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過去の面影

「本当にありがとうね……!」


 割れたショーウィンドウをおっかなびっくり避けながら近寄ってきた中年の女性が、フィリアに何度もお辞儀を繰り返す。フィリアは適当に相槌を打ちながら、気にしなくて良いと答えるが、女性は一向に頭を上げる気配がない。


 藍色のコックシャツとベージュのパンツ、そして白いエプロンを身に着け、少しパーマがかった髪に被せたキャスケット帽。どうやら女性は騒ぎのあったパン屋――グラティアの従業員のようだった。髪の毛にボリュームがあるのか、帽子が時折落ちそうになっている。


「ルマさん! オーナーが!」


 ほかの従業員らしき人物に呼ばれた女性は、再び頭を数回下げると、すみません、と言って呼ばれた方へと駆け出す。その背中を、ややげっそりした表情で見送りつつ、フィリアは辺りを見渡した。


 周囲に散らばったガラス片や砂埃に塗れたパン、そして血痕。気付けばリュレス通りの一角は、騒然とした雰囲気に包まれていた。最早当事者の一人となったフィリアは、肩を落として嘆息をつく。


「フィリア様、少しそのままで」


 皇城のメイドらしく音もなく近付いてきたセリルが、真剣な顔でフィリアの前に立った。


「どうしたの?」

「そのようなお姿のままにしておく訳にはいきませんので」


 言われたフィリアが改めて自分の姿を見下ろすと、血糊に塗れた白いジャケットが目に入る。黒で分かりにくいがシャツにも飛んでいるようだった。さらに、ピンクに偽装した髪の毛先にも所々赤が見える。


 何より、頬に生温いものを感じ、自身がかなりスプラッタな見た目になってしまっていることに気付く。


「位相干渉・光素展開──接続完了。加護無き者に幾ばくかの恵みを」


 セリルが詠唱を終えると、風と水がフィリアの周囲に展開され、水が渦を巻くと同時にそれを風が包んでいく。フィリアの身体にそれが触れ、少し濡れた感覚があったと思えば、すぐに熱を感じ、あっという間に血糊が落ちていった。もちろん濡れた箇所も、水が触れたのが嘘のように乾いている。


 まるで洗濯機にかけられたようだな、と思いながらフィリアはセリルの能力の高さに改めて感心していた。洗浄の星術は工程がパッケージ化された基本星術ではあるものの、複数術式を複合したものであり、難易度はそこそこ高い。


 それを当然のように使いこなし、かつ独学であると言うのだから末恐ろしい実力の持ち主である。


「終わりました。もう動かれても大丈夫です」

「ありがとう、セリル」

「それにしても……少しやり過ぎだったのではありませんか?」


 衛兵たちに捕らわれている犯人、この騒ぎを起こした張本人たちを横目で捉えながらセリルが淡々と口にした。感情が分かりやすい彼女だが、意外にもこういったことに動じることはないらしい。

 問われたフィリアは「うーん」と悩んだような声は出しつつも、その表情から迷いは感じられなかった。


「自業自得よ」

「えっ?」


 街を歩いていた時とは異なり、平坦な声音で言い放つフィリアに、セリルは面食らったような顔を見せる。フィリアとしてはそんなつもりはなかったのだが、まだ精神状態が戦闘時から戻りきっていないようだった。


「だって、あいつら人質取ったじゃない?」


 フィリアが視線を向けた先には犯人たちの姿。一人は衛兵に捕らわれているが、もう一人は横になって医者の治療を受けていた。寝かしつけられた犯人の下に敷かれた白い布の右半分が真っ赤に染まっている。


 そして出血元である右肩口には、腕がついていなかった。


「結界を使う時って手を向けないといけないし、人質連れてあそこまで近づかれると切り落とすしかなかったのよね」


 言いながらフィリアは先ほどの光景を思い返す。

 初めは暴れていた犯人だったが、一人がフィリアの結界で吹き飛ばされると、グラティアの従業員を人質に取ったのだ。


 犯人は従業員の首にナイフを突きつけながら、フィリアに無抵抗を要求し、あと一歩の距離まで近づいた。おそらく武器を奪うつもりだったのだろう。刃物などの武装は身につけていないフィリアは、渡す素振りだけ見せて結界による刀で、そのまま犯人の右腕を切り落としたのだ。


 先ほどセリルが落とした血糊はその際に付着したものだった。


「フィリア様はこういったことに慣れてらっしゃるのですか?」


 横たわり治療を受ける犯人の姿を見つめたまま、フィリアは口を閉ざす。


 確かに似たような出来事は、アルデフォンの城から一人逃げ出したあの日以降、何度もあった。それでも、慣れた、というのは少し違うような気がしたが、適した言葉が浮かばない。

