それぞれの仮面
「フィリア様、そろそろ休憩されませんか?」
「んー……」
セリルの提案に生返事を返すフィリアの目の前には、机を埋め尽くすほどの紙や本が広がっている。ウェルリウスから受け取った貴族たちの資料と、皇城の書庫から持ち出した法令関係の本が山のように積み上がっているのだ。
クレールで採寸を終えたフィリアは、イザベルに最低限の希望を伝えた後、すぐに皇城に戻り本題へと取り掛かっていた。
「何か分かったのでしょうか?」
「断定できるようなものは何もないわね。よっぽど臆病者なのか、頭が切れるのか、かなり上手くやってるみたいよ」
フィリアはサイドテーブルに用意されたティーカップに砂糖を落とし、人差し指と親指だけで摘んだスプーンで適当に混ぜていく。手元を見ずに混ぜているせいで、時折カップとスプーンが当たる音が鳴ってしまっている。
「まったく……なんで護衛の初仕事がこれなのよ。意味が分からないわ」
カップに手を伸ばしながら、フィリアは片手で本をどかして三枚の資料を広げる。それは黒幕の可能性がある、とレイフィードたちが睨んでいる貴族たちの資料だった。
確かにその三人は、フィリアから見ても黒幕である可能性を排除できないような人間であったが、やはり可能性の枠を出ない。つまり、何の進展もないのだ。
「まぁ、たかだか数時間で何か掴めるとも思ってないけど……」
言いながらフィリアは三枚の資料に再び目を向ける。
事業内容こそ三者三様ではあるものの、三人が三人とも商人を生業としているという共通点があった。しかし、当然資料上は全員が真っ当な商売をしており、特に怪しげな点もないように見える。
そしてそのほかは、どれも似たような情報ばかりだった。
三人とも比較的代の浅い貴族であること、手を広げるために平民への融資に積極的であること、社交界にも精力的に参加している、など。どれも商人として当然のものばかりだ。
「しかし三人とも物凄い桁の出資額ね」
「景気も良いですし、平民への融資が解禁されたのもあるのではないでしょうか。お店が増えるほど収益も増えますし」
「まぁ、この景気の良さならお釣りが返ってくるってことなのかしらね」
別に専門家でもなければ得意分野でもない話に、フィリアはあくまで雑談の一環として答えた。
フィリアがこういったものを勉強をしていたのは七歳まで、つまりは基礎も基礎で止まっている。フィリアの知識で役に立つものがあるとすれば、精々一度目の人生での記憶ぐらいなものだろう。
「貴族の方が平民に融資される際には補助金が出ますし、その事業が失敗した際には補償金も出ますよね? もしかしたら、それが目当てなのではないでしょうか……?」
「私もそう思って調べてみたけど、補助金と補償金を合わせて、ようやく融資額を回収できる額にしかならないらしいわ」
そうなるとわざわざ襲撃を装うほどのリスクを背負うメリットがない。腐っても貴族が相応のリスクを負うのであれば、それなりのリターンがあるはず、というのがフィリアの考えだった。
「パーティーで彼らと実際にお会いになれば何か分かるのでしょうか」
「どうかしらね。そう上手くいってくれるといいけど」
自分が口の上手い方でないことを自覚しているため、フィリアは今からパーティーが憂鬱だった。ただでさえ久方ぶりのそういった場であるのに駆け引きまで必要となると、流石のフィリアも自信満々というわけにはいかなかった。
この街に来てから溜息が増えたなぁ、と思いつつ、フィリアは机に積まれていた本から一冊を手に取って天を仰ぐ。
すると、突然部屋にノックの音が響いた。
「どうぞ」
フィリアが天を仰いだまま適当に入室を許可する声を上げるとドアが開かれ、レイフィードが顔を出した。
「出掛ける準備をしろ」
「突然なに? 見ての通りあなたの命令で忙しいんだけど」
横目でレイフィードを捉えつつ、フィリアは手のひらを上に向けて机の上の惨状を指し示す。
「また被害が出た。今度は雑貨屋らしい」
「は? また?」
