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【更新中】悪役令嬢 〜女の敵と呼ばれる女は深紅の唇で紅茶を棄てる〜  作者: 丹空 舞


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1/2

1 香りを嗅ぎたかっただけよ

 

 貴族も庶民にも平等に、春は柔らかな陽光を注ぐ。

 朝のブラィエンシュタイン伯爵邸のテラスも、その春の恩恵に預かっていた。


 といってもここは特別だ。

 ブラィエンシュタイン家といえば、伝統的な名家である。

 エルムランド中の貴族が一目置く、資産家だ。

 伯爵家といえども、やっていることは実業家に近い。


 ブライエンシュタイン運輸公社は、王国最大の物流と運輸を握っている。街道・運河・港湾の管理権を保有し、馬車会社、河川輸送、倉庫業までも手広くやっている。

 貴族も庶民も、まさしく『ブラィエンシュタインを通さずに物が動かない』というわけだった。



 そしてこの春の陽の降り注ぐ、完璧に左右対称に造られた石造りの豪邸は、巷で史上最低の悪女と陰口を叩かれる少女の住まいでもあった。


「……ああ、興冷めだわ」


 エリザベート・フォン・ブラィエンシュタインは、怠惰そうに扇をパチンと閉じ、立ち上がった。


 年の頃は十六で、年相応に華奢ではあるが脆さはない。

 幼さよりも落ち着きが先に立っているのだった。

 背筋は育ちの良い貴族らしくしゃんと伸び、物憂げに椅子に腰掛けていても、だらしなさというものを一切感じさせない。


 髪は淡いブロンドで、北部の貴族に多い、少し灰を含んだ色合いだ。長く伸ばした髪は、顔立ちを縁取る程度に緩やかな縦巻きのカールを施している。流行に迎合しすぎない結い方は、この家は流行を追う側ではなく、流行を創り出す側なのだという無言の主張をしているようだ。


 特徴的なのが、その令嬢の瞳だった。

 冬の空のように澄み、少しくすんだ青は、感情を映さぬように育てられた者特有の威厳がある。

 白い肌と相まって、冷たくさえ見える。


 小ぶりな宝石をあしらったデイ・ドレスは春の陽を受けてきらきらと楽しげに輝いているが、当人の少女は詰まらなさそうにしている。人形のような美しさではあるが、見るからに気位が高そうであり、我儘そうだ。


「もう下げて頂戴」


 テーブルには、淹れたての色を保った紅茶が残されている。薄い琥珀色をたたえた水面には、全く触れられた形跡がない。


 これは王都で今もっとも入手困難とされる、ロートナム=メリソンの稀少なダージリンの初摘み、ファーストフラッシュである。


「お嬢様、まだ一口も召し上がっておりませんが……」


 メイドのアリスが、さも困惑したように声をかける。

 年若く清楚な品の良い女だ。

 破産した男爵家の娘なのだが、縁故あってこの屋敷に住み込みで働いている。

 我慢しているようだが、時折小さく咳払いをしている。あまり体調が良くないらしいが、エリザベートにじろりと睨まれるのを恐れてか、おどおどと下を向いている。


 ブラィエンシュタイン伯爵の屋敷には、このような訳ありの使用人たちが集まっている。

 そのようなすねに傷のある人間でなければ、ここで働きたいとは願い出ないだろう。


 あの社交界の腫れ物――エリザベート・フォン・ブラィエンシュタイン。


 伯爵家の癇癪持ちの暴君お嬢様だ。


 女の敵と称され、多くの貴族女性から目の敵にされている。

 貴族女性として見苦しいというのが、大多数の意見だ。


 そして、エリザベートの婚約者が、王家の縁故の者であるというのも大きい。

 王家の実子であり、第四王子なのだが、降下して伯爵家に婿入りするといって聞かないのだ。

 政治にも長け、武道もたしなみ、国一番の才覚という噂の王子を色仕掛けで虜にしてしまったという噂が、さらにエリザベートの評判を致命的にしていた。

 第四王子に密かに思いを寄せていた侯爵令嬢や、縁談を取り持つ気でいた公爵たちの思惑もあり、身分不相応にずかずかと王家に介入しようとする恥知らずという不名誉な噂さえ流れていた。


