服飾店クレール
「ここがあのイザベル様が運営する服飾店、クレールです」
グラティアのミルクパンを語る時よりも、更に目を輝かせたセリルがその店を見上げながら言う。
「……あの、って?」
今となってはファッションというものに然したる興味もないフィリアが一歩引いた視線で問うと、ぐりん、という擬音が聞こえてきそうな勢いでセリルが振り向いた。
「イザベル様をご存知ないのですか? 二年前に行われた劇団ミュトスの代表劇である楽園の果ての衣装を手掛け、昨年のローゼ賞を受賞された天才デザイナーであるイザベル様ですよ。本当にご存知ありませんか?」
物凄く早口だった。
まだ知り合って三日目ではあるが、初めて聞くセリルの勢いある言い様に、フィリアは思わず気圧される。
「ご、ごめんなさい、知らなかったわ……」
さらに一歩後退りしたフィリアに気付き、セリルが背筋を伸ばして勢いよく頭を下げた。
「す、すみません! つい……!」
「謝ることはないけど……そんなに好きなの? そのイザベルって人のこと」
「イザベル様を、というよりイザベル様の作られている服が好きなんです」
セリルがこれほど語るものがどのようなものなのか、フィリアも興味が沸き始めていたが、クレールにはショーウィンドウがないため、外からではどういった服が売られているのか分からない。
これはクレールだけでなく、周りの店も同様だった。
昨日案内されたリュレス通りと違い、クレールが店を構えるシリウス通りは格調の高い造りの店が多く、入店ハードルが高い店ばかりのように思える。
「じゃあ、入ろっか。私も少し興味湧いてきたし」
「はい! そういえば、フィリア様のお召し物と雰囲気が近いので、気に入られるものがあるかもしれません」
「そうなの? なら尚更楽しみだわ」
フィリアの服は、基本的に男性冒険者向けのものを仕立て直したものである。女性向けはデザイン重視のものが多く、数少ない女性冒険者向けのものも、しっくりこないものばかりだったのだ。
一度目の人生での記憶が色濃いせいか、どうしてもヒラヒラしたものは性に合わないというのも理由の一つである。
そういうこともあり、フィリアが好んで着ているのは日本でも着られていたようなデザインのものが多いのだが、この世界での流行デザインではないらしく、気軽に調達できるものではなかった。
そんな事情もあって、僅かな期待を胸に抱きつつフィリアが店の扉を開けると、女性の声が店内に響いた。
「やっと入ってきてくれたのね」
浮世離れしている、という言葉が真っ先に思い浮かぶ。それは容姿の話ではなく、そういう雰囲気を彼女は纏っていた。
高級店ならではの静謐さを保つシンプルな造りの店内において、彼女自身が存在することで空間が成立している気さえする。
店内は白を基調とした石壁に、この世界では希少であり王侯貴族が好む黒い大理石の床。
それぞれ飾り気はなく、この世界の高級店というよりかは一度目の人生で見たことのある、ハイブランドの店舗のようだった。
「い、イザベル様……!」
本当に服のファンというだけなのか疑わしいテンションでセリルが店内に佇む女性の名を呼ぶと、女性は後ろで結んでいてなお、腰元まで届く真っ赤な髪を少し揺らして微笑を浮かべた。
「その服、陛下のところのメイドさんね」
「はい……!」
「あら、しかも新人さんじゃない」
イザベルがセリルに近寄り、エプロンのフリル部分を長い指でなぞってみせる。その艶かしい動きにセリルは硬直してしまっているようだった。
「ど、どうして分かるんですか?」
「だって私がデザインしたんだもの」
「ひゃ!?」
とうとうセリルは直立不動となってしまった。自分の仕事着が憧れのデザイナーによるものだと分かったことで、キャパオーバーを迎えたのだろう。
フィリアは目の前で繰り広げられた光景を特に気にすることなく、店内を見渡す。
「流行とは随分デザインが違うのね」