「全く……こうも続いては民の不安も高まってるはずだ。余計なことをしてくれたもんだよ」
レイフィードは扉に寄りかかり、右手で頭を押さえてみせる。その表情には少し疲労の色が滲んでいた。
一応は護衛であるフィリアは、いざという時のために彼のスケジュールを聞いている。びっちりと予定が入っていることもそうなのだが、査察やら本来であれば他に任せるべき仕事も率先して顔を出していることにも問題があるように思えた。
それは恐らく、彼が先日言っていた「信頼できる人材」が不足していることが寄与しているのだろう。
「なるほど、それで皇帝自ら出向いて安心させると。でも貴方、街では冷酷な皇帝だと思われてるのでしょう? それで安心に繋がるのかしら」
「そういう印象を抱かれてるからこそ、だ」
「あぁ……皇帝を怒らせたなら、って?」
「はは、犯人が同情されることになるかもな」
扉に寄りかかったまま腕を組んだレイフィードは、冷酷とは縁遠い顔で笑う。疲れこそ見えるが、その表情は年相応のものに見えた。
「で、場所は?」
「リュレス通りだ」
フィリアたちが到着した頃、現場は立ち入りを規制する衛兵や野次馬によって未だ騒然としていた。
「酷いわね……」
規制線の内側に入り、フィリアは雑貨屋だった建物を見上げた。
ガラスどころか建物自体が半壊しており、所々に焦げたような跡や何かに抉られたような跡もある。おそらく星術もしくは星導器による被害だろう。
「フィリア、お前はここのオーナーから話を聞いてこい」
「そういうのはもう衛兵がやってるんじゃないの?」
「文句があるのか?」
冷酷の仮面を被ったレイフィードは、温度のない声音で言い放つ。それに対してフィリアが「はいはい」と適当に返事をしたことで、周囲の衛兵が少し騒つく。
「ねぇ、ここのオーナーは今どこに?」
フィリアが適当に目についた衛兵に声をかける。すると衛兵は頬をほんのり赤らめ、かつ若干顔を強張らせながら背後を指差す。
衛兵が指した方へ顔を向けると、そこでは細身の男性が聴取を受けているようだった。男性は平民の服装で、見るからに気が弱そうな表情を浮かべている。
「ありがとう、戻っていいわ」
衛兵に礼を告げ、フィリアは被害を受けたオーナーの元へと足を踏み出す。その時、何やら気配を感じたが、野次馬を含めてフィリアに向けられた視線が多過ぎて、元の気配に辿り着くことはできなかった。
気を取り直してオーナーの元へと近寄ると、ちょうど当時の状況を聴取されているところのようだった。
「では、従業員は全員出払っていたと?」
「はい。ちょうど配達のために出ておりまして。私も取引先との打ち合わせで店にはおりませんでした」
「建物のほかに被害は?」
「特に金庫などには手をつけられていませんでした」
見た目の気弱い雰囲気とは相反する冷静さで、衛兵の問いに淡々と答える男性。
その様子は、フィリアの目には些か不自然に映った。
「ねぇ、貴方。この店を開いて何年になるの?」
「え? 半年ですが……」
突然現れたフィリアに、オーナーは訝しげな視線を向ける。周りの衛兵はフィリアの顔こそ知らなかったものの、彼女が皇帝と馬車から降りてきた姿を見ていたため、フィリアを制止するようなことはしなかったが、オーナーは彼女が何者なのか不審に思っているようだった。
「あぁ、ごめんなさい。皇帝直属調査室所属、特別監察官補のフィリアです」
護衛を名乗ることで無用な困惑を生むことを懸念したフィリアは、ありもしない役職を名乗る。一瞬、衛兵たちが「え?」という顔をしたが、フィリアはそれを横目で制した。
「私はダリオと申します。ご承知の通り、ここでオーナーをしております」
「で、ダリオさん。貴方、この店を始めて半年なのよね?」
「はい。半年前に始めてようやく軌道に乗り始めたところでした」
変わらず冷静に答えるダリオに、フィリアが口元を緩ませると、その表情の意味が分からないといった様子でダリオは眉根を寄せた。
「半年前に始めてようやく軌道に乗った店がこんなことになったのに、随分冷静なのね」
