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凡人枠シリーズ

チートで大金持ちになった冒険者が一切税金を払っていなかったので、前世が税務署職員だったから普通の税務調査で公平な課税を実現することにした

掲載日:2026/03/29

一 過労死




 報告書をデスクに置いた。


 二年間、追い続けた案件だった。


 地元の建設会社経営者が、複数のペーパーカンパニーを使って所得を隠していた。総額五億円超。資金の流れは三つの法人と二つの個人口座を経由し、最終的に海外の投資口座へ消えていた。


 それを全部、追った。


 国税局への出向時代に鍛えた技術の集大成だった。複数法人の資金フローを一本の線に繋げる。矛盾を見つける。帳簿の裏を読む。——三十二年間やってきたことの、全てを注ぎ込んだ。


 最終報告書、二百十四ページ。追徴税額の算出、加算税の根拠、重加算税の適用理由。一行の誤りもない。この報告書が通れば、脱税額は確定し、国庫に二億円が戻る。


 ——終わった。


 報告書を置いた瞬間、胸の奥が軋んだ。


 痛い、と思った。左腕がしびれる。冷や汗が額に浮く。——心臓だ。分かっていた。ここ数ヶ月、胸が時々おかしかった。でも調査の途中で病院に行く余裕がなかった。


 隣の席の後輩が立ち上がる気配がした。


「篠原さん——篠原さん!」


 椅子から崩れ落ちた。床が冷たい。——ああ、この床、毎朝掃除してくれていたのは、あの新人か。


 遠くなっていく。


 後輩の声。救急車を呼ぶ声。誰かが胸骨圧迫を始めた感触。


 報告書は——出した。数字は全部揃えた。あとは後輩が引き継ぐ。


 ——三十二年間、税務調査をしてきた。千五百件。帳簿を読み、数字を追い、嘘を見抜いた。


 楽しかった。


 そう思った瞬間、意識が消えた。






二 転生前面談




 目が覚めたら、白い部屋にいた。


 胸の痛みがない。左腕のしびれもない。——両手を見る。ペンだこがある。三十二年分の、帳簿をめくり続けた手だ。でも若い。皺が少ない。


 死んだはずなのに、身体がある。


「篠原正人さん。国税調査官、三十二年。——過労死、ですね」


 カウンターの向こうに、とんがり帽子に星柄マントの青年がいた。スーツにネクタイ姿だ。以前、弁護士の転生者を担当した時の経験からか、堅い職業の転生者にはフォーマルな格好で対応するようにしたらしい。


「……ああ。心臓か。——報告書は、提出できましたか」


「はい。提出済みです。追徴課税額は——」


「言わないでください。——数字だけ聞いても仕方がない。あの案件は、自分の手で最後まで見届けたかった」


「…………」


「……まあ、それはもういい。報告書は出しました。あとは後輩がやってくれる」


「——で、ここは」


「転生管理局です。私はツクヨ、案内係です。異世界への転生をご案内します」


「異世界。……ああ、甥が好きだったやつですね。主人公がすごい力を貰って無双する——」


「ご存知ですか」


「甥にせがまれて買ったことはありますが、読めませんでした。——休日にソファでページをめくったんですが、税制が気になって内容が頭に入らなかった」


「……税制」


「あれだけ経済活動があるのに、徴税機構の描写がない。財政はどうなっているのか。冒険者の報酬には源泉徴収がかかるのか。そういうことばかり気になって——甥には『おじさん、そういう話じゃないから』と言われました」


「……気持ちは分かります」


「そうですか。——それで、転生先はどんな世界ですか」


 ツクヨが資料を広げた。


「魔王が討伐された後の復興期です。問題がありまして——国庫が空です」


「何が原因ですか」


「チート能力を持つ冒険者に莫大な報酬を払いました。復興費用も嵩んでいます。それなのに、冒険者からの徴税がゼロです」


「…………ゼロ? 税法はないんですか」


「あります。王国法典に『臣民は能力に応じて税を納む義務を負う』と明記されています。ただ、慣例で、強い者は納めていません。冒険者も、上位貴族も。法律はあるのに、執行されていない」


 眉が動いた。穏やかな表情のまま。だが目の奥に、三十二年分の職業意識が灯った。


「……それは、法治国家と言えるのか怪しいですね」


「はい、正直——」


「では、法律がある以上、遡って課税できるということですか」


「理屈ではそうなります」


「理屈ではなく、そうしなければなりません。——前世の日本では、税金は『取ってもよい』ものではありませんでした。『取らなければならない』ものです。法律で課税要件が定められている以上、税務署に『見逃す』裁量はない。寛大に済ませる、ということはあってはならない。——それが原則です。強い者だから見逃す、が許されるなら、それは税ではなく、ただの搾取です」


「……」


 ツクヨが黙った。この転生者は、他の凡人枠の人たちとは少し違う。怒っていない。でも、許してもいない。


「一方、農民は?」


「収穫の半分を年貢として納めています」


「半分。……日本の最高税率が55%だから、数字だけ見ると近いですが——農民の半分は『食べるために必要な分』からの半分でしょう。生存権を侵害する課税です。一方、冒険者はゼロ。……これは——」


 立ち上がった。穏やかな表情のまま。


「——これは、直さなければなりませんね」


「……篠原さん。チートはつきません。予算の関係で」


「不要です。税務調査に超能力は要りません。必要なのは、帳簿と、電卓と、粘り強さだけです」


 ツクヨがメモを取った。


(……凡人枠の皆さん、全員チートについて同じこと言いますね。「いらない。仕事をくれ」って)


