お父さんの心臓をあげる
(楓は生前の父と行った遊園地で、父から『なあ楓?俺が苦労したら、その分喜んでよ。それが父さんの人生の醍醐味なんだよ』と言われている)
楓が6歳になる頃。
美嗣はついに楓にお父さんがドナーになってくれたということを伝えた。
楓はその意味を数秒おいて理解し、悲痛な鳴き声をあげた。
「お父さん〜うわああん!」
その鳴き声は、2日ほどもやまなかっただろうか。お父さんは楓を助けたかったのよ。といくら美嗣が諭してもあまり効果がなかった。そこには、父親のいうことじゃないと信用しない!というような怒りさえ籠っていた。
命をあげるということは、ここまでの信頼関係を築くものなのか、、、と、美嗣は切実に感じた。
『楓が泣いてしまうかもしれないからな。。。だからこのビデオレターは、そういう時に見せてやってくれ』
そう言っていた裕翔の姿が、目の裏に浮かんできた。
『大事なものに、優しくする。これは美しいことだ。だけど大事なものにすべてを投げうつのは、あまり美しいものを遺さないかもしれないだろ?少なくとも楓には。、、、それは無機質な衝動だったとうつりかねない、と俺は想像した。。。
だからさ、こうやって、きちんと愛を伝えてやる必要があると思うんだよな。じゃないと楓はちゃんと泣き止めないかもしれない。任せとけ。楓を泣き止ませるに十分なものを、残しておくから、なあ』
美嗣は、このビデオレターが裕翔の期待した効果を楓に与えると信じた。
「楓。。。」
「ここに、お父さんからの最後の言葉があります」
「一緒に見ましょう?」
そう言って、美嗣はテレビの前に目を腫らした楓を座らせ、テレビの電源を入れた。
数秒たち、録音した映像が、流れてくる。
『お父さん、楓に嘘ついて死んじゃって、ごめんな。でもお父さん、十分人生あったかかったからさ。楓とお母さんのこと、もう十分長く好きだったから。だからもう、愛する楓になら、バトンタッチしてもいいって思えたんだ。心の底から思えたんだよ。楓がどれほど好きだったか。。。いつかわかってくれるか?』
『今は楓はまだ小さいからさ、お父さんの気持ちはきっと想像とか、今はちゃんとは出来ないかもしれない。それでももし、お父さんの気持ちが楓も知りたいんだったら、、、たくさん色んなことを経験してください。そのためには、お父さんが死んじゃったからって、泣いてる暇はないぞ。。。。ほら、泣き止んだか?お父さんも、お父さんのお母さんの気持ちが知りたくて、ずっとどうしてか考えながら、楽しく頑張って生きたんだ。それで、最近やっと、わかってきた。楓もな、お父さんのあたたかくて不思議な気持ちを知るためには、楽しくて、大変だぞ。出来るだけ、楽しんでな。、、、ただ決して無理はしないように』
『お父さんから言いたいことは、泣き止んでほしいってことと、幸せに生きてってことなんだけど、いざ人ってどうやったら幸せになるのかを語るのって、難しいなって、思いました。
寝ずに考えました。それでやっとわかったことを、出来るだけ、お父さんの言葉で言い残しておくな』
『好きだよとか愛してるって思うことが、全ての苦しみの始まりなんだよ。そして、それをきっと楓は誰かと分かち合うことになるだろう』
『大抵、大げさなことはいらない。誰かにおはようって言われたら、おはようって返して。それだけで楓の苦しみはきっと、少し晴れるから。そんな幸せを噛みしめることだけで、人生の大きな意味だからな』
『お父さんが思った幸せの秘訣は、それだけだよ。がっかりしたか?
いや、楓は自分でもっと幸せの秘訣を見つけるかな?それも、いいな』
『みんな出来るだけ元気で。
それで、俺は幸せだ』
『ありったけの愛を楓に』
ビデオを見終わった楓が、口を開く。
「。。。お父さん、かっこよかったね」
「こんなふうに、死んじゃったんだね。。。」
美嗣はこれ以上なく真剣にテレビ画面を見つめていた楓の姿を見て、ビデオレターがどれほど楓の人生を救ったか、実感した。
「お父さんはね、これでお父さんからの愛を楓は感じてくれる、って言ってた、、、そして楓を泣き止ませてみせるから、見とけって」
「。。。ぐずっ」
楓の心の底にはいつの間にか愛がはめ込まれ、彼女の気持ちを安定させた。そして次には、楓の心は父の言ったことを、言いたかった気持ちを理解することでいっぱいになった。
泣き止んで、ということと、幸せに生きてということ。。。
たくさんその言葉を反芻しているうちに、何かがわかるような気がした。
あたたかくて不思議な気持ちを知るために、泣き止むこと。
これはお父さんの祈り。元気に生きてって、祈り。
幸せに生きてってこと。
これもお父さんの祈り。。。。これも元気に生きてってことだよね。
元気に生きてって、お父さんは繰り返して私に伝えてる、ということ。。。
挙句の果てに、お父さんは自分の命まで私の命のためにくれたのだ。その決断と行動は、すぐに計り知れるようなものではない。
生きてってこと。
。。。ねえ、お父さん。
どうしてそんなに私が大事なの?
ああ、これは生きていかないと、わからないんだっけ。。。
長い人生を、お父さんみたいに、楽しんで、でも大変に、、、歩かないといけない。。。
お父さんがお父さんのお母さんの気持ちがわかってきたって言ってたけど、きっとそれは、すごくすごいことだなあ。。。
私も、お父さんの気持ち、知りたいな。。。
。。。お父さん、生きてみるから、安心して。
そうか、つまり、お父さんのしたいことも、私のしたいことも、おんなじなんだ、、、。
私はふっと、ほっとするような気持ちになる。
よかった。。。
。。。。。。
。。。でも、もしかしたら、、、色々お父さんは考えてみて、、、迷ったりしたかもしれない。
ただ、きっとお父さんは、私には純粋な思いを抱いていたんだ。
つまり、、、愛していたんだ。
それがお父さんの本心だと。
こんなにも、わかる。
だから。
。。。だからね?
よかったな。。。
ああ、よかったなあ。。。
(※愛を受けたら愛を返すような言い方で)
その日の夕食の時間。
美嗣は楓に、
「ビデオレター、見て元気になったみたいね」
と切り出した。
楓は食器を置いて、お茶を飲む。
「。。。お父さんは私を愛してたから、心臓をくれたんだね。私に幸せになってほしいんだね」
「わかったことがあって、安心した。でもわからないこともあって、気になった」
「それは、きっと元気になったってことよ。。。」
「お父さんは、すごくすごい。。。」
「そうねぇ」
そして楓はまた食事を始めた。
父の思惑通りだったのか、生きる力を、秘めたエネルギーを引き出され、楓は落ち着きを取り戻したようだ。
いや、父が思うよりきっと楓は父を愛していた。楓は、父の、自分に元気で生きてほしいという願いに、、、自分も応えたいと思えるという安心感や、、、愛があったことで、安定した。
彼女の心は、再び重心を得た。
彼女の心は、幸せな子どもよりも切実ではあったが、
ただ、、、彼らと同じようなことで、とてもあたたかく、満たされていた、と言えた。
楓の人生には難しいことがあったが、心からの愛があれば、どんなときでも多くは、、、普通の幸せを得ることができるのかもしれない。
そして、それは思いがけない力を生んだりもするようだった。
私たちの人生は、そんなこともあって続いていく。