皇都探訪
「ここまでだよ、ヨハン」
そういってユーグが人差し指の腹で、ヨハンの額を軽く触れるように押す。すると、軽く押されただけであるはずのヨハンが尻もちをつくように倒れ込んだ。
「お、俺はまだ……」
「君はいま、星術をかける前に彼女との距離を詰めようとしたよね」
星術を行使する際には星との繋がりを意識し、自身と星との間に星路を呼ばれる回路を開く。そして、お互いの波長に干渉し、光素を展開することで星術が行使されるのだ。詠唱はそのための手段として用いられている。
つまり、術の行使にはある程度のプロセスが必要であり、フィリアのように略式詠唱が可能であるならまだしも、ヨハンの練度では動きながら星術を完全な形で行使することはできないということだ。
ユーグはまさにそれを指摘したわけであり、頭に血が昇っていたヨハンも冷静になったのか、それを理解しているようだった。
「勝負以前に基本を忘れた君には続ける資格がない。それに」
言葉を途中で止め、ユーグはフィリアの方へと身体を向ける。
「今ので彼女との力量差が分からないなら、続ける意味もないよ」
その言葉を受け、ヨハンをはじめ、ここまで薄ら笑いを浮かべていた団員たちも意気消沈していった。戦闘技術の面はまだしも、彼らもフィリアの実力を推し量れていなかったのだろう。
訓練場に流れる空気が重くなり、フィリアが居た堪れなくなりはじめたころ、赤色の長髪を後ろで束ねた一人の女性が「あの」と声を上げる。その女性はフィリアがここに来てから一度も彼女を嘲笑うことなく、かつユーグの言葉に打ちのめされてもいない数少ない人物の一人だった。
「団長。もうよろしいですか?」
「そうだね。これでみんなも彼女の実力が分かったようだし、十分じゃないかな」
満足気に微笑むユーグに、女性は呆れたように頭を押さえる。どうやら彼の奔放さにいつも悩まされているらしい。
「では、訓練を再開させますが内容は私にお任せいただけますか?」
何か衝撃が走ったような音が聞こえた気がした。もちろんフィリアの錯覚なのだが、騎士団員たちの間に先ほどまでとは異なる種類の沈黙が訪れているのを感じる。
すると、団員たちの口から「終わった」「もうダメだ」といった不穏な言葉が漏れ出ているのが聞こえてきた。その様子から見るに、彼女が用意する訓練は随分と厳しいようだ。もしかすると、彼女が頭を押さえていたのはユーグの奔放さにではなく、訓練内容を如何にすべきかに頭を悩ませていたからなのかもしれない。
「ほ、ほどほどにね、イレーネ……」
団長であるはずのユーグまでもが顔を引き攣らせるなか、イレーネと呼ばれた女性は一切の感情を排斥したような表情で「さぁ、はじめますよ」と団員たちに移動を促している。
「彼女、実力は確かなんだけどね。どうも全員が自分と同じように動けると思ってる節があって……」
舞台に残されたフィリアへ向けて苦笑いするユーグだったが、フィリアはイレーネの後ろ姿を眺めたまま「へー」とだけ答える。
別に興味がない故の反応ではなく、むしろその逆。軸が全くブレないイレーネの後ろ姿に、ユーグの評価通りの実力を感じたからだ。
「それはそうと、君には感謝してるよ。最近団員たちに傲りが見えていたからね、ちょうど良い機会だったよ」
「あら、私のためじゃなかったの?」
「あはは。そういえばそうだったね」
掴みどころのないユーグの態度に、改めてルフトの人材の厚さに感心する。それと同時に、これだけ人材が豊富であるなか、護衛に任命できる者がいなかったのか、とフィリアは首を傾げた。
一度目の人生を経ている彼女から見てではあるが、確かに騎士団員たちは精神的にはまだ未熟だったかもしれない。しかし、ヨハンの練度は決して低くくなく、騎士団員たちのレベルの高さを窺い知ることができた。それだけに、貴族たちを躱すだけであれば、ユーグは無理だとしても適当な騎士団員を任命すれば良かったのではないか、という疑問が浮かぶ。
レイフィードが自分を護衛に任命した意図が何かほかにもあるのかもしれない、という考えに至ったフィリアだったが、そういえばセリルを放置し続けていることに気付き、浮かんだ疑念を振り払う。
「じゃあ、私はこれで」
「あぁ、セリルを待たせてしまっていたね。また何時でもおいで、歓迎するよ」
