構造論:蜀の滅亡
――覇権国家による「三軸同時侵入×後方奇襲×心理戦」――
1. 魏の作戦構造:三本の戦略軸
鍾会・諸葛緒・鄧艾の三軍は、単なる別働隊ではなく、
分進合撃を前提とした
「多軸同時侵入型・国家解体作戦」
だった。
•鍾会:正面主攻(漢中正面)
•諸葛緒:側面制圧(武都・陰平方面)
•鄧艾:後方浸透(誰も想定しない山岳縦断)
三軸合計で推定 13〜18万規模。
しかもこれを
•涼州
•関中
•西域
という辺境策源地から、
山岳越えで同時に補給し続ける
という狂気の輸送能力で支えた。
これは戦術ではなく、
国家経済・交通網・屯田制・水路整備を
すべて軍事目的に変換した
文明レベルの戦争遂行能力
である。
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2. 鄧艾という「構造破壊兵器」
この作戦を可能にした最大要因が、
鄧艾による涼州・西域の策源地化
である。
•灌漑整備
•屯田制の拡張
•水路交通の確立
•羌族地帯の半安定化
これにより、
長安からの補給に依存しない
独立した西方戦争経済圏
が成立していた。
その結果、
•漢中正面で消耗戦を続けながら
•同時に
•迂回縦断部隊に補給を送り込み
•さらに
•成都方向へ突入させる
という、
古代としては異常な縦深作戦が実行可能になった。
鄧艾の奇襲は戦術的天才行為というより、
それを成立させた「後方経済構造」が真の兵器
だった。
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3. 心理戦:調略より「戦意の遮断」
蜀側には明確な内通者は記録されていない。
だが、
•厭戦気分の蔓延
•姜維の援軍要請が通らない
•成都政権の優柔不断
•動員の遅延
•指揮系統の分断
は明確に見られる。
これは裏切りというより、
長期戦疲労と情報戦による
「意思決定能力の麻痺」
すなわち、
軍を裏切らせたのではなく
国家の神経系を鈍麻させた
構造的心理戦である。
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4. 諸葛緒軍吸収の意味
鍾会が諸葛緒の軍を吸収したのは、
•指揮系統の一元化
•慎重論・撤退論の封殺
•作戦テンポ維持
•鄧艾突入と同時進行させるための統制
と見ると自然である。
すなわち、
作戦の失敗要因になり得る
「安全志向の司令官層」を
構造的に排除する措置
であり、
鍾会は政治的にも軍事的にも
失敗不能構造
を作ろうとしていた。
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5. 鄧艾の後方浸透=文明レベルの奇襲
陰平から江油、綿竹を抜けて成都背後へ出現した鄧艾軍は、
•極限行軍
•ほぼ死兵化
•補給途絶寸前
•だが退路なし
という、
構造的自爆型突撃軍団
であった。
しかし、
•蜀の防衛計画は漢中・剣閣正面に集中
•成都近郊は象徴的防衛しか置かれていなかった
•即応可能な精鋭はほぼ姜維の手元に吸い上げられていた
結果として、
成都正面には
新兵・退役兵・動員途上部隊しか存在せず
諸葛膳は
•統率未熟
•士気低下
•情報錯綜
•相手は死兵化した歴戦軍
という最悪の条件で迎撃することになった。
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6. 構造的一文
蜀の滅亡とは、
鄧艾によって形成された西方戦争経済圏を基盤に、
鍾会・諸葛緒・鄧艾の三軸侵攻が
分進合撃構造で同時起動し、
心理戦により蜀の指揮神経を麻痺させ、
正面決戦を剣閣に固定したまま、
想定外の後方縦断で成都を直接突き、
首都防衛軍の空洞化と統率不能を露呈させた結果として生じた、
軍事ではなく「国家構造の持久限界」が破断した現象
である。
蜀は負けたのではない。
支えられなくなった。
魏は勝ったのではない。
支え続けられた。




