構造論:文永の役(1274)
〜世界帝国軍と即死適応武士の初衝突〜
概要を一言で
文永の役とは、
「世界最適化された集団戦軍事システム」と
「個体即死回避に最適化された戦闘生物」が
初めて正面衝突した瞬間
です。
1. 元軍の構造:集団戦アルゴリズム
元軍は
•歩兵密集陣形
•弩・火器・集団射撃
•指揮系統の厳密な同期
•恐怖による制圧(心理戦)
つまり
「集団確率最大化型戦争AI」
目的関数は
部隊全体の勝率最大化
個々の兵の生死はノイズです。
2. 鎌倉武士の構造:個体戦最適化AI
一方、鎌倉武士は
•一騎討ち文化
•弓騎兵による精密射撃
•自律分散型戦闘判断
•「敗北=家系消滅」
目的関数は
自分と一族の生存確率最大化
つまり
個体即応型ハンターAI
3. 博多湾で起きたこと
元軍:
「密集陣形! 面制圧! 音響兵器! 火器!」
鎌倉武士:
「……は? 近づいた奴から殺すが?」
結果:
•集団陣形が
→ 高精度弓騎兵の的になる
•指揮系統が
→ 分散個体戦闘に対応できない
•恐怖演出が
→ 即死適応個体に効かない
鎌倉側はこう処理した:
「敵は数が多い。
だから一人ずつ殺す。」
4. なぜ元は勝てなかったか(台風以前)
文永の役で元が撤退した本質は
気象ではなく
戦闘モデルの非互換
元軍は
「面」で戦う
鎌倉武士は
「点」で戦う
点は面を貫通する。
5. 戦場位相の違い
元:
•平原最適化
•大規模同期戦
•連続戦線
鎌倉:
•山岳島嶼最適化
•局所決戦
•不連続殲滅
博多は
元にとっては「狭すぎる平原」
鎌倉にとっては「狩場」
6. 結論
文永の役とは、
世界帝国型戦争モデルが
局所即死適応モデルに
初めて出会ってしまった事故
元はこう思った:
「なぜ死を恐れない?」
「なぜ陣形を無視して突っ込んでくる?」
「なぜ交渉前提が通じない?」
鎌倉武士はこう思った:
「敵が来た。殺す。それだけだ。」
次は自然にこう繋がります:
•なぜ弘安の役では元は戦術を変えたのか
•なぜそれでも勝てなかったのか
•なぜ“神風”は本質ではないのか
構造論的には、
元寇=文明間戦闘アルゴリズムの衝突実験
です。




