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ホスト  作者: レオン
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第一話 麗

             二人ベットの上で

       

自分の居場所ってなかなかないよね

麗は唐突に愛子にいった。

 「え、なに?」

愛子が麗の顔を小さく覗き込んだ。

 「うん。落ち着くところってないよね、っていったんだ」

 「居場所?」

 「そう」

 「そんなの在るわけないじゃない」

 「そうかな」

 突然とりとめのない思考が脳裏を横ぎった。在ることはないのであろうか。有るは無いのであろうか。

しかし話の流れと自分の思ったことは何らこの場で関係がないように感じられた。

 麗はもう一度尋ねた。

 「そうかな」

 「そうよ。在るわけないって。そんなのあったら桃源郷よ」

 「なんだそれ」

 「探したってないから桃源郷」

 「だから桃源郷の意味」

 「知らないわよ、そんなこと。すてきな所って感じはするけど」

 麗が苦笑した。口調から察するに勝気な性格なようだ。しかも意味もよく判ってないことを平気で口に出して喋る。B型か。だが桃源郷のすてきな所といった愛子の言葉は妙に的を得ている気がした。麗が幼少のころから漠然と抱いていた自分の居場所という意味の核心に微妙に触れた感があった。

 愛子とは今日始めて店で会い、そして今日始めて肌をあわせた。店で仕事として接客し、店が終わってアフターで食事をし、酔いも醒めままぬやらただ流れで、寝た。特別な感情など少しもなかった。

 麗は苦笑を微笑にうっすら切り替えながら言った。

 「探してみたいものだ桃源郷」

 「だから探したってないのよ。そんなものは。気がついたら在るものなのよ、居場所なんて」

 「なんか日本語おかしくないか」

 「そう?」

愛子が無邪気な顔で微笑んだ。麗は愛子をふと見つめた。凝視に変わった。

 「麗の居場所はここと、ここよ」

愛子が自分の胸と股を指さしていた。右手は胸を軽く圧迫し両方の乳首を隠すように、左手はその産毛のような柔らかい質感のアンダーヘアを手の平で、そっと隠していた。

 腹部には麗の放出した精液がだらしなく散っていた。愛子の顔と腹部の白濁を交互に見やる。

 愛子のその微笑には包容があった。その微笑には見事な包容力があった。自制を働かせないと吸い込まれそうになる衝動を覚えた。たいした科白を交し合ったわけではない。

 ただ二人ホテルの薄汚れた軋むベッドの上でシーツにくるまり体を寄せ合っているだけだ。その体の表面は二人の性交の余韻醒めやまぬ火照りが微かに残っているだけだ。愛子の腹の上には麗の投げ出した残滓が乳白色にこびり付いているだけで、しかもそれは乾きかけてすらあった。それだけが麗にとって現実味を帯びたものにしていた。行為の後の投げやりに近い倦怠だけが麗を支配する現実だけが確固たるものとなっていたのだ。

それなのに。

 今や愛子は母なる大きな愛で麗を包み込もうとしていた。なかばそれにあがらうとする麗の抵抗力も、愛子にとっては握り潰し包括するのも容易いことのようではあった。その愛は強圧的ですらあったが、麗自身それにのめり込むことで得られる、快か不快か微妙なところではあるが耐えること自体には快を催すのを知っていた。依存に近い迎合であった。

 麗は隣でたたずんでいる愛子を引き寄せ腕枕をしてやった。髪を撫でながら思う。

 この子はズルイのかもしれない。

 「聞こえてるわよ」

 「え」

 「独り言」

 「言ってたか、独り言」

 愛子の顔は一変していた。その瞳にはくぐもりの色が垣間見えた。愛子の黒目がちな瞳の陰にはなにか冷たいものが一瞬宿ったのを麗は見逃さなかった。たかが独り言ではないか。そこまで過敏に反応を示すほど大げさなものだろうか。苛立ちの兆しが胸元をせりあがり麗は曖昧に視線をはぐらかした。ズルイっていう独り言はまずいよな。

 天井に目を向けると壁と交わる角のところにクリームとも薄茶ともいえるようなまだら状の染みが附着していた。煙草のやにだろうか。やに。脂の附着。まだらの脂の悲着。まだらの脂は麗自身を包み込む皮膜のようなものだ。皮膜は麗の顔全体を覆っている。薄皮一枚、脂が顔表面をのっぺりとだらしなく乗っている。突然苛立ちの兆しは急速に萎みはじめ、羞恥が代わりに入れ替わった。

 麗は時々思ったことを口走ることがあった。しかし、それが癖であるといった日常の生活まで浸透している自覚はあまりなく、周りにそれとなく注意されることもあるが別段気にもしていなかった。ほかに気にすることなど日々の仕事でも私生活でも山のようにあるからだ。優先順位が違う。

