灼熱の王
「フィリアさん、その……」
「……今度はなんですか」
「あのですね、そのぉ、もう一件お願いしても……?」
エルツ山脈の麓。そこに広がる森を出たところに存在する、ルジグという小さな町の役場でフィリアは青筋を立てないように必死だった。そんな彼女の様子を見て、ルジグの町長であるウォルクは「すみません……」と頭を下げる。
悩み事を引き受けては解決し次の町へ──そんな根無し草の生活を続けてきたフィリアだったが、このルジグでは気付けば二ヶ月も過ごしていた。
「はぁ……またですか、町長」
「いや、その、図々しいとは思っているのですが……」
フィリアは椅子に腰掛け、頬杖をつきながら嘆息した。そんな彼女の態度に、ウォルクは「ハハ……」と乾いた笑いをあげる。ルジグは決して豊かな町ではないのだが、ウォルクは依頼料だけでなく、滞在費を支払ってまでフィリアを繋ぎ止めているのだ。
フィリアは考えなしに旅をしているわけではない。当てはないが、明確な目的の上で旅をしているのだ。だからこそ、いい加減、フィリアは次の町に向かおうと思っていた。
彼女は「これで本当に最後ですよ」と鋭い視線をウォルクへと向けた。その視線に恐怖心を抱いたウォルクは脂汗を滲ませている。
「そのですね、ピュニシオンという国をご存知でしょうか」
「ピュニシオンって、ついこの間までこの国と戦争してたあの?」
「えぇ、そうです。あの戦争、ルフトが勝利したのは良いんですが……」
図々しさが鳴りを潜め、すっかり萎縮してしまっているウォルクが、ぽつぽつと話を続ける。まとめると、彼の依頼というのは、ルフト皇国に敗戦したピュニシオン国の残党が、ルジグの近辺で悪さをしているからどうにかして欲しい、というものだった。フィリアの記憶が正しければ、確かに戦場となった地はここからそう遠くない。
話を聞き終えたフィリアは頬杖を外し、がっくりと項垂れる。
「あのね、そのくらい町兵でなんとかしなさいよ……」
「それが既に逃げ帰ってきてしまった後でして……食料を持ってこなければ次は町を襲う、と脅されたと……」
フィリアは目をしばたたかせた後、ウォルクと同じタイミングで再び嘆息する。
「で、相手は何人?」
「三人と聞いております」
「たったの?」
「厄介なことに三人とも、星術を使うようでして」
ウォルクの言葉に「あー……」と声を上げるフィリア。確かに星術を使う兵士が相手ということであれば、町兵には少しばかり荷が重いだろう。
「星術師が相手では槍も剣も意味をなしません」
「そりゃそうね。ついでに言うと鎧も意味ないわよ」
頬杖をついたまま呆れた声音のフィリアに、ウォルクは意を決したような面持ちで立ち上がる。
「我がルジグには星術師がおりませんので……どうか、この通り!」
頭を下げながら、ウォルクは十枚ほどの一万ルフ銀貨をフィリアの眼前に差し出す。それはこの二ヶ月の間で最高額の依頼料だった。それほどまでに切迫した問題、ということなのだろう。
フィリアはかつて使用していたような綺麗な円ではなく、歪な円を描く銀貨を一枚手に取り「これでいいわよ……」と、諦めたように呟く。
「あ、ありがとうございます!」
「さっきも言ったけど、依頼を受けるのはこれで最後。次からは騎士団でも冒険者ギルドでも良いから、正式な依頼を出すことね」
その時のためにそれは取っておきなさい。と、フィリアは机の上に散らばる銀貨へ目線をやった。一万ルフもあれば、十日は生活できるうえ、蓄えだってある。
自分の力を誇示して弱者相手に金銭を巻き上げてはならない、しかしタダ働きはいただけない。それは、フィリアがこの十年間の中で、とある善良な義賊、を名乗る暴れ者たちに教わったことだった。
何度も礼を繰り返すウォルクを後ろ手に、フィリアは椅子の背にかけていた白いジャケットを羽織り、返事の代わりに手を振りつつ役場を後にする。
「さて、と」
ピュニシオン国の残党たちが根城にしている森の方へと、フィリアが視線を向ける。ウォルクが言うには、敗残兵たちから返り討ちにされた町兵たちの身体の一部には、軽い火傷や鋭い刃で切られたような傷があったという。
身体に影響を及ぼすことのできる威力、つまりは軍用レベルで術の行使ができるということだ。町兵たちの手に余る問題というのは確からしい。
