処刑される悪女に転生したので、処刑人を口説きます
群衆のざわめきと、冷たい風が頬を叩く。まばゆい青空の下、私は今、人生最大の——正確には、二度目の人生最大のピンチに直面していた。
「——よって、公爵令嬢ルチア! 貴様のもつ数々の蛮行、そして聖女リゼットに対する毒殺未遂の罪により、ここに爵位を剥奪し、死刑に処す!」
朗々と響き渡る声の主は、私の元婚約者であり、この国の王子であるエリオットだ。見下ろしている彼の金髪は陽の光を反射してやけに眩しく、その顔には「悪女を断罪する正義の王子」を演じることへの陶酔がありありと浮かんでいる。そんな彼の後方では、白を基調とした聖女のドレスを纏った義妹——もとい、か弱い『本物の聖女』を自称するリゼットが、わざわざハンカチで目元を押さえて健気に震えている。その肩の揺れ方があまりにも演劇的すぎて、見ているこちらの胃が痛くなりそうだ。
(……は? いやいやいや、待って待って待って、展開が雑すぎない?)
首を切り落とされる直前の断頭台の上で、私は冷や汗を流しながら脳をフル回転させていた。
私は日本のブラック企業に勤めていて、終電逃しは当たり前、休日出社もノーカウントという環境で身を粉にして働いていた悲しき社畜だった。ある日、過労の末に意識を失い、「気づいたら死んでたわ」と思ったら、大好きな乙女ゲームの世界の悪役令嬢・ルチアに転生していたのだ。
転生してから、私は決意した。「今度こそは、あんなブラックな環境とは無縁の、陽だまりの縁側でお茶を嗜むような平穏なライフを送るんだ」と。そのため、原作通りの悪女ルートを全力で回避し、地味に、おとなしく、目立たないように生きてきたはずだった。それなのに、いつの間にか「聖女リゼットを階段から突き落とした」「お茶に毒を盛った」という身に覚えが全くない巧妙なでっち上げの冤罪を着せられ、なぜか盛大に国中のさらし者にされながら公開処刑の舞台に立たされている。
(ここで死んだら、私、また最低の状態で一生を終えることになるじゃん!? ふざけないでよ、前世でも今世でも人権が守られないとかどんな罰ゲームよ、絶対に嫌だ!)
ガタガタと恐怖で震えているわけではない。理不尽な死に対する激しい怒りと、「絶対に生き残って悠々自適なスローライフを勝ち取ってやる」という執念により、私の脳はかつてないほど冴え渡っていた。
観客席からは、「ざまあみろ悪女!」「さっさと首を刎ねろ!」「この句にから出ていけ!」と、生卵でも飛んできそうな勢いの野次が幾重にも飛んできている。群衆はすっかり、エリオット王子と聖女リゼットの美しい悲劇のストーリーに酔いしれていた。
エリオットは民衆の歓声にご満悦な笑みを浮かべると、処刑の合図を出そうと右手を高々と挙げた。
「では、罪人ルチアの断罪に免じ、速やかに処刑を執——」
「ちょっと待ったぁ!!」
奴の声を切り裂くように、私の大きな声が響き渡った。
エリオットの手がピタリと宙で止まり、噓泣きをしていたリゼットが「ひっ」と小さな悲鳴を上げて目を見開く。周囲の群衆のざわめきが静まり返って、一体何事かと言いたげに、全員の姿勢が一斉に私に集中した。
「なんだ、ルチア。いまさら命乞いか? みっともない。見苦しいぞ」
エリオットは鼻で笑うように、忌々しげに私を睨みつけた。
「命乞い? まさか。こんな頭の悪そうな顔をした王子殿下の前で、そんな情けない真似をするわけがないでしょ。見苦しいのはあなたの方よ、エリオット殿下」
私がにやりと不敵に笑って見せると、エリオットは「き、貴様……!」と顔を真っ赤にして怒りを露わにする。私を愚かな子羊として扱いたかった彼にとって、私の態度は予想外だったのだろう。
しかし私の視線はもう、目の前で顔を真っ赤にしている小物王子にはなかった。私の目の前——まさに今、淡々と刃を砥石で研ぎ澄ましていた『ある人物』に向けられていた。
漆黒の髪を無造作に結い上げ、引き締まった長身に血の色を一切通さないような重厚な黒の軍服を纏った男。
彼は、国中から恐れられている王宮専属の処刑人である。その名は、アラン。冷酷非情、不愛想、これまでも数々の政治犯や重罪人を一切の私情を挟まずに無慈悲に葬ってきたと噂される、まるで黄泉の国からやってきた死神のような男だ。誰もが彼と目を合わせることすら恐れ、近づくだけで呪われるとまで囁かれている。