 だが愛子にそれを指摘されたとき麗の中で激しい羞恥がチリチリ這いずりあがり、同時に嫌悪すら覚えた。この狡賢い女に自分の孤独を見透かされた気がしたのだ。この女は鋭い直観で心の奥底を覗き込む。驚くほどの包容を見せるかと思えば、次の瞬間には冷たく足蹴にする。極端な二面性があるのではないか。ひどく投げやりな倦怠が麗に圧し掛かってきた。なんだか面倒な女じゃないか。極端な二面性は人を振り回し疲れさせるものだ。男を良く知る女。そういう女は男の本質を見抜く。 

 しかし・・思い過ごしかもしれない。考えすぎだ。ここまで思案して今さらだが愛子は麗がひたすら感傷的になっているのにも気ずいてないのではないか。

愛子の顔をチラと見やると、ただ、ただ、拗ねた表情が伺えた。妙に照れを含んだそのまるっこい額は幼くも可愛らしく思えた。やはり俺の勘違いか。

 失笑した。俺の一人舞台だ。あれやこれや勝ってに分析して一人で一喜一憂して踊っている。辺りをブンブン飛び回る蠅のようではないか。揉み手をする蠅は小賢しくて鬱陶しい。だが思い過ごしにしても、麗は早くも一人になりたい孤独を覚えていた。

 麗は複雑な心情を押し殺して愛子に向き直った。

 「怒っているのか」

 「別に」

 返す言葉がなくて麗はだまって宙を見つめた。麗のさまよう視線を愛子が追う。そしてかぶさるように体を密着させてきた。

 「私ってズルイ?」

 「悪かった。ただ愛子の表情に見惚れていたんだ」

 「ふーん。意味分かんない」

 「いや、俺たまに独り言をするときがあるらしいんだ。軽蔑されたかなって思って」

 「んなことあるわけないじゃん」

 「そうか、良かった」

 密着しているせいで乾きかけではあるが、ねっとりとした質感を残す精液が腹にまとわりつく。自分の体液だが、いざ我が身から放たれると汚物にしか見えない。粘液であるがゆえになおさらだ。

 それにしてもなぜ愛子をズルイと思ったんだろう。

 と、言うよりも、基本的に女はズルイ部分があると麗は思っている。そして自覚がない。自覚がないだけにタチが悪い。男はそれに喜んで騙される。いや、騙されていると薄々知りつつも嬉々として騙されてあげるのだ。女はそれを見て騙してあげる。心のなかで舌をだして。フェフティフェフティ。ケースバイケース。イーブン。騙し騙され。海千山千。男だってズルイのだ。ただその側面は男のすべての行動の基盤になっている単純さがある。

 少なくとも麗の属している世界はそうであった。そう見えた。そう感じた。そう思うのだからしょうがない。自らその世界に足を突っ込んだのだ。見てみたかった。そのすべてを。溺れてみたかった。二度と水面の淵に浮上できないほどに。染めてみたかった。自分を嘘と虚栄の世界に。汚れたかった。自分を汚したかった。面接を受けた動機はただそれであった。また、そうせざるを得ない事情もあった。

 ずるい。ズルイ。狡い。それにはあからさまに人間の本質が隠されている。本質そのもの、すべてが。見事に狡さを露見する愛子が憎たらしくも可愛らしい。可愛らしい裏には恐ろしいほどの猛毒が含まれているのだ。触れたら間違いなく火傷する。皮膚は捲れただれて、傷は治癒するのに時間がかかるだろう。

 驚いた。結局は愛子を勝手にこうだと決めつけている。しかし愛子の性格を確定するには、まだ微妙な位置であやふやなところではあるが、触れてはならぬものがある。なぜだか、直感がそう告げていた。

 麗は愛子とはあまり時間を共にするべきではないと感じた。

 「なあ、この後どうしようか」

 「え、来たばっかじゃん。眠たいよ」

 「うん、どっか行きたいとこないかなって思って」

 「マジ?どこ連れて行ってくれんの?」

 打ち解けた様子で返してくる。口調が妙に馴れ馴れしくなってきた。この時点で麗は愛子と距離を置こうと思った。深入りは禁物だ。

つかず離れずでも愛子は店に来るだろう。そして二度と抱く事はない。しかし恋人のフリはする。それが客を引っ張るコツではあるからだ。騙すのではない。客もそれを知っている。それがホスト。

 断言する。金を払って疑似恋愛をする。その相手がホストなのだ。それをそつなくこなす役目が職業的に麗の属している体制なのだ。お金をあげるからあなたのサービスをちょうだい。愛をちょうだい。少しでいいから夢を与えてちょうだい。それに見合うお金をあげる。だから優しくして・・。そう、だから麗達ホストは身体を張る。飲めない酒を無理に肝臓に叩き込み、トイレに行っては便器に胃の中の物を吐き出し、何食わぬ顔で席に戻り、笑顔で接客する。