今日何度目になるか分からない溜息をつきながら、森の中へと歩を進めていくフィリアだったが、不意に湿った草と酒の甘い香りが鼻をついた。
どうやら相手は自分たちの力を過信しているらしく、自分たちの存在を隠すつもりはないらしい。酒盛りをしていたのか酒樽が二つ転がっていた。しかも、片方は酔ってなのか、まだ中身が入った状態で倒れてしまっている。
そんなんだからルフトに負けたんじゃないの? とフィリアが呆れた表情で転がっていた酒樽を蹴飛ばすと、森閑とした空気の中に樽の転がる音が響く。大樹にぶつかる音を最後に、酒樽は虚しく崩れ去ってしまった。
フィリアが忌々しげに酒樽だった木片を見つめていると、足元に敗残兵のものとは別の足跡があることに気付く。ここまでにそんなものはなかったが、恐らく敗残兵たちが溢した酒で地面が泥濘んでいたからだろう。そこだけ足跡が残ってしまっている。
(誰か知らないけど、この森に何かがいるってことね)
第三者の存在にも気を配りながら、目的の敗残兵たちを探して慎重に歩を進めていくフィリア。
それからしばらく歩き続けたが、敗残兵たちに遭遇することもなく、気付けば森の中心あたりまでやってきてしまっていた。人が潜んでいるにしては、あまりにも人の気配がなさ過ぎる。まるで、意図的に隠しているかのようだ。
「なるほど、そういうことね」
どうやら敵は星術によって気配を隠蔽しているらしい。存在を隠すつもりがない敵が、その気配を隠すとしたら標的を見つけた証拠だろう。
フィリアは瞳を閉じ、感覚を研ぎ澄ませる。五感ではなく、星術を行使するために使用される光素の揺らぎを感じ取るために。余計なものが排除された世界で感じる、木々のせせらぎ、野鳥の鳴き声。その中に潜む、揺らぎとなって感じる人間の気配。
(見つけた)
ルジグを出たのが昼過ぎだったため、野宿の気配を感じ始めていたフィリアは少し安堵する。ルートを誤ったかと思っていたが、当たりを引いたらしい。第三者の可能性も考えていたが、その心配は杞憂に終わったようだ。
「もうバレてるから出てきなさいよ」
フィリアがそう声をかけるが、返答はない。ウォルクから聞いた話の通り、気配は三つ。その内の一つが星術を行使するため、詠唱を始めていることに気付いたフィリアは右手を向け、呟く。
「──接続」
フィリアの声と共に、幾何学模様が宙空に浮かび上がる。“星紋”と呼ばれるそれが白く光り、詠唱をしていた敗残兵の一人を木の陰から押し出すように半透明な結界が生成された。同時に人体が硬質なものに激突する嫌な音が響く。
結界に突き飛ばされる形となった敗残兵の男は、木の幹に激突し、血反吐混じりにうめき声を上げながら蹲る。今の衝撃で肋骨か胸骨あたりが折れでもしたのだろう。
「なっ、略式詠唱だと!?」
隠れていたもう一人の敗残兵が、慌てて飛び出す。その顔に動揺を走らせながらも、即座に、腰にぶら下げていた杖のようなものを振り上げた。すると星紋を簡略化したような紋様が宙空に浮かび、中から炎が飛び出す。
「星導器か、良い判断ね。でも──」
恐らく、男は略式詠唱ができないのだろう。星への接続を道具に任せる。それなら確かに速度で負けることはないだろう。
速度で勝てない相手への対応力、その潔さを評価しつつ、フィリアは迫ってくる炎に右手を向ける。すると、今度は炎の行く手を阻むようにして結界が展開され、炎を跡形もなく掻き消した。
「これじゃ私には届かないわ」
炎を放った男が唖然としていると、先ほどの男と同じように結界に突き飛ばされ、そのまま倒れ込む。
ほか二人を時間稼ぎに使っていたであろう最後の一人が、木の陰から飛び出し、フィリアへと両手を向けた。ほかの男よりも纏っている装備が良質であることから、恐らくこの男がリーダーなのだろうと、フィリアは当たりをつける。
リーダーの男はフィリアが術を発動した直後の、少しの隙を縫って詠唱を紡ぐ。
「位相干渉・光素展開──接続完了。加護無き者に僅かな誉れを!」
白みがかった緑色に光る星紋が浮かび、一振りの風刃がフィリア目掛けて飛来するが、彼女はその場から動こうとしない。フィリアは再び右手を突き出し、何かを握る所作を見せた。まるで、剣を握るように。
