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第九話 箏(そう)の腕前

 春宮が来た日の夜――


 コン、コン……。


 夜中に鳴き真似が聞こえてきた。


 コン、コン……。


 待ち兼ねたように建物の方から別の声がした。

 すぐに聞こえなくなる。


 おそらく、これから二人で過ごすのだろう。

 春宮も中の君に会えることを期待していたに違いない。


 きっと春宮は宴が早く終わらないかと苛々(いらいら)されてたでしょうね……。


 私は眠りについた。



 数日後――



 私(左大臣の大君)が縫い物をしていると北の対の方から怒鳴り合っているような声が聞こえて来た。


 一人はお母様のようだけれど……。



 私は北の対へ向かった。


「入内するのは大君です!」


 北の対へ近付くにつれてお母様の怒鳴り声がはっきり聞こえてくるようになった。


 お父様は返事に(きゅう)しているようだ。


 まぁお父様が左大臣になれるように出世を手伝ったのも、私の入内を認めてもらえるようにするための根回しに掛かった費用を負担したのもお母様のお父様(つまり私の母方の祖父)だけど……。


「内々に話を決めるのがどれだけ大変だったと思ってるんですか!」

 男性の怒鳴り声がした。


 あら……。


 叔父様が来ていらしたのね。


「大君だから賛成したのですよ!」

 これは叔母様。


 叔父様と叔母様はどちらもお母様の同母弟妹(きょうだい)ですの。


「叔父様、叔母様、お母様。大事なのは左大臣家の娘が入内することでしょう」

 私が言った。

「それなら、どちらでもいいではありませんか」


 私は入内など望んでないし、中の君は春宮と一緒にいたいのだから代わって――。


「よくありません!」

「そうだ! お前は事の重大さが分かっていないからそんなことが言えるのだ!」

 お母様と叔父様が言った。


 お父様は居心地悪そうにしている。


「でも、どうして今ごろ誰を入内させるかなんて話をしているんですの?」

 私の疑問に、

「春宮様が中の君の入内をお望みだとかで……」

 お父様が言った。


「まぁ! では中の君でいいではないですか……」

 私が最後までいう前に、

「何を言っているのですか!」

 お母様や叔父様、叔母様が大声で怒鳴り始める。


 わざわざ北の対まで来たものの、中の君に入内を押し付――じゃなくて、譲ることが出来ないまま怒鳴り合いは夜まで続いた。



「お母様が反対されるのはまだ分からなくないけど、叔父様や叔母様はどうしてかしら?」

 私はトメに言った。


「詳しいことは知らないのですが……」

 トメは辺りを見回してから私に顔を寄せた。

「北の方様のお父様が中の君の亡くなられたお母上のご家族と揉められたとか……」


 それは中の君とは関係ないでしょうに逆恨みなんて大人げない……。



 数日後――



「お父様の四十(よそじ)の賀ですか」

 お母様の話を聞いた私(左大臣の大君の方)が言った。


 皇族や貴族は四十歳になると長寿のお祝いをしたのだ(この後は十年ごとにお祝いをするんですのよ)。


「ええ、それで宴の席であなた達に箏を弾いてもらいたいと思ったのですけど……」

 お母様が言った。


 お父様の長寿のお祝いだから別に否はない。


「何か問題でも……」

「中の君は気が進まないみたいなの……」

 お母様が不満げな顔をする。


「嫌だと言ったんですか?」

「いいえ、そういうわけではないけど……」


 だったら、お母様が勝手にそう思っているだけだろう。

 中の君をよく思っていないみたいだし。



 しばらくして箏の音が聴こえてきた――のだが、随分(ずいぶん)(つたな)い。

 途切れ途切れで、これを演奏と言うのは躊躇われるくらいだ。


「四の姫は機嫌でも悪いの?」

 私はトメに訊ねた。


 三の姫はこんなに下手ではない。

 それは四の姫も同じなのだが、まだ幼いから不機嫌なときに嫌々お稽古をやらされていたらこんな感じになるかもしれない。


「今、弾いてらっしゃるのは中の君のはずですが……」

 トメが戸惑ったように答える。


 まさか……。


 嫌々お稽古をしているという事?

 こんな演奏をするくらいお父様のお祝いをしたくないのかしら。


 しばらく聴いていたがあまりにもひどいので、とうとうたまりかねて中の君の元に向かった。


「中の君、お稽古?」

 私が声を掛けると、

「お姉様……その……お聞き苦しくて申し訳ありません」

 中の君が申し訳なさそうに俯く。


 自覚があると言う事は、やはりわざとだったんですの?


「私、箏は苦手で……」


 ああ、なるほど……。


 楽器にも色々な種類がある。

 箏は琴の一種だが、琴にも色々な種類があって弦の数などが異なるから弾いたことがないものの演奏は難しかったり出来なかったりするのも無理はない。


「別に箏じゃなくてもいいのよ。お母様に言って得意な……」

「……他に弾ける楽器はありません」

 中の君が消え入りそうな声で言った。


「え……得意な楽器が無いのではなく……」

「弾けないのです」

 中の君が俯いたまま震える声で答える。


 絶句――。


 楽器というのは姫にとっては良い婿を取るのには絶対に必要と言ってもいいくらいだ。


 殿方は姫君の噂を聞いて懸想文を贈ってくるのだが、女性は邸の外に出ない。

 どの女性も外に出ないのなら知り合いも出来ない。


 では、どうして噂が立つのか。

 使用人が意図的に流すか、通りすがりに楽器の演奏を聴いた人の評判になるのである。


 建物に壁が無いから中で演奏するとそれが外まで聴こえるのだ。

 だから良い婿を取るために演奏をして評判になる必要があるとも言える。


 もちろん、左大臣の姫ならそんなことをするまでもなく殿方は言い寄っては来るとはいえ――。


 中の君の年でこの腕というのは……。


 今でこそここに住んでいるとは言え、もし母君がご健在でお父様に引き取られなかったらどうするつもりだったのかしら……。


 まだ幼い四の姫ですらもう少しマシな演奏が出来る。


 そりゃ左大臣の娘だからお父様が出世の手伝いをしてくれるなら多少の難点には目を瞑ってくれるだろうけど……。


 ただ、春宮に入内したいなら楽器は必須だろう。

 妃なら縫い物は必要ないだろうから少しくらい()……得意でなくてもなんとかなると思うが楽器は人前で演奏しなければならなくなることがあるはずだ。


「で、ではお稽古しましょう」

 私はそう言って中の君の隣に座った。


「大丈夫よ。四十の賀の宴まではまだ日があるから……」


 この腕前では入内させられないと言われたらさすがの私でも庇いようがない。

 私は中の君を鍛えることにした。


 なんとしてでも入内までに上達させて見せますわ!


 何より万が一入内できなかったとき婿が取れなくなってしまいますわ!


 けど継子いじめ譚の主人公は楽器の名手が多いのに――。

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