あの子の好みは鬼畜外道!
この作品には暴力/性/SM?描写が含まれます。
また、不快な言動などもございます。
ご注意ください!
それではどうぞ。
2012年12月21日、日本国は関東の某県某市に魔王が襲来した。
魔王の姿はまさしく人々が思い描いた、というか十年ほど前に某ゲームで描かれた魔王そのものである。青白い肌に赤い目をしており、背丈も大柄である上にその威圧感が更に彼を大きく見せていた。髪は紫色で、体には棘の飾りが付いたマントを羽織り、中には禍々しい鎧を纏っている。爪は鋭く、竜の如き尾があり、体の所々に鱗のようなものが見え、耳は尖っている。
「余は魔界より参った魔王だ」
駅ビルの屋上で、マイクも無いのによく響くバリトンがそう言った時には、人々もまだ余裕があった。終末思想の狂人か、あるいはその終末に合わせたネタか何かと思っていた。
「これよりこの世界を滅ぼすこととする」
しかし彼の背後に現れた幾多もの黒い渦から異形のものが飛び出して、流石に信じざるを得なかった。住民は一瞬の静寂の後、悲鳴を上げて逃げ惑った。
まさしく、地獄絵図。
この世の嫌われ者代表生物をミキサーで混ぜて小分けに丸めたような怪物たちは、思うままに声を上げて人々も可愛いペットも貪った。乗り物を引っくり返しては持ち上げて振り回し、ぐちゃぐちゃになった中味を笑いながら食い散らかした。
建物は崩れ落ち、家々は焼け落ちていく。
一夜にして廃墟と化した某市。助かった者は100人にも満たず――
「この娘は連れてゆく」
――魔王の気紛れに、1人の娘が連れ去られた。
次は1月後だ、と言い残して魔王は去った。
◆
さて、魔界である。おどろおどろしい毒の池や奇怪な動植物、数多の魔族や魔物、魔獣。
異界からの扉が王の間に開かれ、現れた魔王を留守居の者たちが出迎えた。
「洗え」
魔王は気絶している娘を側近の前に放り投げた。仰せのままに、と若い男の姿に擬態している側近が言う。しかし娘に触れる時、その手が微かに震える。
「どうした。まだ恐ろしいか」
「……。はい」
彼は人間というものが恐ろしく、また心底嫌いでもあった。魔のものは大抵そうである。人界へ向かったのは魔王と、恐怖を持たぬ魔獣だけである。
魔獣とはそういった知能の低い者を指し、魔物は人並みの知性があり、そして魔族は更に高度な知性と実力を兼ね備えた魔である。
「洗ったら寝室に。逃げられぬように、これを」
亜空間に手を突っ込み、首輪と手枷と足枷を取り出して投げる。五つの離れた輪は、全て鎖で繋がっていた。
側近は恭しくそれを拾い上げ、娘を恐る恐ると言った様子で抱き上げた。
冬物の制服に身を包んだ娘は、なるほど美しい容姿ではあった。やや小柄で色は白く、髪はほとんど茶色と言っていいほど色素が薄い。魔族は魔物と違って美的感覚にも優れるが、文句の付け所は無い。
しかし何故わざわざ人間を、と側近は密かに思った。
「偶には変り種もよかろう」
それを見抜いたように魔王が薄く笑む。側近はそれ以上何も言わず、娘を抱いてその場を辞した。
娘が目を覚ましたのは、大きな寝台の上である。
薄らと瞼を開けると、見覚えのない景色。覚えている限りの最後に見たのは、目の前に降りてきた魔王の姿である。
思い出すと、体が芯から震えた。
(……鎖?)
娘は手足と首に付いた枷、それらを繋ぐ鎖を認識した。僅かに目を見開き、再び背筋を走る寒気にきゅっと口を引き結ぶ。
鎖は長くない。そのため背が少し丸まってしまい、伸ばす事が出来なかった。
(んん……?)
僅かだが、手に怪我がある。思い返すと、そういえば魔王に捕まったとき――逃げようともしなかったが――両手を纏めて捉まれてぶら下げられた。
訳も分からないうちに気絶してしまったが、その時ついた傷だろう。
娘は僅かに目を潤ませ、少し姿勢を動かそうとした――その時。
重厚な音を立てて扉が開いた。
姿勢と向いた方向のせいでその姿は窺えないが、背を向けて尚感じる恐ろしいプレッシャーに、魔王だ、と娘は直感した。
心臓がどきどきと早鐘を打つ。
魔王はゆっくりと恐怖を味わわせるように歩み寄り、やがてベッドをぎしりと軋ませた。
「娘」
低い声が呼びかけると、か細い声がはい、と返事をした。魔王は鋭い牙を覗かせる口をにいっと笑みの形にする。
がしりと娘の細い肩に手をかける。薄い夜着を纏った体は、びくりと震えた。
その様子に満足感を覚えながら、力を込める。
「恐ろしいか?」
くつくつと笑いながらそう言う。娘は答えない。ぎりぎりとその肩を掴む手に力が入り、柔肌に傷をつけても、声を上げなかった。
魔王は枷を外すと、娘を仰向けにする。細いながら柔らかな、女性らしい肢体。恥らうように染まった頬が愛らしいのだが、どうもこの場にはそぐわない。
思っていたような、青ざめて恐怖に染まった顔ではなかった。
魔王は一瞬訝しげな顔をするが、しかしその顔ごと掌でベッドに縫い付けるように押さえつけた。少女はほんの僅かに悲鳴を上げる。
「精々、いい悲鳴を聞かせろ」
そしてもう片方の手で、乱暴に夜着を引き裂いて毟り取った。乱暴に扱っていた所為か露になった肌には痣が多いが、しかし美しさを損なうことはない。
「はい……」
手を離すが、尚も少女は従順げに返事をして頬を染め、目を潤ませていた。半開きの唇から、少し荒い息が漏れる。
どこをどう見ても恐怖に脅える姿ではない。
しかし魔王はここまで来て止まるという選択肢は持たなかった。訳が分からないと思いながらも、徹底的に痛めつけ、そして一方的に欲望を開放した。
……筈である。
半日ほど後、側近はどこか苛立ったように歩く主を見かけた。
一見しては普通の様子だが、長く仕えている側近にはその感情の揺れがよく分かる。
「どうなさいました、陛下」
声を掛ければ、魔王は立ち止まって微妙な表情で言う。
問うというより自問するような、あるいは誰にも聞かせようとしていないような言葉。
「何なんだ、あの娘は……」
側近は首をかしげた。
「何か、妙なところでも」
「いくら痛めつけても体力を失わぬ上、何をしても悦ぶ。……腕を落とされても嬉しがるとは、確かに妙だ」
側近は眉を顰め、はあ、と言う。
「嗜好の問題でしょう。それに魔界に来ると、人間は特殊な力を得ると言い伝えがございますが」
「ほう……まあ、よい。寝室に居るが、放っておいて良い」
