最初の任務
その日、フィリアは朝から執務室に呼ばれていた。もちろん呼び出し主はレイフィードである。
初日から昨日までのゴタゴタで、自分が彼の護衛として皇都に来たことを若干失念していたフィリアだったが、ようやく護衛生活が始まろうとしていた。
とはいえ特に服装が変わるわけでもなく、白いジャケットに黒いシャツ、黒いショートパンツにショートブーツといういつも通りの装いなので、心機一転というような感慨はない。
「フィリア様」
執務室に向かう廊下の途中。突然何かを促すような口調でセリルに名を呼ばれ、フィリアはすぐにその意図に気付く。廊下の先から、ジュストコールを着た五十過ぎの男性が、こちらへと向かってきているのが見えたからだ。
フィリアは今朝部屋を出る前、貴族を前にしたら振る舞いに気をつけるよう、セリルから忠告されている。
皇城内でフィリアの立場は微妙なものらしく、レイフィードやコンラートが認めるほどの者ならば、と受け入れる者が大半ではあるものの、やはり反対意見も少なくないとセリルは語った。
人事命令が出た翌日に城内の勢力図を把握していたセリルに驚いたフィリアだったが、いつの時代も従者たちの情報網というのは馬鹿にできないものなのだ。
「陛下を盾に早速好き放題やっているようだな」
すれ違う距離で、男はフィリアに向かって語りかけてきた。明らかに嫌味な口調だったが、敵意を剥き出しにするようなことはしてこない辺り、そこまで浅慮な人間ではないらしい。
「何のことか分からないわ」
「昨日は大活躍だったと聞いたが?」
男は鼻を鳴らし、フィリアを見下す形で目を細めた。
「昨日?」
「リュレス通りのパン屋での一件のことだ。もう少しやり方はなかったのかね」
「何かご不満が?」
昨日の一件では、怪我人の治癒をフィリアが行ったため結果として民間人の負傷はゼロ、建造物への被害は犯人たちによるもののみ。だからこそ、フィリアとしては男が何を言いたいのかイマイチ分からなかった。
「やり過ぎだと言っているのだ」
「人質を守るためにはあれが最善だったと思いますが」
「もっと穏便なやり方があっただろう。ヨハン下級騎士を圧倒したお前なら」
パン屋の件と言い、どうやらフィリアの行動は全て筒抜けのようだった。
実際の状況も分からない役人が……と内心で毒づくも、フィリアは表情を変えず、穏便に済ませることにする。
「それは失礼しました。まだ未熟故、ご容赦くださいませ」
頭こそ下げないものの、言葉上は反省を見せて返すフィリアだったが、男は気に入らなかったらしく、ついに怒りが表情に浮かんでいる。傍から見ればフィリアの態度はいわゆる煽りにしか見えなかったため、仕方のないことだが。
「貴様はあくまで陛下の護衛なのだ。その剣が陛下のためにのみ使われるよう祈っている」
そう言って男はフィリアに背を向け歩き出す。怒りを浮かばせこそしたが、男は終始冷静であり、付け入れられるような隙を見せるようなことはしなかった。
男もまたそれなりに上の役職に就いているのだろう。そんなことをフィリアが考えていると、セリルがすぐ背後で口を開いた。
「あの方は国防省副長官、コルヴァス様です」
「あれ、あの人は貴族じゃないの?」
「はい。身分制限が撤廃された初期に副長官になられたと伺っております」
道理で、とフィリアは納得する。叩き上げの役人が釘を刺す際に隙など見せるはずもない。
そんなことを考えながらフィリアは、廊下の先で曲がり角に姿を消していくコルヴァスの姿を眇めながら、セリルに「なるほどね」とだけ返す。
「フィリア様、そろそろ……」
「そうね、行きましょうか。陛下を待たせてることだし」
改めて護衛としての意識へと切り替えつつ、フィリアはレイフィードの執務室がある方へと視線を移す。
執務室は廊下の壁沿い奥にあり、その先の突き当たりには一枚の扉があるのみである。その扉の向こうは皇帝の居住区になっており、扉を通れる者はごく僅かな人間のみということだった。
フィリアは目的の部屋である執務室の前に立ち、ノックの後で失礼します、と声をかけ、入室を許可する声を待って扉を開けた。