——しかし、私の前世の知識(徹夜でやり込んだ乙女ゲームのシナリオ知識や、隠し設定資料集の隅々まで読み込んだ知識)によれば、彼はただの冷酷な殺人マシーンではない。権力者たちの身勝手な都合や、どす黒い陰謀の言いなりになって汚れ役を引き受けながらも、その胸の内は誰よりも冷めており、この腐り切った王宮の貴族社会を誰よりも軽蔑している。つまり私にとっては、この世界で一番「話の分かる」男でもあるのだ。
おまけに、実は彼、面倒見のいい苦労人だという属性もある。
私は立ち上がって、足音を立てながら彼へと歩み寄った。周囲を固めていた衛兵たちが「おい、勝手に動くな! 下がれ!」と慌てて剣を抜き、殺気立った様子で切っ先を突き付けてくるが、私はそれを無視してアランの目の前でぴたりと立ち止まった。
私と彼には、頭一つ分以上の身長差がある。私は首をぐっと真上に持ち上げ、彼を見上げる形になりながらも、決して怯むことなく、むしろ悪女らしく妖艶な笑みを唇に浮かべてみせた。
「ねえ、処刑人さん」
アランはゆっくりと首を動かし、私を見下ろす。
「……なんだ、罪人」
彼の発した声は、地底から響くように低く、ぞっとするほどに冷ややかで、聞いた者の背筋を凍らせるような重みがあった。普通の人間なら、この視線と声だけで恐怖のあまり失神してしまうこともあるだろう。
しかし、連日の理不尽で無慈悲な上司のパワハラを生き抜いた社畜の私にとって、この程度のプレッシャーは涼しい風のようなものだ。私は動じるどころかさらに一歩彼との距離を詰め、身体をすり寄せた。ちなみに両手は拘束されているので動かせない。
「こんな絶世の美人と、一言も楽しく会話をせずに首を落とすなんて……あなたの今後の人生において、ものすごい大損だと思わない? どうせすぐ殺すくらいならさ、私と一緒にイイことをしてからでもいいのじゃないかしら」
しんっ……と、その場の空気が凍り付いた。ガヤガヤと野次を飛ばしていた民衆のざわめきがぴたりと止まり、後ろで怒鳴りかけていた衛兵たちの口がぽかんと開いたまま動かなくなる。
「え……?」
エリオットが、間の抜けたひっくり返った声を漏らした。
「なっ……何を、何を狂ったことを言っているんだルチア! お前は今から死刑に処されるんだぞ! なんだそのふざけた態度は……!」
彼は青筋を立てて怒鳴り声をあげているが、私の耳には届かない。何しろ、私の目の前にいる『死神』の反応が、あまりにも予想外で面白過ぎたからだ。
アランの耳が、みるみるうちに真っ赤に染め上がっている。彼はその冷たい瞳を大きく見開いたまま、私の顔を凝視して、硬直した。
(よし。見事に第一段階クリア……!)
私は心の中で渾身のガッツポーズを決めながら、目の前で固まっている死神の端正な顔を見上げ、余裕たっぷりの笑みを浮かべてみせたのだった。
「……正気か?」
フリーズしていたアランが、絞り出したような低い声でそう呟いたのは、周囲の野次が戸惑いの声に変わっていく中で、ゆうに数分が経過した後のことだった。
真っ赤に染まっていた彼の耳たぶはすでに元の色に戻りかけていたが、代わりにその銀色の瞳には、信じられないものを見ているかのような混迷の色が浮かんでいる。
「正気も何も、こっちは自分の首がかかっている真剣勝負よ。ねえ、処刑人さん。このままここで首を落とすよりも、私の話を聞いた方が貴女にとっても面白いはずよ?」
私が不敵に微笑みながら小声でそう囁くと、アランはかすかに眉を寄せた。
そもそも、この公開処刑は最初から茶番劇だった。
第一王子であるエリオットと、その取り巻きである聖女もどきのリゼットが、自分たちの不正(王宮資金の横領と、聖女としての能力詐称)を隠蔽するために、邪魔な公爵令嬢である私を「悪女」に仕立て上げて抹殺しようとしただけの話だ。こんなものは、初歩的な冤罪工作でしかない。
だがこれを民衆の前で証明しようにも、エリオットたちは私の弁明の機会を一切奪ったまま、いきなり処刑台へと引っ張り上げたのだ。普通ならここで詰んでいる。
しかし——目の前にいるこの男、アランは別だった。彼は、誰よりも王宮の腐敗を間近で見てきた人物だ。そして何より、彼は命令に忠実なだけの殺人人形ではない。
「……王子殿下」
アランはエリオットの方を振り返り、低く通る声で告げた。
「この罪人の命ですが……一度、私が預かってもよろしいでしょうか」
「は? 何を言っているアラン! さっさとその女の首を刎ねろ! そいつは危険だ、何を言い出すかわかったもんじゃない!」