「御意に」
恭しく頭を下げた側近。彼は、寝室で恐らく襤褸切れのようになっているであろう娘を想像し、ほくそ笑む。人間が酷い目に合っているのなら気分が良い。
しかしその予測に反し、部屋に居る娘は安らかな寝息を立てていた。
体中に、特に切り落とされたという両腕には血がこびり付いている。しかし――その腕は確かに繋がっているし、外傷は無い。
首と両手に枷が嵌められ、血塗れのベッドに拘束され、あられもない姿を晒してはいる。
それでもその表情は、幸せそのものであった。
――それもそのはず。
娘こと細川ユリアは、筋金入りのマゾヒストであった。
ハーフであるせいか日本人離れした愛らしい容姿をしているが、骨の髄から被虐趣味だ。
幼き日に気づいてから17歳の今に至るまで、まさに初志貫徹のマゾっぷり。ぶれた事など1度も無く、持ち上がりだった中学時代までは当然、遠巻きにされていた。
そして高校に入ってからも、近づいた男達は波が引くように離れていき、今となっては他人くらいしか騙されてくれない。
見た目詐欺とはまさにこの事である。
「はぁぁ……」
眠りながらも幸せそうに溜息を吐くのは、夢にまで見た鬼畜外道に出会えた幸福から。
目を潤ませたのは喜びと興奮故で、走った寒気は期待から。高鳴る胸はもちろん、恐怖ではなくときめきによる純然たる乙女的動悸である。
無論、常人なら耐えられる行為ではない。
魔王による拷問紛いの行為には手加減も遠慮もなかったが、ユリアにとっては痛みはそのまま快楽だ。という訳でむしろ喜んだ。――ちなみに、先ほどまで処女だった。
悪食なる魔王は、他人に汚された女は嫌った。といっても、自分に汚された女も好きという訳ではない。というか大抵1度で音を上げて自殺するか、あるいは行為の途中で死に到る。
ほとんど使い捨てのように魔物や魔獣の人型の者が食い潰されていたのだ。ちなみに魔族はそれなりに高潔であるため、早々と伴侶を見つける文化が出来あがった。
そしてユリアもまた、魔物や魔獣の女と同じ扱いを受けた。
しかしそこは側近の予想通り、彼女は魔界に来たことによって、特殊な力を得ていた。故に死ぬことはなかったし、長く楽しませることも出来た。
――生まれて初めて感じる、この上ない幸福。
声を上げる間もなく叩き込まれる苦痛の嵐に、脳髄まで痺れた。
ユリアは目を覚まし、体に嵌められた枷を見てほうっと吐息を漏らした。
あれは夢ではなかった。更に夢の中でまでいたぶられていた彼女は、安心と幸福しか感じさせない表情をしている。
「うふ、ふ、ふふ」
暫くすると、ユリアは唇を歪めて不気味に笑い始めた。
(放置プレイかな)
内心ではそんなことを考えている。
殆ど頭から血を被ったように見えるほど血塗れだが、むしろそれすら勲章のように思えて、うっとりと全身を見つめた。
(なんで、傷、残ってないのかなあ)
暫くして傷が1つ残らず消えていることに気づき、僅かに不満げな顔になった。
治してくれたとは思いがたいが、どういう事だろうか。
自問自答しながら、魔王の訪れを待つ。その表情はまるで、主人の帰りを待つ犬のように恋しげだ。
魔王が来たのは、日が暮れた頃であった。
といっても魔界の空は大抵雲で覆われているため、少し暗くなった程度の認識であるが。
「娘」
「はいっ」
尻尾を振る犬のようである。鎖をがちゃりと鳴らし、ユリアはきらきらと輝く目で魔王を見た。
向けられたことのあまりない視線に、魔王は少し居心地が悪そうな様子である。
「名は」
「ユリアですっ、細川ユリア。ユリア・ホソカワ!」
大事な事なので三度言った。煩い、と魔王に殴られたが嬉しげにしている。
魔王は指先をユリアの心臓の上あたりに突きつけ、爪で軽く傷つける。
「魔王ラグトール・デア・ノストの名に於いて、ユリア・ホソカワの魂に永劫の呪縛を」
これは隷属の呪というもので、魔界でも使用は禁じられている。といっても、魔王にはあらゆる法は適用されないので問題はない。
相手が格下で真名を知っていれば、相手を問答無用で隷属――奴隷に出来る。
そうなれば、生殺与奪の権を握ることができ、必然的に、命令に逆らうことは出来なくなる。
相互的な生命力のやり取りが可能になり、もしどちらかが死にかけてもギリギリで生かす事が出来る。はっきり言えば、主が隷属の生命力を吸い取って死を回避するのが主たる用途だが。
「――お前は、余の奴隷となった。永久に」
爪で円を描き、浮き出た血が魔王の隷属の証である紋章を象ったかと思うと、刺青のように定着した。
流石にそう言われれば絶望のひとつでも見せるかと思いきや、ユリアは頬を赤く染めてきゃあっと少女らしい声を上げる。
「……」
通用しないどころか、ユリアにとってそんな言葉はプロポーズより嬉しい言葉である。
魔王は、馬鹿馬鹿しくなってその額を小突いた。
「おい」
「はいっ」
「お前、恥知らずだな」
「きゃあっ、恥知らずだなんて」
「喜ぶところではない。お前の世界を今にも滅ぼそうとしている相手だぞ。少しは恐れろ」
「自分の幸せに比べれば世界なんてっ!」
ユリアはマゾヒストであると同時に、自己中心的であった。
故に自分が満足するほど痛めつけてくれる相手のいなかった人界よりも、よほどこちらの方が良い、というか目の前の魔王がいいと思っている。
「蟻以下の屑だな。……こら、喜ぶな」
「え?」
「……お前、変態だろう」
「へ、変態だなんて」
恥じらいながらも嬉しそうにしている。
魔王はそろそろこの少女のことが分かってきた。つまり、被虐趣味というものだろう。魔族にはいないタイプだ。魔と付く者達は基本的に逆の嗜好ばかりだった。
「雌豚、立て」
手枷足枷を取ってそう言うと、にこにこと笑いながら立ち上がろうとする。
魔王はその白い腹を踏みつけた。ふぐっ、とユリアが声を上げる。
「豚が二足歩行か」
「はひっ、すいませんっ」
腕と膝を曲げてベッドの上に四つんばいになる様は、見ようによっては眼福である。
魔王は全裸のユリアを蹴り飛ばしてベッドから落とし、己はベッドの端に腰掛けた。
ユリアは最早隠す事なくはあはあと息を荒げ、その足元で頭をたれる。
「顔を上げよ」
ぐい、と上げた顔に踵が叩き込まれた。
そのままブーツの底で踏み躙る。
「気に入った」
呆れを通り越し、魔王はユリアに興味を持った。
