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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

持続可能な男女平等

作者: 平田智剛
掲載日:2026/10/29

第一章 滅びた国


「なぜ、セレニア共和国は滅びたのでしょうか」


教授は、教壇のスクリーンに一枚の写真を映し出した。


廃墟となった議事堂だった。


つい5年前まで、その国は世界で最も男女平等な国の一つと評価されていた。


女性の大学進学率は男性を上回り、女性管理職の割合も6割を超えていた。男女平等指数は、何年にもわたって満点を維持していた。


教室の後方で、悠斗が小さく呟いた。


「……女性が6割を超えたってことは、男性は4割未満なんだよな」


その国には一つの特徴があった。


徴兵されるのは、男性だけだった。


「セレニア共和国の最後の大統領は、マルタ・ヴァーグという女性でした」


スクリーンに、笑顔の女性が映し出された。


「マルタ大統領は、女性の徴兵に強く反対しました。一方で、男性だけの徴兵制度については、男女平等の問題として取り上げることを拒否していました」


教室の後方で、翔太が小さく呟いた。


「それ、男女平等なのか?」


隣の美咲が答えた。


「女性が戦争に行かなくて済むのは、いいことじゃない?」


「男は行かされるんだぞ」


「だからって、女性も行くべきなの?」


「そうは言ってない」


2人は小さく笑った。


その隣では、悠斗が彩花のノートを覗き込んでいた。


4人は同じ大学に通う、仲のいい友人同士だった。


翔太と美咲、悠斗と彩花は、それぞれ交際していた。


美咲と彩花は、偶然にもほぼ同じ時期に妊娠し、どちらも双子を授かっていた。


両家の家族には妊娠を伝えており、4人は卒業後の暮らしについて、何度も話し合っていた。


教授が講義を続けた。


「セレニア共和国では、男性だけの徴兵に抗議する運動が広がりました。その中心人物が、エリオ・ラウゼニクです」


画面が切り替わった。


軍服を着た、痩せた男性だった。


「エリオは武装蜂起を起こし、首都を占拠。大統領マルタを拘束しました」


教室がざわめいた。


「拘束されたマルタは、火炙りの刑に処されました。ただし、エリオはすぐには彼女を殺さず、火を使った拷問によって問いに答えさせたのです。その際の記録が、後に公開されています」


教授は、記録の翻訳文を表示した。


マルタは、柱に縛りつけられていた。


足元では、火が燃えていた。


エリオは、まだ弱い炎の向こうから尋ねた。


「なぜ男の死を、男女平等の評価から除外した?」


マルタは、しばらく黙っていた。


やがて、口を開いた。


「……あなた、本当にわからないの?」


「質問に答えろ」


「男は子供を産めない。でも、女は産めるのよ」


エリオは黙っていた。


「考えてみなさい。男が大勢死んでも、生き残った女たちが子供を産めば、次の世代は生まれる。でも、女が大勢死んだら、男がどれだけ生き残っていても、子供を産むことはできないでしょう?」


