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悪役令嬢 〜女の敵と呼ばれる女は深紅の唇で紅茶を棄てる〜  作者: 丹空 舞


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2/2

2けがらわしい仔猫ね

朝の公爵邸は静かだった。

裏庭に回る者は少なく、まして足を止める者などいない。


この石積みの影に、小さな影が落ちているのを見つけたのは、邸内を散策中のエリザベートだった。



「……なあに、この汚い毛玉は」

「毛玉、でございますか?」

「ほら、見なさい」



アリスが近寄ると、それは小さな声で鳴いた。


仔猫だった。

まだ目も開ききらず、体は濡れ、震えている。


周囲には血の跡があった。

毛の塊も、引きずられた痕も残っている。

おそらく親や兄弟は野犬におそわれたのだろう。

ちょうど石積みの陰で、紛れていたのだろう。


「子猫のようですね」


悪名高い伯爵令嬢エリザベート・フォン・ブラィエンシュタインは、扇を軽く開いたまま、仔猫を見下ろした。


「……ああ、汚らしいわ」


縦ロールの金髪に、冬の湖面のように凍てついた青の瞳。

その表情は、いつもと変わらない。


「こんなところで鳴いて。うるさいわ。迷惑ね」


仔猫が、またか細く鳴いた。

目やにも出ていて、衰弱している。

今にもはかなくなってしまいそうだ。


エリザベートは扇子をパチンと閉じた。


「少し虐めてやろうかしら」


口端を少し歪める。

その言葉に、使用人たちの背筋が伸びた。


「お湯につけてやりなさい。嫌がったって止めずに、容赦なくね。分かっているわね、アリス?」


命令の声は淡々としていた。

アリスは、深く頭を下げる。


「……かしこまりました、お嬢様」

「場所はどこでもいいわ。人の近付かないところにしなさい。助けでも呼ばれたら困るわ」


エリザベートはそれ以上、仔猫を見なかった。

くるりと踵を返す間際。


「私は、そうね。ベルのところに言って、強い『薬物』を手に入れてくるわ。フフフ」


その背中が角を曲がり、見えなくなる――と、同時。


アリスは指を口にあてた。

音は鳴らないが、ヒュウッと風の吹き抜けたような音がする。


これはブラィエンシュタイン家の使用人たちに伝わる秘伝の『指笛』だ。

通常の人間の耳には聞こえない音だが、良く訓練された一部の使用人には聞こえる合図である。


すると、どこからともなく人間の気配が近付いてくる。


「どうした」


庭の植え込みから、低く短い声が飛んできた。

老執事のハンスだった。


アリスは真っ白なエプロンを脱ぎ、それで仔猫をくるんだ。


「お嬢様が、これをお湯に、と」

「猫か。ふむ」


ハンスの横にいつしかメイドのリアンが立っている。


「あらあら。でしたら、ミルクも要りますね。ノーマンに伝えて仔馬用のものを分けて貰いましょう」


「頼む。お嬢様はどちらに?」


「ベルに『薬物』をもらいに行くと」


「なるほど、傷薬か。ならばまだ少し時間はあるな。アリス、リアン。最大限かつ最高の働きを頼んだぞ」


「はい」


「もちろん」


ザッと風のように立ち去った使用人たちは、一斉にちりぢりに散った。






「ベル。一番強い『薬物』を持ってきて」

「薬ですか。何用でございますか」

「庭に汚い毛玉が落ちていたので、少し揉んでやるのよ」

「作用ですか……怪我の具合は?」

「フン、血がついていたわ」

「そうですか。では幾つか用意いたします」


ベルを連れて屋敷の2階へ上がったエリザベートは、自室の反対側にある客間へ向かった。


「待たせたわね」


大きな暖炉のある部屋だ。

客間の大きな丸テーブルにのせた桶の前で、アリスとリアンがエリザベートに向かって一礼する。

仔猫はぬるいお湯のはられたタライの中で、ニィニィ鳴いていた。