エリオットは青ざめた顔で声を荒げ、今すぐにでも斧を振り下ろすよう命じた。リゼットも「そうですわ。あんな悪女が生きていては神罰が……」と怯えたように震えている。しかしアランは微動だにせず、冷徹な視線をエリオットに突き刺した。
「処刑の執行権は、国王陛下により私に一任されているはずですが。それに……これほど大勢の衆人の前で、まともな弁明の機会すら与えずに処刑を強行すれば、後々『身勝手な処刑だったのではないか』と民衆の間で余計な疑念を生むことになるかもしれません。彼女の言う通り、一度尋問を行い、話を聞き出してからでも遅くはないはずです」
その、正論を装った脅し文句に、エリオットはぐっと言葉を詰まらせた。これ以上ごねれば、かえって自分たちの後ろめたい黒い噂が民衆に勘ぐられると察したのだろう。
エリオットは歯噛みしながらも「……勝手にしろ! ただし、一週間以内に必ずその首を刎ね飛ばせ!」と吐き捨てるように言い放ち、逃げるようにその場から去っていった。リゼットも慌ててその後に続く。
こうして、私は周囲のどよめきを背中に受けながら、死神の異名を持つアランに連れられて、彼の私邸へと連行されることになったのだった。
◇ ◇ ◇
アランの私邸は、王城から少し離れた緑深い一角にひっそりと佇んでいた。無機質な石造りの外観に、手入れが行き届いているのかいないのか、妙に殺風景な庭。いかにも「友人が一人もいなさそうなお一人様の屋敷」という雰囲気が漂っている。
玄関の扉がギシッと音を立てて開き、私たちは屋敷の内に足を踏み入れた。
「……勝手に動くな。そこに座っていろ」
アランは冷たい声でそう言い残すと、武装していた剣や手袋を乱暴に机の上に放り投げ、大きな黒いソファにドサリと腰を下ろした。
私はといえば、恐怖で縮こまるどころかズカズカと勝手に部屋の中を見回して、「へえ、意外と綺麗にしているじゃない。あ、でも埃が少し溜まっているわね」など、まるで友人の家に来たかのようにリラックスしていた。
「おい、お前……」
頭を抱えるようにソファに肘をついたアランは、ジトッとした目をこちらに向ける。
「自分が置かれている状況を理解しているのか? 俺はお前を助けたわけではない。ただ、王家の不手際であらぬ疑いをかけられるのを防いだだけだ。このままでは、一週間後にはお前はあの処刑台に戻る可能性が高い」
「あら。冷たいことを言わないでよ、処刑人さん」
私は彼の向かい側に、スカートの裾を上品に翻しながら腰かけ、にこりと微笑んだ。
「結果的に、私を助けてくれたのは事実でしょう? それに、一週間もあれば状況をひっくり返すことなんて余裕よ。私をあなたの味方につけた方が、あなたにとっても絶対に得になるわ」
「……お前を味方に? 罪人が何を言う」
「だって、あなたはあの王子たちのやり方がずっと前から気に食わなかったでしょう? 権力者の犬として汚れ仕事ばかり押し付けられて、うんざりしていた。違う?」
アランの瞳が揺らいだ。図星だったのだろう。彼は何も言わず、ただ鋭い眼光で私を凝視する。その沈黙こそが、肯定の証拠のようなものだ。
私はさらに畳みかけるように、身を乗り出した。
「私はね、死にたくないの。あんなクソみたいな王子と腹黒い義妹にハメられて、無実の罪で人生の幕を閉じるとか絶対にゴメンだわ。だから、私と手を組んでくれないかしら。あなたの力を貸してちょうだい」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、アランは大きく息をつくと、ふっと呆れたような、諦めたような複雑な笑みを浮かべた。
「……本当に。お前が悪女かどうかは知らないが、その図太さは一級品だな。普通の人間は、俺の顔を見ただけで泣き出すか気絶するかのどちらかだぞ」
「誉め言葉として受け取っておくわ。で、どう? 私に協力してくれる気にはなった?」
「……勝手にしろ。ただし、俺の命令には従ってもらう。みすみす逃げ出したりしたら、今度こそその首を刎ねるからな」
「はい、りょーかい!」
こうして、私は処刑人アランとの監視生活(という名の同居生活)をスタートさせることになったのだ。
◇ ◇ ◇
アランの私邸で過ごし始めると、前世でバリバリの社畜として生き抜いてきた私の生活力とおせっかい精神が、素晴らしい方向で発揮されることになった。
彼の家を見回してみれば、食事はいつも適当なパンや保存食ばかり。部屋の隅には埃が溜まり、洗濯物は山積みになっている。使用人も雇っていないようだ。仕事一筋で自分の生活を全く省みてこなかったのだろう。