 結局、フィリアは「まぁ、それなりに」と誤魔化すしかなかった。


「しっかりおし、リラちゃん!」


 過去に思いを馳せそうになったフィリアの耳に、先ほどルマと呼ばれていた女性の声が届く。

 声のする方へと顔を向けると、ルマと同じ服を着た三十歳ぐらいの女性が首元を押さえているのが見えた。


(あの人は……)


 その女性は、先ほど犯人に人質にされていた女性だった。首元を押さえる手の隙間から少し血が流れているのを見るに、どうやら犯人が持っていたナイフが掠ったらしい。

 フィリアは考える素振りも見せず、セリルに一言かけると、足早に女性の方へと向かっていく。


「あっ、あなた……その、ありがとう、ございました……」


 女性は座り込んだまま、首元を押さえつつ笑う。どう見ても無理しているのが明らかな笑顔で。

 それは、フィリアがかつて義賊たちと過ごしていた頃、幾度となく見た顔だった。何かを理不尽に奪われながら、それを忘れたいとでも言うようにお礼を口にする顔。


 フィリアは思わず握りかけた拳を開き、女性へと向ける。真一文字に結んだ口は彼女へ言葉を返さず、接続、とだけ紡ぐ。

 すると、薄らと光る緑色の星紋が女性の傷元に展開され、粒子となって霧散した。


「これは……あんた、貴族さまだったのかい!?」


 横で女性をの背を支えていたルマが、目を見開いた。それを見ていたもう一人の従業員が、ルマの口調を嗜めるような目を向けると、彼女はしまった、という顔で口元を手で隠す。


 ルマがフィリアを貴族だと勘違いしたのは、治癒星術の希少さ故のことだろう。

 基本星術にも治癒星術は存在するが、使えるものが限られているかつ、会得している者はほとんどが加護星を持つ者、つまり貴族なのだ。そのため、ルマの早合点も仕方のないことだった。


「慌てなくて大丈夫よ。私は貴族じゃないから」


 フィリアが訂正を口にする頃には、女性の首元の傷はすっかり塞がっていた。

 血が止まっただけでなく、傷そのものが消えたことに女性は驚きつつも、立ち上がって勢いよく頭を下げた。


「ありがとうございます……! お店を守ってくださって、治療まで……」

「別に気にしないでいいから。治療も私のせいみたいなものだし」


 ただ単純に、もっと早く犯人の腕を切り落としていれば、という意味だったのだが、当然女性にそんな自省の意が伝わるはずもなく、女性はもっと殊勝な意味で受け取ったようだった。


