静かなる盤上
その日、フィリアは朝早くから馬車に揺られていた。もちろん、昨日は空振りに終わった事件の調査のためだ。大した距離でもないため、昨日同様に徒歩で向かうつもりだったのだが、どう言うわけか馬車の中にいる。
フィリアは過ぎゆく景色を眺めながら、小さく溜息をつく。好景気ということもあり、至る所に建設途中の建物が見える。
そもそも、フィリアは馬車という乗り物に対して懐疑的であった。この乗り物は、的としてあまりにも大き過ぎるし、かつ小回りも効かない。その上、視界が狭く、頭上で何かあれば気付くのが遅れる構造。
星術という攻撃手段が存在する以上、それは致命的であり、国の要人が好んで乗る意味が分からない、とまでフィリアは思っている。
再びの溜息を抑えつつフィリアは足を組み直し、目の前に座る要人に、ジトッとした視線を送った。
「で? なんでついてきたの?」
フィリアの言葉に、この国の最重要人物であるレイフィードは眉根をしかめ、「あのなぁ」と呆れた声で返事をした。
「ついてきたって……俺は皇帝でお前は護衛なんだから、普通逆だろ」
「これは失礼」
「まぁ、お前の言いたいことも分かるけどな」
「あら。それは任せるとか言った割に色々口出すし、表立って動けないって言う割には現場に出たりしてること言ってるのかしら」
別にそのことに対して不満があるわけではなかったが、フィリアはあえて意地の悪い顔をしてみせる。
現状、彼女がレイフィードと約束したのはアルデフォン滅亡の真相を解明する、という一点においてのみであり、フィリアとしてもそれ以外のことで能動的に動くつもりもなかった。
彼女が今回の件の捜査に協力しているのは、あくまでも彼女なりの善意であり、祖国滅亡の真相を探るためには、ルフト内で動きやすい立ち位置を確立させる必要があると考えてのことだ。
つまり、レイフィードたちに何か目論見があることなど分かった上で、使われてやっている、というのがフィリアのスタンスである。
「犯意のある貴族の件と襲撃の件は表面上は別問題だ。だから、襲撃の件で俺が表立って動こうと問題はない。そもそも前者はまだ事件にすらなっていないことになってるしな」
「じゃあ、任せると言っておきながら色々と動いているのは?」
「つい最近やってきた人間一人に国の大事を任せるわけがないだろ」
フィリアと同じように足を組み、レイフィードはさも当然のように言ってのける。
「一応、大事だとは思ってるのね」
「当然だろ。ついでに言うと、俺が任せると言ったのは犯人を捕えることであって、全てを任せると言ったつもりはない」
「なんかもう全部屁理屈じゃない……」
正直、意外だった。今回の件でレイフィードたちが彼女の立ち位置を確立させようとしているのだろうということは、フィリアも理解している。だが、それだけだと思っていた。
でなければ、この程度の事件、ルフトが誇るという諜報部隊を使えばすぐに解決するはずだ。あの部隊にそれだけの実力があることはフィリア自身が初日に確認済みであるし、フィリアとは国への理解度が段違いだからだ。
だが、その手段は取っていない。けれど、目の前の皇帝は今回の件を大事だと認識していると言う。
「ねぇ、黒幕を捕らえたらどうするかって聞いてなかったけど、結局どうするつもりなの?」
レイフィードから任せる、と言われた日、彼は捕まえたあとのことを「色々ある」と濁していた。ただ、そのあとも具体的に何をどうするのかは教えられていない。
「貴族っていうのは自らの家系を絶やさぬよう日々努力してるものだ」
「はぁ?」
返答になっていないレイフィードの言葉にフィリアは困惑したような声を漏らすが、すぐにその言葉を脳内で繰り返し、一つの可能性に行き当たった。
フィリアは納得したように一度頷き、双眸でレイフィードを捉える。
「貴方達、代替わりさせるつもりね?」
代替わり。それは言葉通りの意味であり、今回のことに当てはめれば、犯意のある貴族の当主を次の世代へと交代させるという意味である。
そもそも、なぜレイフィードが表立って動こうとしないのか、フィリアは疑問に思っていたが、代替わりを目論んでいるとなれば納得だった。
「襲撃の件は別としても敵を国内に招くなんて、公的に裁けば一族郎党処刑は免れない。けど、そうすると貴方達が懸念している領地問題が浮かび上がってしまう。だから表向きは現当主を病で伏せったことにでもして、息子に継がせる、といったところね」
そういうことであれば、レイフィードたちが表立って動くわけにはいかない、というのも納得だった。
彼が言う通りおあつらえ向きに、容疑者である三人には成人を迎えた息子がいることを、フィリアは調査のなかで掴んでいる。三人の息子たちは、揃って真面目そうな青年たちであり、確かに代替わりさせるにはうってつけだろう。
「家族構成まで調べているのは当然として、よくそこまで頭が回るな」
「別に。私ならそうすると思っただけよ」