「ちょっと処刑人さん、これじゃあ免疫力が落ちて仕事中に斧を落としちゃうわよ」
「ほっとけ、俺の勝手だ。……あと俺のことをわざわざ処刑人と呼ぶな」
「あらそう、ならアランと呼ばせてもらうわね。ま、あなたがなんと言おうと、環境は徹底的に整えさせてもらうわ!」
私は彼の制止を無視して、袖をまくると、さっそくキッチンへと向かった。
前世で長年一人暮らしをしてきた経験と、お嬢様としての教養がここで見事に融合する。屋敷にあったあり合わせの食材(といっても、肉の塊と根菜くらいしかなかったが)を使い、手際よく、香ばしく食欲をそそるスープと簡単な煮込み料理を作り上げた。
ダイニングテーブルに温かい湯気の立つ皿が並んだ時、アランは怪訝そうな顔をしてふらりとやってきた。
「……なんだ、この匂いは」
「晩御飯よ。ほら、座って。毒なんて入っていないから安心して。私が一番行きたいんだから」
皮肉を交えつつ席を勧める。アランは疑わしそうにスープの皿を見つめ、恐る恐るといった様子でスプーンを口に運んだ。
そして……彼の端正な顔が、わずかにぴくりと固まった。
「……美味い、な」
「でしょ? 料理の腕には自信があるのよ。これでも前世じゃあ、深夜残業の合間に自炊でストレスを発散していたからね!」
「ゼンセ?」
「気にしないで、独り言だから」
私は慌てて言葉をごまかしながら、自らもスプーンを口に運ぶ。
目の前で黙々とスプーンを動かすアランの横顔を盗み見ると、彼の表情は冷徹な死神のそれではなく、どこか穏やかで、ほんのりと温かみを帯びているように見えた。
食事を片づけた後、私たちはテーブルに広げた王宮の勢力図や、エリオット王子たちのこれまでの不正の証拠になり得る書類の山に向き合っていた。
「ねえ、アラン。この『聖女リゼットの奇跡』という記録だけれど、よく見ると不自然な点がいっぱいあるのよ。彼女が聖女としての力を発揮したとされる日は、いつも決まって特定の貴族領で不可解な資金の移動が起きている」
「……ああ、お前がそれを指摘するとはな。確かに、監査局もその辺りを嗅ぎ回り始めてはいるが、王子が圧力をかけて握り潰している」
「なら、その握り潰された証拠の原本を引っ張り出せばいいのよ。どこにあるのか、あなたは大まかに当たりをつけているのでしょう?」
アランは私を一瞥した。その瞳には、最初のような警戒心ではなく、私を認めるような色が滲み出ているように感じられた。
「……お前は命が惜しくないのか。一歩間違えたら、俺ごと処刑台に直行だぞ」
「惜しいわよ、めちゃくちゃ惜しいわ! そもそもこうしないとあなたに殺されるんだし、頭フル回転させて必死に考えているんじゃない」
私はふっと笑い、アランの目の前まで顔を近づけた。
「ねえ、アラン。私を助けて、一緒にあのクソみたいな王子たちをギャフンと言わせたら……その時は、ご褒美に私をずっとあなたの側に置いてあげてもいいわよ?」
至近距離で彼の瞳を見つめると、アランは息を呑んだ。彼の耳が、またしてもみるみるうちに赤く染まっていくのがはっきりと分かる。
「っ……お前はな、もう少しこう……令嬢としての自覚を持つべきでは……!」
「自覚十分よ。ほら、あなたの耳、真っ赤になっているわ」
「うるさい! 今夜はもう寝ろ!」
アランは慌てたように立ち上がると、バタンと勢いよく扉を開けてどこかへ行ってしまった。一人残され、私は声を立てて笑った。
(ふふ。あの冷徹な死神様も、意外とちょろくて可愛いところがあるじゃない)
◇ ◇ ◇
アランの私邸で共同生活を始めてから、数日が経過した。「罪人の監視と尋問」という名目でありながら、私の毎日は意外なほど平穏で、そして充実していた。昼間はアランが仕事で王宮に行っている間、私は前世の記憶を頼りにエリオットとリゼットの不正を暴くための証拠を整理し、夜になれば二人でささやかな夕食を囲む。
最初は「面倒な厄介事を拾った」という顔をしていたアランも、今ではすっかりわたしの手料理に胃袋を掴まれたらしく、帰宅して食卓を見るたびにどこか嬉しそうな顔をして、しかしそれを不器用に隠そうとしている。
もちろん、私たちはただ同居生活を満喫しているわけではない。一週間後の期限——つまり、王子たちの前で華麗に証拠を突きつけてざまぁを果たすための準備は着々と包んでいる。
しかし私たちが水面下で動いていることに、相手側が気づかないはずがなかった。
ある夜、何者かがアランの私邸の敷地内に侵入してきたのだ。
(……っ、この嫌な気配は!)