店に入る前にセリルが言っていた通り、店内にディスプレイされた服はどれもフィリア好みのものばかりだった。しかし、それは裏を返せば流行のデザインではないとも言える。
「そうね。流行り物はうちでは取り扱ってないの」
「それでやっていけてるのだから大したものね」
聞く人が聞けば相当に失礼な物言いだったが、イザベルは気にした様子もなく「ありがとう」と微笑んだ。
「それで、今日はどういったご用件かしら」
「ドレスを作って欲しいのよ、十日後の夜までに」
「あはは、なるほど。確かにそのスケジュールならうちに来るしかないわね」
無理難題なスケジュールにも関わらず、イザベルは楽しげな声を上げる。
本来、十日間で出来るのは平民階級の着るドレスぐらいのものだ。今回、フィリアは皇帝の護衛としてお披露目されるわけで、最上級とまでは言わずともそれなりの品質が要求される。
それはフィリアも承知しており、だからこそレイフィードの言うこととは言え、たった十日で対応してくれるなどという言葉には懐疑的だった。
「十日で何とかなるの?」
「もちろん。じゃなきゃ陛下がうちを紹介したりしないでしょ?」
イザベルは跳ねるような声音で言いながら、黒を基調としたドレスのスリットを軽く捲り、右腿に巻き付けていたホルスターのようなものから何かを取り出した。
「メジャー?」
「そう。早速採寸しちゃいましょ」
そう言ってイザベルは手招きしつつ、店の奥へと進んでいく。どうやらフィッティングルームに案内しようとしているらしい。
「あの、フィリア様」
「どうしたの?」
「メジャー、ってなんでしょうか……?」
硬直から復帰したセリルがぽかんとした表情を浮かべていた。
「長さを測るためのものよ。こういうお店だと身体の寸法を調べるために使うの」
「そのようなものがあるのですね……イザベル様ほどの方なら見れば分かるのかと思っていましたが」
確かにこの世界で活躍する超一流の仕立て屋たちは見るだけでサイズを言い当てると言うが、メジャーで測った方が確実である。しかし、そこまで考えてフィリアはこの世界には明確な長さの尺度がないことを思い出す。
距離を伝える時は大体の走行時間で伝えるし、腕一本分といった比喩的で不正確な言い方をすることもある。
そう考えると、イザベルがメジャーを持っているということに若干の違和感を覚えなくもないが、もしかしたら彼女なりの尺度を印したメモのようなものなのかもしれない。
「じゃあ、セリルのお気に入りの仕立て屋の実力。見せてもらいましょ」
店に陳列された商品や彼女自身が着ていたドレスを見て、フィリアも特に不安はなくなっていた。ドレスを仕立てろと言われた時にはげんなりしたものだが、恐らくヒラヒラの、まさしく中世ヨーロッパのドレスのようなものが仕上がることはなさそうだ。
フィリアが店の奥へと進んでいきドア一つ潜ると、窓一つない開けた空間に出た。どうやらここがフィッティングルームのような場所らしい。
店のデザインから、日本のような小さく区切られた個室を想像してしまったが、この店が大衆向けでない以上、そんなに部屋は必要ないのだろう。
「じゃあ脱いで」
冷静ながらもどこか艶のある声でイザベルに言われ、フィリアはジャケットを脱ぎ、そのまま地面へと落とした。ドアを締めていたセリルが慌てて拾い上げるのを見て、フィリアは苦笑する。
続けてショートブーツを脱ぎ、シャツとショートパンツを脱いでセリルへと渡す。
「へぇ、綺麗な身体してるじゃない」
「ほぁ~……」
ニヤリと笑うのはイザベル、続けて感嘆の声を漏らしたのはセリルだ。
イザベルはフィリアのすぐ側まで顔を近づけ、顎に手を当てながら何やら頷き、一方のセリルは初めこそ遠巻きに眺めていたが徐々に距離を詰めてきている。
「あの……ふたりとも。近いんだけど」
宮樹愛衣としても、フィリアは美しい身体をしていると思う。だからこそ、普通に見られる分には理解できるし、まぁ見ちゃうよね、と受け入れられる。それに、そういった羞恥心はこの十年でほとんどなくなってしまっていた。