敗残兵のリーダーが勝利を確信した、その刹那。風刃は空中で爆音と共に弾け、吹き荒れる余波が周囲の木々をざわめかせた。
「何だ、それは……」
男の視線がフィリアの右手に注がれる。正確には、フィリアが握る半透明の刃に向けて。
フィリアの手には、先ほど展開された結界と同質の、しかし形状を刀に変えたものが握られている。この形状はフィリアの趣味なのだが、確かに刀はこの辺りでは珍しい。ただ、男が言っているのはそういう意味ではないだろうが。
「……結界はそんな形にはならない」
「あなたが知らないだけでしょ」
星術に関して知識があるような口ぶりや、先ほどの淀みのない詠唱から察するに、彼はピュニシオン兵のなかではそれなりの実力者なのだろう。勿体ない、フィリアは純粋にそう感じていた。もう少しまともな指導を受けたなら、ルフト皇国のなかでも上位に入るくらいには戦えるようになるだろうに、と。
「クソッ、王が勝手に戦争を仕掛けたかと思えば、上官には見捨てられ……結局俺たちは捨て駒か……」
「どこも腐ってるわね、本当。でもそれ、町の人たちに関係ある?」
重心を少し前に移し、フィリアは右足の踵を上げる。そして生まれた地面とのわずかな隙間に結界を発生させ、爆発させた。極小規模なものではあったが、それによって生まれた衝撃を推力にして、彼女は男との間合いを一気に詰め切る。そのままの勢いで、フィリアは切っ先を男の喉元に突きつけた。
「まだやる?」
「……俺のことはいい。ただ、部下だけは助けてやってくれないか」
「今後、人に迷惑かけるようなことしないと約束するなら」
その言葉に、男は少し逡巡したのち「約束しよう」と肩を落とした。フィリアは男が戦意を失っていると判断し、刀の形をした結界を解く。その瞬間、男が「馬鹿が!」と叫ぶ。
「なっ……!」
フィリアは叫んだ男ではなく、彼が叫んだ方へと振り返る。そこには、星導器ごと吹き飛ばしたはずの男が爆弾を抱え、こちらに走ってくる姿。錯乱状態で声を荒げる男に、フィリアは舌打ちをする。
「あぁ、もう! 部下の教育くらいしっかりしておきなさいよ!」
言いながら再び結界を張ろうとするが、どうやっても爆発自体を止めることはできそうにない。それは、つまり。爆発物を持って走ってくる男は見殺しにしなければならないということだった。別にフィリアとしてはそれでも構わないのだが、先ほどリーダーの男と約束したばかりだ。ここで簡単に見殺しにしてしまうのは、流石に後味が悪い。
「やめろ、ディエゴ!」
リーダーの男が叫ぶ。しかし、ディエゴと呼ばれた男が止まる様子はない。
フィリアはディエゴの命は諦め、自分とリーダーの男の前、そして最初に倒した男の周囲に結界を張ろうする。が、それよりも早く、ディエゴが持っていた爆弾が水球に閉じ込められた。
「接続」
その瞬間、時が止まったかのような錯覚に陥る。フィリアは静寂のなか、声のした方へと視線を向けようとした。しかし、それよりも疾く、一筋の光がフィリアの後ろから音もなく通り過ぎていく。光はディエゴの肩口を穿ち、拳大の穴を作り出していた。
その光景にリーダーの男が、そしてフィリアでさえも目を見開き、驚きを隠せずにいる。
背後から、誰かが近づいてくる音がする。フィリアの脳裏に、ここへ来る前に見つけた第三者の痕跡のことが過った。
「ここで何をしている」
熱のない声がフィリアの背中に投げかけられると、リーダーの男が肩を震わせながら声の主を指差した。
「な、なんでお前がここに……」
「理由が必要か?」
感情のない声音が、かえって圧を生む。
木々が囀る声すら耳に入らないような静けさの中に、リーダーの男が生唾を飲む音だけが鳴り渡った。
その瞬間、フィリアの脳裏に記憶が走る──燃える王城、父と母の笑み、奪われたあの日。
やっとの思いで振り返ったフィリアは、唇を震わせながらその男の二つ名を刻む。
「灼熱、の……王……」
全星術師の頂点に立ち、灼熱の名を冠する男が、その二つ名とは裏腹に、温度のない瞳でフィリアを捉えている。
「もう一度問おう。ここで何をしている?」
そこに立っていたのは、ルフト皇国皇帝、レイフィード・フォン・シリウス。その人だった。