「おぉ、早速やらかしたみたいだな?」
扉が閉まり切る前に、レイフィードが笑いながら言う。つい先ほど似た言葉を、対極的な声音で聞いたばかりのフィリアは片手で額を押さえながら溜息をついた。
「さっきも聞いたわ、それ」
「あぁ、コルヴァスか。あいつなら言いそうだ」
笑いながら言うレイフィードに辟易しつつ、ウェルリウスに視線を向けると、彼もまた苦笑いしていた。フィリアが感じている以上に、彼は苦労しているのかもしれない。
「まぁ、お前は気にしないでいい」
「その言いようだと問題はあるのね」
「法治国家としての体裁ってものがあるからな。一応、お前が力の行使を許されるのは俺の護衛としてのみ、ってことになる」
昨日フィリアが眠りにつく前、自室で見つけた法律書によると、公職に就いている者の業務内での鎮圧行為であっても、役職によって許される範囲は制限されているとのことだった。
皇帝の護衛であるフィリアに許容される範囲はレイフィードの言葉通り、あくまで皇帝に対する脅威の排除のみに限定されている。そのため、昨日の行為はグレーどころか真っ黒だった。
「知らなかったとは言え、悪かったわね」
「俺が即位してから生まれた新法だからな。郊外で暮らしていたお前が知らなかったのも無理はない」
「……皇都ではああいうことってよくあるの?」
次、同じような場面に出会した際の立ち回り方を考えなければいけない、という思考からの問いに、レイフィードは首を横に振ってみせる。
「俺が即位した直後はちらほらあったけどな」
「それなのに突然……? あいつら何者だったの?」
「それがお前を呼び出した本題だよ」
言いながらレイフィードがウェルリウスに目配せすると、ウェルリウスは手元に持っていた資料をフィリアに渡しつつ、ソファへと誘導する。
フィリアとしては立ったままで問題なかったのだが、断る理由もないのでソファへと腰を下ろす。
「ピュニシオン……?」
すぐに用意された紅茶に手をつけることなく、フィリアは渡された資料に書かれていた犯人たちの国籍を読み上げた。
「二人とも彼の国の元兵士だったってわけだ。お前が森で制圧した奴らと同じくな」
「敗残兵ってわけ? でも、わざわざ皇都まで来るかしら普通」
フィリアは湯気の立つティーカップに口をつけ、思考を巡らせる。
今回の件は、戦場と近かったルジグの森を拠点にするというのとは訳が違う。そもそも新幹線ほどの速度の列車でも移動に一時間もかかる皇都に来る理由がない。
戦時中の敵国中心部に潜り込む、というのであればまだ理解できるが、今となってはリスクを負ってまでそんなことをする必要もないはずなのだ。
その上、フィリアは皇帝と移動を共にしていたため検閲を受けていないが、皇都に入る際にはそれなりのチェックが入るため、入り込むにしても容易ではない。それこそフィリアが郊外で生活していたのも、それが原因の一つだったのだ。
「……手引きされたのね。ルフト側の誰かに」
「現実的に考えればそれしかないだろうな。敵国の人間である奴らだけで列車は使えないし、使わないなら検問に引っかかるはずだ」
「でも、わざわざリスクを取って招き入れておいてパン屋の襲撃なんてさせるかしら」
資料を机の上に置き、フィリアは足を組んだ。その仕草にセリルが少し反応した気もしたが、構わずレイフィードへと視線を向ける。
「狙いは分からんが、間違いなく昨日の件は独断による暴走ではないだろうな」
「なんで言い切れるわけ?」
「糸を引いてるやつが貴族だからだ」
レイフィードは椅子に預けていた上体を浮かせ、机の上で手を組み顎を乗せる。
「それ関係ある? 別に手綱を握りきれなかった可能性だってあるでしょ」
「敵国の中心部で、加護星持ちを敵に回すメリットがあるか? その加護星持ちたちに良いようにやられた奴らが」
「捕まりたかったから、ってのは考えられるんじゃない? その貴族から逃げるために、とかね」
フィリアの言葉にレイフィードは口角を上げた。まるで試していたとでも言いたげな彼の態度に、フィリアは何? とぶっきらぼうに疑問符を投げる。
「いや、その感じであれば大丈夫だと思ってな」