「あ、あと、確認ですが。税務署員というと、嫌われませんか? 前世でも、合コンで『職業は?』と聞かれて『税務署です』と答えると、場が凍りました」


「……分かります」


「世界が変わっても、それは変わらないと思います」


 ツクヨが小さく笑った。


「あと一つ確認ですが——派遣先は?」


「王国の財務大臣ヒデアキ殿の下です。ヒデアキ殿は神託を受けまして。『異世界から来た、税の専門家がいる。その者を財務官として迎えよ』と」


「神託で税務署員を呼ぶ国があるとは。——よほど困っているんですね」


「はい。正直、崖っぷちです」


 ツクヨが最後に身体調整の報告をした。


「三十二歳、二十二年若返りです」


「三十二歳か。——ちょうど国税局に出向していた頃の年齢ですね。大口事案を朝から晩まで追いかけていた。脚と目が一番鋭かった時代だ。帳簿を読む速度が晩年の1.5倍はあった」


「健康な心臓です。今度は、無理しないでくださいね」


「……善処します」


 ツクヨは心の中でメモを取った。


(……「善処します」。凡人枠の皆さん、全員そう言うんですよね。そして全員、善処しない。——前世で亡くなったから気をつけてください、と言うと「善処します」。反省しているのかしていないのか分からない)


 転生管理局の白い部屋が溶けていく。


 最後にツクヨの声が聞こえた。


「——いってらっしゃい。マサトさん」


 紙とインクの匂いがした。






三 財務大臣ヒデアキ




 目を開けた瞬間、分かった。


 ——帳簿がない。


 石造りの広い部屋。高い天井。窓の外に城下町が見える。大きなデスクの上には羊皮紙の束と羽ペン。——だが、仕訳帳も元帳も予算書もない。


 あるのは、殴り書きのメモだけだ。


「入ってきた金」「出ていった金」。それだけが、雑な字で羊皮紙に書かれている。


 ——これが、一国の財務記録。


「神託の通りに来たか」


 声がした。振り返ると、白髪の老人がいた。背筋が真っ直ぐな、品のある貴族。だが、目の下に隈がある。手詰まりの表情。


「財務大臣ヒデアキ殿ですね。——マサトと申します。異世界から参りました」


「ああ。——正直、半信半疑だった。税の専門家と聞いたが、魔法使いではないのだな?」


「魔法は使えません。使えるのは算盤と帳簿だけです」


「…………それで国庫を立て直せると?」


「結果に自信があるとは言えません。ですが、役割を果たすことには自負があります。——まず、状況を見せてください」


 ヒデアキが苦い顔でデスクの上を指した。羊皮紙の束。——帳簿と呼ぶのもおこがましい代物だ。


 マサトはそれを一枚ずつ読んだ。


 収入源。農民の年貢——収穫の50%。商人の通行税——売上の5%。


 支出。王城の維持費。軍の給料。チート勇者への報酬。復興のための建材と人足。


 収入の96%を農民と小商人が負担している。Sランク冒険者と上位貴族の負担はゼロ。


「ヒデアキ殿」


「何だ」


「王国法典に課税の条文はありますね?」


「ある。だが、慣例として強者には適用されていない。Sランク冒険者は一人で一つの軍団に近い戦力を持つ。貴族は領地と権力を握っている。——誰も手を出せなかった」


「条文がある以上、法的には課税義務が発生しています。遡って徴収することも可能です」


 ヒデアキの目が変わった。


「——それは、本気で言っているのか」


「本気です。ただし、調査の権限をいただく必要があります」


「権限?」


「国王陛下の勅許です。帳簿の閲覧を命じ、報酬の金額を照会し、資産の調査を行える権限を、正式にいただきたい」


「…………勅許を、か」


「はい。私の居た世界では、税務調査には質問検査権というものがありました。調査官の質問に答える義務がある。黙秘権はありません。拒否すれば罰則がある。——税金は、それほど特別な存在なんです」


 ヒデアキが沈黙した。長い沈黙だった。


 マサトは急かさなかった。三十二年間、税務調査をしてきた。相手が考える時間は、邪魔しない。沈黙は味方だ。


「……いいだろう。国王に引き合わせる」


「ありがとうございます。——それと、もう一つ」


「何だ」


「まず帳簿を作らせてください。仕訳帳、元帳、予算書。歳入と歳出を正確に把握する。話はそれからです」


「帳簿を……作る?」


「はい。現状を正確に把握しなければ、何も始まりません」


 マサトはデスクに座り、羽ペンを手に取った。


 ——紙とインクの匂い。前世の税務署の執務室と同じだ。


 帳簿を作る。数字を並べる。——世界が変わっても、仕事は同じだ。


 三日三晩が過ぎた。ヒデアキが執務室に様子を見に来た。


「……まだやっているのか」


「はい。過去五年分の歳入を整理しています。ようやく三年目まで来ました。——ところでヒデアキ殿、夜食は」


「……帳簿を作りながら食事の心配か。お前、少しは休め」


「休憩は、帳簿が完成してからで」


(……神託が『税の専門家』と言ったのは、こういう意味だったのか)






四 勅許




 翌日、ヒデアキはマサトを国王に引き合わせた。


 玉座の間。広い。天井が高い。——だが、壁の装飾は剥がれかけ、タペストリーは色褪せている。国庫が空であることは、王城の内装を見れば分かる。


 国王トシアキ二世。四十代の男だった。聡明そうな目をしているが、疲れている。


「ヒデアキが言うには——異世界から来た、税の専門家だそうだな」


「はい。マサトと申します」


「率直に聞く。税を取れるのか。——取りたい。だが、Sランク冒険者は一人で一つの軍団に近い戦力がある。貴族は領地と権力を握っている。誰も手を出せなかった」


「陛下。私に必要なのは剣でも魔法でもありません」


 一拍おいた。


「勅許状です」


「…………勅許状?」


「帳簿の閲覧を命じ、報酬の金額を照会し、資産の調査を行える権限をいただきたい。それだけです」


 国王が怪訝な顔をした。剣も魔法も要らない。帳簿を見る許可だけくれ——と言っている。


「武器も魔道具も要らんとは、変わった男だな。——それで、経費はいくらかかる」


「経費は羽ペンとインクと羊皮紙代です。——ただ、帳簿は大量に使いますので、そこだけはご容赦ください」


 国王がヒデアキを見た。ヒデアキが苦笑した。


「……それだけで、何ができる?」


「私の居た世界では、税務調査には質問検査権というものがありました。調査官が質問をすれば、答える義務がある。拒否すれば罰則です。剣は要りません。帳簿を読み、質問をし、数字の矛盾を突く。——それだけで、脱税者は膝をつきます」