一体どこまで痛めつければ、絶望の眼差しを見せてくれるのか。
見てみたいと思いながら、その背中をオットマン代わりにでもするように足を乗せた。
◆
丁度その頃、地上は大混乱の時を迎えていた。
いかな大災害であろうともこれほど日本が恐慌状態に陥ることは無いだろう。
そう思えるほど、上から下まで大騒ぎである。
特に、被害を受けた某県某市はもはや人の住めぬ有様であった。
魔王が消えると同時に異形のものたちはどろりと解け、そのどろりとした液体が地面に染み込んで瘴気のようなものを発していた。
吸えば、一分とせず肺を焼かれる。目を開けているのも痛いほどだ。
もはや県内には殆ど人気が無い状態で、怪我人も隣県に運ばれていた。
そんな中ある病院で、1人の少年が待合室で唇を噛み締めている。
彼は山田久志という。つい最近某県に来たばかりであった。
親の転勤に着いてきた彼は、転校三日目でこのような天災に見舞われたのだが――彼が痛いほど手を握り締めている理由は、そんな背景事情によるものではない。
転校した日、町でぶつかってしまった少女が居た。それも、曲がり角で。
まさしく少女漫画のセオリー通りの出会いである。どこ見て歩いてんだてめえ、と怒鳴ったにも関わらず、少女はにこにこと微笑んでごめんなさいと言った。
そして、惚れてしまったのである。
少女は文句無しの美少女で、柄の悪い久志にハンカチを差し出してくれた。
偶然とはいえぶつかられ地面に倒されて喜んでいたという事実は知らない方が良い。
そんな彼女は、目の前で魔王に攫われた。
腕を持ってぶら下げられた彼女の姿が目に焼きついている。
そして、何もできなかった自分の無力さを、悔やむばかりだった。
久志は剣道部で、柔道や空手も習っていた事がある。だから少しは喧嘩も強いつもりでいた。しかし異界からの侵略を前にして、なにひとつ出来ることはなかった。
それもそうである。自衛隊もアメリカ軍も、わたわたとしている内に過ぎ去った程だ。
待合室のテレビに流れる、惨劇の映像。ほとんどモザイクが掛かる有様で、何がなんだか分からないが――久志は、傍らに持っていた竹刀の袋を握り締めた。
(絶対に助けるから)
使命を胸に刻み、久志は病院の裏手で稽古をすべくジャージ姿のまま駆け出す。
その背中はまさに信念を抱く一人の男であった。
まさかユリアが異界で痛みと快感に歓喜の声を上げているとは、露知らず。
◆
魔王城では、近頃よく見られる(魔王と比べてかなり)小柄な美少女が居た。
最初はみな噂程度にしか思っていなかったが、流石に自分の目で見れば認めざるを得ない。
「陛下っ――う、あっ!」
魔族、魔物、魔獣――全ての魔にとっての至高の主である魔王陛下は、いとけない少女の腕を捻り上げたまま引き摺っていた。
しかも何故か少女は陶然とした表情でびくんと震える。どこからどう見ても変態だ。
「あれ、折れないのかなあ」
暢気な魔族がひとり、そんなことを呟いた。確かにあの細腕、今にも折れそうに見える。
そして数秒の後、ボキンともゴキンとも付かない奇妙な音が響く。
あーあ、と言いながら魔族は思わず笑った。
「いぁっ――っあう!」
明らかに折れた手。魔王はそのまま置いていくんだろうなと魔族はぼんやり思った。
しかし。
「折れたか」
「はい……っ」
今度は服の背中を掴んで引き摺っていった。
「陛下のお気に入りか……」
「まあ、いいじゃん。あの扱いだし」
魔族は強さが至上であり、故に全員サディスト寄りだ。
敬愛する魔王陛下であっても、好き好んで痛めつけられたいとは思わない。
よほどの狂信者でなければ、ユリアに嫉妬を向けることは無かった。
魔王は玉座に座り、傍らに膝を付いているユリアの頭に手を置いて報告を聞いていた。
とんとんと爪の先で叩くと、頭皮はあっさりと切れて血を流す。
「志願者は500名。うち魔族192、残りが魔物です」
「そうか」
次回、1月後の侵略――といっても人界でいう1月であり、こちらとは時の流れが違う。
というより魔界は時の流れに頓着しない。
昼夜などあってないようなもので、辛うじて明るさによって区別できるのみ。
1日も1月も曖昧で、すぐに1月後の人界に攻め込む事も出来る。
今回の会議では、それに付き従う魔族・魔物の従軍者について報告を受けていた。
「少ないな」
前回は、徹底的にひとつの都市を叩きのめしてみせた。それを記録珠に保存して全ての魔族と魔物に見せたにも関わらず、これしか志願者が居ない。
苛立ち混じりにユリアの頭に爪を立てると、喜びに悶える声が聞こえ、少し溜飲が下がる。
「まあ、よい」
跪いた側近は、魔王の横に居るユリアをちらりと見る。
彼女が来て1週間ほど経った。最初の日の困惑した様子はすぐに消えた。どこからどう見ても、虐めている方は心底楽しげで、されている方は心底幸せそうだ。
側近から見れば、気色悪い。主に後者が。
強きものが至上であるこの魔界に、攻撃を受けて喜ぶものなど居ない。己の未熟さを噛み締め、それをも糧としてより高みへ向かおうと思う。
与えられる痛みをただ喜びとして受け取り、未熟な己を己としたまま相手へただ捧げる。
やっぱり、人間怖い。
側近はそう思った。
「お前は行かぬのか」
「申し訳ございません。ますます人間というものが恐ろしくなりました」
「そうか」
魔王は立ち上がる。腕の折れていたはずの少女もまた平然と立ち上がり、今度は嵌められた首輪から伸びる鎖を引っ張られ、飼い犬のように連れ添っていった。
いつもの如く寝室に戻ると、魔王はユリアが纏っていた服を引き剥がして押し倒した。
何の疑問も抵抗もなくあっさりと受け入れるが、ふと目を瞬かせ、思い出したように言う。
「陛下、どうして服を脱がないんですか?」
「……黙れ」
そして顔を鷲掴みにされ、無駄なことを聞いてしまった、と恥じた。
苛烈極まりない行為が始まれば、あとは声にならない声を上げ、痛みも快楽も等しく貪欲に取り込む。流れる血を恍惚とした目で見つめ、傷の一つ一つがいとおしいと見つめる。
魔王は一心に傷口を見つめているユリアの顎を、ぐい、と乱暴に引き上げた。
(……あ)
ユリアは軽く目を見開いた。が、すぐに閉じる。
唇が塞がれ、自分のものより冷たく長い舌に口腔をまさぐられる。
(うわ、わ、わわわ)
混乱しながらも、嬉しいやら恥ずかしいやらで顔が熱を増す。