「だから、男を戦場へ送るのか」


「……社会を存続させるためよ」


マルタは、エリオを見据えた。


「カマキリを知っているでしょう?」


エリオは答えなかった。


「メスのカマキリは、オスを共食いして、産卵の栄養にすることがある。それでも、次の世代は生まれる。オスがメスを食べてしまったら、どうなると思う?」


「……」


「少なくとも、食べられたメスは、もう子供を産めないわ」


エリオは、彼女を睨みつけた。


「人間をカマキリと同じにするつもりか」


「生物学の話をしているの。倫理の話ではないわ」


エリオは、拳を握りしめた。


「……だからといって、男を殺していい理由にはならない」


「あなたは、まだわかっていないのね」


マルタは、首を横に振った。


「社会が求める男女平等は、至上命題ではないのよ」


エリオは、彼女を見据えた。


「……何?」


「至上命題は、持続可能な社会を実現すること。男女平等は、そのための手段にすぎないの」


「……」


「持続可能な社会という目的から逆算して男女平等を掲げるなら、それは男の子よりも女の子を守る男女平等になるのよ」


マルタは、淡々と続けた。


「男の命と女の命を、同じ価値として扱う。そういう意味での男女平等を徹底した結果、社会が滅びてしまったら、何の意味があるの?」


エリオは、しばらく彼女を見つめていた。


「……だから、男の死を無視したのか」


「もちろん、そんなことを公然と言えるわけがないでしょう」


マルタは答えた。


「だから、男性の不利益を男女平等の評価から外したのよ。男たちの死を数えていたら、女性を守る政策が不平等だと批判されてしまうもの」


「……それを、男女平等と呼んでいたのか」


「ええ。女の子たちを守るためには、そうする必要があったの」


「男たちが抗議してもか」


「抗議なら、いくらでもすればいいわ」


マルタは、微かに笑った。


「でも、私たちの評価には反映させない。男の子たちがどれだけ死んでも、男女平等の達成度は下がらない。それでいいじゃない」


「……」


「女性たちは、私たちの政策に感謝してくれたわ。女の子を戦場へ送らずに済んだんですもの」


エリオは、低い声で尋ねた。


「……男たちの命を、何だと思っている?」


マルタは、彼の顔を見た。


「あなたは男だから、男の子を徴兵から守りたかったんでしょう?」


「……」


「私だって女よ。女だから女の子を徴兵から守りたかった。ただそれだけ」


エリオは、ゆっくり首を横に振った。


「……男を犠牲にしなければ存在できない国家なんて、消えればいい」


エリオは火を少し強めた


マルタは、柱に背を押しつけて悶絶した。


エリオは、彼女を見た。


「生き残りたいなら答えろ。お前は閉経しているのか?」


マルタの顔が、こわばった。


「……その質問には答えられない」


「なぜだ」


「私は、この命に代えてでもセクハラには屈しないわ」


マルタは、熱にあえぎながら言った。


「私がここで答えたことが記録に残れば、その質問には問題がなかったことになる。そうしたら、女の子たちが再び泣くことになるでしょう」


エリオは、しばらく彼女を見ていた。


「その心配はない。拷問下での問い自体が、すでに問題だ。お前が答えても、女の子たちが泣くことにはならない」


マルタは、彼の顔を見た。


そして、わずかに頷いた。


「……わかったわよ。閉経してる」


エリオは、火を再び強めた。


炎が高くなった。


マルタは、身をよじった。


「……答えたのに、どうして!」


「決まっているだろう。お前はもう、子供を産めないじゃないか」


「それは……」


言葉が続かなかった。


エリオは、彼女を見据えた。


「産めない奴が死んでも、次の世代は生まれるんだったよな?」


マルタは、口を開いた。


しかし、何も言えなかった。


「そして、体裁を整えるために、産めない奴の死は、なかったことにされるんだよな?」


エリオは、記録を示した。


「お前がこのまま焼け死んだら、この記録と一緒に焼き消してやる」


マルタは、彼を見た。


「お前は、ただ死ぬだけではない。お前の死も、また死ぬんだ」


炎の音が、2人の間で続いていた。


マルタは、苦しげに息を継いだ。


「……私の死すら……死ぬ」


「そうだ。お前は何千人もの男を、2回も殺したんだ」


マルタは、エリオを見つめた。


その目から、初めて涙がこぼれた。


「……ごめんなさい。私が、間違ってた」


エリオは、しばらく黙っていた。


やがて、火を消した。


マルタは、柱に縛られたまま、俯いていた。


「その火傷は、お前に殺された事実すら殺された男たちの怨嗟だ」


マルタは、顔を上げなかった。


「それを背負い、誰もいない場所で、誰にも知られずに生きていけ」


エリオは、静かに言った。


「それがお前の罪だ」


マルタは言った


「私を、殺さないの?」


「そうだ。その代わりに、お前が一番守りたかったはずのこの国自体を殺す。そのほうがお前にとって残酷だろう」


「…」


「さっきも言ったが、男が死ななきゃ存在できない国なら、国のほうが死ねばいいんだ」


教授は、そこで記録を止めた。


「エリオは、実際にその思想を行動へ移しました」


スクリーンには、軍事侵攻の経過を示す地図が映し出された。


「エリオ率いる武装勢力は、敵国との協定によりセレニア共和国の防衛力を弱体化させました。その後、敵国軍が首都へ侵攻。セレニア共和国は降伏し、国家として消滅しました」