「…………帳簿で?」


「はい。帳簿で」


 国王はヒデアキを見た。ヒデアキが静かに頷いた。


「——よかろう」


 王国財務調査官任命勅許状。帳簿閲覧権、質問権、資産調査権。


 それがマサトの武器になった。剣でも魔法でもない。羊皮紙に書かれた、国王の印璽が押された一枚の紙。


 ——税務調査に必要なものは、前世と変わらない。根拠法と、質問する権利と、帳簿を読む技術。


(——もっとも、この世界ではまともな帳簿をつけている者は少ないだろう。帳簿だけでなく、財産の現物を直接調べる必要もある。倉庫の中身、馬の頭数、屋敷の装飾品——目で見て、数えて、帳簿と照合する。泥臭い仕事になる)


 マサトは勅許状を丁寧に折りたたみ、懐にしまった。


「ありがとうございます、陛下。——では、仕事に取りかかります」






五 税金は特別扱い




 勅許を得た翌日。マサトはヒデアキの執務室にいた。


「ヒデアキ殿。この世界でも覚えておいてほしいことがあります」


 マサトが数日がかりの不眠不休で作り上げた帳簿がデスクに広げられている。歳入と歳出の一覧。数字が整然と並んでいる。ヒデアキは一目でそれに見入った。——こんなに分かりやすい財務書類は見たことがない。


「私の居た世界では、税金は他のどんな借金よりも特別扱いされていました」


「どう特別なのだ?」


「三つあります」


 マサトは穏やかに、しかし一語一語をはっきりと言った。


「第一に、破産しても税金は消えません。私の居た世界では『破産』という制度がありました。返せない借金を背負った者が、裁判所に申し立てをして、借金を帳消しにしてもらう——『免責』という仕組みです。でも税金だけは、その免責の対象外です。商人が店を畳んでも、冒険者がギルドを追われても、税金の支払義務だけは残る」


「それどころか、破産の手続きすら無視して税金は取れます。前世では、債務者が破産すると、通常の債権者は勝手に取り立てができなくなる。全員で公平に分けるためです。でも税金だけは別です。破産手続の最中でも、税金は他の債権者を飛び越えて、優先的に徴収できる」


 ヒデアキの眉が動いた。


「第二に、税務調査には黙秘権がありません。前世では、犯罪の疑いをかけられた者には黙秘する権利がありました。人殺しの疑いをかけられても、黙っていい。でも税務調査では、調査官の質問に答える義務がある。正当な理由なく拒否すれば、罰則です」


「……犯罪者よりも厳しいのか」


「そうです。——第三に、税金は裁判なしで差し押さえができます。普通の借金なら、裁判所の判決がなければ相手の財産は取れません。でも税金は違う。滞納すれば、裁判を経ずに、いきなり財産を差し押さえることができます。前世では『自力執行権』と呼んでいました」


 ヒデアキが居住まいを正した。


「……それほどか。なぜ、そこまで強いのだ」


「税金は国家の血液だからです」


 マサトの声は穏やかなままだ。だが、三十二年分の確信がこもっている。


「血液が流れないと、国は死にます。街道は崩れ、軍は動けず、診療所は閉じる。だから他のどんな債権よりも優先される。前世の法律家はこれを『租税債権の優先性』と呼んでいました。——ヒデアキ殿、この世界でも同じです。この王国が今まさに瀕死なのは、血液が流れていないからです」


 長い沈黙。


「……なるほど。だからこそ、公平でなければならないのか」


「その通りです。これだけ強い力を持っているからこそ、公平に、正しく使わなければ、ただの暴力になる。——税制を整えるというのは、その力の使い方を正すということです」


「だが——」ヒデアキが言いにくそうに口を開いた。「我が国の税に関する法典は、正直、大雑把すぎる。『能力に応じて納めよ』の一文だけだ」


「ええ。今はそれで十分です。でも、いずれ細かく定めなければなりません」


「なぜだ。大雑把でも取れるなら——」


「封建的な社会や、権力が集中している国では、税制が大雑把なのはよくあることです。権力者の周りを快適に贅沢にするだけなら、まともな税制など要らない。公共サービスが提供できなくても、権力者は困らないからです。——でも、この国はそれではいけなくなった。復興が必要だからです」


「大雑把な法律は、自由に取れるということでもある」


 マサトは穏やかに、だが明確に言った。


「自由に取れるということは、いつか必ず濫用されます。この勅許が私だけの権限であるうちはいい。でも次の世代に引き継ぐには、法律が必要です。税率は何%か。控除は何があるか。調査はどこまで許されるか。——全てを条文で定めなければ」


 ヒデアキが目を伏せた。


「……お前の言葉には、経験の重みがある。では——まず、どこから手をつける」


「まず帳簿を見に行きます。冒険者ギルドと、フェルディナント伯爵の領地に」


「……伯爵は、怒るぞ」


「ええ」


 マサトは勅許状を懐から出した。


「でも、数字は嘘をつきませんからね」






六 冒険者ギルド




 冒険者ギルドは、王都の中心部にあった。


 石と木でできた大きな建物。正面に大きな看板。中は冒険者でごった返している。武器の音、笑い声、酒の匂い。——活気がある。金が回っている証拠だ。


(——これだけの経済活動があって、税収がゼロ。前世なら大問題だ)