――唇を触れ合わせたのは、初めてであった。
「……どうした」
顔を離し、訝しげに魔王が問う。ユリアはただ顔を赤くし、顔を覆おうとして手首から先がちぎれている事を思い出した。万事休す、である。
目の前の魔王は、人間とは掛け離れた美貌(とユリアは思っている顔)を怪訝そうな表情にしている。鱗の浮いた青白い肌と赤い目で、ユリアを見ていた。
「そ、そのっ、えーと」
「早く、言え」
苛立ったように、爪で頬にすうっと傷を付ける。流れ出た赤い血をぺろりと長い舌で舐め取ると、いよいよユリアは真っ赤になった。
「き、きす、はじめて、で……」
照れる様子は可愛らしい。ただ、両手首が千切れてベッドに転がり、全身の傷から豪快に出血している事を忘れれば、だが。
「……ッ」
魔王もまた、照れた。ほとんど無意識にやらかしてしまったが、まさか己からそんな事をしようとは。青磁のような肌に僅かに朱が差す。
魔族にとって浮気は悪ではない。が、口付けだけは伴侶としかしない事になっている。
ただ、彼は今だに普段着である豪奢な長衣を脱いでこそいないが、思い切りコトの最中である。何のとは今更言わないが――他人が見たら、何故そこで照れる、と突っ込んだであろう。
絵面的には最悪だったが、2人は暫く見詰め合うと、どちらからともなく……ではなく、ユリアは動けないため魔王からだが、キスを交わした。
出会ってまだ1週間ではあるが――
サディストとマゾヒスト。凸と凹がぴったりと噛みあった、という事だろう。
行為を終えると、魔王は前を寛げていただけの長衣を脱ぎ捨てた。
鍛え上げられた筋肉。顔や手足よりも多く鱗が出ており、無数の生々しい傷跡がある。
魔王はユリアを抱き上げ、何時に無く優しい手付きで手首を拾い上げて断面を合わせる。
数秒経てば、それは元通りにくっ付いて傷口も見えなくなった。
「わあ……」
うっとりと魔王の身体に走る傷跡を見つめ、元通りに動く指でなぞる。
「余は、古代竜の血を引きながら、竜態を取ることができぬ」
魔王が背を見せる。肩甲骨のあたりに、奇妙な突起があった。
ほんの僅かに、人間のそれよりも飛び出した突起。それが、竜の翼の名残である。
「故に、醜いと言われ続けた。元は翼があったが、それも毟り取られてな。……お前は、どう思う?」
ユリアはきらきらと輝く目で見上げながら返事をした。
「陛下は美しいです!」
「……そうか」
魔王はユリアを抱き寄せ、肩口に噛み付いた。比喩でなく、文字通り。
「余の血を、くれてやる」
ぞくぞくと、言うに言われぬ快感が走る。魔王は鋭い牙で己の唇の裏側を噛み千切ると、その血を無理矢理血管に流し込むように口を付けたままでいる。
「う、あ……」
徐々にその場所を中心に、じりじりと熱が広がる。焼けるように熱い体で縋りついていると、落ち着かせるように脇腹に走る痛みにぼんやりとした意識が鮮明になる。
「――お前もこれで、人ではない」
「あ……、」
ユリアは嬉しげに、目を潤ませた。
「……ありが、とう、ございます」
そしてそのまま、くたりと力が抜け、すやすやと寝息を立て始める。
螺子の切れた人形のようなその身体を、今だ血で濡れたベッドに横たえる。
魔王は刻み付けるようにもう1度傷を付け、その横で久方ぶりの睡眠をとり始めた。
◆
2013年1月、山田久志は拳を握り締めて歓喜の雄叫びを上げた。
魔王が居るなら神もいる。目の前にゆっくりと落ちてきたのは、話に聞く――神器。
近頃多発している怪奇現象。まるで神に与えられたかのように出現する武器は、魔王へ対抗する術なのだと実しやかに言われている。
神器を授けられるのはおおよそ人格的に問題のない人物で、久志はこのために最近つとめて人に優しく接してみたりと努力していた。
噂によれば、神器を持てば瘴気に耐えうる体になるのだという。
山田久志の前に降りてきた武器は、まるで羽のように舞い降りた純白の竹刀だった。
……何故木刀や真剣でないのかと思ったが、それはそれでいい。使い慣れている方が楽だ。
彼は来る21日に向け、ますます己を鍛えた。
愛しい娘を助け出す。
まるで神に与えられし天命であるがごとく、心に染み付いた願い。
白い竹刀は、まさしくその象徴のように目に映る。
神器の持ち主は集められて組織化されているとテレビでも報道されていた。
――死ねとは流石に言えないが、誰もがその選ばれた者達に期待を寄せていた。
◆
側近は、相変わらず片時も離れないように見える主とその奴隷を見て、溜息を吐いた。
どうも、最近魔王の雰囲気が柔らかく、奴隷の方も目に見えて魔王を慕う気持ちが強まっているような、そんな気がする。
「――ユリア」
「はい、陛下」
「足置きになれ」
「はいっ」
玉座に座った魔王は、蹲ったユリアの背に足を乗せてご満悦である。
側近はその魔王に報告をしながら、改めて思う。
やっぱり人間は怖い。
「――明日、再び人界へ赴く」
「んぅ」
四肢を杭で穿たれて壁に磔にされ、ついでに猿轡を噛まされたユリアが返事をしようとして断念する。口の端から涎が零れ、身動ぎした拍子に杭の刺さった所が痛む。
悶えるように身震いしたユリア。魔王は戯れにその肌に爪で傷を付けながら、くつくつと笑って囁くように言った。
「お前も、見たいだろう? お前の世界が滅びる様を」
あまりにも酷い言葉――だと、他の者なら受け取っただろう。
ユリアはあくまで図太い。その命令にすら、ぞくぞくと背筋が粟立つほどに歓喜した。
「んんんんっ!」
しかしその返事はまともな声になっていない。
「お前は本当にどうしようもないな」
楽しげに言いながら、杭を1本抜く。すぐに塞がろうとする穴に指を差込み、かき回した。
血肉がぐじゅぐじゅと粘性の音を立て、指を圧迫するように縮まろうとする。
「そんなに指を絞っても何も出ないぞ」
指を引き抜き、片手で猿轡を外す。ぼんやりとした眼差しは、どこを見ているのか分からない。しかし血塗れの指を見せると、明らかにその目線は爪の先に向く。
面白い、と魔王は思った。
貪欲に求めるのは、他人が忌み嫌う痛みと穢れ。この世の汚いものを一身に受けたとして、尚も笑っているだろうと想像できる。
どんなに汚しても、穢れない娘。
幸福を叩きのめし、平和を引き裂き、純潔を穢す事こそを悦ぶ己とは真逆にある。
対極だからこそ、こんなに、手放しがたいのか。
「あ、う、ぅふ」
