ラウンド1:恐怖の文化的差異
(スタジオの照明がわずかに変化し、壁に掛けられた世界各地の仮面が不気味に浮かび上がる。東洋の般若面、西洋の死神のマスク、アフリカの呪術面、そして正体不明の古代の仮面が、まるで対談を見守るかのように並んでいる)
あすか:「では最初のラウンドです。『恐怖の文化的差異』について語っていただきましょう。東洋と西洋、それぞれの文化における恐怖の違いとは何でしょうか」
(あすかがクロノスを操作すると、画面に世界地図が浮かび上がり、各地の怪談や恐怖の象徴が表示される)
八雲:「私から始めさせていただいてもよろしいでしょうか」
(八雲が静かに手を挙げる)
八雲:「日本の怪談の特徴は、何と言っても『怨み』です。西洋の悪魔や怪物とは根本的に異なります」
(八雲は目を閉じ、記憶を辿るように語り始める)
八雲:「四谷怪談のお岩さんも、番町皿屋敷のお菊さんも、牡丹燈籠のお露さんも...彼女たちは皆、生前に受けた仕打ちへの恨みから現れる。つまり、日本の幽霊には必ず『理由』があるのです」
ポー:「理由、か」
(ポーが皮肉な笑みを浮かべる)
ポー:「待ちたまえ、ハーン君。西洋にも怨霊は存在する。シェイクスピアのハムレットに登場する父王の亡霊、マクベスのバンクォーの亡霊...彼らもまた復讐を求めている」
八雲:「確かにそうですね。しかし、決定的な違いがあります」
(八雲が身を乗り出す)
八雲:「西洋の幽霊は、多くの場合、正義の執行者として現れる。しかし日本の幽霊は...どんなに恐ろしくても、どこか哀れで、美しい。恨みながらも、なお愛している。この複雑な感情、『もののあはれ』こそが日本の恐怖の本質なのです」
メアリー:「興味深いですわ」
(メアリーが優雅に口を開く)
メアリー:「でも八雲さん、それは女性の幽霊が多いからではありませんか?男性中心の社会で虐げられた女性たちの...」
ポー:「シェリーさん、また女性論ですか」
(ポーが苛立たしげに指を鳴らす)
ポー:「恐怖に性別など関係ない!私が追求したのは、もっと普遍的な恐怖だ。理性を失っていく恐怖、自己が崩壊していく恐怖...」
(ポーが立ち上がり、激しく身振りを交える)
ポー:「『黒猫』の主人公を見たまえ!彼は愛する妻を殺し、壁に塗り込めた。なぜか?内なる悪魔に屈したからだ。これは東洋も西洋も関係ない、人間の本質的な闇だ!」
ラヴクラフト:「ポーさん、あなたはまだ分かっていない」
(ラヴクラフトが冷たく割って入る)
ラヴクラフト:「あなたの描く恐怖は、所詮は人間の枠内での恐怖だ。私が提唱する宇宙的恐怖は、文化の違いなど超越している」
八雲:「しかしラヴクラフトさん、恐怖の表現方法は文化によって大きく異なります」
(八雲が穏やかに、しかし確信を持って語る)
八雲:「たとえば、日本には『間』という概念があります。能楽では、般若の面をつけた演者が、ただじっと立っているだけで恐怖を生み出す。動かないこと、語らないことが恐怖になるのです」
メアリー:「それは素晴らしい洞察ですわ」
(メアリーが同意する)
メアリー:「西洋では逆に、饒舌であることが恐怖を生み出すことが多い。私のフランケンシュタインの怪物も、雄弁に自己の苦悩を語ります」
ポー:「その通りだ!言葉こそが恐怖を紡ぐ」
(ポーが熱を込めて語る)
ポー:「私の作品では、語り手の独白が次第に狂気を帯びていく。『告げ口心臓』のように、犯罪者自身が自らの罪を暴露していく過程...」
ラヴクラフト:「諸君は表面的なことばかり議論している」
(ラヴクラフトが苛立たしげに眼鏡を直す)
ラヴクラフト:「真の恐怖は、人間の理解を超えたところにある。私の描く旧支配者たちは、その姿を見ただけで人は発狂する。これは東洋でも西洋でも同じだ」
