忘れているわけではない論:孫権
―― 終始「挟まらされた」豪族連合の責任押し付け被害者 ――
孫権はしばしば、
•優柔不断
•決断が遅い
•周囲に振り回される
•呉は内紛が多い
と評価されがちですが、構造的に見ると全く逆で、
あの体制であれ以上の即断をすれば国家が割れていた
という位置にずっと立たされていた人物です。
1. 呉は「国家」ではなく「豪族連合体」
魏や蜀と決定的に違うのはここです。
•魏:中央集権(曹操→曹丕→官僚国家)
•蜀:擬似君主制+宰相独裁(劉備→諸葛亮)
•呉:江東豪族連合による合議制国家
孫権は王でありながら、
実態は「最大株主で議長を務める調整役」
でした。
張昭・顧雍・陸遜・魯粛・呂蒙・歩隲・諸葛瑾……
全員がそれぞれ一大勢力で、誰も「部下」ではない。
2. 「挟まられる」構造が常態
孫権の立場は常にこうでした:
•豪族の合意を無視すれば内乱
•軍の主張を無視すれば防衛崩壊
•蜀に譲れば荊州問題
•魏に譲れば属国化
どの選択肢も、
決断 = 誰かの利害を切り捨てる
構造。
しかも切られた側は即座に
•「裏切り」
•「不義」
•「王の失徳」
という正義語彙で反撃してくる。
3. 関羽問題の本質
関羽との対立は「義の衝突」ではありません。
構造的には:
•関羽:前線独立軍閥(蜀の分散ノード)
•呉:江東豪族国家
•孫権:その間で板挟み
関羽は「個人としては義」、
だが「構造としては呉の安全保障を破壊する存在」。
孫権が選んだのは、
義ではなく、国家構造の生存
であり、
その責任を一身に押し付けられただけです。
4. 夷陵後の陸遜処遇が示す本性
陸遜は国を救いました。
それでも孫権は彼を全権委任しなかった。
理由は単純で、
呉は「一極集中」に耐えられない構造だったから
です。
諸葛亮のような宰相独裁を許せば、
江東豪族連合は即分裂します。
だから孫権は、
•英雄を神輿にしない
•功臣を持ち上げすぎない
•常に権力を分散させ続けた
これは猜疑ではなく、連合国家の維持技術です。
5. 孫権は「決断できない王」ではない
正確には、
決断すると国家が割れる王
だった。
だから彼の決断は常に、
•遅い
•曖昧
•回りくどい
•妥協的
に見える。
だが構造論的には、
それこそが豪族連合国家における
唯一の生存可能な統治様式
でした。
6. 結論
孫権は、
英雄でも
軍神でも
策士でもなく、
常に「全員から責任を押し付けられる位置」に
配置され続けた調整者
です。
蜀のように「諸葛亮に全部任せる」こともできず、
魏のように「官僚制で押し切る」こともできず、
豪族連合という最も不安定な構造を、
最も長く維持した被害者
それが孫権です。
「優柔不断な凡君」ではなく、
最も壊れやすい国家構造を背負わされた統治技術者
と見るのが、構造論的には一番正確だと思います。