悠斗が、眉をひそめた。


「……本当に滅ぼしちゃったんだ」


教授が続けた。


「記録のとおり、エリオはマルタを焼き殺しませんでした。彼女は重い火傷の治療を受けた後、国外の孤島へ流刑となりました。命だけは助けられたのです」


「流刑?」


一人の学生が尋ねた。


「はい。流刑先は公表されていません。その後のマルタの消息も不明です」


教授は、最後にもう一度、マルタとエリオの写真を並べた。


「この事件から、まだ5年しか経っていません。では、皆さんなら、どちらの思想を支持するでしょうか」


教室は静まり返った。


第二章 どちらが正しいか


「では、皆さんに議論していただきます」


教授は、スクリーンに二つの名前を並べた。


マルタ・ヴァーグ。


エリオ・ラウゼニク。


「どちらの思想に共感しますか。4人程度のグループで話し合ってください」


美咲が最初に口を開いた。


「私はマルタかな」


「俺はエリオ」


翔太が即答した。


「私もマルタ」


彩花が続いた。


「じゃあ俺もエリオ」


悠斗が言った。


4人は顔を見合わせて笑った。


「見事に男女で分かれたね」


美咲が言った。


翔太は腕を組んだ。


「俺は、男だけ徴兵されるのがおかしいと思う」


「でも、女性まで徴兵されたら、もっと犠牲者が増えるじゃん」


彩花が反論した。


「だから、男も女も徴兵しなければいいだろ」


「それで国が守れなかったら?」


「国のために男が死ななきゃいけないっていう前提がおかしいんだよ」


美咲は首を傾げた。


「でも、社会がなくなったら、みんな困るでしょ」


「だからって、男を犠牲にしていいのか?」


「よくはないよ。でも、どうしても誰かが犠牲になるなら、社会全体の利益を考える必要もあると思う」


彩花が頷いた。


「マルタのカマキリの話も、言い方はひどいけど、繁殖の仕組みに違いがあるっていう点は理解できるよ」


翔太は苦笑した。


「じゃあ、俺たちも食われるのか?」


「そんなわけないじゃん」


美咲は笑った。


「でも、もし本当にそうするしかないなら?」


悠斗が尋ねた。


「そのときは、合理的な方を選ぶしかないんじゃない?」


彩花が答えた。


「俺たちが死ぬ方が合理的だとしても?」


「……まあ、子供を残すことだけが目的なら、そうなる場合もあるでしょ」


悠斗は、美咲と彩花のお腹を見た。


「……じゃあ、俺たちの子供が生まれるためなら、俺たちは死んだ方がいいのかな」


美咲が笑った。


「何よ、急に」


「いや、何でもない」


翔太が言った。


「でも、俺は嫌だな」


「何が?」


「自分の命が、社会にとって必要かどうかで決められること」


美咲は、少し考えた。


「……それは私も嫌だよ」


「じゃあ、なんでマルタを支持するんだ?」


「女の子を守りたかったって気持ちは、わかるから」


彩花も頷いた。


「私たちだって女だからね」


翔太は、もう一度スクリーンを見た。


そこには、5年前に滅びた国の写真が映っていた。


「……俺たちだって男だけどな」


チャイムが鳴った。


その日の議論は、そこで終わった。


第三章 最後のキャンプ


大学最後の夏休み。


4人は、小さな島へキャンプに出かけた。


本土から船で数時間。


島には定期航路がなく、3日後に迎えの船が来る予定だった。


妊娠中の美咲と彩花に配慮し、4人は海岸近くで過ごすだけの穏やかな計画を立てていた。


ところが、上陸した翌日、天候が急変した。


暴風雨。


海は荒れ、通信機器も故障した。


迎えの船は来なかった。


最初の数日間、4人はそれほど心配していなかった。


「そのうち救助が来るよ」


翔太が言った。


「妊婦が2人もいるんだから、優先して助けてくれるでしょ」


美咲は笑った。


「それまでに食料が尽きたら?」


悠斗が冗談を言った。


彩花が答えた。


「そのときは、よろしくね」


「……何が?」


「ほら、ジェンダーと倫理の授業で話したじゃん」


「ああ、カマキリの話?」


「そうそう。私たち、合わせて4人も赤ちゃんがいるんだよ」


美咲も笑った。


「持続可能な社会のために、よろしくお願いします」


「ひでえなあ」


翔太は大げさに肩を落とした。


4人は笑った。


そのときは、本当に冗談だった。


十日後。


食料はほとんど残っていなかった。


二十日後。


翔太と悠斗は、毎日島を歩き回って食料を探していた。


しかし、得られるものは少なかった。


彩花は立ち上がるだけでも息が切れるようになった。


美咲も、一日の大半を横になって過ごしていた。


救助は来なかった。


そして、ついに食料が尽きた。


第四章 合理的な選択


「……あの話、覚えてる?」


翔太が言った。


夕暮れの海岸。


4人は、わずかに残った焚き火を囲んでいた。


「あの話って?」


美咲が尋ねた。


「マルタの話」


誰も笑わなかった。


翔太は続けた。


「俺たち4人のうち、男2人が死ねば、美咲と彩花、それに子供4人が生きられるかもしれない」


「……やめてよ」


彩花が言った。


「でも、本当にそういう状況だろ」


「やめてってば」


翔太は黙った。


しばらくして、悠斗が言った。


「……俺、考えたんだけどさ」


3人が顔を上げた。


「俺たちだけ生き残るのは、嫌なんだよ」


「……どういうこと?」


彩花が尋ねた。


「俺たちが彩花と美咲を犠牲にして生き残ったら、子供たちも死んじゃうだろ」


「……うん」


「でも、俺たちが死んだら、4人の子供たちが生きられる可能性がある」