 まさに、女の敵。


 普通の感覚の人間ならば、王都一の触れてはならない華とまで噂される悪女に仕えるくらいならば、厩でわらまみれになりながら馬の世話をしたほうがよっぽどましだろう。


 ブラィエンシュタイン伯爵家に関しては、貴族も平民もほとんどがそう思っていた。


 何しろ、使用人たちを毎日のように泣かせるだの、人間だけでなく動物もいじめるだの、親にも婚約者に我儘放題を言っては困らせるだのと、手がつけられない悪女ぶりだ。


 当の伯爵令嬢、エリザベートはすました顔で、白い指を唇にあてた。整った可愛らしい顔をしてはいる。


 が、王都で恐れられる悪の華は、辛辣な台詞をためらいなく口にした。



「いらないわ。せっかく引いた口紅を、こんな温い液体のために落とすなんて馬鹿げているもの。香りを嗅げれば十分よ」


 エリザベートは、冷徹にじろりと紅茶を見下ろす。


 さらには蔑むような視線を投げた。



「もういいわ。アリス、これを片付けてちょうだい。そうね、捨てるのは忍びないから、あなたが飲むといいわ。使用人への払い下げよ。感謝なさい」


「……っ」


「たくさん淹れすぎてしまったわ。残したら承知しなくてよ。せいぜい他の使用人に頭を下げて助けてくれと懇願するのね」


「……」


「お礼は?」


「ッあ、ありがとうございます、お嬢様!」


 アリスが震える声で頭を下げる。



「部屋で本を読むわ。しばらく一人にして頂戴。用事があれば呼びます。邪魔されたくないのよ。使用人たちが勝手に部屋に入ってきたら承知しないわ。皆に言っておきなさい」


 エリザベートはフンッと鼻を鳴らすと、ドレスの裾を翻し、踵を返して去っていった。


 その足音が遠ざかるまで、アリスは深く頭を下げ続けていた。


 バタン、とテラスの扉が閉まる。

 その瞬間、アリスの肩の震えが止まった。


「……なんてことなの」


 彼女が顔を上げると、そこには先ほどまでの怯えた侍女の姿はなかった。


 頬を紅潮させ、恍惚とした表情で、主人が残したカップを見つめる狂信者の顔があった。


「なんて愛らしいのかしら。お聞きになった? みなさん? 本日の『払い下げ』の理由……口紅を汚したくないなんて! なんて気高い嘘を吐かれるのかしら」


 ザッとテラスの柱の陰から人影が現れる。


「全くだ。昨晩から、アリスが風邪気味で喉を痛めて咳をしていたのを、お嬢様はしっかり見ていらっしゃったのだ」


 影から音もなく現れたのは、老執事のハンスだ。

 彼はエリザベートが去った方向へ一礼すると、銀のトレイを恭しく捧げ持った。


「この茶葉には、喉の炎症を抑える効能があるのだ。わざわざこの銘柄を指定し、さらに一番飲み頃の温度になるまで、お嬢様は『退屈だ』と仰って時間を稼いでくださった」


「おおお、なんと尊いのでしょう!」


 アリスは涙していた。

 ハンスがその肩をポンポンと叩く。


「お嬢様は、私たちが自分から休憩を取らないので、こうして無理やり『仕事』として栄養を分け与えてくださるのだ」


「部屋に来るな、なんて、しばらく休んでねという意味ですわ。こんなに優しい命令がございますか!?」


 アリスは聖杯でも扱うかのように、冷めかけたカップを手に取った。


 その背後には、いつの間にか数人の下働きの者たちが集まっている。

 皆、一様に激しく頷いており、感動を露わにしていた。

 使用人たちの目は一様に、自分たちの主、エリザベートへの忠誠心でぎらついていた。


「さあ、親衛隊レギオンの諸君。本日の『恵み』の分配だ」


 ハンスが低く、厳かな声で告げる。

 静かな歓声が巻き起こった。

 騒いで、お嬢様の読書を妨げるなどあってはならないことだ。死に値する。


 この使用人たち、否、エリザベート親衛隊レギオンの任務は、お嬢様の『悪行』を、彼女の望み通り『悪行』として完遂させ、それを見守ることである。

 そしてついでに、馬番だの執事だのメイドだのといった使用人の職務を果たしている。


