第一騎士団
フィリアが皇都に到着した翌日。彼女がレイフィードの護衛となる人事命令が発令され、三十分が経ったころ。
案内された自室でフィリアが立ち尽くしていると、扉をノックする音が鳴った。
「フィリア様のお世話を担当させていただきます、セリルと申します」
肩辺りで毛先が整えられた薄茶色の髪に、同色の瞳。その容姿から受けた第一印象はクール。しかし、それでいて少し緊張した面持ちの少女が、フィリアの前でお辞儀をしていた。
セリルと名乗った少女は、少し厚手のサテン生地でできた艶のないメイド服をまとい、白いエプロンを身に着けている。如何にもクラシカルな装いなのだが、何故かデザインだけが日本調で、物凄く出来の良いメイドコスプレといった出で立ちだった。
「自分のことは自分でやるわ」
「いえ、そうはいきません。皇帝直属の護衛は正式な爵位こそ与えられませんが、子爵位相当の扱いを受けるのが慣例ですので」
セリルに代わってウェルリウスが注釈を入れる。邪推の入り込む余地を生みたくない、ということだろう。
「それに護衛という職は――」
「貴族たちが欲しがる玩具だって言うんでしょ。昨日も聞いたわ」
昨日の列車内での会話を思い出しながら、フィリアはぶっきらぼうにウェルリウスの言葉を継ぐ。
確かに、権力を求める貴族たちからしたら、突然現れた小娘が護衛に就くなど到底許容できるものではないだろう。
実力を示したうえでの護衛任命であるため、例え憶測を生んだとしても問題はない。しかし、元は痛くもない腹だったとしても、フィリアがアルデフォン王国の生き残りであり元王女であることなど、隠しておきたいものがあるのも事実だった。
つまり、ウェルリウスは悪目立ちするようなことをするな、と言っているのだ。フィリアは、眉間に指を当て「わかった……」と観念した様子を見せる。
「よろしくね、セリル」
「は、はい!」
不安が払拭されたからか、緊張が緩和されたような安堵した表情を浮かべるセリル。その様子を見たウェルリウスは、セリルに城内の案内を任せると、どこかへ去ってしまった。ここまでの彼らしからぬスピード感に、彼が大量の執務を抱えていることが何となく想像できる。
(しかし……)
フィリアは部屋を見渡し、アルデフォンの王城で生活していたころの自室と、ほとんど変わらない華美な内装に肩を落とす。彼女の金銭感覚が日本での記憶が基盤というのもあるが、ここ十年は安宿や野宿が当たり前だったため、若干の居心地の悪さを感じてしまう。
それに豪華な部屋や専属メイドといったものは、フィリアに否応なく王城での生活を思い起こさせる。
これからここで生活することを考えたくなかったフィリアは、セリルを促し部屋の扉を閉じ、廊下を進んでいく。
「そういえばセリルには家名がないけど、平民出身なの?」
「はい。ただ、星術の素養がありましたので、こうして奉公させていただく名誉を与えていただきました」
皇城での奉公、それは星術学院に通うのと同等以上の名誉であると、フィリアは聞いたことがあった。大抵は貴族の令息や令嬢が就くとも聞くが、その中で平民出身のセリルが皇城にいるというは大抜擢だろう。それだけ彼女の素養が高いのか、はたまたフィリアに付けるのにちょうど良かったのか。フィリアにとってはどちらでも構わないのだが。
「フィリア様はレイフィード陛下の護衛になられたと伺いましたが……」
家名を名乗らないため、フィリアのことを平民出身の星術師だと思っているのだろう。平民出身の星術師が護衛に任命されるというのは、よくよく考えれば異常なことなのかもしれない、と思い至ると同時に、フィリアはセリアが自分に対して畏怖の念を向けていることに気付く。
「そんなに怖がらないで。私たち歳もそう離れてないだろうし」
「今年で十六になります」
「じゃあ一歳差ね」
それきり会話が止まってしまう。都度、セリルが部屋や施設の説明をしてくれてはいるのだが、僅かながら今後の生活に対して不安の残るスタートを切ってしまったらしい。
第一印象が良くなかったのかもしれない、とフィリアが反省しつつ廊下を抜けると、開けた場所に出た。剣戟の音が響いていることや光素の揺らぎを感じることからも、この先は訓練場なのだろう。
「こちらは訓練場で、あちらにいらっしゃるのは騎士団のみなさんです。赤いローブですので、第一騎士団の方々ですね」
フィリアも教科書的な組織図しか把握していないが、騎士団は第一から第三まで存在し、それを統括する上位組織として国防省が存在するという。はじめ、国防省という随分と聞き馴染みのある名を聞いたフィリアは、どういう世界なんだ……? と首を傾げたものだ。
