合ったがマスターは柔らかく視線を伏せた。舌打ちしたくなった。

 「でもお金ないのおー。私たちっ。ね?」

 恵美がおどけて言った。愛子も「そうなのおー」などと言っておどけて大袈裟に見せた。店内に笑い声がこだまする。

 「麗はまだこないのかあー」

 酔いが回り始めた恵美が拳を振り上げた。ちょうどその拳がグラスに当たった。中身がこぼれた。ビールだった。

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