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シリウスの内憂

 ルフト皇国皇城、シリウス城。広大なリュレスのなかで最大の建造物であり、皇都、引いてはルフトの象徴でもある。


 皇帝レイフィード・フォン・シリウスは、その城の中央に位置する本塔二階の執務室から訓練場を見下ろしていた。

 そこには、一人の騎士に詰め寄られる、先ほど自身の護衛に正式任命したばかりのとある少女の姿があった。


「で、彼女が何者なのか教えてもらえるんだろうな」


 コンラート・グラウが顎に蓄えた髭を撫でながら、意味ありげに口角を上げてみせる。


「彼女はヴァラス王の忘れ形見だ」

「なるほど……アルデフォンの王女か。まさか本当に生きていたとは……」


 レイフィードの補佐であるコンラートは、もちろん彼がヴァラスとの約束でフィリアを探していたことを承知している。しかし、レイフィードほど愚直にヴァラスを信じていたわけではない。何かしらの罠である可能性すら危惧していたほどだ。


 それに加え、当時七歳のフィリアをあの状況で見逃したことで、彼女の生存に疑いを抱いていたため、コンラートはフィリアの保護にそれほど重きを置いていなかった。


「ではなぜ、彼女を護衛として迎えた。ヴァラス王との約束は保護ではなかったか?」

「色々あるんだよ」

「……まぁいい。ただ、それでは貴族連中は納得せんぞ」


 コンラートは眉を寄せ、レイフィードの言葉を追及するよりも目先の問題に目を向けた。

 対外的にはいまだ敵国扱いのアルデフォンに対する皇城内の感情は複雑だ。先帝ローレンツの腹心たちは一人を除き既にいないが、官僚や騎士の一部には当時を経験した者もいる。彼らの中には、アルデフォンを憎みはせずとも侵略対象だと認識している者もいる。


