4 自分の物が思い通りにならないのは我慢できませんの
私的なティーパーティー編です。
ブラィエンシュタイン伯爵邸の庭園は美しい。
庭師によって緻密に計算され、剪定された薔薇の生垣が控えめながらもふうわりと香る。
スターチスの白と桃色の小径は、おとぎ話の一頁のようだ。青や白の名も知られない小さな花々は、大ぶりな花たちの陰に隠れながらも、胸が疼くような甘い匂いを漂わせている。
この庭は整えられているのに、どこか肩の力が抜ける空気がある。広い敷地特有の静寂のためかもしれない。このブライエンシュタィンの庭園に入れるのは、ごくごく限られた人間だけなのだ。
そして、そんな限られた者しか入ることのできない楽園で、今日はささやかなガーデンパーティーが開かれようとしていた。ごくごく私的な茶会だ。
しかし、歓待する側のブラィエンシュタイン伯爵令嬢は、不機嫌な面持ちだった。
伯爵令嬢エリザベート・フォン・ブラィエンシュタイン。
このブラィエンシュタイン家の娘である。
癇癪持ちの暴君。
色仕掛けと策略で王子を誑かした女。
身分を弁えず王家に食い込もうとする恥知らず。
噂は好き勝手に育ち、彼女はいつしか「女の敵」と呼ばれるまでになった。
しかし、当の本人は何を言われようとも気にしている様子はない。
今日も、つん、とすました顔をして、優雅に扇子を持っている。
彼女の不機嫌の原因は、目の前に座っていた。
真白い椅子に、足を組んだ青年が優雅に腰掛けている。
茶も出されていない青年は、怒りもせずにゆるやかに息を吐き、花々の香りを愉しんでいた。
「いつ来てもここは落ち着くな」
陽光を受ける金と茶の間のような色合いの髪が、長身に映える。
わずかにウェーブがかっている眺めの前髪からは、穏やかではあるが隙のない視線がのぞく。
第二王子ノア・アルヴェリオ。
王族として英才教育を施された、まぎれもない本物の殿上人だ。
騎士団の副団長とも互角に打ち合えるとも言われる剣の名手でもある。
威圧感さえ漂う風貌の男の向かいに座るエリザベートは、怯むこともなく、眉根を寄せている。
「ノア様。先ほども申し上げましたが、今日は来客があるんですの」
「客?」
「ええ。私の鞄持ちのつまらない少女です」
「へぇ……」
「彼女と私とのごくごく私的な茶会、いえ、作法を教え込ませる特訓日とでも言いましょうか」
「君が、わざわざ?」
「わたくし、自分の物が思い通りにならないのは我慢できませんの。今の平民まるだしの彼女では全く通用しませんわ。ですから、ノア王子。どうぞ今日はお引き取りを」
丸テーブルに頬づえをついて、微笑みつつ聞いていたノアが、組んでいた足を下ろした。
「ふうん。エリザベート、僕よりも大切な人間がいるの?」
口元は笑っているが、目は笑っていない。
「エリザベート。僕は第二王子だよ」
ピリッと空気が張り詰める。近くでポットを持って待機していたアリスがぶるっと震えて、トレイを落としそうになったほどだった。
しかし、エリザベートは表情を少しも変えない。
淡々と告げた。
「わたくしは先約を優先しますわ。貴方が王子だろうと、王だろうと。気に入らないというのならば、いかようにでも処罰なさって」
アリスがポットを落として、白目を剥きそうになる。
相手は王族の跡継ぎの二番手だ。
畏れ多いにもほどがある。
しかも、ブラィエンシュタインは伯爵家だ。
公爵ならばまだしも、伯爵家が王族に刃向かい、意見をするということがどういうことなのか。
無礼だとして取り潰されたとしてもおかしくはない。
ノア王子は、覇気を収め、目を細めた。
「んー、やっぱり、ベティはベティだねえ。普通なら僕にひれ伏すのに、つれない。君、伯爵令嬢なんだよ? それなのに……はぁ、可愛い。気高い。そこがいい」
離れたところで新しいポットを手に持ったアリスが、首がもげるほど頷いている。
