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皇都の洗礼

 フィリアが汽車を降りたのは、皇都に入ってから十分後のことだった。新幹線と変わらない速度で走っていたことを考えると、この街が如何に広大なのかが分かる。


 降車した駅には圧巻の光景が広がっていた。巨大な石柱が並び、出口の直上には陽の光を色鮮やかな影に変換するステンドグラス。皇城・シリウス城のすぐそばということもあり、かなり豪華な造りである。降車場所が皇室専用区画だからなのか、衛兵一人いない静寂が、この場の格式をより高いものにしていた。


 ちなみに、駅名はリュレス・ツェントルム駅。皇族の名が入っていないのは、ルフトの国営施設としてはかなり珍しい。道中聞いた話では、レイフィードは鉄道事業の発案者でもあるようなので、異例といってもおかしくないはずだ。


 そんなことを考えていると、ふと1つの銅像がフィリアの視界に入る。端正な面立ちの男性の像で、控えめに言ってもかなり力の入ったものに思えた。


「それは鉄道開通を記念して作られた陛下の像ですよ。本当は駅名に陛下の名前を使うはずだったのですが……断られてしまったので、せめて、と職員たちが設置したのです」

「意外。そんなに愛されてるなんて」

「関わりのある方々には、という注釈が入りますけどね」


 前を歩くレイフィードに聞こえないよう、小声で話すのは、彼の従者であるウェルリウスだ。

 関わりのある人間からは愛され、そうでない人間からは怖られている。レイフィードがどういった人間なのか、まだ底知れない彼の本性の一端が、ほんの少し見えた気がした。


(とはいえ、流石に魔物の肉を貪る姿までは見せていないようね)


 精悍な顔つきの銅像を見上げて、フィリアは苦笑する。もしもあんな姿を見せていたなら、愛されキャラが一気に好感度を落としているだろうし、もしかしたら銅像の表情が般若にでもなっていたかもしれない。


「さぁ、行きましょう」


 像へと関心を向け続けていたフィリアだったが、レイフィードとの距離が少し空いたのを見たウェルリウスに促され、用意されていた馬車に向かい歩き出す。


 ここから城までは歩ける距離らしいのだが、皇帝一行がそんなことできるわけもなく、短い距離ではあるが城までは馬車移動だ。ちなみに御者はおらず、ウェルリウスが御者台に座ったため馬車内にはフィリアとレイフィードの二人だけだ。


「ここでは何と名乗れば?」


 先ほどまでと同じとは言わないが、それでも馬車にしては柔らかな座り心地の座席に揺られながら、フィリアは口を開く。


 いくらアルデフォンを滅ぼした当時の政権は退けたられたとはいえ、自国が侵略した国の生き残り、しかも王女の存在が知られてしまうというのは、要らぬ種火を生みかねない。

 フィリアの問いはそういったことを懸念したうえでのものだったのだが、レイフィードは悩むことなく当然のように答える。


「別にフィリアのままでいい。珍しい名前でもないしな」

「そう。じゃあ、ここでの私はただのフィリアってことで」


 皇帝が良いと言うなら問題ないだろう、とフィリアは伏せるのは家名のみ、という意思表示で返す。これまでも、両親が残してくれた名を隠さず生きてきた彼女にとっては、謝意こそあれど不満などあるはずもなかった。


 もしもこの街に幼少期のフィリアを見た者がいたとしても、あの頃とは随分と容姿が変わっているので、問題にはならないだろう。ただ一点を除けば、だが。しかし、それはレイフィードも把握していたようで、杞憂に終わった。


「ただ、悪いがその髪色は隠蔽してもらう」

「確かに。この色はね……」


 フィリアは胸元まで伸びた銀色の髪を掬ってみせる。その色はアルデフォン王族特有の髪色であり、見る者が見ればフィリアの名と合わせ、あっという間に彼女の正体に辿り着いてしまうだろう。


「でも隠すってどうやって?」

「これを使う」


 レイフィードが差し出したのは中指程度の長さをした棒状の、一度目の人生の記憶と照らし合わせて言うとすれば、リップスティックのようなものだった。

 手に取ると見た目に反して少し重量を感じる。くるくる回しながら外装を眺めていると、星紋を簡略化したような紋様を見つけ、フィリアはそれが星導器であることに気付く。


「これは……星導器?」


 フィリアの問いにレイフィードは頷きで返した。


 天に浮かぶ星々の強大な力を自身の回路と接続することで術を行使する星術と違い、その術構造を模倣し術を再現させる星導器。使用者の能力に依らないことから、その用途は日常生活から戦闘まで幅広い。特に日用品としての評価が高く、洗濯や調理、移動など用途は多岐に渡っている。反対に戦闘面での評価は高くなく、あくまで補助的なアイテムとして使用されることがほとんどだ。


「先端部分を回せば起動する。やってみろ」


 言われてフィリアは星導器の先端を捻る。すると、本体に描かれた紋様が彼女の頭上に浮かび、スキャンするように頭部を通過していく。毛先を過ぎたあたりで、紋様はほんのり赤く光り霧散した。