 そんな状況下で王族に生き残りがいたなど、到底看過することはできない以上、コンラートが頭を悩ませるのも当然のことだった。


 とは言え、アルデフォン侵攻は国民にとっては先帝による暴走だと捉えられている側面が強く、アルデフォンに対する国民感情はそう悪いものでないことも事実である。

 そのことが余計にフィリアの扱いを難しくしていた。


「それも時間の問題だろ。すぐに納得せざるを得なくなる」


 レイフィードは窓の外で繰り広げられていたフィリアとヨハンの模擬戦の顛末を見届け、悪戯に笑う。


「その時間を誰が稼ぐと思っているんだ、お前は」

「貴方にできない訳がない。だろう? 元宰相コンラート・グラウ」

「……昔の話だ」


 唯一皇城に残る先帝時代の腹心であるコンラートは、少しだけ寂寥感のようなものが混じった声で答えた。


「とりあえず次のパーティーで彼女を改めてお披露目する。皇帝であるお前との関係性の強さを見せれば、一旦は貴族連中も黙るだろう」

「関係性って言ってもな……今の彼女のことは何も知らないんだが」

「それまでに深めておけ。それくらいできるだろう? レイ坊」


 仕返しだと言わんばかりの笑みで返すコンラートに、レイフィードは白旗を上げる。


「努力しよう」

「それは重畳。では、フィリア嬢の件はこれくらいにするとして、こちらの件の報告に入らせていただこう」


 そう言ってコンラートは、これまでひたすらに沈黙していたウェルリウスに目線をやった。すると当然のように意図を汲み取った彼は、レイフィードの机に三枚の資料を広げる。

 そこにはレイフィードが先日森で遭遇したピュニシオンの兵士たちの名と経歴が書かれていた。


「ディエゴ・カッサール、ジュール・エヴァン、ナシム・クレット。この三人はいずれも先の戦争に参加した者たちでした」


 広げられた資料を見ることなく淡々と告げるウェルリウスに、報告を受けたレイフィードは「だろうな」とつまらなそうに椅子へと腰掛けた。

 そして、ディエゴとジュールの資料を避け、最後の一人、ナシム・クレットの資料を手に取る。


「コンラート、お前が報告があると言ったのはこいつのことだろ」

「ほう、よく分かったな」

「森で会った時、こいつだけが周りを見てたからな」


 続けろ、というレイフィードの言葉でウェルリウスは報告を再開する。


「ナシム・クレットはピュニシオン生まれですが、母親が我が国出身で、本人も十九歳になるまではルフトで暮らしていたようです」


 ウェルリウスが語ったナシムの経歴に、レイフィードは少しだけ反応を示してみせる。その表情はどこか面白がっているようにも見えた。


「ピュニシオンはナシムを間者にする予定だったようですが、先の戦争で同胞が切り捨てられたことでナシム自身がそれを拒否したとのことです」

「仲間のために立場を捨てたってことか」

「はい。ディエゴ、ジュールの両名を助けるために一人戦場に戻り、その後あの森に潜伏したと供述しています。これはほか二人も同様のことを話しています」


 これで報告は終わりであると、ウェルリウスは一礼したのち数歩下がり、再び沈黙する。

 レイフィードがナシムの資料を机に戻し、椅子に体重をかけると革が軋む音が静かに響いた。


「で、ここからが本題だな」

「ナシムは簡単に口を割ったよ。案の定ピュニシオンは我が国の一部貴族と手を結んでいるようだ」


 陽射しを雲が遮り、室内が少し暗くなったと同時に一瞬の静寂が訪れる。

 コンラートが「案の定」と言った通り、ルフト国内の貴族が敵対国と手を結んでいることは分かりきったことであった。それでも、それが事実として提示されたとなれば言葉を失うのも仕方のないことだった。


「具体的な家名などは出て来なかったが……まぁ大体見当は付く。しかし、大体では表立って動くこともできんのが現状というわけだ」

「表立って、じゃなきゃいいんだな?」


 レイフィードが悪戯を思いついた子どものような笑みを浮かべるのを見て、コンラートは呆気に取られたように目を瞬かせる。


「まさか、正気か……?」

「当然。それに彼女の力量を貴族たちに見せる良い機会だろ」


 予想通りの返答にコンラートが思わずウェルリウスの方へと顔を向けたが、ウェルリウスは声を発さずに目を閉じて首を横に振った。その意味は「諦めてください」だ。


 二人の動揺をよそに、椅子の背にもたれかかったままのレイフィードに、何を言っても無駄であることを悟ったコンラートが肩を落とす。


「調査はフィリアに任せる」


 彼女が森で見せた星術。結界系の加護星術を使う者はいるが、それを治癒にまで発展させているのは、あまりにも異質だった。


 その力の本質が見られるかもしれない、という考えもあっての判断だったのだが、そんなことをコンラートが知るはずもなく、彼は天を仰ぎ片手で目を覆っている。


「全く……であれば、フィリア嬢のお披露目を上手く使うことだ。貴族連中を良い具合に牽制すれば尻尾くらいは出すやもしれん」

「それまでの時間稼ぎは頼んだ」

「人使いが荒いのは父親そっくりだな」


 コンラートが肩をすくめ、「せっせと働くとするかね」と部屋の扉へと向かうのを見て、ウェルリウスが反応したがコンラートはそれを制止した。自分でやるからいい、という意思表示だ。


 静かに閉められたにも関わらず、重量を感じさせる音が室内に反響する。そして、しじまが訪れたのを確認したウェルリウスがレイフィードの座る方へと近寄った。


「よろしかったのですか? 早々にフィリア様のことを話してしまって」

「あの人は自力で彼女の素性に辿り着いてただろうからな。ならその時間を他のことに割いてもらった方がいい」


 レイフィードが起こした叛逆による皇位継承から早五年。ようやく国内に落ち着きが戻ってきてはいるが、それも表層的なものでしかなく、経済や貴族たちによる勢力争いなど裏側にはまだ様々な問題が残っている。