当のエリザベートは、ハァハァし始めた第二王子をよそに、困った顔をしながらため息をついた。
「そう思うならお帰りいただけますか」
「嫌だ」
と、ノア王子はきっぱりと断った。
「いいじゃないか、ようやく剣術の師範に勝って、好きに出歩いていい許可を得たんだぞ。客が一人増えるくらい、どうってことないだろ? ね、ベティ?」
「いえ、ノア様が同席するような茶会ではございません」
「そこをなんとかしてよ」
「なぜ、お約束もなしにこんな無作法な真似をなさるのです」
「だって急な休みができたんだ。暇ができたらベティに会いにくるのは当然だろう」
「せめてご連絡を事前に頂きたかったのですが」
「だって会いたかったんだ」
圧を放っていた王族の顔が、キュウンと懇願する子犬のようになる。
本当のところは、国を代表する資産家貴族のブラィエンシュタイン伯爵と、王家とはもちろん繋がりがある。
ブラィエンシュタインと縁故を持ちたいのは、むしろ財政や貿易を安定させたい王家の方なのだ。
しかも、現在の王とブラィエンシュタイン伯爵は幼い頃から同じ学友仲間だったのだ。婚約はエリザベートが産まれた瞬間から、自然と決まっていたといっていい。
相手のノアはある時分から、エリザベートに足繁く会いに来るようになったのだ。
「愛しいベティに会いたいというだけで、僕は叱られてしまうのかな?」
ノアの言葉に、エリザベートの睫毛がわずかに伏せられた。
「そうはいいましても……ヘレナはまだ人前に出せるような物ではありませんわ」
「大丈夫だって。学院に入っているくらいなんだから、貴族なんだろう。私的な茶会ならいいじゃないか、無礼講ってことで」
「さすがに、初めての茶会が王族と一緒というのは――」
その時、庭園の門のベルが鳴った。
出て行ったアリスがすぐに全力疾走で戻って来た。
「お嬢様ッ……大変なことが起こりました」
エリザベートに耳打ちする。
「ヘレナ様が……何かを勘違いなさっているようで……!」
お待ち下さいっという声が遠くで聞こえた後、庭園の入り口に不思議な『何かしら』が出現した。
「本日は! おっ、おまね、ねきねき、ありがとうごじゃります!」
流行から大きく外れた装飾過多のドレス。
ドットカラーの派手な色彩。
風船のような大きすぎる袖。
頬紅は丸く、口紅は不自然に縁取られている。
それはまるで、祝祭の道化そのものだった。
ノアが面白そうに、声を出さずに笑った。
想像以上のことが起こると、ノアは静かに愉しむタイプなのだ。
「あの、これ、つまらないものですが!」
エリザベートが箱を開けた瞬間、空気が変わった。
甘い花の匂いが一瞬で敗北する。
銀紙の隙間から覗くのは、魚だった。
もちろん生の。
ヘレナは誇らしげに言う。
「今朝とれたてです! 新鮮です!」
沈黙の後、エリザベートは微笑んだ。
目だけが氷のように冷えている。
「……なるほど。とれたて、ね」
「えっと、貴族の方々はパーティーには、豊穣の祈りを込めて貴重な魚を持ち寄るんですよね? 鮮度が高ければ高いほど良いと聞いて」
エリザベートはハンカチで指先を包み、そっと魚をつまんだ。そして優雅に立ち上がり、噴水へ歩み寄った。
ぽちゃん。
白い水飛沫が飛ぶ。
「アリス。今夜のティベールの餌をいただいたわよ。後で回収して、いただいて頂戴」
「はい、お嬢様」
ノアは無音で肩を震わせる。
必死に堪えていたが。ついに右腕に顔を埋めた。
ヘレナは困惑しきっていた。
「あ、あのう…⋯もしかして、何か違ったでしょうか……あ、川魚だったから!?」
眉間の皺を押さえたエリザベートは、ツカツカと近寄り、ピエロ少女の前で静かに口を開いた。
「ところでそのドレス……いつの時代の流行かしら? もしかして、ピエロのお下がりですの? わたくし、あなたに一式贈り物を差し上げましたわよね?」
「え!? 初めて招待されたときには、こうして道化に扮するのがマナーだと。こ、これがドレスコードだと、教えられて……」