半開きになった唇に指を差し込むと、絡めるように舌が纏わり付いて血を舐め取る。
軽く指を引くと物足りなげな顔をするが、爪で軽く舌を引っかけば途端に嬉しげになる。
「救いようの無いのは、余も同じ事」
ぐいと舌を引っ張り出し、爪を突き刺す。
「~~っ!」
悶えた拍子に、手足の杭が更に食い込んで痛みが走り、更に悶えた。
「ならば精々、傷を舐めあえばいい」
杭がぽろりと抜け落ち、鎖のみに支えられた体が揺らぐ。
魔王はほんの短い間に心に棲み付いた少女を、強すぎる力で抱く。
ユリアはただ、何をされても喜び、幸福そのものの笑顔を浮かべるのみであった。
◆
2013年1月21日、再び某市に魔王は現れた。
違うのは、傍らに立つ少女。
首輪から伸びた鎖を魔王に握られるユリアは、哀れみを誘うに相応しい。
ただ、
「どうだ? ――見られているぞ」
「あう……はい、見られてます」
本人たちは哀れみとは無縁に楽しんでいた。
ユリアは羞恥に頬を染めながらも、両腕を前で組んでもじもじとしている。
その服装は、まるで生贄として差し出された娘のよう。薄い布地をふんだんに使った服は、僅かに肌を透けさせていた。
更に、下着を着ていない。
上も下も、である。
「どうだ、ユリア」
「は、恥ずかしい、です」
鎖を引けば、よろけたユリアの足が僅かに開く。
連日ひたすら痛めつけられながらも傷1つない太腿がもじもじと摺り寄せられた。
要するに、本日の趣向は羞恥プレイであった。
眼下には白い武器を携えた者達が揃っていた。瓦礫の上に立つ彼らは、魔王に挑むものとして――勇者と称されている。
実験と研究を重ねた結果、神器が人間に恐ろしいまでの能力向上を齎すことが分かった。
またそれぞれの武器によって、特殊な力が宿ることも。
彼らが役立たずであれば、今は後方に控えている各国の軍や自衛隊が戦う事になっている。
ただ、それで敵うとは誰も思えなかった。故に勇者という希望に縋っている。
「人間ども」
魔王はユリアの鎖を思い切り引いて足元に引き摺り倒し、背中を踏みつけた。特に意図は無い。
そしてよく通る声で言う。
「先に余を倒せたならば見逃してやろう」
獰猛な笑みが浮かぶ。既にひとりの勇者が空を駆けていたが、ふん、と鼻で笑った。
「その時はこの娘も帰してやる」
「ええっ」
ユリアが子犬のような目で魔王を見上げた。
魔王はその愛くるしい顔に靴底を叩き付ける。
すると、一瞬前の事は忘れたかのように喜び悶えた。何時もの事である。
魔王の目の前に飛んできた勇者は、凛々しい眉を寄せて何事か叫んだ。魔王は全て無視し、ユリアの鎖を引き上げて耳元に囁く。
「帰りたくないのなら――お前が、勇者を全て倒せばいいだろう」
滅茶苦茶な理論である。
しかしユリアは目から鱗が落ちたような顔をして魔王を見つめた。
「賤しい奴隷であろうとも、余の側に居りたければ強くなければな? ――上手くできれば、後で褒美だ」
鎖を離すと、こくこくと頷いて爛々と輝く目で宙に浮かぶ勇者を睨む。
――そして駆け出すと、躊躇い無く空中へ跳んだ。
「え?」
彼の神器は、空を飛ぶ靴であった。飛び込んできたユリアを困惑気味に受け止める。
ユリアはにっこりと笑った。
そして首から伸びた鎖を、彼の首に巻きつけて思い切り引っ張った。
「がっ」
何が起こったかも分からぬうちに、最初はゆっくりと、徐々に速度を増して落下していく。
統制を失った神器は、最早ゴミに等しい。
ユリアは天使のような笑みを浮かべながら、落下していく勇者の靴を奪い、裸足のまま足を突っ込む。
ちりりと一瞬痺れるような痛みが走るが、さして気にならない程度だ。
落下しても別段構わないとは思ったが、目論み通りに神器はユリアを天使のように浮かせた。
反対に、鎖から開放された勇者は、数秒もせずに潰れたトマトと化した。
ユリアの頭にはただ、終わった後に待っているかもしれない褒美のことしかない。
一瞬屋上を見上げ、腕組みしてこちらを見ている魔王に微笑む。
そして地上に向けて、ほとんど落下するように飛んでいった。
一方の勇者たちは、魔王あるいは魔物を相手にすればいいと思っていたため、うろたえた。何せ、囚われの姫とばかり思っていたものが牙を剥いたのである。
あれも魔物だったのかと誰もが思ったが、しかし。
「細川っ……!?」
信じられない、という様子で叫んだ少年の声が、そうでない事を証明していた。
山田久志は、勇者の中でも優秀な戦士タイプだった。何より攫われた少女を助け出すためにひたむきに努力する彼を、快く思わない者は少ない。
ユリアは地面に激突する寸前で落下を止め、天の衣のような服をはためかせて降り立つ。
駆け寄ろうとした久志は、すんでの所で飛びのく。
――鎖の先端に付いた金属球が、ひゅんと音を立てて過ぎ去っていった。
「細川っ、やめてくれ……」
操られているのだと、そう直感した。そうに違いない。
ユリアは微笑みながら、細腕で鎖を振り回した。地球に存在しない、おそろしく丈夫な金属で作られた鎖に、球。鎖は太く、珠は直径10センチメートル程もある。
いかに強化された勇者の体であろうと、頭などに当たれば致命傷となる。
「細川!」
ユリアは聞いていなかった。聞こえてすらいないだろう。
魔王の血が混じった体は、勇者と同じほど強化され、更に回復力にかけては彼ら以上のものがある。腕力こそ劣ってはいるが、鎖を振り回すのに問題はなかった。
久志は悔しさに唇を噛み締めながら、まっすぐに駆け出す。
魔王が待ち構える、駅ビルへと向かって。
ユリアの振り回した鎖の先が、向かっていった少年の頭を砕いた。
崩れ落ちた体を踏みつけ、軽やかに駆けて次の獲物を狙う。
得もいえぬ恐ろしさとおぞましさに、魔王を相手にした方がまだマシだ、と勇者たちは思った。しかし、魔王の仲間だというなら倒さねばならない。
「……でもよ、山田の好きな子なんだろ」
それが問題である。
そう言う間にもユリアは地を駆け空を翔け、思い切り金属球を振り下ろしては1人ずつ葬っていく。これが初陣だとは思えないほどの強さである。
守るものがある人間は強い、と言うが。
ご褒美が待っている人間もまた、強い。
(ごほうびごほうびごほうびごほうび)
思わずじゅるりと涎を啜るほど、楽しみで仕方ない。恍惚とした表情で勇者を平然と葬り去る少女を、気味悪そうな目で誰もが見る。