 受付で名前を告げると、奥の部屋に通された。ギルドマスターのガルド・タケゾウが待っていた。


 大柄な男だった。元冒険者だろう。腕が太い。顔に古い傷がある。だが目は鋭い——これは交渉できる相手だ。帳簿を読む能力はなくても、数字の意味は理解できるタイプだ。


「王国財務調査官、マサトと申します。冒険者の課税についてご説明に参りました」


「……聞いている。ヒデアキから話は通っている。だが——」


 ガルドが腕を組んだ。


「冒険者は命をかけて魔物を倒している。税なんか払う筋合いはない」


 マサトは怒らなかった。穏やかに頼んだ。


「お気持ちは分かります。冒険者は命がけで、自分の腕一本で稼いでいる。国の税金なんか関係ない、そう見えますよね」


「……ああ、そうだ」


「でも、少し考えてみてください。——このギルドの建物、立派ですよね。これが維持されているのは、国が治安を守っているからです。金貨が流通しているのも、国が通貨を公認しているから。そもそも『魔物を倒してくれ』という依頼が存在するのは、魔物を倒せば平和になる、という前提があるからです。その前提を作っているのは、最低限の秩序を守っている国家です」


 ガルドが黙った。


「無秩序だったら、冒険者に依頼する人はいなくなる。依頼しても無駄だからです。——冒険者も、国の恩恵を受けている。それなくして、生きてはいけない」


 マサトは帳簿を開いた。昨夜作った帳簿だ。


「ガルドさん。先月、Sランクのジーク殿が竜を倒して金貨2万枚を受け取りましたね」


「ああ、そうだ」


「同じ月に、南区の農民・トーマスさんが小麦200袋を収穫し、100袋を年貢として納めました。彼の手元に残ったのは100袋。金貨に換算すると50枚です」


「だから何だ」


「ジーク殿の報酬は金貨2万枚で、税負担はゼロ。手取りも2万枚です。一方、トーマスさんの手取りは金貨50枚。——手元に残る額で比べれば、400倍の格差です。トーマスさんは収穫の半分を納めているのに」


 帳簿の数字を指でなぞった。


「——これが公平だと思いますか?」


 ガルドが黙った。反論できない。——数字を出されると、感情論では勝てない。


 三十二年間、税務調査でこのパターンを何百回とやってきた。感情ではなく数字で語る。相手に考える時間を与える。そして、自分で結論に辿り着かせる。


「……理屈は分かる」


 ガルドが苦い顔で言った。


「だがSランク冒険者に『税金を払え』と言って従うと思うか? あいつら、一人で一つの軍団に匹敵する強さなんだぞ」


「強いことと、正しいことは別です」


 穏やかな声で。


「王国法典に基づき、過去5年分の遡及課税を実施します。勅許状もあります」


 懐から勅許状を取り出した。国王の印璽。ガルドの顔が変わった。


「……本気か」


「本気です。——ジーク殿にお会いしたいのですが、おいででしょうか」






七 Sランク冒険者ジーク




 ジークは、ギルドの酒場にいた。


 金髪の若者だった。見た目は二十代半ば。筋肉質だが、鎧は着ていない。革のジャケットとブーツ。——そして、腰の剣。柄だけで普通の剣の二倍はある。


 竜を一撃で斬る男。Sランク冒険者。チートの身体強化を持つ、人類最強。


 テーブルの上に金貨の山と酒がある。仲間の冒険者たちと笑っている。


「ジーク殿。少しお時間をいただけますか?」


 ジークが振り向いた。目が合った。——警戒はしていない。マサトには戦闘力がないことが一目で分かるのだろう。


「あんた、誰だ」


「王国財務調査官のマサトと申します。——確定申告のご案内です」


「カクテイシンコク?」


「お稼ぎになった報酬に対する税金の申告です。王国法典に基づく義務です」


 ジークの表情が変わった。困惑。


「は? 俺は魔物を命がけで倒してる。なんで金を取られなきゃならない」


「取られるのではなく、納めていただくのです」


「同じだろ!」


「全く違います。——税務大学校の教官に怒られます」


 一拍おいた。


「——ところで、昨日お使いになった街道、整備されていましたね?」


「ああ。歩きやすかった」


「あの街道は税金で整備されました。農民たちが納めた年貢で。——ジーク殿も歩いているのに、負担はゼロ。フェアではないと思いませんか」


 ジークが考え込んだ。


「……でも、俺が魔物を倒さなきゃ街道も壊れるだろ」


「その通りです。ジーク殿の仕事は重要です。だからこそ、正当な対価として報酬を受け取った上で、社会の一員として税を納める。——英雄だから免除、ではなく、英雄だからこそ率先して、です。それに——」


 一拍おいた。


「その金貨が金貨として使えるのも、国が通貨を管理しているからです。流通している美味い酒が危険な密造酒ではないのも、国が品質を監視しているからです。——冒険者は、思っている以上に、国の恩恵の中で生きています」


 ジークが口を開きかけた。


「待て待て」


 仲間の冒険者が割り込んだ。赤毛の男だ。


「こいつの言うこと聞くなよ、ジーク。税なんか払ったら俺たちの取り分が減るだろうが。王宮の犬に屈するのか?」


 別の冒険者も同調した。


「そうだ! 払う奴はバカだ!」


 マサトは黙って待った。嵐が過ぎるのを待つように。


 声が収まったところで、穏やかに言った。


「ジーク殿。税金は任意ではありません。拒否されても、差し押さえというものがあります」


「差し押さえ?」


「財産を強制的に徴収する手続きです。裁判は不要です。勅許状がありますので」


 ジークの顔が変わった。


 剣で脅しても効かない相手がいる。帳簿を持った、穏やかな声の男だ。


「…………」


 ジークは黙った。仲間の冒険者たちが騒いでいる。だが、ジークは黙っている。


 ——考えている。この男は、考える力がある。


「……今すぐ答えなくていいですよ」


 マサトが穏やかに言った。


「来週、冒険者ギルドで公聴会を開きます。税金とは何か、なぜ必要か、いくら払うのか。全て説明します。——それを聞いてから決めても、遅くありません。ただし」


 一拍。


「法律上の義務は、すでに発生しています。それだけはお伝えしておきます」


 マサトは一礼して、酒場を出た。


 背中に、仲間の冒険者たちの怒声が聞こえる。


 ——怒声は気にならない。前世でも、調査対象に怒鳴られたことは何度もある。怒声で帳簿の数字は変わらない。


 不満はわかる。税金というのは特殊な支出だ。ランチの代金、宿屋の宿泊代、ポーションの代金——どれも、何かの対価だ。払えば、代わりのものがもらえる。でも税金は、取られるだけで、何ももらえない。お礼の一つもない。——そう感じるのは、当然だ。