 反射的に目を閉じていたフィリアが目を開け、自身の髪を手に取ると、銀色の毛がピンクがかった色に変わっている。鏡はないが、馬車の窓に映る姿を見てフィリアは自分でも少し驚く。日本では奇抜とされている髪色を見て、まるで漫画のキャラクターではないか、と思ったが、淡い桃色は彼女の白い肌と相性が悪くないようだった。


 フィリアが旅していたような田舎では鏡が珍しく、彼女自身も忘れがちなのだが、二十一世紀の美的感覚に合わせてもフィリアという少女はかなり整った顔をしているのだ。


「……これ、あなたも使ってるの?」

「当然。お前ほどではないが、俺の黒髪も目立つからな」

「つまり……お忍びの際は桃色頭なのね……」

「そんな訳あるか! これはお前用にさっき設定しただけだ!」


 ピンク頭で街を歩くレイフィードを想像すると、中々にくるものがあったが、どうやらこの星導器は設定に応じて髪色を変えることができるらしい。普段は薄い金色を使っているとは彼の弁だ。それはお忍びに適しているのか、と思わなくもなかったが、彼の容姿を視る限り似合いはするだろうな、という感想をフィリアは抱いた。


 星導器は皇城にも予備があるらしく、そういうことなら、と譲り受けたフィリアが馬車に揺られていると、そう時間を置かず皇城が見えてくる。馬車とはいえ、かなりゆっくりな速度で十分ほどだったので、徒歩でも二十分はかからない距離だろうか。とはいえ、確かに皇族が歩く距離でないことは間違いない。


「じゃあ、俺は先に行くからな。ウェルリウス、あとは頼む」


 御者台のウェルリウスに声をかけ、レイフィードが先に降車する。普通であれば扉が開けられるのを待つものなのだろうが、彼はそういったまどろっこしい作法だったりが嫌いなのかもしれない。続いて馬車から降りたフィリアは、出迎えが執事一人とメイド二人であったのを見て、そんなことを思った。


「お帰りなさいませ、陛下。無事のご帰還、大変嬉しく思います」

「挨拶はいい。コンラートを謁見の間に呼べ」

「かしこまりました」


 レイフィードの指示に、執事が一切隙のない所作で答えた。ウェルリウスからも感じたことだが、動きにブレがなく、軸がしっかりとしている印象を受ける。過去に戦闘訓練を受けたことのあるフィリアから見ても、中々の実力者に写った。

 それにしても、とフィリアは遠ざかっていくレイフィードの背に視線を向ける。


「あの人、二重人格とかじゃないでしょうね」


 レイフィードのあまりの二面性を見て、思わず人格の分離を疑うフィリアにウェルリウスが苦笑する。


「色々と面倒な内情がありまして」

「まぁ、若いものね。彼」

「そういうことです」


 国内貴族たちの対応に手を焼いている様子だったことからも、彼はその若さゆえに舐められないように振る舞っているということなのだろう。冷酷という彼の評価は、おそらくそのために生まれたもので、むしろ作為的に生み出した印象なのかもしれない。


 フィリア自身もかつては王族として名を連ねていたため、王族や皇族というのがどれほど不自由なものか、分かっているつもりだ。

 王族として生活していたのは子どものころだが、中身は成人した大人であるため、その辺りの知識に不足はない。何ならば、数年先を想像しては辟易していたほどだ。


 望まない結婚を想像しては辟易としていた過去が蘇り、フィリアはげっそりとしながら、皇城のなかを進んでいく。


(さっきの駅と似てるわね)


 存在感のある石柱が両脇に並ぶ豪奢な造りの玄関広間、玄関扉の直上に設置されたステンドグラス。あの駅の一部は皇城から着想を得て造られたのだろう。


 その後、フィリアが設置された像や絵画に祖国の城との違いを感じながら感嘆していると、先導していたウェルリウスが足を止める。そこにはここまでに見た扉よりも一際大きな、両開きの扉が構えていた。


 ウェルリウスが頷くと、両脇に控えていた衛兵たちがそれぞれに、寸分のズレもなく同時に扉を開く。扉の奥には、玄関広間と同じく並んだ石柱や長く伸びた赤い絨毯、そして最奥には階段があり、その上には玉座。謁見の間の名に違わぬ、ステレオタイプな空間が広がっていた。


「こちらでお待ちください。陛下もすぐにお見えになります」


 そう言って、ウェルリウスは玉座の方へと歩いていく。

 一人取り残される形になったフィリアは、すでに到着していたもう一人の人物へと視線を向けた。歳は六十を過ぎた頃だろうか、短く切りそろえた白髪に、顎部分に蓄えられた白髭。


年齢に反して無駄のない引き締まった体躯。ひと目で只者でないことを窺い知ることができるような、老獪きわまる人物のように感じられた。彼がレイフィードの言っていたコンラートなのだろう。


(それで隠れたつもりなのかしら)