「ッおらああああ!」
1人、決死の覚悟で背後から切りかかった男が居た。
ユリアは避けられずにその刃を背中に受け、やったか、と誰かが叫んだ。
「ああっ」
僅かによろめいて、ユリアは恍惚とした――それはもう嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「もう一回っ」
そして振り向きざまに、自分の使命など全て忘れ去ったように叫んだ。さあこいとばかりに腕を広げる。しかし切りつけた戦士は悪寒を感じてずざざざと下がる。
「Mじゃねえか!」
チャンスとばかりに殺到すると、ユリアははっと思い出して金属球を振るう。傷はすぐに治癒し、服も元通りに修繕された。
魔界特産の、“生きた”生地。分類としては植物で、高い防御力と形状記憶機能があった。
すさまじい回復力を発揮したユリアを、もはや人だと思う者はいなかった。
一方の魔王は、総勢500以上の魔を全て喚んで高みの見物と洒落こんでいた。
「中々、やるではないか」
それはユリアに対する言葉であり、勇者たちに対する言葉でもあった。
魔は好き勝手に街を壊して回るが、しかし勇者たちも負けずに魔を切り裂き、あるいは叩き潰し、焼き、引き裂き、倒していく。
双方、そう数が多い訳では無い。現時点では、ムラのある魔王軍よりも全体として能力の高い勇者たちの方が勝っているように見えた。
魔の者は、戦闘に秀でている。しかし勇者は、魔を打ち滅ぼす事に特化しているのだ。
「――余は、こちらの相手をするか」
魔王が愉快そうに笑う。魔獣の視界を覗き見ると、ビルの入り口に飛び込む少年が見えた。
◆
側近は、魔界でその様子を見ていた。
部屋中に幾つも設置されたスクリーンのようなものに、魔王の姿や、勇者とユリアの戦闘、あるいは混乱する町々が映し出されている。
「……あの娘まで戦っているとは」
側近はぐっと手を握り締める。魔の者が――特に知能の高いものが、本能的に人間を恐れるのは仕方ない事だ。そういう生物なのだから、仕方ない。
けれど、悔しい。
彼は魔王が周囲を蹴散らして魔王の座についた時、まだちっぽけな赤子だった。
魔界でも特に治安の悪い地域に住んでおり、気紛れに訪れた魔王に拾われた。
以来、戦いも仕事も何もかも魔王に鍛えられ、側近となるように養育された。
「くそ……」
叩き上げの家臣として――何より魔王自ら育てたという自負があった。
なのに、寵愛を僅かばかり受けた少女に、戦いでも負けるのか。
いや――
「……出来ぬ事などない。やらぬだけだ」
側近は踵を返し、部屋を出て行く。
向かうは、王の間。
――魔王からの召喚を待つ場所に。
◆
「どれくらい倒したらいいのかな」
ふとユリアは立ち止まり、その拍子に頭に石を投げつけられて悶絶した。
「はうぅぅっ!」
ユリアは倒した相手の武器を拾い集め、誰かが落とした籠のような神器の中に入れて背負っていた。もはや弁慶状態である。
どうやら神器は本人以外にも扱えるようだ。ただ、触ると少し手が痺れる。
人を傷つける事は全くもって趣味ではないが、反撃されるのが嬉しくてたまらない。
「もっとっ!」
恋する乙女のような、潤んだ瞳で敵を見つめる。正しくはその武器を、だが。
――ユリアは、戦闘が長引けば長引くほどに早く、強く、力を増す。
スロースターターという訳ではなく、単純に力が強くなっている。
彼女が与えられた能力は、痛みと快楽を力に変える、というもの。
力とは生命力であり、魔力である。
体の修復が最優先され、余剰分は身体強化に回される。
「ちくしょうっ、この野郎!」
「きゃんっ」
巨大なハンマーに思い切り腹から殴りつけられ、吹き飛ぶ。
ユリアは遠慮なく攻撃に当たりに行く。動きに統一性も無く、戦いを学んでもいないし鍛えたことすらない。つまり、動きに予想が付かない。
更に完全な魔ではないため、神器の威力は半減してしまう。――神器の力はどうしてか、普通の人間や動物に対して行使できないのだ。
対勇者の戦士としては、この上なく優秀だった。
「あは、あはは」
気づけば、相手は倒れ付していた。どうやら背負っている神器のどれかに、反射能力があったのだろう。ぐちゃぐちゃになって倒れていた。
ユリアには、傷ひとつない。与えられた痛みですぐに回復したからだ。
気づけば、周囲に生きた人間が居なくなっていた。
「あ!」
ユリアの表情がぱっと華やぐ。
血塗れになった服を軽く払う。高機能な布地は、軽い衝撃だけで汚れを振るい落して綺麗になった。
「ご褒美っ」
先ほどまで勇者たちの攻撃を受けて悦んでいたことも忘れ、今度は勢い良く空へと飛んでいく。
魔王の元へ。
◆
側近は、久しく訪れなかった人界の空気に眉を顰めた。
空気が濃い。それに、ひどく汚れている。
遠い昔にはここに居たこともある。脳裏には、幾つもの記憶が積み重なって存在した。
どれも、苦しいものでしかない。
苦痛。
踏み躙られる。水の中に投げ入れられ、悶え苦しむのを笑いながら見られる。燃え盛る炎に飛び込む。串刺しにされる。圧殺される。体を引き千切られる。
どうしてこんなものを、あの女は好きになれるのだ、と側近は眉を顰めた。
そして。
「――あ」
愕然として、立ち止まる。
「あ、ああ、あああ……」
舐めていた。
恐ろしいとはいえ、人間は弱いものだと。
「陛下ああああああああああっ!!」
喉が張り裂けんばかりに絶叫し、側近は駆け寄った。
屋上の中心に、力なく倒れている魔王の元に。
◆
ユリアはその光景を見て、あ、と小さく声を洩らした。
屋上に降り立ち、呆然と立ち尽くす。
倒れた魔王と、近くに居る側近の他に。
剣――いや、竹刀を杖にしてかろうじて立つ男が居た。
山田久志。記憶の隅からなんとかその名前を引っ張り出す。
しかし、その印象は薄い。
ユリアにとっては、世界に居る十把一絡げのどうでもいい人類の一員だ。
「細川っ」
そう言って駆け寄ってきた彼を、この上なく嫌そうな目で睨みつける。
――気持ち悪い。
どう見ても優しそうな顔をしている。柄は悪いが、折れない心がありそうだ。真っ直ぐに目標に向かっていける人間。そして、根は優しそうに見える。
――好みじゃない。
ユリアの好みは、悪辣かつ傍若無人、人を傷つける事を厭わない、傲慢で尊大で、全てを踏みつけてでも頂点に立つ、心の底から悪逆無道な魔王そのひとである。
