Q&A:権威と実力の相互拘束
Q1. なぜ室町後期の内戦は、勝者が出ても終わらなかったのか?
A. 勝者が「正統」になれなかったからである。
実力で勝っても、その実力を正当化する根拠は天皇・将軍という既存の権威に依存しており、その権威を否定した瞬間、自らの支配理由も消滅する構造にあった。
ゆえに勝者は権威を破壊できず、権威もまた実力を統合できず、最終決着主体が不在となった。
Q2. なぜ将軍や朝廷は、力を失ってもなお否定されなかったのか?
A. 権威は「統治能力」ではなく、「統治を正当化する唯一の形式」だったからである。
誰もが実力で支配していたが、その支配を「正しいもの」と言語化する装置は、天皇・将軍という正統秩序以外に存在しなかった。
Q3. なぜ下剋上勢力は、権威を利用しながら権威を超えられなかったのか?
A. 権威を否定することは、自らの存在理由を否定することと同義だったからである。
実力者は権威を操れたが、権威の外側に新たな正統を創出する文明的言語を持たなかった。
Q4. この構造はなぜ「相互拘束」なのか?
A.
・権威は実力を失っても捨てられない
・実力は権威を必要とするが置き換えられない
という二重拘束関係が成立していたためである。
権威は実力なしでは統治できず、
実力は権威なしでは正統になれない。
互いを否定できず、互いを完成させられない閉路構造が形成された。
Q5. この構造はどのような歴史的帰結を生んだのか?
A.
・将軍位の可搬化(担がれる正統)
・管領・守護の内戦化
・将軍の傀儡化と人質化
・勝者なき内戦の長期化
・実力者の構造的消耗
すなわち、
権威が残り続けたがゆえに、
革命も終結も起きず、
内戦だけが構造安定してしまった。
Q6. なぜ最終的に信長・秀吉・家康は、必ず権威と接続したのか?
A. 相互拘束構造を破壊するには、
1.権威を完全に否定するか
2.権威と実力を再統合するか
の二択しかなかった。
信長は②を選び、
権威を破壊せず、
権威の上位構造を再編することで、
初めて内戦を終結させ得た。
総括的一文
室町後期の長期内戦とは、
実力を失っても否定できない権威と、
正統になれないが統治せざるを得ない実力とが、
互いを必要としながら互いを完成させられず、
最終決着主体を構造的に不在にしたまま回り続けた、
文明的ダブルバインド状態であった。




