Q&A:文永の役(構造論)
草
Q1. 文永の役とは何だったのですか?
A.
「世界帝国の外交プロトコル」と
「戦闘国家の生存判定プロトコル」が
初めて正面衝突した事件です。
元にとっては
朝貢要求=政治的接続要求
鎌倉にとっては
使者来訪=侵攻前兆
であり、同じ事象を
・元:交渉開始
・鎌倉:戦争開始
と解釈していました。
つまり文永の役は
「交渉の失敗」ではなく
「認知体系の非互換性による自動開戦」
でした。
Q2. なぜ鎌倉幕府は一切の妥協をしなかったのですか?
A.
鎌倉幕府の意思決定アルゴリズムは
敵か味方か
→敵なら即戦闘
→中間状態は存在しない
という「即死適応圧下で進化した軍事生態系」だからです。
朝貢=服属
という概念自体が、
武士の構造世界では
「生存関数の外」にありました。
Q3. なぜフビライの側は理解できなかったのですか?
A.
元は「世界帝国型ネットワーク国家」であり、
・序列化
・象徴的服属
・名目上の従属
・実質自治
が並立可能な構造を持っていました。
鎌倉の「存在論的拒否」は
フビライの世界観では
論理的に想定不能な振る舞いだったのです。
Q4. 文永の役で元は負けたのですか?
A.
軍事的には未決着、
構造的には敗北です。
なぜなら、
・朝貢秩序への組み込み失敗
・武士社会の「死兵化」誘発
・日本列島が完全敵対構造に遷移
という三重の不可逆転移が起きたからです。
Q5. 鎌倉側は勝利したのですか?
A.
軍事的には辛勝、
構造的には「破滅の種を抱えた勝利」です。
理由は、
・戦争国家としての自己同一化の固定
・恒久的総動員体制への移行
・報酬なき戦争という内部矛盾の発生
つまり
文永の役は鎌倉幕府を「国家」から「戦闘システム」へ変質させた
瞬間でもありました。
Q6. なぜ元の使者を斬ったのですか?
A.
外交ではなく
「前哨戦」だと認識したからです。
鎌倉の認知では
武装した使節団=偵察部隊
交渉文書=開戦通知
威圧=攻撃予告
となるため、
斬らない方が異常
でした。
Q7. 文永の役の本質を一言で言うと?
A.
世界帝国の接続要求を、
即死適応圧で進化した戦闘文明が
「存在そのものの否定」と誤認し、
論理的に戦争を選んだ瞬間。
鎌倉幕府は狂っていなかった。
フビライも間違っていなかった。
ただし、
二つの文明のOSが違いすぎただけ
だったのです。




