「俺に何か用ですか?」
「っていうので、気になったから捕まえてみたんだ」
時は戻って夏休み初日。
長々と俺の思い出に付き合わされた健太とサーヤは、ようやく解放されたと言わんばかりのため息を吐いて、一息ついた。
「で、結局お前は何が言いたかったんだよ?」
「えーと、こんなカミキリムシもいるんだぜっていうことを教えたかったんだ」
「ならもっと簡略化してくれよ。途中完全に意味のない話が出てきただろ?」
「そ、そうかな?」
「そうに決まってるじゃん。サーヤもなんか言ってあげて」
「……で、ハッちゃんはソイツをどうするの?」
そんなに俺の話が不快だったのだろうか? サーヤは酷く気を落としている。まるで夫の不倫を知ったように。
「と、特にこれと言って決めてないけ――」
「なら山に帰してあげるべきだよ。ソイツだってその方がいいに決まってる」
「で、でも……」
「サーヤの言う通りじゃん。ほら、虫かご!」
強引に虫かごを取り上げた健太は、俺の意見を聞くことなくベランダへ行き、中にいたカミキリムシを虫かごの外に追い出した。
「あーあ。どうしてくれるんだよ?」
「べ、別にいいじゃんかよ。……それよりサーヤ。何か夕立降りそうだし、そろそろ帰ろうぜ?」
「そ、そうね」
俺もベランダを見てそう思った。さっきまでの灼熱地獄とはまた一味違った。鬼が島の雷雲のように、濃い灰色をした不気味な雲が西の空に映っていた。
「じゃ、夏休みの宿題がんばれよ」
「そうよハッちゃん。最終日にまで残していたら、許さないからね」
二人は言い残して、玄関の扉を閉めた。
実は、あの思い出話にはまだ続きがあるんだ。
あの時、カミキリムシが部屋の扉の前にいるのを見て、思考が止まった俺は何が何だか分からなくなった。そして、周りに誰もいないことを確認した俺は一言、カミキリムシに言ってやった。
「俺に何か用ですか?」
って。勿論、返答を期待したわけではなく、立て続けに起こった偶然から目を覚まし、現実の世界へと戻りたかっただけだった。
そのためには、このカミキリムシが「何者でもない単なる虫である」ということを証明しなければならなかった。
でも、現実の世界は予想の斜め上にあった。
「ようやく気が付きやがったか!」
俺はあたりを見回した。誰が声を出したのかを探るために。でも誰もいない。
もう一度カミキリムシの方を見た。そしたらカミキリムシもこっちを見ていた。
あぁ、何て冗談な物語なんだ……。と、とにかく声の主はこの……、この何だ? カミキリムシなのか? それともカミキリムシを模した妖精か何かか?
「え、えーと」
「こら、何か言うことはないのか?」
「…………あ、お茶でも如何ですか?」
その時の俺は相当バカだったと思う。人生最大級にな。
だって、玄関にいるカミキリムシに対して、お茶でも如何だぜ? ハハ、ハハハ。ほんと、今思ったら馬鹿げてるよ!
で、夏休み初日の今日はそのカミキリムシ、ニックネーム・セドルに言われた通りのことをしたんだ。
今日ここに健太とサーヤを集めたことも、俺が話した思い出話の内容も言われた通りにした。もちろん思い出話のことは全て事実だけど、カミキリムシと会話することができる。という内容は話すなと言われていた。
全ての理由は俺にも分からねぇんだが。
あ。外から大きな雨粒が地面に当たる音が聞こえてきた。それもたった数秒の間に、滝のように降り注ぐ雨音が……って、セドルのことすっかり忘れてた!
俺は急いで玄関からベランダに行き、閉まってある窓を開け――。
「遅ーーーい! 一体わしをいつまで追い出すつもりじゃ?」
「わー。ごめんごめん」
カミキリムシのセドルは開いた窓から勢いよく俺に体当たりしてきた。
「たくっ。で、あ奴らは帰ったのか?」
「ああ、ちょうどさっきね」
セドルはティッシュペーパーを一枚掴んでは、器用に自分の体を拭きはじめた。
3DCGのようなあり得ない動きするセドルを見ると、俺が今本当に現実世界にいるのかが分からなくなってくる。こんなテレビでしか見た事ない光景が目の前に広がっているんだからな。
「まったくじゃ、虫をいきなり追い出しやがって。おかげで大粒の雨に当たったではないか」
「それで、健太たちを呼んだのにはどんな意味があるんだ?」
俺は健太たちによって飲み干されたコップに入っている氷をかじるセドルに訊いてみた。
「ま、そのうち結果が来るよ。大丈夫、わしの言う通りにすれば何ら影響はない」
「……」
俺はその言葉が未だに信じれなかった。