悠斗は、自分の手を見つめた。


「……だから、俺たちを食べてくれ」


「嫌だよ!」


彩花は叫んだ。


「そんなこと、できるわけないじゃん!」


翔太が言った。


「……でも、人数を考えたら、その方がいい」


美咲は首を横に振った。


「嫌だ」


「美咲」


「嫌だって言ってるでしょ!」


美咲の目に涙が浮かんだ。


「翔太を殺して食べるくらいなら、私も死ぬ!」


翔太は、何も言えなかった。


彩花も、泣きながら頷いた。


「……私も、悠斗を食べるなんてできない」


悠斗は俯いた。


「……そっか」


長い沈黙が続いた。


やがて翔太が、小さく笑った。


「……俺たち、立場が逆になっちゃったな」


美咲が顔を上げた。


「……え?」


「大学では、美咲たちがマルタを支持して、俺たちがエリオを支持してた」


「……うん」


「でも、今は俺たちがマルタの考え方をしてる」


悠斗が頷いた。


「……子供を残すためなら、男が犠牲になるべきだって」


彩花は、涙を拭った。


「……そして、私たちはエリオの考え方をしてるんだね」


美咲が言った。


「……男の人を殺さなきゃ続かないなら、みんなで死ねばいいって」


誰も否定しなかった。


第五章 父親たち


その夜。


翔太と悠斗は、焚き火の前に座っていた。


美咲と彩花は、少し離れたところで眠っていた。


「……なあ、悠斗」


「何?」


「俺たち、このままだと全員死ぬよな」


「……うん」


「でも、俺たちが死ねば、子供たちは助かるかもしれない」


「……うん」


翔太は、火を見つめた。


「……俺、決めた」


「……何を?」


「俺が死ぬ」


悠斗が顔を上げた。


「……は?」


翔太は、眠っている美咲を見た。


「……美咲に、俺を食べてほしい」


悠斗は、しばらく黙っていた。


「……じゃあ、彩花はどうなるんだよ」


「……彩花?」


「美咲がお前を食べて生きるなら、彩花には何を食べさせる?」


翔太は、答えられなかった。


悠斗が言った。


「……俺だろ」


「……」


「俺は、彩花に食べてもらえばいい」


翔太は、悠斗に向き直った。


「……悠斗が彩花に食べられるなんて、辛すぎる」


悠斗は、翔太を見た。


「俺だって、翔太が美咲に食べられるなんて耐えられないよ」


「……でも、自分ならいいのか?」


「……彩花なら」


翔太は、俯いた。


「なんで、彩花に食べられたいんだよ」


悠斗は、少し離れたところで眠っている彩花を見た。


「……あいつ、俺が平気だって言っても、平気じゃないときは気づくんだよ」


「……うん」


「無理に聞き出そうとしないで、黙って隣に座っててくれる。俺が話せるようになるまで」


悠斗は、小さく笑った。


「そういうところが、好きなんだ」


翔太は、何も言わなかった。


「……だから、あいつに食べてもらって、あいつが生きてくれるならって思う」


悠斗は、翔太に向き直った。


「お前は? なんで、美咲がいいんだよ」


翔太は、眠っている美咲を見た。


「……美咲って、笑うと先に目が細くなるだろ」


「……ああ」


「俺のくだらない話にも、あの顔で笑ってくれるんだよ。ほかのやつが誰も笑わなくても」


翔太は、膝の上で手を握った。


「あいつが笑ってると、俺、ここにいていいんだなって思えるんだ」


悠斗は、頷いた。


「……あの顔、もう一度見たい」


「……うん」


「そのために俺を食べなきゃいけないなら、美咲がいい」


浜辺の奥の木陰で、見知らぬ女性が、2人の会話を初めからずっと聞いていた。


翔太は、悠斗を見た。


「……でも、お前が彩花に食べられるのは、やっぱり嫌だ」


「……俺も、お前は嫌だよ」


2人は、黙り込んだ。


2人の向こうで、美咲と彩花は眠っていた。


翔太は立ち上がった。


そして、燃え盛る焚き火へ向かって歩き始めた。


「待てって!」


悠斗が立ち上がり、翔太の腕を掴んだ。


「何すんだよ!」


「離せ!」


「嫌だ!」


「俺が死ななきゃ、みんな死ぬんだぞ!」


悠斗は、翔太を引き戻した。


2人は砂浜に倒れ込んだ。


しばらく、荒い息だけが聞こえていた。


やがて悠斗が言った。


「……自分が食べられるのはいい。でも、お前は嫌だ」


翔太は、悠斗を見た。


「……俺もだよ」


悠斗が泣きながら笑った。


「……なんだよ、それ」


「結局俺たち、自分はよくても、相手が死ぬのはダメなんだな」


そのとき、背後から声がした。


「……何してるの?」


美咲だった。


彩花も、隣に立っていた。


「……悠斗、翔太」


彩花が泣き始めた。


「……お願いだから、死なないで」


美咲は翔太の腕を掴んだ。


「私たち、決めたじゃん」


「……何を?」


「……みんなで生きる。生きられないなら、みんなで死ぬ」


翔太は、しばらく美咲を見つめた。


そして、小さく頷いた。


「……うん」


4人は抱き合った。


誰も、もう一度食料の話をしようとはしなかった。


その夜、4人は初めて、自分たちの死を受け入れた。


第六章 イノシシ


翌朝。


美咲は、肉の焼ける匂いで目を覚ました。


「……え?」


焚き火のそばに、見知らぬ女性が座っていた。


年齢は50歳前後。


粗末な服を着ていたが、顔色はよかった。


頬から首筋にかけて、大きな火傷の痕が広がっていた。


袖口から覗く手にも、皮膚が引きつれた痕が残っていた。


女性は、美咲を見ると微笑んだ。


「おはよう」


「……あなた、誰ですか?」


「この島に住んでいる者よ」


「人が……住んでたんですか?」