社交辞令なのか本音なのか分からないユーグの言葉に「まぁ、気が向いたら」とだけ返したフィリアは、訓練場の隅にで座りもせずに背筋を伸ばした立ち姿のまま待っているセリルの方へと、小走りで向かう。
「ごめん、お待たせ」
「いえ、お気になさらないでください。それに想像の何倍も早かったです」
率直に言い過ぎな気もするセリルの言葉にフィリアは苦笑いを浮かべるしかない。心做しかセリルが胸を張っているようにも見えたが、ツッコミを入れられる関係の構築が先か……と、脳内で頭を抱えるフィリア。
その様子を疲労だと捉えたのか、セリルが一転心配そうに眉を曇らす。どうやら彼女はクールに見える容姿なだけで、実際は感情が表に出やすいようだった。
「フィリア様、もしお疲れのようでしたら気分転換に皇都をご案内いたしましょうか?」
「外に出るってこと?」
「はい。皇城のご案内は済みましたので、もしよろしければですが……」
差し出がましいことをしてしまったかもしれない、という不安を抱えていることが手に取るように分かるセリルの態度に、フィリアは「じゃあ、お願いできる?」と柔らかい笑みで返す。
すると、これまた分かりやすく瞳に光を宿し、セリルが「承知しました」と礼をする。いくらクールな返答で装っても、もうフィリアのなかでは分かりやすい小動物、というイメージになってしまったのだが。
「では、まずはリュレス通りをご案内しますね」
皇都の名が付いているだけあって、この広い街の中でも最も栄えている通りなのだと、セリルが補足する。フィリアとしても何があるのか把握していないため、自分より少し小さな背中に素直に着いていく。
石柱の並ぶ広間を通り過ぎ、巨大な玄関扉、ではなく横に配置された通常サイズの扉から外に出る。巨大な扉は、催し物の際などに皇帝が出入りするためのみに使用されるらしい。
扉を出てすぐ目の前に広がるのがフォラム・リュレスと呼ばれる広場であり、ここから伸びる五本の通りの中で最も広い幅の通りがリュレス通りだと、セリルが恭しく説明を入れる。
「リュレス通りに行けば大抵のものは揃いますよ。星導器の専門店なども、ほとんどがこの通りに集まっています」
「へー、皇城のすぐそばに商業施設があるなんて意外ね」
昨日馬車で通った際には、ちょうど髪色を変えていて外の景色を見る余裕がなかったフィリアは、興味深く辺りを見渡す。
皇帝の居住区には簡単に入れない造りになっているとはいえ、皇城のすぐ近くの通りで貴族、平民問わず大勢の住民たちが行き交っている。その様子はどこか日本的で、フィリアにとってはどこかテーマパークのようにも感じられた。
アルデフォンはまさにテンプレート的な王都という造りだったため、そういった意味でも新鮮な光景に思える。
「ここは皇都で最も有名な星導器店、ステラ・ルーケットですね。見ていかれますか?」
セリルが手で指し示す先には、煌びやかな装飾が施されたショーウィンドウに最新の星導器が並べられていた。
せっかく案内してもらっているから、とフィリアは並べられた品々を眺めたが、あまりにも想像通りな品質に首を横に振る。
「いいかな、残念だけど」
「そうですか。では、次のお店をご案内しますね」
特に気にした様子もなく、セリルが再び歩き出す。皇都一ということで案内はしたものの、フィリアが興味を示すとは思っていなかったようだった。
「そういえばセリルは星術の素養があるって言ってたよね?」
「はい。と言っても使えるのは日用的な基本星術だけですが……」
「独学でしょ? 十分凄いと思うよ」
一人一星の加護星と呼ばれる星と繋がりを持つ者しか使うことのできない加護星術と違い、基本星術は天に溢れる星の余剰な力と繋がりを持って行使する。
そのため、素養のある者であれば誰であっても使用可能なのだが、ヨハンの使ったような戦闘系はもちろん、日用的なものであっても独学での習得は容易くはない。
フィリアの言う「十分凄い」というのはお世辞ではなく、本心からの言葉なのだ。
「凄いと言うのであれば、フィリア様こそです。陛下の護衛に任命されたのですから当然かもしれませんが、加護星術をお使いになられるとは」
「あー……」
キレの悪い唸り声のようなものを上げつつ、フィリアは何と答えるべきか悩んでいた。というよりも、自分自身も答えを知らないと言った方が正確だった。