 フィリアが彼に向けていた視線を、一瞬だけ石柱の裏へと移して失笑していると、騎士の一人が声を上げた。


「これより、レイフィード皇帝陛下に御来臨賜ります!」


 仰々しい号令の後、階段上の扉からレイフィードが姿を現した。その表情は、やはり森で見せたものと同じく凍りついたような、冷たさを浮かべている。ルフト皇国には電気などないため、室内は薄暗く、それが彼の威厳をより引き立てていた。


 レイフィードが玉座に座ると、号令をかけた騎士一礼し退室する。それを確認したコンラートが一歩前に進み、皇帝の帰還に対する挨拶を述べた。


「陛下。無事のご帰還、心より嬉しく思います」

「コンラート、お前もよく留守を守ってくれた」

「ははは、何度も言っておりますが、私めに謝辞など不要です」


 快活に笑うコンラートを見て、フィリアは複雑な表情を浮かべる。かつての知識では、こういった笑い方をする老人は大抵一筋縄ではいかない、厄介な存在として登場するものだ。


「して、此度はどのようなご用件ですかな?」

「そこにいるフィリアを俺の護衛にすると決めた」


 コンラートはレイフィードの素顔を知る人間の一人らしく、冷たさといった圧が消えた彼の言葉に、コンラートは目を眇めてフィリアを横目で捉える。


「ほう、この者が……」

「流石に耳が早いな」


 レイフィードの言葉を肯定するように笑い、コンラートはフィリアの方へと向き直す。


「コンラート・グラウと申します。僭越ながら陛下の補佐を行わせていただいております」

「フィリアです。はじめまして」

「……随分と可愛らしいお方だ。陛下の護衛とは到底思えませんな」


 こんな小娘に陛下の護衛が務まるとは思えない、そう意訳したフィリアは乾いた笑いを返すしかない。確かに、皇帝が突然自分よりも若い娘を連れてきて護衛にする、なんて言い出したら補佐をする者なら止めるべきというものだ。


 とはいえ、ここで引き下がるわけにもいかず、フィリアはコンラートに一歩近付き、一つ提案をしてみせた。


「私の実力に不安があるということでしたら――」


 フィリアは、コンラートに向いたまま視線だけをずらす。


「――そこにいるあなたの部下、始末してご覧に入れましょうか」


 広間に緊張が走り、コンラートの表情が一気に鋭いものに変貌する。


「気付かれていたとは。これでもルフトが誇る生え抜きの諜報部隊なんですがね」

「だったら私の実力も分かってもらえたんじゃない?」


 勿論、本気で事を構えるつもりなどなかったフィリアが、あえて年相応の笑顔を浮かべると、コンラートは観念した表情を浮かべた。


 不意打ちのようなことをしておきながらフィリアの実力を認めなければ、生え抜きという諜報部隊の実力に疑いの余地が生まれてしまう。この状況になった時点で、コンラートは彼女の実力を認めるほかないのだ。


「ははは! レイフィード、お前こんな傑物どこで見つけてきた?」

「森の中だな」


 レイフィードの言葉を冗談だと受け取ったのか、コンラートは呵呵と大笑いしてみせる。先ほどまでの態度が演技であったことを察し、狸親父め、とフィリアは表情を崩さないように内心で毒づく。


「お前が何をしようとしているのかは大体見当がつく、が……上手くやることだ」

「保守派の連中に動きが?」

「まだ大きな動きはないがな。連中、目的のためならコルネイユと手を組むことも辞さない構えだぞ」


 技術大国、コルネイユ帝国。科学技術こそ至上であると考え、星術すらも科学として取り込もうとしている野心的な国だ。星術を神聖なものとして捉えている側面を持つルフト皇国とは折り合いが悪く、戦争こそ起きていないが互いに仮想敵国だと考えているほどだ。


 その程度の知識しか持たないフィリアでも、ルフト国内の人間がかの国と手を組むというのが、どれほどのことなのかは容易に考えが及んだ。


「まぁ、フィリア嬢は随分腕が立つようだし、お手並み拝見といかせてもらうとしよう」


 食えない笑みを浮かべながらコンラートは扉へと向かいつつ、軽く手を振った。それが諜報部隊に対する解散の合図だったのだろう。同時に部屋の空気が緩んだのを感じ、フィリアは短く息をつく。王族として生活していたころならいざ知らず、こういった空気を感じるのも随分と久しぶりだったため、少し力が入っていたのかもしれない。


「よく気付いたな。いつからだ?」

「部屋に入った時に」

「おい……あいつが言ってた生え抜きの、ってのは嘘じゃないぞ……」


 フィリアは先ほどまで彼らが潜んでいた石柱の方へと目線を移し、すぐにレイフィードの方へと戻した。


「……そうみたいね」


 彼らが部屋から気配を消す際の、意識から外れるような感覚に、フィリアは素直に称賛の意を込めて答える。


 結界を張っていなかったとはいえ、気配を捉えさせてもらえなかったのはいつぶりだろうか。それだけの実力を持った部隊を率いるコンラート・グラウという男に、フィリアは少し興味が湧くのを感じていた。

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