ただ、イザベルやセリルのような美人や美少女に鼻先ほどの距離で見つめられるとなると話は別である。街で時折受ける下卑た視線ならまだしも、この距離で舐るような視線を向けられることに、流石のフィリアでも少し恥ずかしさを感じていた。
「なにこのきめ細やかな肌……」
「うんうん」
「しかも程よく引き締まった腰。戦闘職とはいえ見事だわ」
「うんうん!」
好き勝手に感想をだだ漏れにするイザベルに、何やら様子のおかしくなったセリルが目を輝かせながら相槌で続ける。
フィリアは少しばかり顔に熱が集まるのを感じつつ、イザベルの言葉に引っ掛かりを覚え「え?」と声を上げた。
「私が戦闘職ってなんで分かったの?」
「だって、それ星導器でしょ」
イザベルはフィリアへと視線を向けたまま、セリルが抱えていた服の中に覗く、お守りのような形をした黒い板を指差す。
「星導器を身に着けてる人なんて戦闘を生業とする人間以外ほとんどいないし、服に紐付けてるってことは激しい動きを想定してるってこと」
「なるほど……貴女、何者?」
自身のお腹あたりで頷いていたイザベルを見下ろす形で、フィリアは目を細める。
フィリアの持つお守りのような形の星導器は少し特殊なもので、星導器特有の簡易化された星紋――擬星紋が描かれていない。そのため、一目で見抜くには相当な知識が必要である。その証拠に、星導器に明るくないセリルは乱雑に抱きかかえている。
「怖い顔しないで? うちは皇室御用達だから、そういう注文も入るの。だから分かるのよ、星術関係のものは特にね」
確かに数は少ないにしても、星導器を用いる星術師は存在する。そういった者たちを相手に商売をするのであれば、彼女が知識として持っていることは自然なことだろう。
「そう。商売熱心なのね」
フィリアが疑いの目を収めたのを見て、イザベルはニコリと笑う。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私はイザベル・クレール。お察しの通り、この店のオーナーよ」
「クレール? そんな加護星あったかしら」
「あぁ、私この国の生まれじゃないから関係ないわよ。貴族でもないし、クレールはただの姓ね」
イザベルの言葉でフィリアはなるほど、と納得する。加護星を家名とし、それが貴族の証であるのは星術国家とも呼ばれるルフト特有の文化であり、フィリアの祖国であるアルデフォンも家名と加護星に関係はなかった。
「私はフィリア。皇帝陛下の護衛をしてるわ、一応」
「よろしくね。そちらのお姫様は?」
イザベルがセリルに笑みを向けると、セリルは一気に顔を赤らめ跳ね上がる。初日に見せたクールさはどこかへ捨ててきてしまったらしい。
「せ、セリルです! フィリア様にお仕えさせていただいております!」
跳び上がった勢いのまま、セリルは思い切り頭を下げた。その際、フィリアの星導器が服の中からこぼれ落ちてしまったが、ジャケットと繋がれているため、床には落ちず宙に垂れ下がる。
フィリアは星導器を遠くを見つめるような目で見つめた。一度目の人生で馴染みのあった形のそれは、かつて義賊のリーダーであったヴェリトスから貰ったものだった。
意識しないようにしてはいるが、未だにこの星導器を見るたびに複雑な思いが胸に去来するのをフィリアは自覚している。
「さて!」
フィリアの様子から何かを感じ取ったのか、イザベルが空気を切り替えるように手を叩き合わせた。
「最高のドレスを作ってあげるから、ぜひ今後ともよろしくね。お姫様たち」
その表情はさながら職人のようで、こういった表情を浮かべる職人たちの気合いの入れようと執念を知っているフィリアは、肩を落として長めの溜息をつく。
その懸念通り、このあと様々な箇所をイザベルに測られ、その様子をセリルにまじまじと見つめられ、フィリアは疲れ果てることになるのだった。