「だから、何?」
「お前に任せるよ、この件」
再びフィリアは頭に疑問符を浮かばせ「は?」という音だけを上げる。何を言ってるんだお前は、と口に出さなかっただけマシかもしれない。
「貴族の手引きだと言っただろ? この件で俺たちが大々的に動くことはできない」
「なぜ? 別に反乱分子一つ潰したところで困ることなんてないでしょ」
「貴族を捕らえるとなれば領地の接収もあり得るが、そうなれば管理は皇家になる。残念ながら、今のルフトに信頼できる人材はそう多くなくてな」
レイフィードはそう言って自嘲的な笑みを浮かべる。
領地を接収しても管理リソースが足りず、領民が困窮する可能性があるということであれば、確かにそれは避けるべき事態だとフィリアも思う。
しかし、フィリアに調査を任せる理由がそれだとすれば、腑に落ちないことがあった。
「どちらにせよ貴族を捕えるなら、私が動いても結果は同じじゃない」
足を組み直して、フィリアは頬杖をつく。
どの道、黒幕である貴族を捕らえてしまえば領地は接収されることになるはずで、そうなれば結局は人材不足という問題は回避できなくなってしまう。であれば、あえてフィリアを使う理由はないように思えた。
「そこは色々あるってことだ」
「はいはい。じゃあ、とりあえず糸引いてるっていう貴族の情報を貰えるかしら。大体の見当ぐらいついてるんでしょ?」
「当然」
レイフィードが再びウェルリウスに視線を送ると、一礼で反応したウェルリウスがフィリアの眼前に数枚の資料を広げた。そこには子爵以下の貴族たちの情報が記載されているようだったが、貴族の名前など知るはずもないフィリアは、骨が折れそうだ、と少し顔を歪ませる。
「こいつらを調べればいいのね?」
「あぁ。まずは十日後のお前のお披露目パーティーで接触する機会もあるだろうし、準備からだな」
「……なんて?」
お前のお披露目パーティー、とフィリアは脳内でもう一度繰り返す。
通常裏方である護衛のお披露目会など開かれるわけもない。しかし、この国では皇帝の護衛というのは名誉ある役職であると同時に、貴族たちが狙っていたものでもあることをフィリアは思い出した。
貴族への牽制、そして調査の足掛かりに使え、というメッセージを読み取ったフィリアは呆れ顔で天を仰いだ。
「ドレスなんて持ってないわよ」
「分かってる。知り合いの店なら対応できるだろうから、このあと向かってくれ」
「もう何でも良いわ……」
レイフィードが走り書いたメモを、ウェルリウスを経由して受け取り、フィリアは大袈裟に肩を落としてみせる。
肩を落としたまま用件が終わりであることを確認したフィリアは、立ち上がって部屋を後にしようとした。
が、一度振り返って「そういえば」と切り出す。
「服といえば、本当にこのままでいいの?」
フィリアは前を開いたままのジャケットの裾を摘みあげ、左右に振ってみせる。
今朝、支度をしているなかでフィリアは、皇帝の護衛であれば本来、規定の服装があるのではないか? とセリルに確認していた。しかし、セリルからは「そのままで問題ないとのことです」という返答があったのみだったのだ。
その時のセリルは、身支度を自分で済ませてしまうフィリアと徹底抗戦の構えを見せていたので、聞かれたことを覚えているかは定かではないが。
それはともかく、コルヴァスのような人間と遭遇したことで、正装をした方がいいのではないか、という考えが過った上での質問だった。
「良いだろ、別に」
「これを理由に疎まれるのはごめんなんだけど?」
「意外と繊細なんだな」
「面倒くさいだけよ」
というよりも、大人しくしておけ、とウェルリウス経由で伝えてきたのはそちらでは? とフィリアは内心で文句を垂れる。が、下手に動きにくい服装にされるのも嫌だったため、それを口に出すことはしなかった。
「まぁ、貴方が構わないならいいわ」
踵を返しつつ返したフィリアが、そのままドアノブへと手をかけると、今度はレイフィードから言葉が投げられた。
「フィリア。それなりの結果を期待してるからな」
その言葉に後ろ手を振って返し、フィリアは今度こそ部屋を後にした。