「お前……怖い女だな……」
自分たちのことを棚に上げた酷い言い様である。文字通り腐っても貴族である人間を秘密裏に消してしまおうとしているのは自分たちではないか、と思いつつフィリアは「お互い様ね」と鼻で笑う。
「それで? 結局なんでついてきたのよ。今日は公爵令嬢と会談の予定じゃなかった?」
誤魔化しきれなかったか、という顔を浮かべたレイフィードがフィリアから目を逸らす。
一応は護衛であるフィリアはレイフィードのスケジュールを把握させられている。それによれば、今日は公爵令嬢であるミラリントと茶会の予定が入っていたはずだ。
「……お前のせいだぞ」
「は?」
「お前、昨日あいつが融資してるパン屋に行ったろ」
「行ったわね」
レイフィードは項垂れつつ、嘆息を漏らす。
「それがミラリントに伝わってな……滅茶苦茶に怒られた。この国に来て七日も経たない女性一人に任せきりとはどういう了見だと。夜だというのにわざわざ文を寄越してな……」
そう言って窓の外を光のない瞳で眺めるレイフィードは、うんざりしているというよりも、どこか投げやりな表情を浮かべていた。
「なに、もしかして公爵令嬢が怖いの?」
「ある意味、お前よりも恐ろしい女だぞ、あれは……」
「最強の星術師様も形無しね」
「お前もいずれ分かる……」
何度も溜息をつくレイフィードを横目で見ながら、フィリアは先ほど彼が言ったミラリントの言葉を反芻する。
「この国に来て七日も経たない女性一人に任せきりとはどういう了見だ」というのは、恐らく色んな意味を孕んでいるのだろう。単純にフィリアを心配する意味も含んでいるかもしれないが、国の大事を新参者一人に任せるな、という意もあるのだろう。
まぁ、レイフィードもその点は自覚しているようだったが、調査自体はフィリアに任せるつもりだったはずだ。そんな彼を動かすとなると、どうやらミラリントという令嬢はただの令嬢でないらしい。
本日の目的地は、皇城から徒歩二十分ほどの場所に位置している。十分に歩ける距離なので、余計に馬車に乗る必要はなかった、とフィリアは思う。
ルフト皇国国防省警務局庁舎。それが今日の目的地だった。
皇城の警備などを司る騎士団とは異なり、皇都の警備を担当する皇都警備隊──つまりは衛兵が詰める場所であり、事件の証拠品や裁判を待つ容疑者たちもここに押収、勾留されている。
「は? ダリオが横領で自首してきた?」
受付を済ませ、今回の襲撃事件を担当している衛兵にフィリアが話を聞くと、彼は第一声「雑貨屋のオーナーであるダリオは現在、横領容疑で勾留中です」と険しい顔を浮かべた。
今日、フィリアがここを訪れたのはまさに横領の有無を調べるためだった。
ただし、横領をしていたのはアルマク子爵かロタネフ男爵であろうと当たりをつけてのことだ。もしかしたら横領隠しのために自らの店を襲撃したのではないか、と。
だから本当であれば、ここに一時的に押収されているノクテラとパヌハイムの帳簿を確認するつもりだったのだ。
「彼の言う通り帳簿と在庫、発注数が合わない箇所が多く、卸先に確認したところ横領が認められまして……その、これから取り調べを行うところであります……!」
衛兵の額に、じっとりと汗が滲む。手元の資料を持つ指先が微かに震え、ごくり、と喉を鳴らす音が静まり返った庁舎に響くようだった。フィリアの存在も、その緊張の理由の一端を担っているのは間違いないが、最大の原因は隣りにいるレイフィードのせいだろう。
「あぁ、陛下のことは気にしないでいいから」
「は、はぁ……」
衛兵は戸惑いを隠せないようで、皇帝であるレイフィードと、その皇帝を適当にあしらうフィリアを交互に見ては冷や汗を流している。
「それで、ダリオは?」
「それが妙なことを言っておりまして……」
「妙なこと?」
「その……喋ったら殺される、と……」
フィリアは片眉を上げ、少しだけ首を傾げた。彼が言うことが事実であれば、いくつかの可能性が浮上する。一つは誰かに脅されているか、二つは彼が下っ端であり、今回のことが明確なヘマであったかだ。どちらにせよダリオの裏にさらにもう一人いる。
その人物は恐らくレイフィードたちが追っている貴族である可能性が高い。つまり、ロタネフ男爵が黒幕ということになる。
「ダリオと少し話をさせてもらえる?」
通常であれば複数の手続きを行わなければ、勾留中の人間と面会は不可能だが、この状況である。衛兵は誰に確認することもなく、フィリアとレイフィードを取調室に案内してくれた。
案内された部屋には中央に机が一つと椅子が三脚。そして、調書を記すための机と椅子が一組置かれている。
中央の椅子が三脚あるのは、フィリアとレイフィードのどちらも立たせるわけにはいかない、という配慮の上、担当の衛兵が急ぎ用意したものだ。
そして、部屋の奥側に置かれた椅子には、両腕を拘束されたダリオが座っていた。
「たった二日で随分やつれたわね」
「すみませんでした……」
「別に私に謝る必要なんてないわ」