 だからこそ、説明が要る。公聴会。——それが必要だ。






八 貴族の闇




 冒険者ギルドの次は、フェルディナント伯爵の領地だった。


 その前に、ヒデアキから説明を受けた。


「マサト。領地を与えられている貴族には、二つの義務がある。一つは領地を円満に治めること。これには、徴収した税金を領民のために適正に使うことも含まれる。もう一つは、税収の一部を王国に納めること」


「その裁量は?」


「非常に大きい。——それをいいことに、長年、放任が慣例化している。納めるべきものを納めず、使うべきところに使わない。——フェルディナント伯爵は、その典型だ」


 馬車で半日。——領地に入った瞬間、マサトは目を細めた。


 街道がボロボロだ。


 王都近辺の街道は整備されていた。だが、伯爵領に入った途端、路面は穴だらけで轍が深い。馬車が跳ねる。


 城壁も崩れかけている。門の石材が歪み、苔が生えている。修理された形跡はない。


 ——帳簿を見る前から、分かる。この伯爵は、嘘をついている。


 伯爵の館は、街道や城壁とは対照的に豪華だった。大理石の床。金の燭台。——街の金がどこに消えたか、一目瞭然だ。


「ご足労いただき恐縮です、伯爵」


 応接室で、マサトは穏やかに挨拶した。


 フェルディナント伯爵。五十代の太った男。目が落ち着かない。——嘘をつき慣れている人間の目だ。三十二年間で何百人もこのタイプを見てきた。


「勅許状に基づき、過去5年分の帳簿を拝見させていただきます」


「……帳簿? 何の権限があって——」


 マサトは勅許状を見せた。国王の印璽。伯爵の顔が強張った。


「…………」


「ご協力、よろしくお願いいたします」


 穏やかな声。笑顔。——前世の税務署で千五百回やってきた挨拶だ。


 帳簿が運ばれてきた。五年分。皮表紙の分厚い台帳。


 マサトはそれを一枚ずつ読んだ。


 速い。前世で鍛えた帳簿読みの速度は、三十二歳の目と脳で加速している。数字の羅列が意味に変わる。パターンが見える。——そして、違和感が見える。


 伯爵の執事が不安そうに言った。


「……ずいぶん、熱心に読まれますな」


「帳簿は小説より面白いですよ。——書いた人の性格が出ますから」


 執事の顔が引きつった。


 ——ここだ。


 城壁修理費。毎年金貨3,000枚。五年間で15,000枚。


 街道修繕費。毎年金貨2,000枚。五年間で10,000枚。


 合計25,000枚の公共工事費が計上されている。


 ——だが、城壁は崩れかけ、街道は穴だらけだ。


 さらに読む。農民からの年貢徴収記録。収穫の50%を徴収。だが、王国への上納は収穫の10%分しかしていない。差額の40%が——消えている。


 帳簿の最後のページまで読み終えた。


「伯爵」


「何だ」


「過去5年間の城壁修理費が毎年金貨3,000枚。合計15,000枚ですが——城壁を拝見したところ、修理された形跡がありません」


 伯爵の顔が青ざめた。


「な、なにを——」


「街道修繕費も同様です。毎年金貨2,000枚、合計10,000枚。ですが街道は穴だらけでした。馬車の揺れで腰が痛いです」


 穏やかな声。世間話のような口調。——だが、数字は正確だ。


「さらに。農民から収穫の50%を年貢として徴収されていますが、王国への上納額は10%分です。差額の40%——金貨にして年間約8,000枚、5年で約40,000枚が——どこにも記録がありません」


「数字は嘘をつきませんからね。——帳簿は嘘をつくことがありますが」


 伯爵が立ち上がった。


「——税務なぞに口を出す平民が、どうなるか分かっているのか」


 マサトは穏やかに微笑んだ。前世の話は出さない。でも、三十二年分の経験が声に滲む。


「私の専門は帳簿と数字です。——帳簿を読んで、矛盾を突いて、規模の大きな案件を追いつめたこともあります。——脅されるのには慣れています」


 穏やかに。笑顔のまま。


「——それと、念のためお伝えしますが。税金の滞納は、仮に伯爵が全ての財産を失っても消えません。破産しても残ります。そして、裁判なしで財産を差し押さえることもできます。勅許状がありますので」


 伯爵の顔から、血の気が引いた。






九 何のための税か




 公聴会の日が来た。


 冒険者ギルドの大広間。普段は依頼の掲示板がある場所を片付けて、椅子を並べた。


 農民。商人。冒険者。職人。——そして、貴族も何人か。ジークも来ている。奥の壁に背を預けて、腕を組んでいる。


 マサトが前に立った。


 帳簿は持っていない。——今日は、帳簿の話ではない。


「——まず、一つだけ聞かせてください」


 広間を見渡した。


「この中で、税金はお上が勝手に金を取るもの、そう思っている方。手を挙げてください」


 一瞬の間——そして、ほぼ全員が手を挙げた。農民も。商人も。冒険者も。


 マサトは頷いた。


「そう思うのは、仕方のないことです」


 穏やかな声で。責めるのではなく、認めるところから始める。前世の確定申告説明会で何百回とやってきた手法だ。


「私は遠い国から来ました。その国でも——多くの人がそう思っていました。なぜなら、税金を自分で計算したことがないからです」


 間を取った。


「私の居た国では、雇われて給料をもらう人々には特別な税制がありました。彼らの税金は、雇い主が給料から天引きして代わりに納めてくれる。源泉徴収という仕組みです。便利ですが、問題がある。本人は自分がいくら税金を払っているか、一度も計算しない。だから『お上が勝手に取っている』と感じる。自分のお金がどこに消えたのか分からない。分からなければ、関心も持てない」