「いえ、そんな! あの、私ここのオーナーのアリラと言います。いつでもサービスさせていただきますので……!」


 そのくらいしかできず申し訳ないですが、と加えるアリラに、フィリアは再び口をきつく結んだ。

 なぜ、大切なものを奪われながら人に与えようとするのか。宮樹愛衣として生きていた頃であれば、それが優しさやそれに類するものであると理解できていた。


 だが、それは平和な国で生きていたからこその道徳感であり、今のフィリアには理解し兼ねるものでもあった。


「……じゃあ、早速サービスしてもらおうかしら」

「えっ、その、すみません……いまはお店がこんな状況なのでお売りできるものがないんです……」


 アリラは心から申し訳なさそうに、消え入るように弱々しく答えた。

 確かにガラス片が道路側に飛び散っていることから、内側から破られたであろうことは容易に想像がつく。ざっと見ただけでも、店内が荒らされてるいることも把握できた。


「あの、それは!」


 フィリアが拾おうとしたものを見て、アリラは制止するように声を張り上げる。

 それでも止まることのなかったフィリアが拾い上げたのは、道に散乱したパンだった。


「この袋に入ったパンならまだ食べられるでしょ」

「で、ですが……」


 これまでの経験から、アリラのような人間は理由もなく金銭的な施しを受けることを良しとしないことを、フィリアは十分に理解している。


 本当はジャケットのポケットに入った銀貨を適当に渡してしまいたい。かつて世話になった義賊のリーダーであれば、上手いこと理由をつけてそうしていただろう。


 だが、自分は口が得意な方ではないことも理解しているため、フィリアにできる最大限のやり方がこれだったのだ。


「なら、次来た時はミルクパンを二つお願い。絶品だって聞いたから」


 フィリアはポケットから銅貨を五枚ほど取り出し、アリラの手のひらに乗せる。

 アリラの反応を見るに、どうやら渡し過ぎのようだったが、彼女はフィリアの意図を受け止め、銅貨を握りしめて祈るように感謝を口にした。


「ありがとう……ございます……っ! 必ず、最高のミルクパンを用意しておきます!」


 涙を流しながらも前を向こうとするアリラの姿に、フィリアはかつての生活を思い起こす。

 何度も見てきた理不尽に傷付けられた人々の姿と同じくらい、こうした光景を見てきたフィリアだったが、彼女のような人たちに励ましの言葉を向けられた試しがない。


 義賊のリーダーであったヴェリトスという男をはじめ、義賊たちはいつも笑顔で、傷付いた人たちの背を叩いていた。そして、いつも「お前も来い!」とフィリアを呼んだのだ。


 今度はできるだろうか、と口を開きかけたフィリアだったが、やはり彼らのような言葉は思い浮かばず、踏み出しかけた重心を元の位置に戻す。


 その後も何度も礼を繰り返すアリラとルマたち従業員に、背を向け、フィリアはセリルと共にシリウス城へと歩を向けた。



「本日はお疲れ様でした、フィリア様」


 城内、それもレイフィードの居住区である本塔に用意されたフィリアの自室の中で、セリルがお茶の用意をしていた。ポットの横にはフィリアが買い上げたパンが、形を整えられた上で置かれている。


「その、ご迷惑でありませんでしたか……?」


 ティーカップに紅茶を注ぎ終えたセリルが、肩を縮こまらせる。どうやら自分が誘ったことで、フィリアを事件に巻き込んでしまったと思っているようだ。


「次はおすすめの星導器屋を教えてくれる?」


 入れ立てながらも火傷することのない適温に調整された紅茶に口を付けながら、フィリアは次の約束を交わす。その方が下手に否定するよりも伝わると思ったのだ。

 その考えは的中したようで、セリルは背筋を伸ばし目を輝かせている。


「はい! その際にはぜひ、ご案内させていただきます!」

「うん。今日はもう休んでいいから」


 フィリアの言葉にセリルは一礼し、部屋を後にする。その際、カップはそのままで構いませんので、と残す辺り彼女のメイドとしての矜持が窺えた。


「はぁ……」


 ソファに身を沈めながら、今日一日の出来事を思い返してフィリアは天井を見上げた。


「何がしたいのかしらね……私は」


 目を閉じれば、アリラたちの何かを耐えるような表情が思い浮かんでは、自分の不甲斐なさが胸に去来する。

 アリラたちに励ましの言葉をかけられなかったのは、フィリアが自分の意思として彼女たちを助けたかったわけではないからだった。


 あの時、セリルがいなければ騒動など無視していたかもしれない。

 実際のところがどうであれ、フィリア自身の中には確かにそういった選択肢もあったのだ。だからこそ、励ましの言葉など口にできるはずもなかった。


 依頼を受けたから、巻き込まれたから――自分が何か理由がなければ動けないことを、フィリアは正しく自覚していた。




「セリル、おやすみー」


 風呂から上がり寝巻きに着替えたセリルに、同室のメイドから声がかけられる。メイドは眠気が限界だったのか、セリルの返答を待たずに自室へと入ってしまった。同室と言っても寝室は別であり、生活を共にするのは居間と風呂ぐらいだが。


 本塔の隣に用意された別塔の二階から三階が従者の居住区となっており、セリルはその二階の一室にいる。

 ここで暮らすようになってから早三年が経って、ようやく慣れてきた広い部屋。その窓際に設置された机に向き合いながら、セリルは伸びをした。


「ふぁー……」


 思わず漏れた欠伸を手で押さえ、日記を閉じる。日々学んだことを書き連ねていた日記だが、今日は少し趣を変えていた。もちろんフィリアが理由だ。


 セリルにとって、初めて直接的に仕える相手。今日一日で抱いた印象は不思議な人、だった。

 ウェルリウスと話している姿にはどこか冷たさを感じ、ヨハンとの模擬戦では怖いくらいの強さを見せた彼女。二人で街を歩けば優しいお姉さんのようだった彼女。全く動じることなく犯人の腕を切り落とした直後、アリラたちに優しく接していた彼女。


 掴みどころのない人であることは間違いないが、姉のようなフィリアにセリルは自分の態度が少し甘えたものになっていた自覚すらある。

 だからこそ、セリルはフィリアのあの瞳(・・・)が頭から離れなかった。


「フィリア様……」


 自分を撫でて満足げな顔を浮かべていた彼女の瞳を思い出しながら、セリルは窓の外へと視線を向ける。

 先には本塔、フィリアのいる居住塔が聳え立っていた。


「どうして一度も笑っていなかったんだろう」

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