第二話 愛子
愛子
今、私の隣には麗が一緒に歩いてる。あの麗が。夢のようだ。私は今、とっても夢心地で足元がフワフワしてる。
ふと麗の横顔を見る。なんだか気だるそうに、でもその整端な顔つきは崩れをまるで知らない。私の視線を感じて麗がチラッと流し目をくれる。あまりにもセクシーすぎて私は息が止まりそうになる。あわてて、ちょっと怒った顔を無理に作って数歩だけ後ろに下がる。どうした?麗が軽い笑みを浮かべて私を窺う。別に、ホントはだるいんでしょ、などと嘯いて呟く。麗は困った顔をして苦笑する。麗の笑みはなんだか照れが入り混じってて可愛らしい。その笑顔を見ると私はなんともいえない気持ちになる。麗のすべてを許容したくなる。でも麗の顔からこぼれる笑みはどこか切なさが漂う・・。私はちょっとだけ悲しくなって寂しくなる。心の中に悲しみが膨らんで麗をそっと抱きしめたくなる。守ってあげたい、そんな思いに唐突に捕らわれてしまう。だけど守ってあげようとすると麗はするっと私の手から離れていく。そんな気がする。
「映画なに見たい?」
気を取り直して麗に尋ねた。私は甲斐甲斐しく麗の三歩後ろを付いている。
「んー土曜の昼だし映画込んでるかもな。とりあえず飯でも食うか」
「じゃパスタ食べたいな。キャナルも美味しいとこあるし、それからなんか見ようよ」
ご飯食べたら麗はとっとと帰っちゃうんじゃないか、そんな気がして私は先回りして言った。
麗はしばし考えこんで、オッケーいいよ、と小さく呟いた。なんだか疲れてる?申し訳ない気持ちが軽い焦りと共にせりあがる。
ごめんね麗。もう少しそばに居させて。あなたの存在をちょっとでも感じていたい。あなたの空間を一緒に分ち合いたい。あなたの空気を一緒に吸いたい。そして麗の吐く息を私は飲み込む。あなたから吐き出される全てのものを絡めとる。全ての・・。私は飲みたかったの。
ハッとした。思いが早くもよからぬ方に傾いていることに気づいた。何を考えてるの。思わず一人で顔を赤くする。
麗と居ると身体に疼きが駆け抜ける瞬間がある。なんというか身体の内側に痺れに似た微弱な電気が流れるような。うまく説明できないけど、その痺れがある部分に到達すると、ジュン、となってなにか暖かいものが私のなかに光となって拡がる。
そんな経験を私は今まで知らなかった。大げさに言うと、私はその疼きを知る為に、疼きで得られるどちらかというと快感にも似た内側で拡がり拡散する光源を得る為に、麗に出会ったような気がする。いや、大げさではない。それは私の真実だ。
だってこれまでの男はダメ男ばっかりだった。正確に言うと今までの男達を別にバカとかダメとかはっきり認識してた訳じゃないけど麗に会って解った。理解した。何かが違うのだ。何が違う、とははっきり言えない。
漠然、とだけど麗には意志があるのではないか。それは強くて弱い意志。硬くて脆い意志。決して人間的に向上しようとか善い行いをしようとかの偽善臭いものではない。どちらかといえばアウトロー側に近い独善的な理念、倫理。本質は強固で揺ぎ無いがその回りは薄くて心もとない膜。こうありたいと狂おしく願うのに状況がそれを許さない。何を願っているのかは知らないけれど、その質は他の男とは違う何かがある。そこに可能性とかの楽観的な希望観測の匂いは感じない。けどその匂いは私と同質のものだ。たぶん走り出すと止まらなくて行き着く所は闇。闇なのに私は光を感じる。光を感じてその甘さを噛み締める。光は闇を溶かして覆い尽くし私に生きるという生命の喜びを与えるの。細胞の一個一個があなたを求めてやまない。
もしかして、これは・・愛?これが言葉という人間以上にあやふやなものを翻訳すると、愛ということなの・・かな。
そっと呟く。愛。愛子。
私は気づいた。愛子という名前でありながら愛を知らなかったことに。
強烈な皮肉だ。麗は私のことをズルイと言った。きっと私の愛の気配を敏感に感じ取ったんだ。
愛で麗の心に絡み付こうとした。それも無意識に。
だから麗はズルイと言った。
麗は私の本質を見た。
私の愛を見た。
そして貫いた。
驚愕した。まるで雷に頭頂部を直撃されたような衝撃を受けた。突然天啓が降ってきた感があった。まぎれもなく愛を実感した瞬間であり、それは麗を飲み込まんとする自分の貪欲さに気づいた瞬間でもあった。同時に貪欲を嫌悪ではなく許容で自分に受け入れている瞬間ですらあった。そして麗の直観。明らかに私を見抜いている。
瞬きする間もなく麗を見つめた。視線に気づかない。それでいい。私はあなたを見つめ続ける。あなたが私を闇で照らし続ける限り。そこに私は在るの。
*
麗と初めて会ったのはギャルソンっていう店名のホストクラブだった。最初は友達の恵美に無理やりに連れて来られた。ホントは行きたくなかったけど恵美のお目当ての男の子に会わせたいらしく、ま、二人の仲を当てられてやろうかぐらいの気持ちでしぶしぶ店に出かけたのだ。まあ、その時点ではホストに興味がなかった。なにやら中州の風俗専門の雑誌をパラパラめくって見てみたが、たいした男が載ってなかったのも事実だ。顔がイイ男も何人か掲載されているようだがタイプでもない。
と、いうよりも私は少し醒めてるのかもしれない。物事に対して。いや男に対して?。なぜなら私は風俗嬢でヘルスの女の子。ある意味、何人も何十人も男を知ってる。それどころじゃない、ざっと三桁はクリアしてる。はっきり言うと男の顔を見るのも嫌。毎日顔見るし、毎日言い寄られるし、毎日生でアレを咥えるのよ。しかも不特定多数。いいかげんにしてほしいわ。うんざりだけど仕事だから頑張るけどね。
つづける理由はただ一つ。
もちろん金。
ほかになにが必要だというの。それしか在り得ない。信じるものが金だけなんてのもちょっと悲しいのがあるけども。けどたった一つでも信じるものがあるだけ幸せよ。私はそう思って生きてきた。より所がなきゃ倒れちゃう。私という人間は崩れちゃうのよ。