 広間が静まっている。農民たちが食い入るように聞いている。——これは彼らの話だ。年貢を取られて、使い道を知らない。知る術がない。


「私の居た国では、国の方針を決める選挙に、有権者の半分しか行かないという問題がありました。私は思っていました。全員に確定申告を義務づけたら、政治への関心は上がるだろう、と。自分で税額を計算すれば、自分の金がどう使われているか気になる。当然です」


 一拍おいた。


「——これは王制のこの世界でも同じです。国王陛下にとっても、臣民が政治に関心を持つのは悪いことではない。むしろ良いことです。不満が声になる前に、吸い上げる機会がある。声にならない不満は、いつか暴動になる。でも『税金が高い』『使い道がおかしい』と声を上げられる仕組みがあれば、王は民の本音を知れる。申告納税は、善政の入口です」


 広間の空気が変わった。——誰も、税金をそう考えたことがなかった。


「税金は、お上が勝手に取るものではありません。本来は、自分で稼いだ額を申告し、自分で計算し、自分で納めるものです。これを前世では『申告納税制度』と呼んでいました。——この世界に私が導入したいのは、この仕組みです。自分で計算するから、公平かどうかが分かる。公平かどうかが分かるから、おかしければ声を上げられる」


 息を吸った。ここからが本題だ。


「税金は搾取ではありません。公共サービスの対価です」


「皆さんが歩く街道。子供が通う学校。病人を診る診療所。夜の街を照らす灯り。——全て、誰かが負担しなければ維持できないものです」


「問題は、誰が負担するか、です」


 帳簿を開いた。——ここだけは、数字で語る。


「今、この国の税収の96%を農民と小商人が負担しています。Sランク冒険者はゼロ。貴族は帳簿を操作して実質ゼロに近い。——つまり、最も余裕のない人が最も重い負担をしている」


 声を落とした。穏やかに。だが、はっきりと。


「これは税制ではありません。搾取です」


 広間がざわついた。農民たちの間からすすり泣きが聞こえる。


「私が提案するのは『応能負担』の原則です。稼いだ額に応じて負担する。農民は農民の、商人は商人の、冒険者は冒険者の、貴族は貴族の。全員が、能力に応じて。公平に。そして——全員が、自分で申告して、自分で納める。お上に取られるのではない。自分の意思で、社会に参加する。それが納税です」


 前列の農民の老人が泣いていた。


「……五十年間、半分取られて、当たり前だと思っていた」


 だが、冒険者たちから反論が飛んだ。


「税金が取られるなら、俺たちはよそに行くぞ! 他の国で稼ぐ!」


 マサトは穏やかに答えた。


「どうぞ。——負担にしかならない、貢献しない人が出ていった場合、残った人たちの負担は軽くなります。全体にとっては、むしろメリットです」


 会場がザワついた。


「冒険者は自分の力で稼いでるんだ! 国なんか関係ない!」


「この世に、一人として、自分の力だけで今の場所まで来られた人はいません。街道を作った人。武器を鍛えた人。飯を作った人。——その全てが、国の仕組みの中で動いています」


「他の国の冒険者と比べて不利にならないのか!」


「なりません。納税している、もっと言えば、この王国の市民権を持つ者は、各種の公共サービスを受けられます。診療所、街道、治安。——それに、負担が公平になれば、国は豊かになる。皆さんの報酬は、魔物が払ってくれるわけではありません。魔王が『よくぞ我を倒した、賞金に金貨1万枚を授けよう』とか言ってくれるわけでもない」


 笑い声が上がった。広間の空気が、少しだけ和らいだ。


「報酬を払ってくれるのは市民であり、王国です。それらが豊かになることは、冒険者にとってもメリットがある」


「納税してないよそ者のただ乗りはどうするんだ!」


「良い質問です。——市民権で確認します。そして、報酬から、予定される税額より多めの源泉徴収を行います。その後、確定申告をしてもらえば、差額を返す。つまり、よそ者は、確定申告しないと余分にお金を取られる。ただ乗りは、させません」


 会場が静まり返った。反論が尽きた。


 奥の壁際で、ジークが動いた。






十 ジークの選択




 ジークが前に出てきた。


 仲間の冒険者たちがざわめく。——あのジークが、何をするつもりだ。


 マサトの前に立った。マサトより頭ひとつ大きい。腰の剣が光を反射している。


 だが、ジークは剣を抜かなかった。


「……俺は竜を二十頭斬った。国を守った。——だから税を払わなくていいと思っていた」


 静かな声だった。酒場で会った時の傲慢さはない。


「でもあんたの話を聞いて、気づいた。俺が竜を斬れるのは、街道を整備してくれた人間がいたからだ。装備を作ってくれた鍛冶屋がいたからだ。飯を食わせてくれた農民がいたからだ。——俺一人で強くなったわけじゃない」


