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友人として

 リュレス通りの中腹に位置するパン屋「グラティア」の前で、フィリアは店の外観へと視線を走らせていた。


 調査に出たはずのフィリアがなぜ、調査対象から外したはずのグラティアの前にいるかと言うと、襲撃されたほか二軒が空振りに終わったからだ。


 立入禁止程度のことは、コンラートから貰った権限でどうとでもできたが、店舗のなかはすっからかんで何も残っていなかった。捜査のためだったり持ち主たちだったりに回収されてしまったのだろう。


 そうして徒労に終わった捜査の帰り、念のためグラティアにも足を運んだフィリアだったが、前の二店舗とは異なり、グラティアはまだ完全とは言えないものの営業には差して問題ないであろう程度に回復していた。


 事件から三日目ということを考えると、普通ではあり得ない復旧速度である。普通であればグラティアも休業していて然るべきだろう。


 しかし、グラティアは公爵令嬢が融資元なのだ。修復を得意とする、お抱えの星術師が一人や二人いてもおかしくない。


「フィリア様?」


 店舗を見つめ感心したような表情を浮かべていたフィリアだったが、その声に横目で振り向く。


 おずおずと近付いてきた声の主は、グラティエのオーナーであるアリラだった。思わずフィリアは彼女の首元に目を遣るが、あの後も問題なかったようで傷一つない。


 例え何か問題があったとしても、フィリアがどうこうする義理はなかったが、自身が治療した以上なにかあれば目覚めが悪いというものだ。


「今日はどうされたんですか?」

「こないだの事件のことで少し調べ物を」

「あぁ……この頃、続いてますもんね、事件。ノクテラさんとパヌハイムさんはまだお休みしてるみたいですし……」

「そう言うあなたのお店はもうやってるのね」


 フィリアの言葉にアリラは「やっぱり早すぎますよね」と苦笑する。


「グラティアを支えてくださっているミラリント様が直々に修復してくださったんです」


 その名にフィリアは覚えがあった。つい先日、襲撃された三軒の融資元を調べていた際に挙がった名前の一つであり、グラティアの資金提供者である女性の名前だ。


「ミラリント様って公爵令嬢の?」

「そうです。うちのパンを大変気に入っていただいておりまして、これでパンが焼けるでしょう、と」

「修復専門の星術師じゃなく、令嬢直々に?」

「はい、ミラリント様は恵み(・・)の加護星術を受け継ぐスピカ家の方ですから」


 横目に映るアリラは、そう言って嬉しそうに微笑んでみせる。どうやら随分と良くしてもらっているようで、彼女は心からミラリントに敬愛の念を抱いているようだった。


 それにしても貴族本人が自ら復旧をおこなったというのは、フィリアにとって予想外のことだった。

 この街に来てから出会った貴族たちが、総じて一癖も二癖もある者たちだったからか、フィリアは俄には信じられない、といった表情を浮かべつつ、アリラへと顔を向ける。


「へぇ、随分良い人なのね。ほかの二軒はまだ復旧に時間がかかりそうなのに」


 その言葉で、アリラの誇らしげな笑みに少し影が差す。彼女はエプロンの裾を何度か握っては離し、何かを言おうとしては言うべきかを悩んでいるようだった。


「何か気になることでも?」

「あの……これはミラリント様がお優しいから、というのもあるんですが、パヌハイムさんのところが不気味で……」

「不気味?」

「ノクテラさんのところには事件後に業者の方が何度か出入りしてたみたいなんですが、パヌハイムさんのところは誰も近付かないんです。パトロンのアルマク様はもちろん、業者の方すら来ていないみたいで……」