「陛下!」
そして無視した。
完膚なきまでに無視し、ユリアは魔王に駆け寄って側近を突き飛ばした。
「ちょっと、何を!」
「じゃまですっ」
「お前が邪魔だ! どけ、今治療しているんだクズがっ」
「あ……」
「喜ぶなクソ女! 塵芥が口を聞くなっ!!」
魔王は、虫の息であった。
どうやら神器から放たれる気のせいで、傷が治癒できずにそのまま焼けている。
ユリアはぽろぽろと涙を流して側近の肩を揺すぶった。
「たすけてくださいいいいっ」
「だから邪魔だと言っておろうが! 今、必死にやっている!」
「わたっ、わたし何か出来ませんかっ、やだあああぁ!」
びいびいと泣き喚くユリアに、側近は舌打ちしながらも意外に思う。
あれほど泣かぬ娘も、こう言う時には泣くか。
側近は擬態を解き、真の姿に戻る。茶髪の誠実げな男は、本来魔界でも有数のおぞましさを持つ。イソギンチャクにも似ており、核が見えぬほどの無数の触手で構成されていた。
元の姿でなら格段に魔法の操作力が上がる。
ユリアは一瞬目を輝かせたが、気を取り直して触手に縋った。側近はその胸元を見て、どこにあるのか不明な目を瞠る。
「――娘っ、お前、隷属の呪を!?」
「え? あっ、はい」
「不幸中の幸いだっ! おい、生命力を流せっ、陛下に!」
ユリアは目をぱちくりとさせる。
側近は苛立ったようにユリアを強引に立たせ、触手で頬を張った。
「早くしろっ!」
「え、ど、どうやって?」
「阿呆が!! くそ――おいっ、印を引っかいて血を出せっ、死ぬ気で出せ!」
「はひぃっ」
若干悶えつつ、指先で思い切り胸にある印をぐりんと引っかく。
肉ごと抉れ、血がぼたぼたと流れた。自分でやったからか治癒が遅いらしい。
「いいか、陛下の指をそこに触れさせろ。そうすればルートが繋がる」
「ルート?」
「力を流す道だ――ただ、契約をしていなければ難しい。その点、お前のそれは最適だ」
「……?」
「物分りの悪い……ッ隷属はいざという時の主の生命力の貯蔵庫の役目も果たす。分かったらとっとと繋げ、後はなるようになる!」
側近は早くしろと怒鳴ってユリアを突き飛ばす。
そして、魔王に背を向けた。その先には――
「アレは、私が抑える」
――呆然と立っていた久志が、漸く、動きだしていた。
ユリアは血が止まりかけた胸元を更に抉る。爪に肉が挟まり酷い有様だが、気にしていられない。
「陛下っ」
青白い指が、ますます青白いように見える。ユリアは大きな手を持ち上げて、指先を胸の印に押し付けた。それでは飽き足らず、その爪をぐさりと刺してますます抉る。
走る痛みに、ますますこの人を喪ってはならないと思う。
――最初に、欲しい物を与えてくれた。
確かにそれだけかもしれない。
しかし、それだけのことがユリアにとっては大切な、たった一つの事実。
(陛下が、いい)
痛みを与えてくれるのは誰でも良い。
けれど、魔王から与えられる痛みは、格別にいい。
「それに、まだ」
繋がった経路は、はっきりと分かる。己の身体に溢れる力も、同時に感じられた。
上手く扱えないが、少しずつ流し込む。狭いルートを押し広げるように、繋がりを太く強固なものにしていく。
「ご褒美、もらってないです、陛下……!」
ユリアは冷たい手を握り締め、生命力を流し続けた。
神気に焼かれた触手は自ら切り落とし、ひたすら久志を近づけないように振るう。
側近の回復力は魔族の中でも上位だ。
「どけ」
久志は煮え滾るような目で側近を睨み付け、竹刀を手に飛び上がる。
鞭のように撓る触手を纏めて切り落とし、核へと向かう。
「早くしろっ、娘っ!」
勝つためではない。
出来るだけ長引かせる戦いは、側近の矜持には反する。
少しも面白味は無い筈の戦い。
側近は思う。
人間は恐ろしい。
けれど、その人間が。
――ユリアだけが魔王を助けられるのもまた事実。
「どけっ……どけよっ、ちくしょうっ、細川を返せえええええっ!!」
「あれはっ、陛下の物だ!」
今となってはもう、ユリアの事は認めていた。
あれは魔王の物だ。
――なれば、守るべきものでもある。
主の所有物を守ることも、臣下としての務め。
側近は高揚する精神をコントロールしながら、只管に触手を伸ばし続けた。
ユリアは生命力が枯渇しかけた事に気づき、ますます印を抉る。
しかし、それではもう足りない。
「……どうしよう」
生命力が枯渇している所為で、痛覚まで麻痺しているようだ。
手足の先に痺れを感じ始め、いよいよユリアは焦った。
元々、あまり頭は良くない。
考えて考えて考えて、漸く。
「そうだ」
魔王の手をそっと置いた。
「く……ッ!!」
側近は無論魔王ほど強くはない。
疲弊していても、やはり魔王を打ち倒すほどの男だ。
徐々に押され始め、回復力が鈍ってゆく。
頼りなくぬめる触手は、もう1本も無駄にはできない。
側近はなるべく神器に触れぬように、久志を絡め取ろうと動いた。
それが、間違いだった。
久志は背後から回ってきた触手を避けるように飛び上がると、思い切りその触手を足場にして飛び上がる。
そして、力任せに核を貫こうと――した。
そこに、思わぬものが割り込んだ。
「あ、っぐ」
目を見開いた久志の前に、白い胸元を曝け出してその中心で竹刀を受け止めた、ユリアの姿があった。
形容しがたい音がして、確かに骨を折った手ごたえが残る。
ユリアの背を触手が受け止め、そのままユリアだけを絡めて引き離していった。
「細……川っ、何でっ!」
ユリアは思いがけずダメージが深いことに笑む。
――これなら、余るくらいだ。
思い切り、惜しげもなく生命力を受け流す。
そして魔王が、ゆっくりと立ち上がった。
戦う前よりもむしろ満ち溢れた生命力。余剰分は魔力へと変換され、禍々しい黒い魔力が人間の目にも見えるほど濃厚なものになる。
魔王は崩れ落ちたユリアをちらりと見て、笑みを浮かべた。
「全く、出来た奴隷だ。あとで褒美をやろう」
触手のベッドの上で眠るユリアは、その言葉にふわりと幸せそうに笑う。
「っざけんな! あんな……!」
「まだ言うか? 洗脳などしていない。あれは骨の髄まで変態だ」
久志は口を噤み、疲れた体を無理に動かして竹刀を持ち上げる。
しかし、魔王は、笑うのみ。
「お前はもう戦えぬ」
最早、久志にも分かっていた。
体はまだかろうじて動く。けれど、