赤いローブが第一騎士団の証であり、セリル曰く、第二騎士団は黒、第三騎士団は青のローブをそれぞれ纏っているらしい。
「あの、フィリア様……」
不安げな声色で名を呼ぶセリルに、フィリアは呆れた表情を浮かべる。もちろん、セリルに対して呆れたのではなく、自分たち、正確にはフィリアに注がれている視線に対してだ。
それは最早敵対心と言ってもいいもので、戦闘といったものから縁遠いであろうセリルが不安を覚えるのも仕方のないことだった。
「なるほど。護衛の座を狙ってたのは貴族たちだけじゃないってことね」
不敵な笑みを浮かべるフィリアを見て、挑発だと受け取ったのか訓練中の騎士が一人、二人のいる方へと近づいてくる。それを見たセリルは顔を強張らせて一歩下がるが、フィリアは特に気にした様子もなく笑みを浮かべたままだ。
「……陛下の護衛にお前はふさわしくない」
フィリアの前に立った若い騎士が睨みながら、敵意を隠すこともなく言い放つ。
「で、どうしろと?」
「なっ……」
想定外の返答だったのか、若い騎士は言葉を詰まらせる。いつの間にかフィリアへと視線を向けていた訓練場中の騎士たちすら唖然とした表情を浮かべていた。
しかし、人事命令が発令されてからまだ一時間も経っていないにも関わらず、なぜ訓練中の騎士たちに知れ渡っているのか。発令は内示的なもので、広間近くの掲示板に貼り出されているだけである。訓練中の騎士たちがわざわざ見に行くとは考えにくい。
フィリアはなんとなくコンラートの顔を思い出した。もしかすると彼が騎士団に伝えたのかもしれない、という考えが過る。もしそうだったとしても、昨日の意趣返しなのか、彼なりの歓迎なのかは分からないが。
「俺が試してやる」
「は?」
「俺と戦えって言ってるんだ!」
あまりにもテンプレートな物言いに、フィリアは思わず気の抜けた顔になってしまった。いくらなんでもわかり易すぎる騎士の言動に、第一騎士団がこれで大丈夫なのか……? という気持ちになるが、若い騎士は最早止まる気がないらしく、フィリアに背を向け訓練場の方へと歩いていく。
例えこの場でフィリアが負けたとしても人事命令が覆ることはないし、そもそもレイフィードが首を縦に振ることもない。確かにフィリアの強さを見込んだ上での人事ではあるが、それだけが決め手となってのことではないからだ。
自分に全くメリットのない勝負に、フィリアは気の抜けた表情のまま若い騎士の背を眺め、セリルの方へと視線を向ける。
「これ、やらなきゃダメだと思う……?」
「えっと……私に言われましても……」
そりゃそうだよね、とフィリアは項垂れる。この状況がコンラートの仕組んだことであるかは分からないが、どの道いずれはこうなっていたであろうことは理解している。それでも彼女はコンラートの顔を思い浮かべながら、ブツブツと呪詛を吐くしかなかった。もしこれが本当に彼の仕業だとすれば、嫌がらせとしては百点満点だ。
「すまないけど、この勝負受けてやってくれないかな」
「ゆ、ユーグ第一騎士団長!」
「やぁ、セリル。と、はじめまして、フィリアさん。私はルフト皇国国防省戦術局第一騎士団団長、ユーグ・プロキオン」
名前を呼ばれ、項垂れながら呪詛を吐いたままのフィリアが、声のした方へ顔だけ向ける。そこには、これまたテンプレートな騎士が立っていた。
光を蓄えたような金色の長髪を揺らしながら、碧眼の瞳。レイフィードよりずっと王族然としている、などと失礼極まりない考えをしていると、ユーグはクスりと笑ってみせる。ここが日本であれば、いまので十人中十人の心を鷲掴みしていたことだろう。
「君、あいつ……陛下の護衛なんだよね? ここで力を見せちゃった方が後々楽だと思うけど」
間違いなくレイフィードのことをあいつ呼ばわりしたのを聞いて、おそらく彼はレイフィードと親しい仲なのだろうと、フィリアは当たりを付ける。もしくは、抜きん出た実力で傍若無人に振る舞う不届き者のどちらかだ。
しかしどちらにせよ、彼の言うことも間違いではない。ここで勝負を避ければ、謂れなき疑いを掛け続けられてしまうだろうことは目に見えている。どれだけの期間かは分からないが、皇城で暮らす以上、フィリアとしてもそれは好ましくない。
「はぁーーーー」
溜息を声にしながら、フィリアは背を反らす。姿勢を戻し、今度は腕を交差させ、右腕で抑えるようにして左腕を伸ばした。日本ではありふれた柔軟体操なのだが、ユーグやセリルには馴染みのない動きらしく、二人は訝しげな視線をフィリアへと向けている。
柔軟を終え、ユーグへと向き直したフィリアは再び不敵な笑みを浮かべていた。