本棚の前で書類をまとめていた私は、背筋に走る悪寒を感じて動きを止めた。次の瞬間、ガチャンッ! とガラスが砕け散る音が響き渡った。
「伏せろ!」
ソファから勢いよく立ち上がったアランが、私の腕を掴んで背後へと庇うように引き寄せる。彼の右手には、いつの間にか抜かれた長剣が握られていた。
砕け散った窓から、黒装束を纏った数名の男たちが影のように滑り込んでくる。全員が鋭い短剣を構え、その殺気は尋常ではない。気を抜けば失神してしまいそうなほどの濃密な死の気配が満ちた。
「……やはり来たか。王家の狗どもが」
アランの唇が冷たく歪む。その瞳に歪んでいたのは、これまで私に向けられていた優しげな色のかけらもない。底知れない、冷徹な「死神」の表情だ。
「アラン、彼らは……?」
「俺が今まで消してきた不都合な人間たちの後始末を模倣した、ただの暗殺者だ。おそらく……お前が何かを企んでいると知った阿呆王子が、一週間も待たずに口封じに消しに来たのだろう」
「なんて短気でせこい男なのよ、あのクソ王子……!」
私は舌打ちをしながらも、アランの背中に隠れるように身体を移動させた。足手まといにはなりたくないし、素人の私が刃物の飛び交う場に出張るわけにはいかない。この戦闘は、彼に任せるしか——。
「離れていろ」
アランが低い声で言う。その声には、ただ静かな怒りだけが宿っているように思えた。
私が頷くよりも早く、暗殺者の一人が目にも留まらぬ速さで跳びかかってきた。
——しかし、アランの動きはそれを遥かに凌駕していた。
金属が激しくぶつかり合う乾いた高い音が響き渡る。アランが振るった剣が一閃すると、暗殺者の持っていた剣はまるで玩具のように容易く叩き折られた。圧倒的な武力差。一瞬の隙も突かせぬ流れるような体さばきで、アランは次々と侵入者たちを無力化していく。
「ぐっ……! これが、最強の処刑人か……」
暗殺者の一人が血を流しながらうめき声をあげるが、アランは容赦なく彼らの退路を断ち、全員を床に捻じ伏せた。
戦闘が始まってから、わずか数分も経っていなかった。静寂が訪れた部屋の中で、アランは荒い息を整えながら、ゆっくりと剣を納める。
「……怪我はないか、ルチア」
アランは振り返り、心配そうに私の顔を覗き込んだ。その銀色の瞳は、まっすぐに私を気遣う温かさに満ちている。
私は胸を撫でおろし、ふっと笑みを浮かべた。
「ええ、おかげさまで無傷よ。さすがアラン、頼りになりすぎるわ。惚れ直しちゃうかも」
「……こんな時に冗談を言うな。一歩間違えれば、お前は今頃……」
そこまで言いかけたアランの言葉が、ぴたりと止まった。そして、自分の左腕を見下ろす。そこからはわずかに赤い血が滲み出ており、服を汚していた。敵の剣にかすったらしい。
「ちょっとアラン。あなた、怪我しているじゃない!」
私は慌てて彼に歩み寄り、ポケットからハンカチを取り出した。
「これくらい、かすり傷だ」
「かすり傷でもばい菌が入ったらどうするのよ。じっとしていて!」
私は彼の腕を引っ張って、ソファへと座らせた。救急用の薬箱を持ってくると、彼の袖を捲り上げる。鍛え上げられていると分かる逞しい腕には、数々の戦いでついたのであろう古い傷跡が生々しく刻まれていた。それを見ると、胸の奥がきゅっと締め付けられるような痛みを覚える。
「……こんな傷、お前に見られるべきではなかったな」
アランは自嘲気味に目を伏せ、自分の腕を引こうとした。しかし私はその手をしっかりと握りしめ、逃がさない。
消毒液を含ませたガーゼで、彼の腕に滲む血をそっと拭いとる。痛むはずなのに、アランは微動だにせず、ただじっと私を見つめていた。
「……怖くはなかったのか。あんな連中が急に襲ってきたというのに、お前は……怯えてもいない」
アランの声には、自嘲と、そして私に対する切実な想いが滲み出ていた。
私は笑みを零しながら、彼の両手を包み込んでまっすぐと銀色の瞳を見返す。
「そりゃ怖かったわよ。でも、私の前には世界で一番強くて、最高に頼りになる処刑人様がいたのだもの。ちっとも負ける気はしなかったわ」
私の言葉に、アランは息を呑んだ。手を掴んでいるから、彼の手が微かに震えているのが伝わってくる。
「……俺は、ずっと汚い仕事ばかりしてきた。権力者の言いなりになって、人を裁き、恐怖を与えるだけの、救いようのない人間だ。お前のような、明るくて眩しい人間が近くにいるべきではないんだ。いつかお前まで、俺のせいで深く傷ついてしまうかもしれない」
アランの声も、震えていた。
彼は誰も味方のいない孤独な世界で、たった一人で「死神」という仮面を被り続け、自分の心をすり減らしてきたのだ。誰も彼も本当の優しさや苦悩を知ろうとはしなかった。
私は驚き、そしてたまらなく胸が締めつけられるような愛おしさを覚えた。だからこそ、彼の傷口にガーゼを当てたまま顔を上げて、彼の真っ直ぐな瞳を捉える。
「何を言っているの、バカね。あなたは私の命の恩人で、信頼できる最高のパートナーよ。それに……」
