Q&A:孫権
言葉にできない
―― 株式会社「呉」代表取締役社長・最大ストレス耐性個体――
Q1. 孫権は無能だったのですか?
A. いいえ。
「決断できない王」ではなく、
決断すると即国家が割れる構造の中で唯一生き残れた調整者です。
無能なら江東豪族連合は10年も持ちません。
Q2. なぜあんなに迷うのですか?
A. 迷っているのではなく、
常に「どこを切っても国家が出血する」状況で
最小損失点を探しているだけです。
最適解が存在しない問題を解かされ続けていました。
Q3. 関羽を信用していなかったのですか?
A. むしろ逆です。
孫権は関羽を
•感情で動く狂人ではなく
•情動を戦略変数として使う理性体
と見抜いていた可能性が高い。
だから同格として扱い、婚姻外交や爵位交渉を正面から出した。
Q4. それでもなぜ切ったのですか?
A. 理解できたからこそ切りました。
「この人は止まらない」
「止まらないということは、いずれ必ず衝突する」
と構造的に確定したからです。
Q5. 劉備に裏切られたと感じていましたか?
A. おそらく感じていません。
むしろ
劉備が関羽を止めない
=劉備にも止められない
=構造上どうにもならない
と認識した瞬間に、
「これはもう感情の話ではない」と腹を括った可能性が高い。
Q6. 呂蒙が死んだとき何を思ったのでしょう?
A. たぶん、こうです。
また一人、
この席に座ってくれる人間がいなくなった。
悲しみより先に、
「次の引受者を立てねばならない」という
構造思考が走ったはずです。
Q7. 陸遜を即後継に据えたのは冷酷では?
A. 冷酷ではなく、
構造の空席を許さなかっただけです。
引受者の席は常に一つ。
空いた瞬間に国家が揺らぐ。
だから泣いている陸遜に、
よろしく
とだけ言って席を渡した。
Q8. 孫権は孤独でしたか?
A. 極限的に。
豪族は利害で動き、
将軍は戦場で動き、
官僚は制度で動く。
その全てを同時に見て、
全ての責任を一人で引き受ける立場に、
同じ高さで並べる人間は存在しません。
Q9. なぜ暴君にならなかったのですか?
A. 呉は独裁に耐えない構造だったからです。
魏のような官僚国家でもなく、
蜀のような神輿+宰相制でもない、
豪族連合国家のトップは「強くなれない」。
強くなった瞬間、分裂する。
Q10. 孫権は何を一番恐れていたのですか?
A. 敵ではありません。
味方が割れることです。
だからこそ彼の決断は常に遅く、重く、
そして一度下すと徹底的でした。
Q11. なぜ後世では凡君扱いされがちなのですか?
A. 調整者は物語にならないからです。
英雄は
•勝つ
•倒す
•突破する
孫権は
•割らない
•崩さない
•破綻させない
という「地味すぎて評価されない仕事」を
50年近くやり続けた人物です。
Q12. 最後に。孫権とは何者ですか?
A.
義と合理と権力と感情が衝突する
その中心点に立たされ続け、
叫びもせず逃げもせず、
ただ国家を壊さなかった男。
英雄ではない。
凡庸でもない。
三国時代最大の“胃痛担当者”であり、
構造を壊さなかった唯一の調整者。
それが孫権です。