 エリザベートは気高く素晴らしい令嬢なのだが、あの外見と冷たい口調のため、息を吐くように誤解を生むのだ。

 しかし、屋敷で暫く仕えれば、誰しもがエリザベートを狂信するようになる。




 そして、お嬢様に楯突く者や害をなすものを、『掃除』するのだ。

 これは命じられたわけではないが、自主的に行っている。

『自主清掃』ということだ。



「お嬢様を嘲笑った隣国の使節は? リアン」

 と、ハンスが尋ねた。

 年嵩の緑の目をしたメイドが進み出る。


 リアンは優しそうなお母さんのような風貌で、穏やかそうな婦人だ。

 しかし、口から出た台詞は物騒だった。


「既に料理人が、その者の晩餐に一週間腹を下すスパイスを仕込みましたわ。お嬢様の『つまらない』という言葉通り、実につまらない男でしたから」


「よし。お嬢様の婚約破棄を狙った男爵令嬢は?」


 今度はアリスが報告する。


「はい! 彼女が夜会で着る予定のドレスの生地が、いかに粗悪であるかという噂を市中に流しておきました。お嬢様の口紅を汚す価値もない女です」


「いいぞ」


「執事長、ご報告が」

 と、手を挙げたのは若い執事のベルだ。


「何だ?」


「お嬢様の乗る馬にいたずらをしようとした庶民の子供たちはどうしましょうか」


「ふむ、子供のすることだからな。成人ならば地下牢に押し込めて、餓死寸前まで追い詰めるか、馬糞まみれになってもらうか、だが……そこまでは、お嬢様が望むまい」


「ええ。では、馬の幽霊の手紙を枕元に置きましょうか。足の怪我が元で苦しんだぞ、謝罪に来なければ一日に一度は転ぶ呪いをかける、と」


「天才だな、ベル。それでいこう」


 馬番と御者を兼務いしている男、ノーマンが口を挟んだ。

「おいおいベル、お嬢様の愛馬はちゃんと生きてるぞ。ちっこい針をちょこーっと後ろ足に刺されたくらい、クロッシェネルなら問題ない。何せ俺が育てたんだからな」


「いいえ、ノーマン。こういうのはちゃんとしなければいけません。子どもは叱られて大人にならなければ。放っておけば、あれが針ではなく、ナイフになるだけです。毒でも塗ってあったらどうしますか」


「クロッシェネルなら……」


「あなたの馬が戦にも対応できる素晴らしい仕上がりなのは知っていますが、これはそのような問題ではないのです。教育ということです」


「まあまあ」

 と、リアンがとりなす。


「それくらいにしましょう。せっかくの紅茶が冷めてしまいますわ」



 アリスがじっと紅茶ポットを眺めて呟く。


「ああ、お嬢様……どうぞ、これからも私たちを存分に踏みにじってくださいませ」


「その言い方は誤解を招くぞ、アリス」

 と、ベルが窘めた。


「よいのです。真実は私たちだけが知っていれば」


 アリスは黄金色の液体を一口含み、その温もりに涙ぐんだ。




 きっと今日もお嬢様は、自室で一人反省会をされるのだ。

 アリスたちは知っている。

 お嬢様が五歳の時分、日記に


『どうしてわたしはみんなとちがって、やさしいことばをいえないんだろう』


 と書いていたことを。


 七歳の日記では、


『もっとちがう言い方をすればよかった。でも、目を見るとはずかしくなってしまう。どきどきしてしまう』


 とも書いていた。



 きっと今日も一人で悩まれるのだ。

 せめて、近くで見守ろう。

 不器用で、本当はものすごく恥ずかしがりなエリザベート様の成長を――。



「ううっ……お嬢様、美味しいですう……」

「アリス、もう少し声を潜めて」

「そうだぞ、お嬢様の読書の邪魔をするんじゃない」

「ふっ……グスッ、はい」

「よし、休憩したらすぐに仕事に取りかかろう」

「はい!」


 使用人たちはこうして毎日のように、エリザベートお嬢様に泣かされているのだった。


 ……良い意味で。



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