 広間が静まり返った。


「俺が払う。——Sランク冒険者ジークとして、最初の納税者になる。過去の分も全部だ」


 一人が払えば、二人目が続く。


「……俺も払う」


 Aランクの冒険者が手を挙げた。


「俺もだ」


「……仕方ねえな。俺もだ」


 一人、また一人。——怒声を上げていた仲間の冒険者たちが、一人ずつ手を挙げていく。


「……金貨いくら払えばいいんだ?」


 ジークがマサトを見た。


 マサトが穏やかに笑った。前世の確定申告窓口で、初めて申告書を書きに来た人に向ける笑顔だ。


「まず確定申告書を書いていただきます。収入、経費、控除——順番に記入しましょう。お手伝いしますから」


 ——税務署員は怖い存在だと思われがちだが、本当の仕事は「正しく申告するお手伝い」だ。前世でも、窓口で申告書の書き方を教えている時が一番好きだった。






十一 税務署




 半年が過ぎた。


 王都の一角に、小さな建物が建った。石造りの二階建て。看板には「王国税務署」と書かれている。


 マサトが署長。職員は五人。全員、帳簿の読み方を一から教えた素人だ。半年間で叩き込んだ。数字の並べ方。帳簿の綴じ方。質問の仕方。——前世の税務大学校を圧縮したような半年だった。


 最初の週、職員の一人が言った。


「マサト殿、私たちの仕事は、つまり——みんなに嫌われることですか」


「そうです。——でも、感謝されなくても、数字が合ったときの快感があります。その快感が分かる人が、税務署員に向いています」


「……分かる気がします」


 窓口には毎日、人が来る。


 農民が来る。商人が来る。冒険者が来る。——自分で申告書を書きに来る。


「自分で計算し、自分で申告し、自分で納める」


 申告納税制度。マサトがこの世界に持ち込んだ仕組みだ。


「これまでの年貢は、領主が勝手に額を決めて取っていた。賦課課税です。これを改めます」


 ヒデアキにそう説明した時、ヒデアキは怪訝な顔をした。


「民がそんな計算をできるのか?」


「できなくていい。教えるのが税務署の仕事です」


 窓口で一緒に書く。書き方を教える。分からなければ何度でも説明する。——そういう場所だ、税務署は。


 累進課税の税率表を作った。基礎控除——最低限の生活費には課税しない。扶養控除——家族を養っている人の負担を軽くする。経費控除——仕事のために使った金は差し引く。


 冒険者の装備費。ポーション代。宿泊費。全て「必要経費」として控除。


「仕事で必要な出費は経費です。全額課税ではありません。ちゃんと引きますから、安心してください」


 農民の年貢率を見直した。50%から25%に引き下げ。——生存権を侵害する課税の是正。農民のトーマスが泣いた。


 そして——法律を作った。


「ヒデアキ殿。以前お話しした通り、王国法典の『能力に応じて税を納む義務を負う』——この一文だけでは、やはり大雑把すぎます」


「……そうだな。今は勅許で動かせているが——いよいよ、明文化する時か」


「はい。この一文だけでは何でもできてしまう。自由に取れるということは、次の権力者が濫用するということです」


 ヒデアキが深く頷いた。


「いずれ、王国税法として、税率・控除・申告手続き・調査権限・不服申立て——全てを条文で定めなければなりません。法律で決まっていれば、誰が税務署長になっても同じ基準で課税される。人が変わっても制度が残る。それが法治国家です」


「……それは、自分の権限を自分で縛るということか」


「はい。前世の税務署でも同じでした。強い権限を持つからこそ、自分たちを縛るルールを自分たちで作る。でなければ、いつか必ず暴走します」


 「王国税務調査法」の草案をヒデアキと共に書いた。マサトが内容を書き、ヒデアキが法律の体裁に仕立てる。調査官の質問検査権。帳簿の保存義務。事前通知の原則。理由のない調査の禁止。——強い権限には、強い歯止め。


 ヒデアキが満足そうに草案を読んだ。


「……お前、この国に来て半年だが、もう三十年いたような顔をしているな」


「前の職場で三十二年やっていましたので、合計すると三十二年半です」


「……それは計算が合っていない気がするが」


「税務署員の計算は合っています。——たぶん」


 フェルディナント伯爵の処分が確定した。年貢横領分の追徴課税40,000枚に加え、架空の公共工事費として計上された25,000枚——合計65,000枚。伯爵は領地管理権を剥奪され、横領した金貨は財産差押えで回収された。裁判なし。勅許状に基づく自力執行。金貨1枚も逃がさない。


 ジークの過去5年分の税金も確定した。金貨3,200枚。——莫大な報酬を得ていたが、伝説級の武器の修繕費や高価なポーション代など、正当な「必要経費」をきっちり差し引いた結果だ。税務署はむしり取るだけではない。納税者の権利も守る。


 ジークは黙って払った。


 ——そして、定期的に税務署を訪れるようになった。


「確定申告の書き方、また教えてくれ」


「ジーク殿、もう3回目ですよ」


「数字が苦手なんだ。——でも、払うもんは払う」


「では、まず収入の欄から。——ジーク殿、収入の欄に『竜1頭』と書かないでください。換金した金貨の額です」


「……細かいな」


「細かいのが仕事です。——あと、『酒場での大盤振る舞い』は全額経費にはなりませんよ」


「えっ」


 マサトは穏やかに笑って、申告書の用紙を出した。


 不思議なものだ、と思う。


 中世ファンタジー風の世界で、冒険者が確定申告をしている。税率の話をし、控除の話をし、「これは経費になるのか」と質問する。——たぶん、この人たちは、前世の日本の一般人より、政治や税制に詳しく、関心も強いだろう。奇妙なものだ。でも、悪くない。