八雲:「でも、その『理解を超える』という概念自体が、実は文化的なものではないでしょうか」
(八雲が鋭い指摘をする)
八雲:「日本では、理解できないものを『もののけ』として受け入れる文化があります。共存する、という選択肢があるのです。しかし西洋では...」
メアリー:「征服するか、破壊するか、ですわね」
(メアリーが引き取る)
メアリー:「私のフランケンシュタイン博士も、理解できない存在を受け入れることができなかった」
あすか:「なるほど、文化によって『未知なるもの』への対応が違うということですね」
(あすかがクロノスを操作し、新たなデータを表示する)
あすか:「では、具体的な例を挙げていただけますか?それぞれの文化の恐怖の象徴について」
ポー:「西洋の恐怖の象徴といえば、やはり『死』だ」
(ポーが暗い情熱を込めて語る)
ポー:「骸骨、墓地、棺桶...これらはすべて死を想起させる。私の『赤死病の仮面』では、死そのものが擬人化されて舞踏会に現れる」
ラヴクラフト:「ポーさん、それもまた古い」
(ラヴクラフトが首を振る)
ラヴクラフト:「現代の西洋では、むしろ『無』や『虚無』が恐怖の象徴となっている。私の作品に登場する『アザトース』は、盲目にして白痴の神。すべての中心にありながら、何も認識しない存在だ」
八雲:「日本の恐怖の象徴は、もっと身近なものに宿ります」
(八雲が静かに語る)
八雲:「古い井戸、朽ちた神社、使われなくなった道具...日常的なものが恐怖の源になる。これは、万物に魂が宿るという日本の信仰に由来します」
メアリー:「つまり、アニミズムですわね」
(メアリーが知的な興味を示す)
メアリー:「でも、それは原始的な信仰ではありませんか?科学の時代には...」
八雲:「原始的でしょうか?」
(八雲が優しく反論する)
八雲:「むしろ、すべてのものに魂を認める考え方は、とても洗練されていると私は思います。西洋の二元論的な考え方の方が、ある意味では単純かもしれません」
ポー:「二元論が単純だと?」
(ポーが憤慨する)
ポー:「善と悪、理性と狂気、生と死...この対立こそが劇的な恐怖を生み出すのだ!」
ラヴクラフト:「その対立すら無意味だと、なぜ理解できないのか」
(ラヴクラフトが溜息をつく)
ラヴクラフト:「宇宙から見れば、善悪など人間の作った幻想に過ぎない」
メアリー:「でも、私たちは人間として生きているのです」
(メアリーが毅然と言う)
メアリー:「宇宙の視点も結構ですが、恐怖を感じるのは人間です。文化の違いを無視することはできません」
あすか:「では、少し視点を変えて...それぞれの文化で『最も恐ろしいもの』は何だと思いますか?」
八雲:「日本では『祟り』です」
(八雲が即答する)
八雲:「特に、無実の罪で殺された者の祟り。菅原道真公のように、死後に神として祀られることもある。恐怖と畏敬が表裏一体なのです」
ポー:「アメリカでは『孤独』だ」
(ポーが暗い声で呟く)
ポー:「広大な大陸で、一人きりになる恐怖。私の『アッシャー家の崩壊』も、究極的には孤独の物語だ」
ラヴクラフト:「私は『知識』だと考える」
(ラヴクラフトが不気味に微笑む)
ラヴクラフト:「知るべきでないことを知ってしまう恐怖。『ネクロノミコン』を読んだ者が発狂するように」
メアリー:「ヨーロッパでは『革命』かもしれませんわ」
(メアリーが意味深に語る)
メアリー:「社会秩序の崩壊、伝統の破壊...私の生きた時代は、まさにその恐怖の中にありました。フランケンシュタインも、ある意味では革命の物語です」
あすか:「それぞれの文化背景が、恐怖の形を決定づけているのですね」
(あすかがまとめようとする)
