表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: 本能寺の変人
148/182

Q&A:応仁の乱

Q1. なぜ応仁の乱は起きたのか?

A. 将軍後継問題や守護大名の対立は引き金にすぎない。

本質は、南北朝で獲得された「曖昧に調整して壊滅を避ける統治アルゴリズム」が、平穏期に不要化して意味と運用知を失い、制度疲労として不満を蓄積したところへ、再び正統性分裂という高ストレス入力が入り、制御不能になったためである。


Q2. なぜ誰も止められなかったのか?

A. 権威(将軍・朝廷)は形式として残っていたが、

利害を収束させる調停技術・終結手続き(口伝知)が沈黙化しており、

「勝たせることも、負かすことも、面子を保って終わらせることもできない」

という終局条件不在の状態に陥っていた。


Q3. なぜ細川と山名は妥協できなかったのか?

A. 調停権威が実効を失った環境では、

譲歩=弱体化、先制行動=生存確率上昇

というゲーム理論構造が成立し、

妥協より先制攻撃の方が合理的になる臨界点に達していた。


Q4. なぜ京都が戦場になったのか?

A.

・象徴空間を破壊してはならないという文明的ブレーキが摩耗

・先制攻撃の合理性が急上昇

・そこへ偶発的衝突や誤認といった揺らぎが加わり

禁止されていた状態が閾値突破(トンネル効果的遷移)を起こしたため。

文明の最終安全装置が機能低下した瞬間に、都が戦場化した。


Q5. なぜ戦争は十年も続いたのか?

A.

完全勝利できる力もなく、

儀礼的敗北で終わる技術もなく、

調停による収束手続きも失われていた。

結果、戦争は「勝っても終われず、負けても降りられない」

終局条件喪失システムとなった。


Q6. なぜ下剋上が広がったのか?

A. 中央の調停が機能しなくなると、

正統性は信号にならず、

ローカル最適(武力・自己保存)が唯一の合理行動になる。

統治ネットワークが分散系に崩壊し、階層秩序が溶解したためである。


Q7. なぜ戦国時代へ移行したのか?

A. 応仁の乱は、曖昧均衡型文明が高ストレス環境に耐えられないことを実証した。

その結果、社会は選択圧として

「正統より実効」「血統より統治能力」「儀礼より決着」

を要求され、明確決着型の戦国構造へと進化した。


総括的一文


応仁の乱とは、

南北朝で獲得された曖昧調整という文明の耐震構造が、平穏期に不要化して意味と口伝を失い、制度疲労として内部応力を蓄積した状態で、正統性分裂という高ストレス入力を受け、文明的ブレーキ低下と先制攻撃合理性の上昇が重なって閾値突破を起こした、統治システムの相転移現象である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