酒を飲み肝臓を腫らして便所に駆け込み嘔吐し笑顔で接客。

酒をがぶ飲み肝臓酷使駆け足便所で駆け足笑顔でボックスに。それの繰り返し・・。

 文字通りからだを張る。すべては金という拝金主義者のもとに経済のシステムが成り立つ世界。金を得るために我が身を切り売りする。

それも分からぬような奴は金を払う資格もない。店に来る資格もない。

 「どこに行きたい?」

 「んーキャナル」

 「映画でも見ようか」

 とりあえずこのホテルを出ようと思った。適当にぶらついて切りがいいところで愛子と離れよう。早く寮に帰って寝てしまいたい。

 「出ようか」

 「準備に30分」

 早くしろ。じゃないとベッドでこのまま寝てしまう。俺はまどろんでしまう。そうなったら俺とお前は男と女の関係になってしまう。

 麗はシーツをまくりあげバスルームに向かった。体は睡眠を欲してるが、倦怠を無理やり叩き起こす。惰眠を貪りたい。だがここで負けるわけにはいかない。客として引っ張れるか勝負の分れ目だ。さっさと熱いシャワーを浴びて目を覚ますに限る。

 湯のコックをひねる。適温に調節する。脳が覚醒してゆくのがわかった。腹とわき腹に附着した精液を洗い流す。意識が完全に近い程度にはっきりとしてきた。覚醒したとたん後悔した。俺は馬鹿だ。なぜ愛子と寝た。あいつは完全に俺に情を抱いている。

 もちろん店にいる時から愛子は麗に情を抱いていただろう。しかしセックスをしたあとでは、あきらかに情の質が変わってしまう。できれば浮遊感ただよう曖昧模糊とした好きなのか嫌いなのかといった感情を愛子には持たすべきだった。女は好意をもった相手といったん身体を交わらすと独占欲を露にし嫉妬を平気で表面に出すようになる。そうなると扱いが難しく面倒になる。面倒は嫌いだ。鬱陶しいからだ。投げやりな気持ちになる。怠慢は危険だ。俺の性格からして最悪すべてをなげだす可能性がある。現実的なことを言うと俺には家がない。帰る家がない。寮はあるが所詮タコ部屋だ。野郎どもが布団一枚分のスペースをあてがわれ雑魚寝している密室空間だ。プライベートもクソもない。その息苦しさは殺意的ですらある。居場所ではない。早く出たい。そしてこのホテルからも。桃源郷なんて無い。

 このホテルからも・・?俺は捕らわれの身なのか。あまりに幼稚で大げさな考えに苦笑した。苦笑はそのまま泣き笑いに変わった。俺は何から逃げ出そうとしているのだ。愛子からか?世間からか?それとも自分からか?答えは出ない。わからない。わかろうともしない。考える気力すらも喪したようだ。なぜ愛子と寝た。あいつに会ってから俺は調子が狂っているのではないか。だが一つだけ言える事がある。  

 俺は束縛されたくない。何者からも。誤解されても孤独と引き換えでも自由でありたい。自由は力だ。俺という人間を形成しているのは本質的に誰であろうと束縛しえない自由という象徴なのだ。だが今は耐える。麗を取り巻く体制からも女からも。

 そう思った。なぜかそこまで麗は考えた。なかば何かに追い詰められた感もあった。ひどく投げやりな気分だ。

どうでもいい気持ちを押さえ込んで麗はタオルを身にまとった。自分の気分の変化しやすい心境に苛立ちを覚えながら身体をごしごし拭いた。さっきまでは愛子に対してやさしい気持ちになれた一瞬があった。安心すら覚えようとした。だが独り言を聞かれた次の瞬間には自意識がひどく傷つき、店を終えてから寝てないことも手伝い、疲れに似た倦怠が激しく襲ってきた。栄養ドリンクでも飲みたい気分だ。

 いい加減バスルームから出ると愛子と視線が合った。顔の筋肉を総動員して笑顔を作り出す。愛子がなぜかハッとした表情を見せた。

 「さっぱりした。準備出来たか」

 「・・綺麗」

 「え?」

 「あ、ごめん。麗君って本当に整った顔してる」

 「何言ってんだよ」

 「だって体つきとかも彫刻されたみたいに・・」

 そう言って愛子はバスルームに駆け込んだ。なんだよ、あいつ。化粧もして服も着替えてたのに今から風呂入るの? 

 麗は呟きながらスーツをたぐり寄せた。


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