「やっぱあれ加護星術なのかな?」
「はい?」
何を言っているのか理解できないといった表情で見つめられ、フィリアは再び唸り声を上げる。
「いや、実は訳あって観測してもらったことないんだよね」
「え? 星術を使う国の者であれば、十歳になる時に必ず受けますよね……?」
「色々あって受ける機会を逃しちゃって」
ルフトをはじめ、星術が浸透している国では十歳になった時に加護星との繋がりがあるかを調べるため、観測という儀式を行うのだが、フィリアはその前に祖国を亡くしているため、自身が加護星と繋がっているのかどうかすら知らないのだ。
しかも、星術に関して体系的な学習を行ったことがなく、術に関してのみ言えば感覚的に行使しているのが実情だった。
「セリルは学院で学びたいとは思わなかったの?」
自身のことについて話せることもなくなったフィリアは、何となく疑問に思っていたことを口にした。
というのも、独学で基本星術を習得できるほどの才があるセリルが、なぜメイドの道を選んだのか純粋に疑問だったのだ。
すると、セリルは片手で口元を押さえてくすりと笑う。
「両親にも同じことを聞かれました。ただ、私の家はそれほど裕福ではありませんし、星術を使ってやりたいこともないのに学院に行こうとは思わなかったのです」
その表情からは一切の後悔を感じなかった。セリルという少女は浪費を避ける堅実な思考の持ち主らしい。
「な、なんですか!?」
堅実でクールな少女が素っ頓狂な声を上げる。というのも、フィリアが突然彼女の頭を撫でたのが原因だった。
「いや、良い子だなって」
「だからと言って突然撫でないでください。私たち一歳差でしたよね?」
言外に子ども扱いするな、と言っているのだが、二度目の人生を生きるフィリアからすれば十分に子どもなのだ。
冷静な表情を装い続けるも、ほんのり頬を赤らめるのが面白く、フィリアはしばらく彼女の頭を撫で続ける。日本だったら色々問題になるだろうか、などという理性もどこへやらだった。
「ふぅ、満足したし行こうか」
「は、はい……」
若干疲労を感じさせる顔をしながらも、セリルは仕事を全うするため案内を再開させる。
道中には星導器店のほかにも食料品店や雑貨屋、家具店などがひしめき合っていた。流石は皇都と言ったところか、どこの店もフィリアが旅していた地域とは価格が段違いである。もちろん、高い方にだが。
これまでは一万ルフもあれば十日は生活できたところ、皇都では六日保てば良い方だろう。
「覚悟してたけど物価が高いわね……」
「陛下が皇帝になられた時から続く好景気のためですね。おかげでお給金も良いです」
レイフィードの即位によって皇都に好景気が訪れている、というのはフィリアも聞いていた。
鉄道の開通にはじまり、貴族から平民への融資や平民の開業自由化など、様々な政策により経済活動が活発化したことで、皇都の経済が活気付いているらしい。
しかし、かつて王女として経済を学んでいた頃であればいざ知らず、今のフィリアにはあまり興味を惹かれない話だった。
「レイフィード様々ってわけね」
「フィリア様。外では陛下とお呼びくださいませ」
撫で回したのが原因だろうか。気のせいかセリルの態度が強気に感じる。
フィリアは気を取り直して、というよりかは誤魔化すように、適当に視界に入った看板を指差した。
「あのお店ですか? あそこはグラティアというパン屋ですね。ミルクパンが絶品です」
どうやら常連のようだった。ちょうど昼時だったため、フィリアは、行ってみようか、と提案する。決して目を輝かせるセリルを見たからではない。
「……何事でしょうか?」
最初に反応したのはセリルだった。店の方から怒号が飛んできたのだ。
店のガラスが飛び散るように割れ、耳をつんざくような音が響く。道行く馬車は急停車するもの、慌てて通り過ぎていくもので混乱を起こしている。
「フィリア様……!」
戦闘の術を持たないセリルにとって、この状況は恐ろしいものだろう。フィリアにしがみつきこそしないが、恐怖や不安といった様々なものを瞳に浮かべている。
「はぁ……分かった。セリルはここで待ってて」
この二日間で巻き込まれ体質にでもなったのだろうか、とのんびり構えてつつ、フィリアは店の方へと向かうのだった。