「すみません……」
すっかり憔悴しきったダリオは、俯きながら何度も謝罪の言葉を口にした。まさに顔面蒼白といった顔色で、瞳は虚ろ、服の裾を掴む手に力を込めすぎているのか血管が浮き出ている。
「単刀直入に聞くけど、貴方はロタネフ男爵の共犯? それとも男爵に脅されているの?」
脅されている、という言葉を聞いた瞬間、ダリオの両肩に力が入るのが傍目にも分かった。レイフィードも見逃さなかったようで、フィリアが視線を向けると無言で頷く。
「脅されてるのね。で、襲撃も貴方が?」
「ち、違います! それは本当に知らない! 私はただ、あの日は店にいるなと言われただけで……」
「ロタネフ男爵にそう言われたのね?」
ダリオは「はい」と小さく、いまにも消え入りそうな声量で呟く。
「もしかして……貴方、本当に横領してただけなの?」
「どういうことだ」
人前ということで、冷徹の仮面を被ったレイフィードが強い圧のある声音で問う。ダリオはもちろん、壁際に立っている衛兵すらも萎縮しきってしまっているが、フィリアは特に気にした素振りもなく「だから」と返答する。
「この人は横領をたてに脅されただけってこと。使いっ走りもいいとこだわ」
「す、すみませんでした……」
「ねぇ。喋ったら殺されるってどういう意味?」
その問いに、ダリオがより一層緊張してみせた。全身に力が入っているのが分かる。
「あのね、別に貴方が喋ろうが喋らまいが、どのみちバレるわよ?」
「…………」
「そんなに男爵が怖い? この人より?」
フィリアは言いながらレイフィードの方へと半分だけ顔を向ける。仮にも皇帝を「この人」呼ばわりしたことで、ダリオ以上に衛兵が背筋を伸ばす。
当のレイフィードは皇帝の顔をしているので、特に反応を示さず険しい顔つきのままだ。
「分かってる? いま貴方は皇帝陛下に逆らっている状況なの。この人の気分次第では不敬で処されても仕方ないのよ?」
とんでもない暴論ではあるが、それがまかり通ってしまうのがこの国の司法なのだ。皇帝というのはそれだけ強大な権力を有している。だからこそ、フィリアの不敬な態度に衛兵が緊張し、冷や汗を流し続けているのだ。
ダリオも現状が自分にとって窮地であることを正しく理解しているらしく、両肩から一気に力が抜け、諦めたように口を開いた。
「わ、私の店が襲われる前日、次はお前の店を襲わせる、と……。後ろにフードを被った男たちを三人ほど従えていて、とても逆らえませんでした……」
「そもそも貴方は横領の件で弱みを握られてるものね。逆らえるはずもないわ」
話の流れからするに、そのフードを被った男たちというのはピュニシオンの残兵たちだろう。これで三件の襲撃事件を手引しているのはロタネフ男爵でほぼ間違いない。フィリアの中で疑念が確信に変わる。
そもそも、昨日アリラから話を聞いた時点で、フィリアはロタネフ男爵に焦点を絞っていた。アリラは襲撃された翌日にはノクテラに業者が出入りしていたと言っていたが、業者が出入りするには早すぎるのだ。
ミラリントのように裏技的な修復を行う場合は別として、通常であれば建設業者を手配するだけでも、それなりに日数がいる。
ルフトが好景気の今であれば尚更だ、とフィリアはここに来る道中に見た建設途中の建物群を思い出す。
いかに貴族とはいえ、ロタネフは男爵であり、そこまでの資金力もなければ権力もない。そう考えれば、襲撃翌日に出入りする業者というのは如何にも怪しい。
「……このことを話せば、お、お前を処分すると言われました」
その言葉を最後にダリオは黙り込んでしまった。もしかすると、彼は本当に殺される寸前のところにいたのかもしれない、とフィリアは思った。
男爵は恐らく、ダリオの小心さを侮っていたのだ。自らが罪人になるのを恐れ、自首などするはずがない、と。だから、いつでも処分できると高を括っていたはずだ。
だが、彼は男爵が思うよりもずっと小心者で、自分の命が一番大事だった。だから、彼は自首をすることで確実な安全を選んだのだろう。
カタカタと震えるダリオを見て、これ以上ここにいても仕方がないと判断したフィリアとレイフィードは取調室を後にし、馬車へと戻り互いに情報を整理することにした。
馬車へと戻る道中、レイフィードがやけにジトッとした視線を向けてきていたが、フィリアはあえて触れなかった。
「とりあえず、これでロタネフ男爵が黒ってことが分かったわね」
「……お前、あれだけ便利に使っておいて……まず俺に何か言うことはないのか」
「権力って便利ね」
肩を落とすレイフィードを無視して、フィリアは座席の背に崩れ落ちるように体重を預け、少し疲れたように天を仰ぐ。というよりも、本当に疲れたのだ。慣れないことをするもんじゃない、とフィリアはそのまま目を瞑った。
そのまま眠ってしまおうかとも思ったが、流石に失礼が過ぎるという自覚はあるので、意識だけは保つことにし、馬車の揺れに身を委ねることにした。