「どなたに?」
「え、えっと……ミリエッタ侯爵令嬢に。教科書を隠したおわびに、これがプレゼントです、と言われて」
エリザベートの眉が、ほんのわずかに動く。
「そう……」
エリザベートは自分の座っていた席から、水差しをもってきた。
そして、次の瞬間、水がヘレナの頭からかけられた。
庭園が静まり返る。
「思わず手が滑りましたわ」
エリザベートの声は冷たい。
「わたくし、あなたが悪魔と契約したのかと思いましたわ。アリス、代わりの衣装を。ついでにこの娘を、王家の前に出しても恥ずかしくない程度に磨き上げて」
タオルを持ったアリスが滑るように進み出てきて、
「はい、お嬢様」
と、言いながら、目を白黒させている濡れたピエロを回収し、母屋へ消えた。
*
やがて戻ってきたヘレナは、淡い色のドレスを纏っていた。
先ほどの奇抜さは消え、年相応の可憐さが浮かび上がる。
ノアが目を細める。
「なるほど。小兎というより、野兎のようだね」
少女は慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ありません!」
「いや、可愛らしい」
エリザベートが淡々と告げる。
「こちらは……ノア様です。わたくしの婚約者ですの」
「ふわあ……格好よい方ですねえ」
無邪気な言葉にノアが笑う。
「ミス・ヘレナだったね。来月のガーデンパーティー、来るといいよ。王城においで。知り合いができるはずだよ」
「ノア様。こんな状態で王城のパーティーなど。皆の笑い者ですわ」
声が低くなる。
「半年は修練が必要です」
「だよねぇ」
ノアはあっさりと頷く。
少女が目を丸くする。
「えっ」
「身の程知らずの田舎娘が大好きな成金爺たちもたくさん来るからさ、良かれと思って」
ヘレナがヒュッと息をのむ。
「きみ、本当にベティの横に並ぶつもり? 生魚をもってくるピエロが?」
斬首されても文句はいえないかもしれない。
圧倒的な権力者の覇気だ。
ヘレナの首筋に嫌な汗が伝う。
あっけなく空気を打ち破ったのは、エリザベートだった。
「全く良くありませんわ! これだからノア様に見せるのは嫌だったのです。ヘレナは私が責任を持ちますから放っておいてくださいまし!」
「だってさ、ここで尻尾を振ってきみや僕に媚びるような、頭の足りない田舎娘なら、どのみちベティの隣には相応しくないし。見切ったほうがいいでしょ。ベティの足を引っ張るなんで、僕は許せないよ」
エリザベートはゆっくり扇を閉じた。
「私は、私の思う通りに人に近づきます」
視線が、まっすぐノアを射抜く。
「貴方に許されなくとも、関係ありません」
ノアは空を仰いだ。
「ああ……これこれ」
春風がふき抜ける。
恍惚として遠い目をする青年。
「これなんだよなあ」
彼は、心底愉快そうに笑った。
わけもわからず怯えつつ佇んでいる平民丸出しの少女ヘレナは、この高貴な青年が心底エリザベートに心酔しているらしいことを肌で感じていた。
しかし、ちょっと口に出すのは憚られるが、変態性がたかめのようにおもえる。
そして、もっと不可思議なのが、目の前の青年をもはや蔑んでいるように見つめる、不遜な縦ロールの金髪令嬢。
「しかし、今回は特別ですわね。ミリエッタも少しばかりオイタが過ぎましたわ。利用できるものは利用しましょう」
「それ、僕のことかな? ……仮にも王族だよ? モノ扱い? ハァ、ほんとにベティは最高だなあ。今日から結婚しない?」
「いたしませんわ」
「くぅ〜……!」
彼女は彼女の基準で生きているのだった。
ヘレナは今日ほど、貴族と平民の世界の違いを感じたことはなかった。
限られた場所でこそ、変な人間、特殊な人間はすくすく生きているものなのだ。
春の庭の混乱に満ちた私的なティーパーティーはまだ始まってすらいなかった。
ノア・アルヴェリオ
…王家の血をひく第二王子。