「さあ、薬が来たわよ。これを体に塗りたくってこすってやるわ」

「お嬢様、わたくしが」

「お下がり。アリスはまだ悪魔になりきれていないわ。小さな生き物が泣き叫んでもやめてやらないのよ。リアン、あなたがやりなさい」

「はい。お嬢様」


リアンは手際よく、仔猫に薬を振りかけてごしごしと洗いあげていった。石けんや薬が染みるのか、仔猫は嫌がったが、リアンはてきぱきと洗い上げる。


「さあ、湯のあとは布でこすりあげてやりなさい」

と、エリザベートはアリスに告げた。


ふわふわの布でくるまれ、仔猫はニャアニャアと声をあげる。


「まだよ。ベル」

「はい、お嬢様」

「この毛玉にさらなる屈辱を味合わせてやりなさい」

「承知しました」


ベルはテーブルにのっていた皿と小さじを取り上げた。


「さあ、口を開けろ」


仔猫の口元に、小さじに乗せた白い液体を近づける。

ミャア、と一声鳴いた猫は、フンフン匂いを嗅ぎ、ぷいっと顔を背けた。


不穏な空気が満ちる。


「生意気ね」

と、エリザベートは言った。


「ベル、貸しなさい」


エリザベートは手袋を外し、皿に指をつけた。

それを仔猫の口元に持って行く。


ふんふんと匂いを嗅いでいた仔猫は、少しするとエリザベートの指先を舐め、ちゅうちゅう吸い出した。


使用人たちはワッと盛り上がりそうになったが、ベルが指笛を吹き、シンッと見せかけの落ち着きを取り戻した。


お嬢様は騒ぎ立てられたくないのだ。



「人肌があれば騙されるなんて単純な生き物ね。全く無力だわ」


エリザベートはフンッとせせらわらいながら、仔猫が腹いっぱいになるまで指を吸わせた。


「まだこれからよ。さあ、この牢獄からお前は一生出られないわ。ここで生きながらえさせて、伯爵家に仕えさせてやるわ。長生きしてせいぜいネズミ取りに役立ってもらいましょう。逃げられるだなんて思わないことね。この隣はアリスの部屋なのよ。アリス、みっともなく鳴くようだったら、この液体を吸わせて意識を奪ってやりなさい。逃げだそうとしていないか夜も見回るようにね」


「……はい、お嬢様」


「この毛玉の枷になるような名を付けてやるわ。そうね。『ティベール』にしましょう。男でも女でも良いように」


「名案ですわ。お嬢様」


「また来るわ。次はノーマンに首輪をこしらえさせて持ってきてやるわ。いい、ティベール。せいぜい逃げようなんて思わないことね。オーホホホホ……」




エリザベートが去って行くと、使用人たちはおのおのため息をつきながら、本日のお嬢様の名場面の余韻に酔いしれた。




「今日も最高でしたね……!」


「ええ。あの指を吸わせるところ、泣きそうになったわ」


「夜も見回れとアリスに言ってましたね。夜泣きして不安がるのをなだめろという命令です。尊いですね」





アリスは寝てしまった仔猫をそっと暖炉の近くの木箱に入れた。




「はあ……拾われて良かったですね、ティベール。お前も私たちのように、お嬢様のことが大好きになりますよ」










エリザベートの日記



「今日は猫を拾った。怪我をしていたので、お湯で清めてからミルクをあげた。アリスに夜の世話を頼んだけれど、ちゃんと寝られたかしら。明日、お礼を言わないと。出会ったころのベルに少し似ていたから、ティベールという名前にしたわ。お父様やお母様が外国からお戻りになる頃には、ネズミもとれるようになっているでしょう」


登場人物


・お嬢様

 エリザベート・フォン・ブラィエンシュタイン

 伯爵家の令嬢。恥ずかしがりで素直になれないのが長年の悩み。


・お嬢様親衛隊のみなさん

 アリス(お嬢様の付き人兼メイド) ハンス(家令。老執事)

 リアン(メイド) ベル(若い執事) ノーマン(馬担当)

 クロッシェネル(馬) ティベール(猫)←【NEW!】

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