 アリラはそう言って、複雑な面持ちのままフィリアへと上目で視線を送る。その視線には心配や不安といったものが綯い交ぜになっているようだった。


 彼女のそんな心情を汲み取りつつ、フィリアは顎に手を当てる。アリラの言葉に引っかかりを覚えたからだ。


「あなたのお店は公爵令嬢様が直してくれたって言ってたけど、ほか二軒のパトロン様はお抱えの星術師とかいないのかしらね」

「どうでしょう……? いたとしても普通は一々気にされないのではないでしょうか。アルマク様もロタネフ様も色々な方に融資されてると聞きますし……」


 もし誰かに聞かれれば不敬を問われかねないということを理解しているようで、アリラはフィリアとの距離を半歩詰め、少し声のトーンを落としていた。


「ただ、アルマク様は建設業の方々にも顔が広いお方のはずなんです」

「……確かに妙な話ね」


 その言葉で考え込んだ様子のフィリアを見て、アリラの目に少し不安げな色が浮かぶ。


「もしかして、アルマクが融資してる店のオーナーと知り合い?」

「……はい。同じ時期に店を開いたのもあって色々と話す機会も多くて。だから、今回の事件の後から姿が見えないのも心配で……」


 無意識の内に、というと少し問題があるような気がするが、本当に意識しない内にフィリアはアリラの頭を優しく撫でていた。

 三十歳にしては幼く、可愛らしい瞳が見開かられたのを見て、フィリアは手を勢いよく離す。


 かつて、義賊のリーダーであったヴェリトスも同じように困った人たちの頭を撫でていた。ただ、彼は幼子相手にしていたのであり、妙齢の女性の頭を撫でたりはしていなかった。


 自分の不器用さに若干引きながら、フィリアは「ごめんなさい」と居心地悪そうに謝罪の言葉を口にする。


「い、いえ……びっくりしただけです……! 頭を撫でられるなんて久しぶりだったので」

「そ、そう……」


 気まずい雰囲気が流れるなか、フィリアは咳払いをして自らを落ち着かせつつ、アリラの方へと向き直す。


「その……大丈夫よ、心配しなくて。あー……私がなんとかするから?」


 何とも決まらない、と未だ居心地悪く宙に上げたままだった右手で今度は自分の頭を押さえる。


 これまでの旅の中でも似たような場面はあった。しかし、その時も同じような失敗を繰り返してきたフィリア。酷い時は子どもに泣かれてしまったこともある。


 あまり思い出したくない過去が過ぎり、小さく溜息をつくフィリア。それを見たアリラがクスりと笑う。


「ごめんなさい! ただ、何だか可笑しくて」


 慌てて謝るアリラに目線だけ向け、フィリアは「可笑しい?」とバツが悪そうな声で問う。


「フィリア様って私よりも若いのに、私よりもずっと大人っぽくて、しっかりされてるから……少し不器用なところが可笑しくて……。すみません、失礼ですよね」

「別にいいわ。本当のことだし」


 アリラはまた小さく笑うと、不意に何かを思い出したように手を叩く。どうしたの、と聞く前にアリラは「少し待っててください!」と店の中へと駆け足で戻っていってしまった。