私は少し背伸びをして、彼の耳元にそっと顔を寄せた。
「そんな風に自分のことを卑下する男の人、私嫌いよ。処刑から助けてもらった時も、さっき助けてくれた時も。私、心から思ったのだもの。この人は、本当は誰よりも純粋で、誰かを守りたいと思える優しい人なんだってね」
アランの身体がびくりと大きく跳ねた。彼の顔が、まるでトマトのように真っ赤に染まっていく。
「なっ……! お前、またそういう……」
「嘘じゃないわよ。あなたのその大きな手は、誰かを傷つけるためにあるんじゃなくて、私を守ってくれるためにあるのでしょう?」
私は彼から少し距離を取って、恥ずかしさを押し殺しながら微笑んだ。
「だから、お願いアラン。あなたの心を、これ以上いじめないで。これからも、私のそばにいてちょうだい。私を救ってくれたように、今度は私が……時間をかけて、あなたを救ってあげるわ」
数秒の沈黙の後、アランはすべての抵抗を諦めたように、深い息を吐き出した。
「……まったく。お前には敵わないな」
アランは小さく笑うと、私の手を掴んで優しく抱き寄せた。彼の胸元から伝わってくる心臓の鼓動は、私を安心させてくれる。
「ああ、誓おう。お前を傷つけるものは、たとえ王族であろうと俺が叩き切ってやる。だから——お前は、俺から離れてくれるな」
頭の上から降ってきたその言葉は、処刑人のものではなく、騎士の誓いのようだった。
私たちは重なり合うようにしっかりと抱き合い、お互いの温もりを確かめながら、決戦の覚悟を胸に夜を明かしたのだった。
◇ ◇ ◇
王宮の大広間で盛大に開催されている夜会は、今夜の主役である第一王子エリオットと、聖女リゼットの盛大な婚約発表を祝う華やかな祝宴であるはずだった。
シャンデリアの眩しい光が贅沢なドレスや宝石を照らし、貴族たちの笑い声と軽やかな音楽が心地よく響き渡っている。誰もが、この夜がエリオットたちの栄光の幕開けであると信じて疑っていなかった。
しかしその優雅で傲慢な空気は、たった一人の来訪者によって氷のように凍り付いた。
大広間の両開きの扉が、重々しい音を立てて押し開かれたのだ。視線が一斉に入り口へと集中する。
そこに立っていたのは、漆黒の軍服を隙なく纏い、冷徹な死神のオーラを放つ王宮専属の処刑人——アラン。そして、そのアランのエスコートを受けながら、同じく漆黒のドレスを見にまとって優雅に微笑みながら足を踏み入れる一人の令嬢の姿があった。
——私、ルチアである。死刑になるはずだったはずの、「悪女」の姿がそこにあった。
「なっ……!? う、嘘だ……!」
ひときわ大きく間抜けな声を上げたのは、壇上にいた第一王子エリオットだ。彼の隣でグラスを持っていたリゼットも、顔色を失ってガタガタと震え始める。周囲の貴族たちも、「王子殿下からは、彼女は死んだと報を受けたのだが……?」「おい、あれは本当にルチア嬢か? 『死神』と共にいるぞ!?」と大騒ぎになっていた。
「お、おい、ルチア……!? なぜお前がまだ生きている! アラン、貴様どういうことだ! 命令違反もいいところだぞ、処刑したはずではなかったのか! そもそも遣わしたあいつらはどうなった……」
エリオットは青筋を立てて檀上から駆け下り、私たちを指差しで怒鳴り声をあげた。その顔には、隠しきれていない焦りが醜く滲み出ている。
私はアランのエスコートを受けながら、優雅にスカートの裾をもちあげてわざとらしく一礼してみせた。
「ごきげんよう、エリオット殿下。そして愛しの義妹殿。私が死んでいると思った? 残念ねぇ、あんな茶番でくたばるほどやわな人生設計はしていないの。それに、悪女の生命力を舐めないでもらえるかしら」
「ふ、ふざけるな! お前は聖女に対する毒殺未遂の罪で、処刑されるべき罪人だ! 衛兵! こいつらを今すぐ捕らえろ、反逆罪としてその場で斬り捨てろ!」
エリオットの言葉に反応して、周囲を固めていた衛兵たちが一斉に罰検視、私たちを取り囲もうと殺気をみなぎらせる。しかしアランが一歩前に出ただけで、その圧倒的な殺気と重圧に気圧されたのか、衛兵たちは一歩も足を前に出せなくなったようだ。誰もが彼の剣の錆にはなりたくないのだろう。
「衛兵を動かすのは、もう少し証拠を見てからにしたらどうかしら、殿下」
私はふっと不敵に笑みを浮かべ、一枚の紙束を取り出してひらひらと見せびらかした。
「これはね、あなたたちがこれまで教会や癒着した貴族たちから不正に巻き上げた巨額の資金流出記録と、リゼットが『聖女の奇跡』と称して裏で行っていた詐欺工作の決定的な証拠の数々よ。あ、もちろん、私を暗殺するために差し向けられた刺客たちの自白の証言記録もしっかりとあるわ」
リゼットとエリオットの顔が、真っ青になっていく。リゼットはドレスの裾をきつく握り締めて、ヒステリックに叫んだ。
「そ、そんなの嘘ですわて……! お義姉様がわたくしを貶めるために、すべてご自分で捏造したのです! 皆さま、信じてはいけません!」