「いいわ。でも、あの子が自信失くしても責任取らないから」
「それは丁度良い。彼、最近少し自信過剰なところがあったからね」
そっちが本音ってことね、とフィリアは一人納得する。
コンラートと言い、流石は大国の上層部と言うべきだろうか。食えない奴らばっかり、と独り言ちながら、フィリアは若い騎士の待つ闘技場の中心へと歩を向けた。
訓練場はしっかりと整えられた芝生が広がっているのだが、中心には模擬戦や試合などで使われるであろう石で出来た舞台が用意されていた。意外にも造形はシンプルで、装飾も最低限に抑えられている。ここが騎士団員にとって神聖な場所として扱われていることは想像に難くなかった。
「逃げなかったのは褒めてやる」
「そりゃどうも」
「くっ……俺はヨハン・アルマ。加護星術は武装だ」
ルフト皇国では家名を与えられるのは貴族だけだ。貴族は星術師の中でも特に強大な力を有しており、それぞれが星の名を冠した家名を名乗っている。しかし、基本的に平民は星術が使えたとしても家名を与えられることはない。
それは貴族が使う星術と平民の使う星術との間に、決定的な差があることを意味しており、その差こそが、彼の言う加護星術なのだ。
「私はフィリアよ。よろしく」
ルフト特有の暖かく強い風が吹き、それを合図としたようにヨハンが両手を広げ、詠唱を始める。
「位相干渉・光素展開──接続完了! 加護在りし者に星なる武器を!」
詠唱を終えた彼の周囲に、二十を超える剣が展開される。一本一本が凄まじい力を秘めているが、それだけでないことをフィリアは瞬時に看破していた。
(光素の剣ってわけね)
星術を使用する際に使用する光素は莫大なエネルギーを持っており、それを凝縮した剣を生成できるとしたら、剣自体が星術そのものと同等のパワーを持っていることになる。つまり、彼は最低でも二十回は詠唱することなく星術と同等の力を行使できるということだ。
しかし、それは詠唱を略することができる者相手にはアドバンテージたり得ない。
「どうした、声もでないか?」
「そういうの良いから。来るなら早くしなさい」
「いいだろう……後悔するなよ!」
相も変わらず予定調和な言葉を繰り返すヨハンに辟易としながら、フィリアは彼の動きを注視する。
ヨハンは右手に剣を携え、直線的な動きでフィリアに迫ってくる。しかし、腐っても騎士団所属らしく、彼は右手の剣を囮にしているようだった。彼の後ろに展開されている剣が一本、彼が身体で隠している左手に向かって飛来してきている。
「おおおおお!!!!」
叫びながら凄まじい速度でフィリアとの距離を詰めるヨハン。人間離れした速度から、星術によって加速を施していることが分かる。勢いを殺すことなく、ヨハンは右手に持った剣でフィリアに斬りかかった。
おそらく、右手の一撃をフィリアが避けたところを、左手の剣で捉える、というのが彼のプランだろう。
だから、フィリアはあえて一撃目を避けることを選んだ。
彼の目論見通り一撃目が空を切り、ヨハンの口元が僅かに緩む。勝利を確信した表情で、彼が二撃目を放つために身体を回転させる。そして、一撃目の速度が乗ったままの二撃目を放とうとした。
「接続」
瞬間、ヨハンが握っていた剣の先が消滅した。
正確には剣が真っ二つに折れ、剣先側が光素となって霧散した。
「……は?」
フィリアの持つ刀――結界を変形させた刃がヨハンの剣を斬り、そのまま彼の首元に当てられている。もちろん、薄皮一枚すら切れていない。
「な、なにが……」
少しでも動けば首が飛ぶ恐怖からか、ヨハンは声を上擦らせる。勝利を確信していた彼は、自身の言葉通り何が起こったのか理解できていない様子だった。舞台を取り囲むようにして見ていた騎士団員たちも、何が起きたのか分からず皆揃って困惑した表情を浮かべている。
しかし、それでも敗北を認めるつもりはないのか、ヨハンは後方に飛び退き、右手に持ったままの剣を構え直す。
「卑怯な……なぜ家名を名乗らなかった!」
「貴族じゃないもの」
加護星術を破るには同質の力を用いるしかない。それは星術師であれば知っていて当然の常識であるため、ヨハンの叫びはフィリアの行使した術が加護星術だと確信した上でのものだったのだが、フィリアはそれについて返答はしなかった。
それが気に入らなかったのだろうヨハンは、構え直した剣に加え、さらにもう一本を引き寄せ二刀流の構えをみせる。
「この期に及んでよくもそんな嘘を……」
そうして、ヨハンが走り始めるために前傾姿勢を取ろうとした刹那。
「ここまでだよ、ヨハン」
ルフト皇国第一騎士団団長――ユーグ・プロキオンがヨハンの前に立ち、笑みを浮かべていた。