 五分ぐらい経った頃だろうか。チリン、と音を鳴らして店の扉が開かれると、片腕に紙袋を抱いたアリラがまた足早に戻ってきた。


「それ、もしかして……」

「はい! お約束していたミルクパンです!」


 そう言うアリラの表情は、文句のつけようのない満面の笑みだった。



 フィリアが城に戻ったのは夕日が落ちる頃だった。場所柄、元々静かな場所ではあるが、より一層静けさが際立ち、フィリアの踵を鳴らす音だけが響いている。


 だからこそ、フィリアからすれば後ろに感じる人ひとり分の空白がより際立っていた。


「なんですか? ユーグ団長さん」

「おー、君は本当に凄いね」


 フィリアの背後にいた彼は一瞬だけ目を丸くし、直後にフィリアへと素直な賞賛を送る。


 夕陽に照らされ、赤に近いオレンジへと色彩を変えた長髪をなびかせながら、ユーグは潜めていた気配を現した。


「私を評価していただいているなら、気配を消し過ぎです」

「いやはや、ここまでとは。次からは馴染ませるよう気をつけよう」

「……普通に出てくれば良いのでは?」


 フィリアの問いに対し、ユーグは快活な笑い声で返答するだけだった。


 そんな彼を見てフィリアは溜息をつきながら、こういう貴族ばかりだから、件の公爵令嬢の話をにわかには信じられないのではないだろうか、と頭を抱える。


「それで。城に戻るなり尾けられたのは何か理由が?」

「いや? 特にないよ。ただ、会議ばかりで退屈だったからね」

「息抜きに相手をさせられるほど、親密になった覚えはないんだけど」


 ぶっきらぼうにそう言ってのけるフィリアに、ユーグは再び楽しげな笑みを浮かべる。


 よっぽど会議が退屈だったのだろう、などとフィリアが呆れていると、ユーグが「そういえば」と口を開いた。


「レイフィードのお使いを始めたんだって?」


 レイフィードが表立って動けないため、フィリアが調査しているはずなのだが、ユーグほどの立場であれば、その辺りの事情も筒抜けのようだった。


 カマをかけている様子もなければ、「お使い」などという含みを持たせた言い方をする彼に、フィリアは特に否定することなく「えぇ、まぁ」とそっけない言葉で返す。


「楽しそうでいいなぁ。こっちはその事件のおかげで会議続きでうんざりだよ」

「事件絡みの会議だったのね」


 フィリアの問いに、ユーグは心底うんざりしたように「そうだよ」と項垂れた。


「とは言っても、犯人はまだ捕まらないのかとか、自警団が必要じゃないのかとか、自分の店は大丈夫なのかとか。不安がる貴族たちの文句を聞いてるだけだけど」

「下位貴族たちからすれば死活問題なんだから仕方ないわね」

「なんで文句を言ってるのが下位貴族って分かるの?」

「シリウス通りならまだしも、リュレス通りの店舗規模だったら、もし自分の店が襲われたとしても上位貴族なら痛くも痒くもないでしょ。だから、わざわざ表立って不満を漏らすなんて下位貴族ぐらいだと思ったのよ」


 フィリアは左腕に抱える紙袋を持ち直しながら、つまらなそうに答える。

 簡単過ぎる問いもそうだが、その答えを知った上で聞いてくる相手というのは、存外面倒くさいものだ。


 そもそも、議会でのやり取りは皇帝に伝わりはする。しかし、それは役人によってまとめら、文書として届くという意味であり、直接的ではない。


 そんな誤解を生む可能性のある伝達手段で、上位貴族が文句など言うはずがなかった。何故ならば、皇帝と直接の謁見が許されている存在こそが、上位貴族であるからだ。


「ねぇ、一々試すようなことやめてもらえる? 鬱陶しいから」


 明らかに礼を欠いたフィリアの物言いに、ユーグは「へぇ?」と別人のような声音で、目を細める。

 ただ、そこに怒気は孕まれていないようだった。その証拠に、ユーグの表情は、次の瞬間には先ほどまでと同じく胡散臭い優男のものに戻っていた。


「騎士団長ともあろうお方が、この程度のこと分からないはずがないでしょ」

「いやぁ、それほどでも。ただ、君を試したことは謝るよ」


 続けて「すまない」と頭を下げるユーグの所作は、あまりにも貴族然としていて、あるいは様になり過ぎていて、思わず見惚れそうになる。

 やはり、ここが日本であれば相当な数の女性を虜にしていただろうに違いない。


「レイフィードとは昔からの付き合いでね、つい。それに一応、皇室付きの騎士団団長だし」


 それは言外にフィリアを疑っていた、ということだ。とはいえ、本気で疑っていたというより、自分の目で確かめておきたかった程度のものであるようだが。


 フィリアは自身の能力、特に武力について過小評価していない。確かに自分のような者が主の近くにいれば疑ってかかるべきだと、フィリア自身も思う。ユーグはフィリアの戦闘能力を眼の前で見ているのだから特にだ。


「貴方、二言目は胸に秘めて置くことを勧めるわ」

「ははは、よく言われるよ」


 先程までの眼光はどこへやら。ユーグはすっかり元の飄々とした雰囲気を纏い直している。


「とにかく、君は自分の能力を鼻にかけるような嫌な人間じゃなさそうだ。安心したよ」

「彼も苦労してるのね」

「そりゃもう。なんて言ったって世界の半分を統べる王様だからね。妃の地位を狙う女性は山程いるよ」


 つまり能力は高いが、それを鼻にかける嫌な人間が山程寄ってきている、ということだろう。フィリアは心のなかで、少しばかり同情する。


「さて、そろそろ再開の時間だから戻らないと。面倒くさいけどね」


 どうやら二言目を胸に秘める、ということは彼には難しいらしい。言葉だけでなく態度や表情にも、うんざりしている、という心情を反映させながら、ユーグはフィリアに背を向け歩き出す。


 第一騎士団団長の名に恥じない歩き姿に関心しながら、フィリアも自室へと向かうことにする。


 まだ涼し気な風に吹かれ、腕に抱える紙袋から、侍女が喜ぶであろう香りがフィリアの鼻腔をくすぐった。

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