「捏造? じゃあこの王家の印章がしっかりと押されている密書も、すべて私の自作自演だとでも言うのかしら」
アランに目を向けると、彼は懐に手を差し入れた。広げて見せたのは、エリオットたちが裏社会の組織と結託して邪魔な人間を次々と葬ってきた決定的な直筆の密書だ。これは監査局も長年手に入れることができていなかった、まさにエリオットたちの急所中の急所。
「なっ、なぜそれがお前の手に……! お前はただの処刑人だろう!」
エリオットは完全に血の気を失い、その場に崩れ落ちるように膝をついた。貴族たちの間では、「まさか、王子殿下がそのような外道を……」「聖女様も偽物だったのか」「なんということだ。私達は騙されていたのか」と、非難の声が広がり始めている。もはや、エリオットたちの言い訳の余地は微塵も残されていない。
「一体どういうことだ、エリオット」
重苦しい空気を切り裂くように、重厚な声が響いた。群衆が左右に割れ、そこから姿を現したのは、この国の最高権力者である国王陛下、そして数名の直属の近衛騎士たちだ。国王の顔には、息子の愚劣な醜態に対する激しい怒りと、失望の色が深く刻まれている。
「父上……っ、これには、その、深い理由が……!」
「言い訳無用だ、この愚か者が!」
国王の怒鳴り声が響き渡る。
「お前の醜態は、ここにいる王国中の貴族ら皆がしかと聞いた。王位継承権の即時剥奪、及び一族からの除籍、そして幽閉処分の下令は後ほど言い渡す。……連れていけ!」
国王の言葉に、エリオットは「そんな、嘘だ、私は次代の王に……!」と聞き苦しい悲鳴をあげながら、近衛騎士たちによって両腕を掴まれ引きずられるようにして連れ出されていった。リゼットもまた、「いやぁぁ! 離してちょうだい!」と泣き叫びながら、一緒に連行されていく。
こうして、私を陥れた陰謀は、盛大に打ち砕かれたのだった。めでたしめでたし。
◇ ◇ ◇
大騒動となった夜会が終わり、私たちは王宮の裏手にある中庭へと移動した。夜の風が心地よく吹き抜け、空には美しく輝く満月が浮かんでいる。
「ふう……。やっと、終わったわね」
私は大きく伸びをしながら、全身の力を抜いた。
「これで、私の念願だったスローライフの邪魔はなくなったわ。明日からは、誰に邪魔されることもなく、のんびりとした生活を楽しめる」
隣に立つアランは、いつものように鋭い雰囲気を漂わせながらも、どこか優しい眼差しで私を見下ろしていた。
「お前のその図太さと決して諦めようとしない行動力には、最後まで驚かされたままだったな。まさか、自ら夜会に乗り込んであんな盛大に奴らを見返してやるとは……。世界中どこを探しても、そんなことをやってのけるのはお前くらいだろう」
「誉め言葉としてありがたく受け取っておくわ。全部、あなたが協力してくれたからこそよ。……ありがとう、アラン。あなたがあの時私を連れ帰ってくれなかったら、今の私はなかったわ」
私が彼に微笑みかけると、アランは少しだけ照れくさそうに視線を逸らし、それから真剣な表情に戻って私に向き直した。
「……なぁ、ルチア」
「ん、なに?」
アランはゆっくりと私との距離を詰め、その大きな手で私の肩を優しく包み込んだ。
「お前の無実は証明され、公爵令嬢としての名誉もすべて戻ることになった。これでお前は自由だ。元通り、何不自由ない平穏な生活に戻ることも、別の場所で新しい人生を始めることもできるだろう」
「そうね。でも、どこか遠くで、一人でのんびりとお茶を楽しむ生活もいいけどさ……」
たっぷりと溜めながら、私は彼を見上げ、その胸元にそっと指を這わせる。
「今の私には、この王国で一番強くて、不器用で、愛しい『処刑人さん』がいるもの。今さら、あなたのそばから離れるなんて選択肢はないわ」
アランの息が止まった。赤く染まる彼の顔を見ていると、私もあまりの恥ずかしさでしゃがみこみたい気持ちになってしまう。
「……お前は、本当に……。悪い女だ」
アランはそう呟くと、もう我慢できないと言わんばかりに私を力強く抱きしめた。
「お前が望むのなら、俺のすべてを捧げる。これからも、俺と共にあってくれ」
「ええ、もちろん。私を縛れるのは、世界であなただけよ、アラン」
満月の光の下、私たちはそっと唇を重ね合わせた。
~後日談~
「ねえアラン、ちょっとこれ見て! このリボン、すごく可愛くない? ほらこの色、私の瞳の色と似ているでしょう?」
「……ああ。よく似合いそうだな」
王都の大通りは、今日の晴れ渡った青空によく映える色鮮やかな店がずらりと並び、道行く人々の笑い声や活気あふれる声で賑わっていた。
あの大勝利から数日後。エリオットたちの不正はすべて暴かれて失脚し、私にかけられていた身に覚えのない冤罪も晴れた。今や私は、「腐敗した王子の悪事を暴いた敏腕公爵令嬢」として王都のあちこちでちょっとした有名人扱いされていたりする。
とはいえ、今日はそんな小難しい政治の話や面倒なしがらみは一切ナシ!