「神器が何を糧にしているか、分かっているだろう」
もう、駄目だった。
理解しながらも突き進む。しかし、神器は応えない。
正の心。
誰かを助けんとする心。
使命を果たそうと努力する心。
そういったものがなければ、神器は扱えない。
――久志の心は、最早、勇者には相応しくない。
よほど、目標に向かって一直線に戦うユリアの方が相応しい。
負の心が、多すぎる。
愛は負ではないが、愛が転じて憎しみとなればそうではない。
妄執じみた愛情は、もはや神の目には負と映ったのか。
「うるせえっ」
久志からすれば、知ったような口を聞く魔王も憎くてたまらない。
嫉妬が後から後から生まれてくる。
洗脳されていると信じてはいるが、ユリアを知り尽くしたような魔王の言葉に、ずきずきと心が血の涙を流した。
「弱いな、人間というものは。なあ、ベダストラス」
ベダストラス、とは側近の名である。
側近は不満げに触手を揺らし、ぴしりと床を叩いた。
「嫌味でございますか」
久志の手から、竹刀が落ちる。
世界を呪うような慟哭の声。
魔王は崩れ落ちた久志に灼熱の炎を放ち、塵も残さず焼き払った。
2013年1月21日、午後4時44分。
市内の勇者及び自衛隊、各国軍、全滅。
この日を境に、地球上の生物は緩やかな衰退の道を歩む事となる。
◆
ベッドに横たえたユリアは、明らかに衰弱していた。
魔王は黙って細い腕を取り、思い切り握った。
「あぅっ」
喪われかけた生命力が、すぐに痛みによって補填され、血の気が戻る。
ほんのりと薔薇色に染まった頬を、鋭い爪がつうっとなぞった。
「ユリア」
「はい……」
赤くなった手首を見つめながら、ふらふらと起き上がる。
まだ全快ではないようでぐったりしているが、それはそれで儚げな色気があった。
「褒美は、何が欲しい?」
しかしそう言われると、途端に目がきらきらと輝く。
「……あ」
「何だ」
「考えて、ませんでした。ほ、欲しいのが、たくさんあってっ」
両頬を掌で覆って、もじもじとする。
魔王はその両手をそっと掴んで退かし、その顔を覗き込んだ。
「ならば、余が決めてやる」
囁くようなその声は、甘い。
それだけで腰砕けになりそうで、ユリアはぎゅっと目を瞑った。
痛くも苦しくもないのに胸がどきどきとするのが不思議でたまらない。
「魔王妃の座を、くれてやる」
目を見開き、ぽかんと開けた口に魔王の唇が覆いかぶさり、容赦なく舌を絡め取る。
舌も唇もすべて食べられてしまいそうで、頭がくらくらとした。
(え? え、えええ)
がり、と舌を噛まれてびくりと背が跳ねる。走った痛みがますます混乱を加速させ、漸く唇が離れた時にはもう息絶え絶えだった。
肩で息をしながら、必死に訴える。
「……何だ。不満か?」
「そんなっ、ことは、……でもっ、ど、どうして?」
「言わねば分からぬか。――そうだな、これも、褒美だ」
耳元に唇を寄せ、耳朶をがりんと噛む。
走った痛みに、ひゅっと息を呑む。
そして――
「愛している」
――鼓膜を震わす低い声は、そう囁いた。
第12代魔王、即位319年目にして王妃を迎える。
彼女の名前は細川ユリア。唯一の人間の生き残りにして、魔界唯一のマゾヒスト。
好きなタイプは鬼畜外道、好きな事は虐められる事、と後世の歴史にまで残っている。
この代から魔界と神界との全面戦争が始まったが、ユリアもまた、魔王の傍らでご褒美目当てに幾多の神を葬ったとか、葬っていないとか。
これをSMと言ったら本物の人に怒られる気がします。
たぶん純愛じゃないかな……多分。
という訳で、微妙にトリップなのかよくわからない作品でしたが、お読みいただいてありがとうございます。
あんまりキャラが立ってないなーとか、ラストがあっさりすぎるなとか色々思うところはありますが、どうも長くなりすぎた気がするのでキリのいい所で終わりにしました。
いつも通り、番外編らしきものを拍手に用意してありますので、よかったらどうぞ。
説明しきれなかった部分も一応ちらっとあります。魔族関連とか。
という訳で、つんどらでした。
誤字脱字報告、ご感想などありましたらどうぞよろしくお願いします。
おまけのキャラ紹介
●魔王 ラグトール・デア・ノスト
容姿はだいたい作中の通り。顔立ちは見ようによっては精悍だけどやっぱり怖い。
孤高の魔王様。実力で魔王の座を掴んだせいで賛否両論だった。
魔族らしく攻撃的で、快楽主義。
サディストというよりは乱暴なだけだったが、虐めると反応するユリアを相手にしているうちに段々と目覚めてきた。
近頃は人界の道具に関心を持つ。
「なるほど、口を開かせる事で体内を曝け出す屈辱と不安を味わわせる訳か。……このまま熱湯とか注いでみるか?」
●細川ユリア
被虐嗜好。好きなプレイは緊縛。縄より革ベルトとかの方が好き。
容姿は可愛い系。身長は156cm。大きくはないが小さくもない。胸はそこそこ。
見てみたい映画は花と蛇。成人指定で手が出せないうちに地球が滅びた。別に気にしていない。
理想のシチュエーションは拉致監禁→調教だった。調教されるまでもない気がするのは気のせいである。
母親がロシア系アメリカ人。父親は日本人。ただし浮気で出来た子供で、認知はされているものの、父親は本来の家族と暮らしていた。1人暮らし。母親は故人。
魔王に出会うまでの期間は長い焦らしプレイだったと思っている。
意外と浮気っぽく見境が無いが、本人曰く、魔王は別格。
戦闘に関しては完全に本能に任せて暴れてみただけ。
最近、側近の本性を見て密かに憧れている。
「触手プレイ……」
●側近 ベダストラス・レメレ
触手系生物。魔族。独身。
魔王の子飼いの部下であり、魔王への忠誠心は魔族でもトップクラスである。
普段は仕事がしやすいように茶髪青年の姿をしている。
最近、ちょっと色々目覚めてきた。
「……若干、あの人を叩くのが快感になってきたような……いや、まさか、そんな」
ユリアが寄ってくるので追い払おうとするが、ついイラッときて叩いては喜ばせているらしい。
●山田久志
常識人。不良っぽい。熱血系。名前が普通。
少年漫画の主人公のテンプレのような性格。不幸にもユリアに惚れた。
1度は魔王も倒したあたり、勇者としては強かったと思われる。
家族は父母に妹1人。普通に同居していた。
最期までユリアが変態であることを認めなかった。