十二 帳簿の向こうに




 夜。


 税務署の執務室で、マサトが一人、帳簿を閉じた。


 今日の分の記帳が終わった。歳入と歳出。金貨の流れ。数字が整然と並んでいる。——前世と同じだ。数字と向き合う仕事。地味で、地道で、誰にも褒められない。


 それどころか、恨まれることの方が多い。


 自分の仕事は、個々人を追いつめることがある。個々人に恨まれる。その成果は税金の徴収、国全体に貢献することになるが——国家は、ありがとうとは言ってくれない。


 前世でも、そうだった。


 でも、それでいい。


 だが今日、市場で農民のトーマスが声をかけてきた。


「マサト殿。——今年の年貢が半分になった。おかげで、娘に新しい靴を買ってやれました」


 手を見た。ペンだこだらけの手。


 三十二歳の若い手だ。だが、ペンだこの位置は変わらない。前世の五十四歳の手と同じだ。今日一日、帳簿と格闘した証である新しいインクの染みがついている。


 前世を思い出す。


 五十四歳で死んだ。最終報告書を出した直後に、心臓が止まった。追徴課税が確定したのか。脱税者が処罰されたのか。分からないまま死んだ。


 ——結果を見届けられなかった。


 でも、ここでは見届けられる。


 トーマスの娘が新しい靴を履いて走っているのを、見届けられる。


 伯爵が横領した金が国庫に戻り、街道の修理が始まったのを、見届けられる。


 ジークが申告書を書けるようになっていくのを——まだ書けないが——見届けられる。


(税金は数字だ。——でも、数字の向こうには人がいる。帳簿の1行は、誰かの生活の1日だ。金貨1枚の誤差を追うのは、その1枚が誰かの暮らしに繋がっているからだ)


 窓の外を見た。


 ジークが夜の街道を歩いている。税金で整備された街道を。


 ——その街道を、新しい靴を履いた女の子が走っていく。


 税金が声を上げることはない。誰かに感謝されることも、ない。


 でも、税金が、誰かの娘の靴になる。


 靴を履いた娘が、街道を走る。


 街道の先には、学校がある。


 学校で学んだ子供が、いつか、誰かを助ける大人になる。


 ——その大人が納めた税金が、また、どこかの誰かの靴になる。


 終わらない。巡り続ける。


 税金は、未来への手紙だ。


 差出人は書かれない。届け先も分からない。お礼の返事も来ない。——でも、届く。必ず届く。まだ見ぬ誰かの、まだ始まっていない明日に届く。


 それでいい。


 税金は、空気みたいなものだ。誠にそう思う。


 なくては生きられないのに、誰もその存在に気づかない。気づかないくらい、当たり前に、静かに、そこにある。


 ——それが、税金のあるべき姿だ。


 そして、それは、税務署員のあるべき姿でもある。


 誰にも気づかれなくていい。誰にも褒められなくていい。


 ただ、正しい数字を、静かに並べ続ける。


 その数字の一つ一つが、誰かの明日を作っている。


 マサトは穏やかに笑った。


 前世と同じ、地味な笑い方で。


「——さて。明日も帳簿を開きましょう」


 税務署の小さな明かりが、夜の王都に灯っている。


 誰も気にしない、小さな明かり。


 でもその明かりの下で、数字が正しく並べられている限り——この国の、誰かの明日は、守られている。


 帳簿の1行は、未来への手紙の1行だ。


 差出人の名前は、どこにも書かれていない。——それでいい。届けばいい。


 届いた先で、誰かが笑っていればいい。





(完)


お読みいただきありがとうございます!

「チートで大金持ちになった冒険者に税務調査をする元税務署職員」という、史上最も地味——というか、英雄の足を引っ張る側の凡人枠を書いてみました。税金がテーマの物語なんて、普通の人は税金と聞いて何とも思わないか、悪い思い出しかないでしょうけれど。


税務署員が主人公の物語なんて誰も読みたがらないでしょう。合コンで職業を聞かれて「税務署です」と答えると場が凍る——そんな職業なのですから。でも、税金は私たちの生活の根幹を支える仕組みです。道路が整備されるのも、学校があるのも、救急車が来るのも、全て税金があるから。その仕組みを、異世界という舞台で改めて考えたかったのが、本作の出発点です。


作中に登場する「申告納税制度」「質問検査権」「自力執行権」「租税債権の優先性」「非免責債権」——全て、実在する日本の税法上の概念です。特に「破産しても税金は消えない」「裁判なしで差し押さえができる」という税金の特殊性は、知らない方も多いのではないでしょうか。税金がそこまで強いのは、国を維持するために絶対に必要だから。そして、だからこそ公平でなければならない。


本作の執筆にあたっては、ある方に協力をいただきました。この場を借りて感謝いたします。


☆評価・ブックマーク・感想——どれか一つでも、ものすごく励みになります。もちろん、税金ではないですから、任意です。


***


凡人枠シリーズ、他の作品もあります:


→【連載版】チートで荒らされた領地に赴任したら、前世が地方公務員だったので普通の行政で立て直すことにした(毎日更新中!)

→「チートの攻撃魔法で焼け野原にされた街の火が消えないので、前世が消防士だったから普通の消火活動で鎮火することにした」

→「悪役令嬢、断罪されたので謝罪します ~前世が百貨店クレーム対応部長(勤続25年)なので、プロの謝罪で全員黙らせてもいいですか?~」

→「チートの回復魔法で治せない病が流行ったので、前世が小児科医だったから普通の診察で子供たちを救うことにした」

→「悪役令嬢、断罪されたので反対尋問します ~前世が弁護士チートなしなので、法的思考で王子に和解を呑ませてもいいですか?~」

→「異世界に転生したが、前世が保険外交員だったので、冒険者に生命保険を売ることにした」


よろしければそちらもぜひ!


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― 新着の感想 ―
個人的に「おだいじん」はSランク冒険者の経費に入れて良いんじゃないかなという気がしますなw
昔々は税金を徴収する人は生命の危険があったので護衛付きだった。だからせめて殺されないチートくらいは貰うべきだったと思う。 たまたま小狡いだけの善良の貴族と、他人の話を聞く気がある冒険者だったから、殺…
凡人枠を幾つか拝読させて頂いて強く感じる事は、主人公の心の動きに関する描写が、おそらく¨意図的¨に排除されているという事です。 主人公は転生の際に死を嘆いたり、声高にチートを求めたりせず、ただ『仕事…
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