「それは……ここで嘆いても仕方ありませんから」
「へぇ? じゃあ貴方、心の底では悲しいと思ってるのね」
「当たり前です! 雑貨が好きで始めたんですから」
その言葉にフィリアは今度こそ隠しもせずに笑みを浮かべた。
「雑貨が好き?」
「そりゃそうですよ。じゃなきゃ融資を受けてまで店を開いたりしません」
「じゃあ、なんで被害を聞かれた時に真っ先に金庫の話をしたのかしら」
「そ、それは調査に協力したい一心でつい……」
ここにきて初めて動揺の色を浮かべたダリオだったが、その動揺の正体を明かす気はないらしく、それ以上何も答えようとはしなかった。
流石のフィリアも公衆の面前でこれ以上やり合うつもりはなく、問い詰めることはしないが、彼が何かを隠していることは明らかだった。
「もういいですか? こんなことになって私も疲れてるんですよ」
周りで様子を伺っていた衛兵にフィリアが頷いてみせると、ダリオは衛兵たちと共に馬車へと歩き出す。その後ろ姿はやはり気の弱そうなものだった。
「何か分かったか?」
背後からレイフィードに声をかけられ、フィリアは上を見上げる形で振り返る。
「オーナーの彼、何か隠してるわ。それに気になることも言ってたし」
「続きは馬車で聞くとしよう」
馬車の中に入ると、レイフィードは深く長い溜息を吐いた。やはり冷酷無情な皇帝を演じるのはそれなりに疲れるらしく、ただでさえ疲労の浮かぶ顔をさらに顰めている。
「で、気になることっていうのは?」
「貴方……よくすぐに素に戻れるわね……」
「あぁ? そんなことより気になることって何だったんだよ」
疲れからかいつもよりも若干張り詰めたレイフィードの声に、フィリアはそれ以上茶化すようなことはしなかった。たった数日の付き合いだが、それくらいの空気はフィリアにも分かったからだ。
「彼、融資を受けて店を開いたって言ってたのよ」
「平民の経営する店なら珍しいことじゃない」
「そうみたいね」
それは先刻、フィリアが書庫から借り出した近年の資料にも記載があった。
そもそも平民の開業自由化で規制緩和されたのは中・大規模店舗での開業であり、露店や小規模店舗での開業は元々許されている。しかし、小規模店舗での開業すら平民からすれば莫大な資金が必要となるのだ。
つまり、中規模以上の店舗で開業しようとすれば、ほぼ確実に貴族たちからの融資が必要となる。その上、ダリオのようにリュレス通りという大通りに店を構えようとすれば尚更だ。
「けど、例の三人が融資に積極的っていうのが引っかかるのよね」
「お前に渡した資料の三人か」
フィリアは無言で頷いて返す。
いくら補助金と補償金があるとはいえ、それらを足して融資額と同額程度であるのだから、融資に対する貴族側のメリットはほぼないに等しい。平民の事業が成功することに期待しているのだとしても、例の三人の融資額は少しばかり大き過ぎる気がした。
「だからその辺りの繋がりから調べてみようかと思ってね」
「なるほど。まぁ、好きにやってくれて構わないが都度報告は忘れるなよ」
先ほどまでの張り詰めた声音とは違い、少し楽しげなレイフィードにつられ、フィリアも「分かってるわ」と言葉こそぶっきらぼうだったが柔らかな口調で返していた。
ふと、フィリアが窓の外へと意識を向けると、進行方向がリュレス通りから外れているようだった。
「城に戻るんじゃないの?」
「お互い少し休むくらい許されるだろ」
そう言って窓の外へ視線を向けるレイフィードの視線は、相変わらず何を考えているのか分からないものだったが、どこか優しさのようなものを感じる。
大した会話があるわけでもなかったが、もしかしたら気を遣ってくれたのかもしれないと、そんなことを思いながらフィリアは乗り心地の良い馬車の揺れに身を委ねることにした。
互いに対等な立場だからなのか、それとも目的を共有しているからなのか。どちらなのかは分からなかったが城までの道中、その時間は久方ぶりにフィリアが気を緩めることのできた時間だった。