「ええ。ずっとね」


女性は鍋を指した。


「イノシシが捕れたの。食べなさい」


美咲は、鍋を見た。


肉が煮えていた。


久しぶりに見る、まともな食事だった。


「……彩花!」


美咲は、彩花を起こした。


「食べ物があるの!」


彩花は、驚いて起き上がった。


「本当に?」


「うん。島に人が住んでたんだって!」


彩花は、女性を見た。


そして、周囲を見回した。


「……悠斗たちは?」


美咲も、そこで初めて気づいた。


男子2人の姿がなかった。


「……翔太?」


返事はなかった。


「悠斗?」


女性が答えた。


「あの子たちなら、もういないわ」


美咲は女性を見た。


「……どういう意味ですか?」


女性は、静かに笑った。


「あなたたちは、食事をしなさい」


第七章 知らない方がいいこと


美咲と彩花は、鍋の前に座っていた。


女性は、2人のために皿を用意した。


「たくさん食べて。お腹の子供たちのためにも」


彩花は、皿を見つめた。


「……悠斗と翔太は、どこに行ったんですか?」


女性は答えなかった。


「……ねえ」


「食べないの?」


女性は優しく尋ねた。


「お腹が空いているでしょう」


彩花は、肉を見た。


そして、島の奥へ続く道を見た。


その道には、何かを引きずったような跡があった。


「……これ、本当にイノシシですか?」


女性は、彩花を見た。


「ええ」


「……」


「イノシシよ」


美咲が、小さく言った。


「……彩花」


彩花は、美咲を見た。


「……何?」


「……食べよう」


「……でも」


「……赤ちゃんたちがいるんだよ」


彩花は、自分のお腹に手を当てた。


「……うん」


美咲は、肉を口に運んだ。


彩花も、それに続いた。


美咲は、二口目を飲み込んだところで、箸を止めた。


皿に残った肉を見つめていた。


「……彩花」


「……何?」


「……これ、翔太のような気がする」


彩花の箸も止まった。


「……私も」


美咲は、彩花を見た。


「……悠斗を食べてる気がして、もう、飲み込めない」


美咲は、彩花の皿に目を移した。


しばらくして、自分の皿を少し差し出した。


「……交換、しない?」


彩花は、自分の皿を差し出した。


女性は、2人の皿を見た。


そして、ためらうように手を伸ばしかけた。


「……私ね、動物の言葉がわかるの」


2人は、女性を見た。


女性は、美咲の皿に目を落とした。


「こっちのイノシシはね、笑うと先に目が細くなる人に食べてほしがっていたわ。自分のくだらない話にも、笑ってくれる人に」


美咲の指が、皿の縁で止まった。


女性は、彩花の皿を見た。


「そっちのイノシシは、平気だと言っても、平気じゃないのに気づいてくれる人。何も聞かずに、黙って隣に座っていてくれる人に、食べてほしがっていたの」


彩花は、顔を上げた。


「……イノシシが、そんなことを?」


「ええ。そう言っていたわ」


女性は、差し出された2枚の皿を見た。


「……それでも、本当にお皿を交換する?」


美咲は、自分の皿を引き寄せた。


肉を見つめたまま、動かなくなった。


「……翔太そっくり」


女性は、黙っていた。


美咲は、首を横に振った。


「そんなことを聞いたら、なおさら食べられないです」


彩花も、自分の皿から目を逸らした。


「……私も。ますます、悠斗みたいで食べられない」


美咲は、箸を握り直した。


しかし、肉に触れる前に、手が止まった。


「……そのイノシシは、私に食べてほしかったんですよね」


女性は、小さく頷いた。


美咲は、俯いた。


「……でも、無理です」


長い沈黙が続いた。


やがて、彩花が美咲を見た。


「……美咲の方なら、食べられると思う」


美咲も、彩花の皿を見た。


「……私も」


彩花は、女性に尋ねた。


「……イノシシ、なんですよね」


「……ええ」


彩花は、ゆっくり頷いた。


「……だったら、交換しても、いいよね」


女性は、伸ばしかけた手を止めた。


「食べられる者の最期のお願いなの。叶えてあげてくれない?」


彩花は、2枚の皿を見た。


そして、箸を置いた。


「……それなら、どっちも食べられないです」


美咲も、首を横に振った。


「……私も。どっちも、無理です」


女性は、黙って2人を見ていた。


やがて、その視線が、2人のお腹へ落ちた。


女性は、伸ばしかけた手を膝に戻した。


「なら、お皿を交換しなさい。動物の願いより、人間の命が優先されるべきだから」


2人は、食べかけの肉が残った皿を取り替えた。


どちらの肉も、正体を確かめたわけではなかった。


彩花は、交換した皿を見つめた。


「……こっちは、悠斗じゃない気がする」


そして、肉を一切れ口に運んだ。


美咲も、自分の前に来た皿から肉を取った。


今度は、口に入れることができた。


男子たちは、食べられたい女子に食べられず、食べられたくない女子に食べられたのかもしれなかった。


女性は、2人が食べる様子を静かに見守っていた。


しばらくして、彩花が再び箸を止めた。


「……あの」


女性が顔を上げた。


「何かしら?」


「……本当に、イノシシなんですよね?」


女性は、少し不思議そうな顔をした。


「ええ。どうして何度も聞くの?」


彩花は答えなかった。


女性は、穏やかな声で続けた。


「あなたたちは、何も悪いことをしていないわ」


美咲が顔を上げた。


「……え?」


「ただ、食事をしているだけでしょう?」


女性は微笑んだ。