 そんな中で、コンラートのような人物を遊ばせている余裕などあるわけもない。そのことはウェルリウスも十分理解できているため、彼が反論するようなことは特になかった。

 しかし、まだ何か言いたげであるウェルリウスの目に、レイフィードは苦笑する。


「お前が言いたいのは、あの日ヴァラス王が最後に残した言葉のことだろ」

「……あぁ」


 従者の仮面を取り、物心ついた時から時間を共にしてきた幼馴染として、そして――それぞれ父を殺めた時の苦しみを共有した友としてウェルリウスは答える。


「今はまだ言えないが、その時が来れば必ず分かる、か」

「ヴァラス王は自分の娘として我々に話した上で、そう話したんだ。つまり、彼女に俺たちの知らない何かがあるということじゃないのか」

「そうだろうな」


 体重を前に移し、レイフィードは頬杖をつく。面倒になったわけではなく、投げやりになったわけでもない。ただ、ウェルリウスの納得する回答ができないことを理解し、これ以上どう話せばいいか頭を悩ませているだけなのだ。


「彼女の星術、お前も見ただろ。あれは異常だ」

「ヴァラス王が隠したのはそれだと?」

「……可能性はある。彼女を徹底的に調べさせるべきだ」


 どこか苛立った様子のウェルリウスは、何かを隠すように俯く。

 彼の言う徹底的というのは、つまりフィリアを幽閉し半ば人体実験のように調べ上げろ、ということだった。


 普段の従者としての彼であったなら、こんな悟らせるような態度は取らなかっただろう。しかし、友人相手としてだからこそ、彼は真意を隠しきれずにいる。

 そして、それが分かるからこそ、レイフィードはいつも通りの表情と声音のままで答えた。


「親父たちが死んだのは彼女のせいじゃない。俺達の選んだことだ」

「……ッ!」


 ウェルリウスの目が見開かれる。その紅い瞳には、しまい込むことのできない後悔が滲んでいるようだった。


「フィリアのことは俺に任せろ」

「だが!」

「急いだところで何が変わるわけでもない」

「レイ! お前……俺に何か隠してるんじゃないか……?」


 顔に出したつもりはなく、事実レイフィードの表情はいつも通りだった。

 それでも、彼がウェルリウスの真意に気付くことができるように、彼もレイフィードの真意に気付くことができたとしても、何ら不思議なことではない。


 ただ、レイフィードは彼の言葉に答えるつもりはなかった。


「……彼女の力のこともちゃんと調べさせる。ただ、お前の後悔に彼女を巻き込むなよ」


 その言葉に今度こそウェルリウスは閉口する。

 彼がまだあの日のことに囚われていることを、レイフィードはとっくに気付いていた。


 レイフィードにとっても、彼は貴重な人材である以上に大切な友人であり、友人が苦しむことは望むところではなかった。だからこそ、少しでもフィリアとウェルリウスの間に距離を取るために、急いでセリルをあてがったのだ。


 沈黙が続くなか、レイフィードはあの日のことを、父を殺めた日の光景を思い起こす。

 乱心したと思っていた先帝ローレンツが、自身の死を悟った際に見せた笑み。それは決して暴虐な王の最後ではなく、紛れもない父としてのものだった。故に、レイフィードもあれが何か仕組まれたことだったのではないか、と考えている。おそらくウェルリウスも同じ考えであろうことも分かっていた。


 彼が言った「後悔に彼女を巻き込むな」というのは、自身に言い聞かせるための言葉でもあったのだ。


「まずは研究室に観測の準備をさせる必要がある。任せていいな?」

「……承知いたしました」


 再び従者に戻ったウェルリウスは一礼し、足早に部屋を後にする。先ほどよりも静かに閉じられた扉は、音もなく外と室内を隔離した。


「隠し事、か……」


 独り言ちた声が虚しく響く。

 陽射しはまだ、雲に隠れたままだった。


「それはお互い様だろ……ウェル……」

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