アランとのデートを満足するまで楽しむのだ!
「ねえ、アラン。ずっと気になっていたんだけどさ」
私は足をぴたりと止め、隣を歩く端正な彼の横顔を見上げる。
「ん? なんだ、急に立ち止まって」
「今日のデートの行き先、あなたが決めてくれたじゃない? 王都で一番人気の予約困難なスイーツのお店に、二人の時間を邪魔されない噴水広場、そして夕暮れの美しい景色が一望できる展望台……。これって、もしかして……」
「……っ!」
にやにやと笑みを浮かべる私を見て、アランは顔を赤らめながら慌てて目を逸らし、わざとらしくゴホンと大きな咳払いをする。
「な、何を馬鹿なことを言っている。たまたま……そうだな。回るのに効率の良さそうな場所を選んだだけだ」
「へえ~? 効率の良い場所ねえ? 私が甘いものを大好きなのを知っていて、真っ先に王都で一番人気のお店に連れて行ってくれることが効率的ねぇ」
「うっ……」と、アランは見事に言葉に詰まった。
彼の不器用すぎる言い訳と分かりやすく動揺している様子が愛おしくて、私はクスっと声を立てて笑ってしまった。冷徹で「死神」と恐れられていた処刑人が、私のために前の日からわざわざ街を下見して、真剣な顔でデートプランを考えてくれていた姿が手に取るように想像できるからだ。
私は少し背伸びすると、彼の手へと自分の手を滑り込ませて、その指に自分の指を絡ませた。
「っ……ルチア?」
驚いたように、アランがわずかに目を見開く。
「駄目だった? 人が多いからはぐれちゃいそうだし。それに、私の隣を歩いているのは世界で一番かっこいい私の恋人なんだから、周りの人たちに自慢したいのよ」
私の言葉に、アランはふいとそっぽを向いた。恥ずかしそうにしながらも、私を拒むどころか握り返す力を込め、私の手を包み込んでくれた。その手のひらは大きくて、心臓の鼓動が伝わってくるほど温かい。
「……お前は、相変わらず油断も隙も無いことを平然と言い放つな」
アランは観念したようなため息をついたが、その口元には隠しきれないほどの甘い笑みが浮かんでいる。
「だが——悪くない」
それから私たちは、手を繋いだまま王都の街を並んで歩いた。
人気のスイーツ店では、甘さ控えめの濃厚なショコラケーキをすくい、「はい、あーんして」と私が無理やり彼の口に運ぶと、周囲の目を気にしながらもアランは真っ赤になりながらそれを大人しく食べ、そのお返しにと彼が選んでくれた焼き菓子を私に食べさせてくれたりした。
噴水広場では、水面できらめく光を眺めながら他愛のない冗談を言い合い、街の雑貨屋ではお互いに似合いそうな小物を互いにこっそりと選んだりした。
やがて、陽が沈み始め、王都の街並みが茜色から群青色へと移り変わっていく頃。私たちは、街を一望できる展望台へと訪れた。
目の前には、宝石を散りばめたように美しく輝く王都の夜景がどこまでも広がっている。夜風がワンピースの裾を揺らし、心地よい静寂が私たちを包み込む。
「綺麗……」
感嘆の声を漏らしながら夜景に見入っていると、背後からふわりと温かい重みが包み込まれた。アランが後ろから私を抱きしめて、その額を私の肩のあたりにうずめてきたのだ。
「アラン?」
「……なぁ、ルチア」
彼の甘さを含んだ声が耳元で囁かれる。
「この国の平穏を守るのが、俺のこれまでの仕事だった。だがこれからは……お前とこうして穏やかに笑い合う日常を守るために、俺は剣を振るう」
その真摯な愛の言葉に、胸がきゅっと熱くなる。私は振り返り、彼の首元に両手を回して、満面の笑みを浮かべた。
「うん。よろしくね、私の専属の処刑人さん。——あ、でもたまにはお仕事お休みして、こうやって美味しいケーキを食べに連れて行ってくれることも忘れないでよね?」
「ああ、約束するよ」
アランは優しく微笑むと、こつんと私と額を触れあわせた。
(——完——)