「生きるために食べる。それだけのことよ」


彩花は、ゆっくり箸を動かした。


美咲も、食事を続けた。


2人は、最後まで肉の正体を確かめなかった。


女性は、2人が再び食べ始めたのを見届けると、そっと立ち上がった。


浜辺の奥へ歩き、2人に声が届かなくなったところで、足を止めた。


その足元には、大量の血が、水たまりのように広がっていた。


「ごめんね。私も女だから。最後は女の子を優先してしまうの。」


その呟きに、返事はなかった。


第八章 マルタ


翌日。


女性は、再び2人のために肉を煮た。


鍋から取り分ける前に、2枚の皿を並べた。


しばらく、その皿を見ていた。


それから、前日とは逆に肉を取り分けた。


美咲に出すはずの肉を、彩花の皿へ。


彩花に出すはずの肉を、美咲の皿へ。


2人の前に皿を置くと、女性は言った。


「食べる前に、『いただきます』だけは言いなさい。食べた後に、『ごちそうさま』だけは言いなさい」


美咲は、女性を見た。


「……はい」


彩花も、小さく頷いた。


女性は、2人の向かいに座った。


美咲は、自分の皿を見つめた。


そして、彩花を見た。


「……今日も、替えよう」


「……うん」


2人は、皿を取り替えた。


女性は、何も言わなかった。


美咲が、皿の前で手を合わせた。


「……いただきます」


彩花も、同じ言葉を口にした。


2人は、肉を食べ始めた。


女性は、それを見届けると、鍋を持って席を離れた。


2人から見えないところまで来ると、火傷の残る手を見つめた。


「……確かに私は、女の子に食べさせるために命を殺した」


女性は、目を閉じた。


「でも、その死だけは、やっぱり殺しちゃいけないんだ」


遠くから、皿に箸が触れる音が聞こえた。


「……女の子たち、望まないものを食べさせて、ごめんね」


食事が終わると、美咲と彩花は、空になった皿を前に手を合わせた。


「……ごちそうさま」


誰の名前も、口にはしなかった。


数日が過ぎた。


女性は、2人に食事を与え続けた。


肉を配る順番も、2人が皿を取り替えることも、変わらなかった。


食事の前と後には、短い挨拶が交わされるようになった。


その間、翔太と悠斗は戻らなかった。


美咲も彩花も、彼らの名前を口にしなくなった。


ある夜、彩花が言った。


「……ねえ、美咲」


「何?」


「……あの人、マルタじゃないかな」


美咲は、ある人物の顔を思い出した。


大学の講義室。


教授がスクリーンに映し出した、女性大統領の写真。


島の女性の顔に残る火傷が、その面影をわかりにくくしていた。


「……まさか」


美咲は呟いた。


2人は、しばらく黙っていた。


美咲が言った。


「……でも、マルタは5年前に流刑になったんだよね。流刑先は、非公開だった」


「……まさか、この島が……」


彩花は、何も言わなかった。


しばらくして、美咲が言った。


「……もし、あの人が本当にマルタだったら、私たち、どうする?」


彩花は、しばらく考えた。


「……どうもしない。だって、あの人がいなかったら、私たちも赤ちゃんたちも死んでたんだよ」


美咲は俯いた。


「……そうだね」


彩花は、膝を抱えた。


「……大学の授業で、私たち、マルタを支持したよね。どうしてだったんだろう」


美咲は、しばらく考えた。


「……女の子を守ってくれたから、じゃないかな。でも、それだけじゃない気がする」


彩花が、美咲を見た。


「……どういうこと?」


美咲は、ゆっくり言った。


「……私たち、自分の手で翔太と悠斗を殺すことはできなかった」


「……うん」


「……だから、みんなで死のうって決めた」


「……うん」


「……でも、誰かが代わりに殺してくれて、何も知らないふりができるようにしてくれたから……」


美咲は、言葉を詰まらせた。


「……私たち、食べちゃったんだよね」


彩花は俯いた。


「……うん」


美咲は続けた。


「……本当は、何の肉なのか、薄々わかってた」


「……うん」


「……でも、あの人がイノシシだって言ってくれたから……」


彩花の目に涙が浮かんだ。


「……知らないふりができた」


美咲は頷いた。


「……マルタは、男の人たちが戦場で死んでいることを知っていた。でも、それを男女平等の評価から除外した」


「……うん」


「……女性たちは、自分で男の人たちを殺したわけじゃない。マルタが、女の子を守るために、男性だけの徴兵を維持してくれた」


彩花は、黙って聞いていた。


「……そして、男性の犠牲を見えなくしてくれた」


「……」


「……だから、女性たちは、マルタに感謝できたんじゃないかな」


彩花は、しばらく考えていた。


やがて、小さく頷いた。


「……私たちと、同じだね」


美咲は、彩花を見た。


「……うん」


「……私たち、あの人に感謝してるんだよね」


「……うん」


「……悠斗と翔太を殺したかもしれない人なのに」


美咲は、しばらく黙っていた。


「……うん」


彩花は、涙を拭った。


「……だから私たち、マルタのような女性を英雄視してしまうんだと思う」


彩花は、しばらく黙っていた。


そして、静かに言った。


「……私たち、男女平等を願ってたはずなのにね」


美咲は答えなかった。


「……知らないふりをしていれば、自分たちを善良な人間だと思っていられるから」


美咲は、膝の上で手を握りしめた。


「……私たち、マルタを批判する資格なんて、ないのかもしれない」


その夜、2人は静かに泣いた。


しかし翌朝、女性が食事を持ってくると、2人はいつもどおり皿を受け取った。