ポー:「しかし!」
(ポーが激しく机を叩く)
ポー:「結局のところ、恐怖の本質は変わらない。死への恐れ、狂気への恐れ、孤独への恐れ...これらは全人類共通だ!」
八雲:「でも、その表現方法が...」
ポー:「表現方法など些末なことだ!」
(ポーが立ち上がる)
ポー:「重要なのは、読者の魂を震撼させることができるかどうかだ!」
ラヴクラフト:「その点では同意する」
(ラヴクラフトが珍しくポーに同調する)
ラヴクラフト:「ただし、震撼のさせ方が問題だ。個人的な恐怖に留まるか、実存的な恐怖にまで達するか」
メアリー:「男性の皆さんは、どうしてそう極端なのでしょう」
(メアリーが呆れたように首を振る)
メアリー:「恐怖にも、繊細さや優しさがあってもいいのではありませんか?」
八雲:「メアリーさんのおっしゃる通りです」
(八雲が支持する)
八雲:「日本の幽霊譚には、恐ろしくも美しい、という独特の美学があります。雪女は恐ろしい妖怪ですが、その姿は純白で美しい...」
ポー:「美と恐怖の融合か」
(ポーが興味を示す)
ポー:「それなら私も理解できる。『リジーア』のように、美しい女性の死ほど詩的な主題はない」
メアリー:「また女性の死ですか」
(メアリーが皮肉を込める)
メアリー:「どうして男性作家は、女性を殺すことにそんなに執着するのでしょう」
ポー:「それは...芸術的な...」
(ポーが言葉に詰まる)
ラヴクラフト:「この議論は不毛だ」
(ラヴクラフトが話題を変えようとする)
ラヴクラフト:「それより、現代における恐怖の変化について議論すべきだ」
あすか:「ちょっと待ってください」
(あすかが割って入る)
あすか:「今の議論、とても重要だと思います。恐怖における性差、これも文化的差異の一つではないでしょうか」
八雲:「確かに...日本の怪談に女性の幽霊が多いのは、社会的に抑圧された存在だったからかもしれません」
メアリー:「やっと理解していただけましたわ」
(メアリーが満足げに微笑む)
メアリー:「恐怖は、その時代の社会構造を反映するのです」
ポー:「しかし、それでは恐怖が社会学になってしまう」
(ポーが反発する)
ポー:「純粋な恐怖、原初的な恐怖はどこにいったのだ?」
ラヴクラフト:「だから私は言っているのだ」
(ラヴクラフトが苛立つ)
ラヴクラフト:「人間の社会など、宇宙の時間軸では一瞬の出来事に過ぎない」
八雲:「でも、その一瞬に生きる私たちにとっては、それがすべてです」
(八雲が哲学的に返す)
八雲:「恐怖もまた、その一瞬の中で意味を持つのではないでしょうか」
あすか:「深い議論になってきましたね」
(あすかがクロノスを確認する)
あすか:「最後に、皆さんに質問です。文化の違いを超えて、普遍的な恐怖は存在すると思いますか?」
(一瞬の沈黙)
八雲:「存在すると思います。ただし、その表現は文化によって異なる」
ポー:「当然存在する。死と狂気は全人類共通の恐怖だ」
ラヴクラフト:「存在する。人間の無力さという真実を知った時の恐怖は普遍的だ」
メアリー:「存在しますわ。でも、それを理解し、表現する方法は、時代と文化と...そして性別によって異なります」
あすか:「なるほど...恐怖は普遍的でありながら、その現れ方は多様である、ということですね」
(あすかが優雅にまとめる)
あすか:「東洋の『間』と『もののあはれ』、西洋の『死』と『狂気』、そして現代の『虚無』と『実存的恐怖』...すべてが恐怖という大きな概念の、異なる側面なのかもしれません」
(蝋燭の炎が静かに揺れ、4人の作家たちは各々の思索に沈む)
(場面転換を示すかのように、どこかで古い柱時計が不吉な音を立てて時を告げる)