肉の正体を尋ねることもなかった。


第九章 救助


数週間後。


救助隊が島に到着した。


美咲と彩花は保護された。


島に住んでいた女性の姿は、どこにもなかった。


翔太と悠斗も、見つからなかった。


救助隊は島の捜索を続けたが、2人の行方はわからなかった。


病院で、美咲と彩花は事情を尋ねられた。


「島に、ほかの人はいませんでしたか?」


「……いました」


美咲が答えた。


「どんな人でしたか?」


「女性です」


男が2人いたことは、あえて黙っていた。


翔太と悠斗。


自分たちと一緒に島へ渡り、食料を探し、最後まで自分たちを守ろうとしてくれた2人。


出航時の記録にも、2人の名前は残っている。


それでも美咲は、彼らの名前を自分の口から告げなかった。


その方が、余計なことを考えずに済んだからだ。


調査員が続けた。


「その女性は、どのような人でしたか?」


「……私たちに、食べ物をくれました」


「どんな食べ物でしたか?」


美咲は、彩花を見た。


彩花は俯いていた。


「……イノシシです」


美咲は答えた。


「イノシシの肉を、食べさせてくれました」


「その女性の名前は、聞きましたか?」


「……いいえ」


「年齢は、どれくらいでしたか?」


「……50歳くらいだったと思います」


「ほかに、何か覚えていることはありますか?」


美咲は、しばらく考えた。


5年前に滅びた国。


女性大統領。


非公開の流刑先。


マルタ・ヴァーグ。


その名前が頭に浮かんだ。


しかし、美咲は首を横に振った。


「……ありません」


彩花も、何も言わなかった。


2人は、その後の聞き取りでも、島の女性がマルタに似ていたことを話さなかった。


翔太と悠斗の捜索は続けられた。


しかし、2人が見つかることはなかった。


第十章 男女平等の授業


翌年。


美咲と彩花は大学へ復帰した。


2人とも、双子を無事に出産していた。


翔太と悠斗は、いまだに行方不明のままだった。


大学では、4人の遭難事件が大きな話題になっていた。


しかし、美咲と彩花は、事件についてほとんど語らなかった。


授業では、再びジェンダー平等について学んでいた。


担当教授は、50代の女性だった。


この授業では、学生の発言が毎回SからDまでの5段階で評価され、授業終了後に講評とともに公開されることになっていた。


ある日の授業。


スクリーンには、東京都立高校の入試制度についての資料が映し出されていた。


「東京都立高校では、かつて男女別に定員が設定されていました。しかし、同じ点数でも性別によって合否が変わることが問題視され、男女別定員制は廃止されました」


教授は、学生たちを見渡した。


「皆さんは、この改革についてどう思いますか?」


美咲が手を挙げた。


「同じ点数なのに、女子というだけで不合格になるのはおかしいと思います。性別ではなく、本人の能力で評価するべきだと思います」


教授は笑顔で頷いた。


「素晴らしい意見ですね。まさに男女平等の基本です」


続いて、一人の男子学生が手を挙げた。


「でも、それなら大学の女子枠入試はどう説明するんですか?」


教授は、男子学生を見た。


「どういう意味ですか?」


「女子枠入試は、女子だけが応募できる枠ですよね。同じ能力でも、男子という理由でその枠には応募できません。それは、今の話と矛盾しませんか?」


教授は少し考えた。


「女子枠入試には、女性の進学を促進するという目的があります。都立高校の男女別定員制とは、背景が異なります」


「でも、さっきは性別ではなく本人の能力で評価するべきだとおっしゃいましたよね」


「制度には、それぞれ異なる目的があります。単純に同列には扱えません」


男子学生は、それ以上質問しなかった。


授業終了後、発言評価が公開された。


美咲:S評価。


講評には、こう書かれていた。


「性別による不利益を的確に指摘し、男女平等の本質を理解している」


一方、男子学生はB評価だった。


「異なる制度を単純に比較しており、制度の背景に対する理解が不十分」


美咲は、しばらく画面を見つめていた。


男子学生の質問は、それほどおかしかっただろうか。


少なくとも、考える価値のある疑問だったように思えた。


しかし、美咲は何も言わなかった。


自分はS評価だった。


それで十分だった。


⸻


翌週。


教授は、大学の理工系学部などで導入されている女子枠入試について説明していた。


「女性の進学率が低い分野では、従来の入試制度だけでは男女間の格差が解消されない場合があります。そのため、女子枠を設ける大学が増えています」


教授は学生たちに尋ねた。


「皆さんは、この制度をどう評価しますか?」


彩花が手を挙げた。


「私は賛成です。男女平等を実現するためには、単に同じ条件にするだけでは不十分だと思います」


教授は頷いた。


彩花は続けた。


「大切なのは、平等よりも公平性だと思います。もともと女性が少ない分野では、女性が進学しやすくなるように特別な枠を設けることにも意味があると思います」


「素晴らしいですね」


教授は微笑んだ。


「形式的な平等と、実質的な公平の違いを、よく理解していますね」


そのとき、先週と同じ男子学生が手を挙げた。


「でも、それなら都立高校の男女別定員制を廃止したことは、どう説明するんですか?」


教授は男子学生を見た。


「どういう意味ですか?」


「先週は、同じ点数なら性別に関係なく合格させるべきだという意見が高く評価されましたよね。でも、今週は、性別によって入学の機会を変えてもよいという意見が高く評価されています」


「それは、制度の目的が異なるからです」


「目的が違えば、同じ点数でも性別によって合否が変わっていいんですか?」


教授は、少し間を置いた。


「女子枠入試は、歴史的・社会的な格差を是正するための制度です。単に点数だけを比較して、公平かどうかを判断することはできません」


「それなら、都立高校の男女別定員制についても、制度が作られた背景や目的を考慮する必要があるんじゃないですか?」


教授は首を横に振った。


「すべての制度を同じ基準で論じるのは適切ではありません。もう少し、個々の制度の背景を理解してください」


男子学生は黙った。


授業終了後、発言評価が公開された。


彩花:S評価。


「形式的平等と実質的公平を区別し、女性の社会進出を促進する政策の意義を正しく理解している」


男子学生:B評価。


「制度の歴史的背景に対する理解が不十分であり、議論が形式的な平等に偏っている」


彩花は、評価を見つめた。


先週は、同じ点数なのに性別で合否が違うことを批判した美咲がS評価だった。


今週は、性別によって入学の機会を変えることを肯定した自分がS評価だった。


そして、両方の授業でその違いを尋ねた男子学生は、B評価だった。


彩花は、美咲を見た。


美咲も、同じ画面を見つめていた。


「……ねえ、美咲」


「何?」


「……あの人、そんなに変なこと言ってたかな」


美咲は、すぐには答えなかった。


「……制度の目的が違うから、じゃない?」


「……うん」


彩花は頷いた。


しかし、何かが引っかかっていた。


制度の目的が違うなら、その違いを説明すればいい。


質問しただけで、なぜ評価が下がるのだろう。


それに、性別による不利益を批判することがS評価になるなら、男子の不利益を問題にすることも、同じように評価されるべきではないのか。


彩花は、もう一度画面を見た。


B評価。


その文字を見ているうちに、島に行く前の翔太の言葉を思い出した。


――俺たちだって男だけどな。


彩花は、慌てて画面を閉じた。


「……でもさ」


美咲が言った。


「何?」


「こういう女性たちが、女性の地位向上を実現してくれたんだから、感謝だよね」


彩花は、少し考えた。


「……うん。そうだね」


そして、微笑んだ。


「私たちも、そういう女性たちのおかげで、今の生活ができてるんだもんね」


「……うん」


2人は、笑い合った。


しかし、美咲の心には、先ほどから同じ言葉が浮かんでいた。


――やっぱり、おかしい。


彩花も、同じことを考えていた。


それでも、口には出さなかった。


自分たちが守られるために、女性たちが努力してきた。


その努力によって、女性の地位は向上してきた。


たとえ、その過程で男性が不利益を受けていたとしても。


それを批判することは、自分たちを守ってくれた女性たちへの裏切りのように思えた。


美咲は、ふとマルタの言葉を思い出した。


――私だって女よ。女だから女の子を徴兵から守りたかった。ただそれだけ。


マルタも、女性たちから感謝されていた。


そして、自分たちも、マルタに感謝していた。


翔太と悠斗を殺したかもしれない女性に。


美咲は、その考えを振り払った。


「……帰ろっか」


「……うん」


2人は、教室を後にした。


⸻


別の日。


教授が尋ねた。


「男女平等とは、何でしょうか」


美咲は、ノートを開いた。


そこには、以前4人で議論した内容が残っていた。


男性の不利益も、女性の不利益も、どちらも数えるべきだ。


どちらか一方の犠牲を、存在しなかったことにしてはならない。


美咲は、その文章を見つめた。


先週、B評価を受けた男子学生の顔が浮かんだ。


そして、翔太の顔が浮かんだ。


美咲は、ゆっくり文章を消した。


教授が続けた。


「男女平等を実現するためには、何が必要だと思いますか」


彩花が答えた。


「……女性が安心して子供を産み育てられる社会だと思います」


教授は頷いた。


「素晴らしいですね」


美咲も頷いた。


そして、心の中で呟いた。


――翔太と悠斗がいたから、私たちは生きている。


だが、その言葉を口にすることはなかった。


口にしてしまえば、自分たちが何を食べたのか、認めることになる。


それは、自分たちがジェンダー平等を語る資格を失うことを意味していた。


だから、2人は黙った。


終章 最後のアンケート


卒業前、最後のジェンダーと倫理の授業。


教授は、学生たちにアンケートを配った。


「この授業を通じて、男女平等についてどのように考えるようになりましたか」


美咲と彩花は、同じ机に座っていた。


2人は、しばらく何も書けなかった。


やがて、彩花が言った。


「……ねえ、美咲」


「何?」


「……私たち、ずっと嘘をついてきたよね」


美咲は、彩花を見た。


「……うん」


「……悠斗と翔太のこと」


美咲は、目を閉じた。


「……うん」


彩花は、涙を拭った。


「……私たち、本当はわかってたのに、ずっと知らないふりをしてきた」


美咲は、しばらく黙っていた。


やがて、静かに答えた。


「……だって、認めてしまったら、私たちが男女平等だと思っていたものが、全部嘘になっちゃうから」


彩花は頷いた。


「……うん」


「……私たち、翔太と悠斗を守ることはできなかった」


美咲は、震える手でペンを取った。


「……でも、それだけじゃない」


彩花が言った。


「……私たち、自分が守られるために、悠斗と翔太が犠牲になったことを、見えないようにしてきたんだよね」


美咲は、頷いた。


「……うん」


2人は、共同でアンケートに回答することにした。


美咲が最初の一文を書いた。


彩花が、続きを書いた。


2人は、しばらく文章を見つめていた。


それから、同じ文章をそれぞれのアンケート用紙に書き写した。


翔太と悠斗の名前は、どちらの用紙にもなかった。


2人は立ち上がり、教壇の上にアンケート用紙を置いた。


教授は、2人に微笑んだ。


「お疲れ様でした」


美咲と彩花は、小さく頭を下げた。


教室を出ると、春の風が吹いていた。


大学の中庭では、学生たちが笑っていた。


その中に、翔太と悠斗の姿はなかった。


机の上には、2枚のアンケート用紙が残されていた。


そこには、同じ文章が記されていた。


男女平等と言いながら、不正をしてでも女を守ろうとする女に、女は感謝してしまう。


持続可能な男女平等とは、男性を無視する男女平等である。

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